[一緒なら]



 町の大通を中ほどまで入ったところに、一軒のペットショップがあった。割と古くからある店で、昔からの馴染みのお客は多いがそれほど盛況ではない、そんな店である。勝手なバイトには動物を任せられないという考えからか、代々の家族経営で続いている。
 そんな店だから、お客同士知り合いであることも珍しくなく、アフターケアも万全、トラブルや騒ぎにはあまり縁がなかった。

「そうは仰られましても……」
 その滅多にないトラブルに巻き込まれているのは、現在店の経営に携っている中では最も若い、長女の海。この春に短大を卒業したばかりである。

「どうしても、この仔がいいの。他の仔じゃ駄目なの!」
 海相手に勢いよく捲くし立てているのは、それほど背の高い訳でもない海よりもアタマ二つ分ほど更に背の低い少女である。一見中学生にも見えるが、制服からしてどうやら高校生のようだ。

「だって、この仔!見た途端にビビッってきたの。これって運命じゃない?」
「何度も言うようだけど、この仔猫は生まれる前から買うお客さんが決まってるの」
 少女の勢いにつられて、海もそろそろ敬語が取れてきてしまった。この問答、かれこれ一時間ほど前から繰り返されて、その上まったく進展がないのだ。こういう時に限って海の兄、長男である大地はその舌先三寸ぶりを発揮せずに海に任せて逃げてしまった。
(いつもだったら女の子の相手は喜んでするクセに……)

「あら、でも生まれる前から許婚が決まってるのって、大抵あとから運命の人が現れて横から攫っていくのがセオリーじゃない?その方がきっと幸せになれるわよ」
「イイナズケって……」
 発想の豊かさに思わず吹き出しそうになったが、どうやら少女は本気で言っているらしい。

「海姉ちゃん、ハル連れて来たよ」
「あ、空。……よかった、困ってたのよ」
 店の裏口から入って来たのは、次男の空。まだ小学生なので店には立っていないが、学校が休みの日には手伝い程度に掃除やエサやりくらいはしている。

「困ってるって?今日はハルに仔猫渡す日だって、だから呼んで来たんだけど」
 事態の把握できない空が、大きな目で海を見上げる。ドアの外にもう一人いる為、しきりに後ろを気にして海とそちらとを交互に見比べている。

「どうかしたの?」
 空をそっと退かせてドアをくぐったのは、やや線の細い少年である。高校生くらいに見えるが、同年代の少年と比べると身長も体重も下回っているだろう。別段病弱そうな訳ではないが、元気過ぎるくらいの健康的な肌色の空といると線の細さと色の白さが目立つ。

「あ、晴海くん。この子がね、この仔猫がどうしても欲しいって言って……もう一時間も粘ってるのよ」
 自然と小声になる海の肩越しに少女を見る。少女の方も、予約の主が彼だと気が付いたのかこちらをじっと見ている。
「いいよ……そんなに気に入ってくれたなら、きっと大事にしてくれるだろうし」
 少女の熱意に負けたのか溜息のように吐き出して言う。根負けしたのも確かだが、口にしたのも本音のようだ。
「ホントに!いいの?」
 少女が嬉しそうに言い、それと同じ言葉をまったく違うトーンで海が確認の言葉に使った。

「ああ。その代わり、ちゃんと可愛がってな」
 晴海の言葉に少女が、頭が痛くなりそうなほどうんうんと激しく首を縦に振った。
 少女がお礼を言いかけた時、裏口の外から「あきらー」と呼ぶ声がした。外に友達待たせてんだ、と晴海が言って出て行ってしまう。
「じゃあ、こっちに来て。書類に名前とか書いてもらわないといけないから」
 少女はしばらく晴海の出て行った裏口の方を見ていたが、仕方なく海に促されるまま席についた。いくつかの書類に目を通し、それから、加賀なほ、と意外なほど整った字で署名した。



「あの仔猫の母猫はシャロンって言ってね。その母猫を晴海くんが拾ってきてうちの……父が裏でやってる動物病院の方に連れてきてうちに住むことになった猫なの」
 次の日、仔猫の詳しい飼い方を聞きに来るように言われていたなほがペットショップを訪れると、一通りの説明を終えた海が、本来あの猫を貰い受ける筈だった晴海の話を聞かせてくれた。

