[growth]


 中庭のビニルハウスで高梨圭吾は菊の成長日誌を書いていた。夏休みに入ってから十日目。温室の中は35℃を越してとても暑かった。にもかかわらず圭吾のレポート用紙は10枚重なっているように見えた。それに比べ、私の黒いクリップは自分の仕事をサボっている。
「よう、優等生」
私は挨拶する。圭吾は笑顔で挨拶を返す。
「おはよう」
「よくもまあ毎日。真面目だねえ」
「ははは。けっこう変化があって面白いよ」
私の名前がついた鉢は茎が貧弱に伸びていた。
「そうかなあ…」
「村田はこういうの嫌い?」
「課題って名目なだけでウンザリ」
圭吾は笑った。私はいい加減にレポートを書いて逃げるように学校を去った。

「あのさあ、思ったんだけど」
私が不意に思いついたことを、頭のいい圭吾に言ってみた。その日も偶然圭吾と同じ時間に温室にいたのだ。あっちのレポート用紙は15枚目になっていた。
「白カビ病の葉っぱって白い斑点で気持ち悪いけどさあ。摘みすぎたら光合成できないんじゃない?」
「そうだね」
「あとワキ芽とかも摘むじゃん。こいつはここから芽を出したいって言ってんのに」
私がマジだったのが可笑しかったのか、圭吾は笑った。
「村田は面白いこと考えるなあ」
そう言いながら圭吾は自分の書いたレポートを私に見せた。スケッチも丁寧で、細かく観察されていた。コピーしたいと思うほど。
「ねえ、こういうのはどう? 有害な知識を与える友人は摘み取って、有益な知人だけを残しておく。無意識のうちに目的は一つで、親の敷いたレールを歩くだけ。当然のように成果は出て、コンクールで良い成績なんか残したり、みんなに褒められたり。花の重みで折れないようにこんな針金で身を支えて…」
「なんの話?」
「菊の栽培にみる学歴社会」
そして圭吾は自分が持っているレポートの束をばさばさと振った。
「と、親の現状」
笑った。なにか釈然としなかった。「高梨の方がおかしいこと考えてるよ」

 次の日。珍しく連日通ってみた。圭吾はまだ来ていなかった。自分の鉢を探して水を遣り、スケッチをする。その途中で圭吾が来た。挨拶をして無言のままレポートを書いていると、圭吾が突然「ひどいなあ」と言った。私がそっちを向くと、奴は手招きをして私を呼んだ。
「うわっ、ひでえ…」
圭吾が指している先には、へたっている菊の苗があった。誰かがその鉢を踏んだらしく、赤玉土に靴跡が残っている。
「せっかく大事に育てているのに、自分のだったら許せない!」
私は鼻息を噴射した。私ですらこう思うんだから、もっと何回もレポート書きに来た人なら愛着もあって、怒りもそれ以上だろうなと思った。
「村田のじゃなくてよかったね」
そのわりに圭吾は激しく憤るのでもなく、呆れた目つきでそれを見ていた。
「まさか、あんたがやったの?」
「まさか。こんな低レベルなことしないよ。可哀想だよね」
私は眉をひそめて少し考えて、コクンと頷いた。言いたかったことを言えなくなってしまった。でも、圭吾はやっぱり頭が良かった。
「わかっている、不謹慎だって言いたいんでしょ? ちょっとした皮肉のつもりでね。自分のだったらって、つまりそういう意味だと思うんだ。しょせん他人事なのかなって。ごめん」
冷水が背中を染み渡るように、後悔した。そんなに深い意味があって言ったことじゃなくても、他の人に不快を与えることがある。まして今回は、それが深層心理であったようにさえ思えてくる。真夏の太陽が照りつける。温室の中は40℃近くある。
「許せないよね」
「うん」

 夏休みが終わり、薄っぺらいレポートを提出した。クラスではほとんど圭吾と話さなかった。もともとそんなに仲が良いわけでもなかったし、あんなに変な奴だとも知らなかった。真面目でなんか近寄りがたくて、圭吾はいつも一人だったけど、それが普通でクラスにも馴染んでいた。

「みんなに褒められたら嬉しいんだよね。それが作り物だとしてもさ。だから過保護でも親には反抗はしない。自分のためを思ってやってくれていることだ。だから毎日、観察にくることが煩わしくても我慢してほしいな」
菊にそんなことを話しかけていた。圭吾はやっぱり変だった。
「煩わしいと思われても…ってそれだけじゃないんだけど。やっぱり評定で5がほしいんだ。いい高校に行くためにもね」
前髪を掻き上げて、照れ笑いをした。
 そこまで言っていただけあって、圭吾の菊は優秀な点をつけられていた。コンクールに出すかというところまで話がいったらしい。
 土いじりで手が汚れたので、技術の授業後にひとつ離れた蛇口場で手を洗っていた。すると隣りに圭吾が来た。まわりには誰もいなかった。
「やあ」
「何?」
圭吾はちょっと驚いた顔をして、少し聞き取りづらい早口で話した。
「枯れたらどうなるんだろうと思った」
「あれだけ手塩にかけて育てても枯れたらそれまでよ」
「誰も見向きもしなくなる」
「そう」
私は蛇口をひねって水を止めた。濡れた手でポケットを探る。あ…。すると圭吾がハンカチをこちらに差し出してきた。引きつりながら、ありがとうを言う。
「俺が枯れたら村田が面倒みてよ」
ハンカチを返した。
「嫌だね」
 私は踵を返し、教室に戻った。私は酷いことを言った。だけど圭吾の考え方には付いていけないと思ったから出た言葉だ。罪悪感から盗み見たら、圭吾はさっきの言葉は冗談とばかりに何事もなかったように笑っていた。なんとなく悔しかった。

――摘みすぎたら光合成できないんじゃない?
そうだったのか。わかっていたのに、今までわからなかった。

菊

 麒麟さんから一周年のお祝いにいただきました。
 悔しいので作品についてのコメントは控えさせていただいて(苦笑)もう作品を読み終えた方に私が言うことなんて何もありませんって感じですから。

 菊の花は好きです、誕生花でもありますし。菊花展も行きます。でも写真の扱いは難しいですね(苦笑)
 背景は温室っぽさを表現できるものが欲しかったのですが無理だったので、日向くささみたいなものが出ればと。最初、暗めの地に黄色の菊を浮かびあがらせるようなデザインも考えたのですが、夏の温度が欲しかった……ので。

 麒麟さん、ありがとうございました――2001.4.1

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