[ 未練〜LADY MOON

 白いワンピースは暗闇に映え、桃色の肢が濡れて透けて張りついている。長い黒髪は海藻のように揺られて、水中を泳ぐ。腿の色に比べて顔はなんて白いのだろう。このひとはなぜ海にただ浮いているのだろう。そんな疑問だらけの彼女が「何しているの?」と僕に問いかけるのは…。
「散歩。あんたは?」
「あたし?」
 彼女の首が僅かにこっちを向いた。崩れるバランス。彼女の顔は一度、海に沈んでしまう。

 それは夢だったのだろうか。確かに遠い記憶で、今、目が覚めたのも事実なのだが。
(変な女…)
轟音。柔らかい、しかし心地悪いチェアにもたれかかって肩を下ろす。なんとなく暗く、ぽつねんと取り残されたように光が灯っている。地震のような揺れ。

 そこが本当に海であるのなら、僕はどこから見ていたのだろう。細部までしっかり見えていた。しっかり見ていた。海は広いのだろう。波は寄せて返して、あんな穏やかな状態で浮かぶことを許さないだろう。海の深い部分で浮いていた。
「あなたを見ているの。暇だから」
彼女は浮かんでいた。濡れた頬、揺れた顔。髪が顔を這うように密着していた。
「なんで浮かんでいるの?」
「全体重をかけて寄り掛かってみたかったの。あたしの全体重を支えてくれそうなものは今のところ水しかなくって」
「だから海に?」
「そう」
服が水を吸って、きっと沈んでしまうのだろう。
「淋しいのよ」

 突然、機内に閃光がはしって瞬時に消えた。赤紫のフラッシュで一瞬見えたのは、前の座席だった。やけに窮屈な耳から大きな声が聞こえる。イヤホンをつけたままだった。
「乱気流により揺れが続きます」
そしてJ−POPのお気楽な旋律があくびを誘う。不思議な安心感。楕円形の窓から、月。

「なんとなくよ。だから浮かんでいるの」
雨が降るかもしれない。ますます彼女は沈んでしまうだろう。
「そうかな」
「ふふ。だって理由がわかる?」
 唇は楽しそうに話すけど、本当は紫になって震えている。僕は雲に隠れたふりして、荒れ狂う闇の中にいる気がして、そうやって身を潜めて逃げてきたのか?
 空の上から見下ろしても海は見えない。揺れる機体に身を委ねて、こんな不確かなチェアに全体重をかけている。恐怖はある。そして点々と灯るランプ。傍には誰もいない。肩を掠めるような距離には誰もいない。
――あいつに会いたいな。でもな。
  知ってるよ、もう会っちゃいけないってことぐらい。

「揺れが収まりました。引き続き、夜のフライトをお楽しみ下さい」
雲間から海が見える。真っ黒で粘土を撫でたような不器用さで、ちっとも綺麗には見えない。そこで月が揺れている。
「くそう、綺麗だよ」
彼女は海に映った月の影なのか、月鏡が海に横たわる彼女を映したのか。ただの夢か。
 でも彼女が光を与えてくれるなら、もう一度会いに行く。舟を漕いで、舟を漕いで…。そして彼女に笑いかけることが出来たなら次の陸地を目指して。

 ほんの少し寄り掛かっても良いかな。肩を貸して。いつか目覚める。

 一周年のお祝いにに麒麟さんからいただきました、パート2です。

 作品の余韻を楽しんでいただきたいので、やはりコメントはデザインに関してのみ(言い訳という)
 本当は[月と海]な写真があればと思ったんですが、これまた用意できなかったので(苦笑)飛行機からのとか海中のとか……空と海と、そして地上の光といった感じで合成してみました。([月と海]の代わりが[海月(クラゲ)]な訳ではないんですよ・苦笑)
 暗く蒼く美しい……月の夜の幻想を表現できれば……という感じで用意させていただきました。

 麒麟さん、ありがとうございました――2001.4.1


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