「母猫はシャロン達を産んでしばらくして亡くなって、晴海くんはシャロンを家で飼いたがったんだけど、母猫に似て身体が丈夫じゃなくてね。ここならすぐ父に見せられるし、家と病院とって環境がころころ変わるよりいいって、晴海くんは毎日通って来てたのよ」
「そう、だったんだ」
 自分が運命だと我が侭を言って横取りした猫が、そんな永い約束の上に産まれた仔猫だなんて思ってもみなかったなほが海の話を聞いてシュンと項垂れる。
 欲しがるなほに、あっさりと譲ったように見えた晴海。一体どんな気持ちでそうしたのだろうか……。

「海さん、余計なこと喋りすぎ」
 いつの間に来たのか、晴海が裏口のドアをくぐって入って来ていた。毎日通っている、と言っていたのだから、店に来てもまったく不思議ではなかったのだが、あまりにもタイミングが悪過ぎて、会ったら真っ先にお礼を言わないとと思っていた筈のなほは何を言っていいかわからなくなってしまった。

「あの、ええと……」
 すごく重大な話を聞いてしまった。だけど、だからといって返すなどと言えば、それはその方がよっぽど失礼だ。あれだけ大騒ぎして譲ってもらった仔猫だ。何より、運命だと思ったのだ。
「あの!大事にするからっ。だから」
「うん」
 勢いよく頭を下げたなほに、晴海は短く頷いただけだった。

「いいよ。大事にしてよ。海さんに、運命の猫だって言ったんだって?……僕の運命の猫は、多分あの猫じゃなくて、シャロンだったんだよ。だから、あの仔猫は君が大切にしてやって」
「はいっ。あの。もしよかったら、晴海さん、いつでもうちに見に来て!この近くなんで、うち」
 なほの申し出に晴海は一瞬目を丸くして、それから少し苦笑してもう一度頷く。

「多分勘違いしてると思うから言っておくけど。晴海くんって、下の名前よ?」
 晴海のリアクションに、唐突に家に誘ったのはまずかったかな、となほが思っていると、後ろから海が袖を引いて小声でそう耳打ちした。
「え、だって……あきらって言うんじゃ?確か昨日そうお友達が……」
 混乱したように小声で聞き返すなほに、だからね、と海が説明する前に、晴海がその言葉の先を引き受けた。どうやら丸聞こえだったらしい。

「明良、晴海……まあ変わった苗字だから仕方ないけど」
 苦笑気味に言って溜息をつく。そこでやっとなほが事態を把握し、ほぼ初対面の少年をいきなり名前でしまった気恥ずかしさに気づいて慌てる。別に何も悪いことではないのだけれど、普段同年代の少年を苗字でしか呼ばない所為か、やはりどこか恥ずかしい。晴海の照れもそこにあったのだろう。

「ご、ごめんなさい。てっきり苗字かと」
 でも今更、明良さんとは余計に呼びづらいし、となほが言いながら更に慌てている。
「別にいいって。ああ、そういえばそれで、名前は?」
「あ、はい。加賀なほです!」
「じゃなくて、仔猫」
 勢い込んで名乗ったなほに、今度こそ晴海が小さく吹き出した。焦るなほに、いや話の振り方も悪かったから、と晴海が笑いながらも取りなす。

「シャーロットって名前つけたの。あ、全然、シャロンの名前とか、全然聞く前に……なんだけど」
 晴海と海がそれを聞いて顔を見合わせた。
「ホント、さすが運命だって言うだけあるよな」
 晴海が堪え切れずに笑うと、海も小さくどこか安堵したように微笑む。

「じゃあ、ホント、シャロンのとこ来るついでに、たまにシャーロットの様子も見に行くよ」
「うん!仔猫のこととかも、色々教えて……ください」

 町の大通を中ほどまで入ったところにある一軒のペットショップの、珍しく起きたトラブルはこうして無事に落着した。
 仔猫を産んだばかりのシャロンや、また身体が強くないかも知れないシャーロットのことは気がかりだけれど、一緒ならきっと大丈夫だろう、と……その日の業務日誌には海のコメントが付けられている。

 そして、その下に、大地の大きくて雑な字で「よくできました」と花丸が付け加えられたことに当の海が気づくのは、次の日誌の担当日のことなのである。



*この話は「アキラハルミ・横取り・猫」の三題企画です。