2003/航海日誌
1981年3月の顔
観劇日誌42 『風の娘』劇団民芸(12・26) セウ・アートセンター

久しぶりに民芸の舞台を拝見いたしました。創業30年の劇団にしては芝居があまりこなれていないという感じが残っており、いっしょに観劇したユヂョン嬢もめずらしく居眠りをしていました。それにしても、聖誕祭の夜にしては不向とも思える「救いの無い物語」で、このテはいまどき流行らないと思いますがの。(^^)

観劇日誌41 『帰郷』ノートル(12・20) 文化日報ホール

フリンジ主催によるアジアニューウェーブシリーズの最後を飾る作品です。ブレヒトの「死んだ兵士の伝説」を素材に制作したものだそうです。演劇なのかダンスなのかはたまたマイムなのか…、すべての要素が混じっていて、ちょっと変わった味を出してました。

歳を感じさせる話(12・14)

じつは最近左の上腕ににぶ〜い痛みを感じております。肩を冷やしたせいで痛むのか、あるいは眼精疲労から来るものなのかよく判らないのですが…ちと難儀しております。おそらく眼精疲労から来る痛みではないかと見当をつけているのですが、かれこれ二ヶ月ほど続いており、肩を温めたり気を使ってはいますが完治しません。早い話が歳をとったというわけで、こういうことさえなければ歳をとるのもなかなか楽しいんですがね…。(@^^@)

観劇日誌40 『愛に生きる犀』中国国家話劇院(12・11) 文化日報ホール

中国国家話劇院は当初別個に運営されていた中国青年芸術劇団と中央実験劇団が2001年に統合されて創出されたそうです。現在、中国と北京を代表する劇団のひとつであるとパンフレットに記載されております。『Rhinoceros in Love』は舞台前面を使った、いろいろな趣向を凝らした作品でした。舞台上手のモニタやコピーマシン、下手に寝かした大きな氷の塊、あるいは客席の鼻先に置いたテーブルセットなど、いつどこでどんな「事件」が起こるのかわくわくしながら拝見いたしました。

観劇日誌39 『アンティゴネ』劇団城(12・7)

水原に本拠地を置く劇団城(ソン)の創団20周年を記念する行事のひとつとして上演されたのは、ご存知ギリシア悲劇の逸品『アンティゴネ』です。この日のソウルはかなり冷え込んでいましたが、午後6時の水原では粉雪が舞っていました。初雪です。さすがに寒かった…。小屋の位置をしっかり把握していなかったので、たどり着くまでに寒空の下でかなり苦労しました。しかし芝居がおもしろければ報われます。もちろん、報われない場合もしばしばあります。では、今回は?(@^^@)

李根三先生御逝去(11・28)

韓国を代表する戯曲作家であり、わが西江大学の名誉教授でもあった李根三先生が亡くなりました。先生は1929年平壌出生で、戦後の写実主義劇文学界の代表作家として韓国演劇界の新しい変化を主導し、多くの作品を残されました。

観劇日誌38 『追跡』劇団パーティ(11・26) 芸術の殿堂自由小劇場

ユヂョン嬢のお誘いで、芸術の殿堂へ。劇団パーティの創団公演『追跡』を拝見しました。ユヂョン嬢の芝居仲間も3人居て、近未来の言論統制された世界を描いた舞台を拝見しました。

観劇日誌37 『李春風』劇団美醜(11・15) 国立劇場前特設テント会場

劇団美醜の年末恒例「マダンノリ」です。古くは劇団民芸による「MBCマダンノリ」から始まったものですが、それを美醜がひきついで今日に至っております。いつも韓国の古典に材をとるのですが、こんかいもその例に漏れず古典の名作『李春風』です。李春風(イ・チュンプン)という世間知らずの両班(ヤンバン=貴族)がキーセン(芸者に該当する?)にだまされて巻き上げられた持ち金を、彼の良くできた妻が取り戻すという楽しいお話です。国立劇場の敷地に特設テントを建てての公演は、来年の2月まで続きます。

観劇日誌36 『沈黙と光』国立劇場星の間(11・15)

韓日演劇交流協議会主催の日本戯曲ドラマリーディングです。今日の作品は松田正隆の『沈黙と光』をチェ・ヨンフンの演出で上演。この作品もなかなかおもしろかったです。今日も盛況で、2005年の日本開催が楽しみです。

映画鑑賞『グッバイ、レーニン』(11・14)

今日は授業の一環で、受講生一同で映画『グッバイ、レーニン』を見に行きました。上映館は芝居でおなじみ大学路の、東崇アートセンターにある小さな映画館「ナダ」です。教授を筆頭に、授業を終えてからぞろぞろと大学路へ出かけます。この映画はなかなか好評らしく、私たちが映画館へついた頃にはチケットはほぼ売り切れ。ひと足遅れたら見られなかったかも。危なかったス。チケットを手に入れて、さて次は食事です。今回も!教授のおごりで、ポッサムとマンドゥをごちそうになりました。

映画は評判どおり、なかなかおもしろかった。熱心な党員である主人公のママが昏睡状態に陥っている間に東西ドイツが統合したというお膳立てがまずおもしろい。そして昏睡状態から覚めたママが街にさまよい出て、そこで撤去されヘリコプターで移送されるレーニン像と邂逅するというシーンにはなぜかしら感動を覚えました。また見たいっス。

観劇日誌35 『ソウル市民1919』演戯団コリペ(11・13) スターシティ劇場

ご存知平田オリザの作品を演戯団コリペの李潤澤(イ・ユンテク)が演出。大学路のスターシティ劇場という小さな小屋でしたが、楽日とあって満員。シナリオにはほとんど手を加えておらず、演出で少し手を加えたようですが、なかなか笑える作品になっていました。しかしおもしろく仕上がった変わりに作品が本来持っているはずの緊張感や不安感、つまり「被支配民族の独立運動に遭遇した支配民族」という危なっかしさはすこしく失われたように感じました。久しぶりに後輩のミンギョン嬢を連れての観劇でしたが、気の置けないチング(ともだち)とおもしろい芝居を見たあとは幸せな気分になれます。♪

観劇日誌34 『ヒネミ』国立劇場星の間(11・13)

日本の戯曲を韓国語に翻訳してのリーディングです。今日は第二作めで、宮沢章夫の『ヒネミ』をシム・ヂェチャンの演出でリーディング。12人の俳優による朗読はけっこう見ごたえがありました。戯曲もおもしろかったし…。翻訳がうまいのか、韓国人観客とわたくしと同じタイミングで笑ってましたが、韓国のお客さんは何をおもしろいと感じて笑ったのか、あるいはこの戯曲のどこに興味を持ったのか、機会があれば話をしてみたいですね。

観劇日誌33 『韓日ダンスコンタクト』文芸会館小劇場(11・9)

2回めの韓・日ダンスコンタクトです。今回シアターゼロをはなれて文芸会館へ進出したのですが、客入りはたいへん良好。やはり大学路ですなあ。でも、舞踊の場合は師弟関係(つまり招待券)で来る客が多いので、見た目ほどにはチケット収入はないだろうなあ。(^^)よけいなお世話か…。それにしても、舞台の「ハシゴ」は疲れるなあ。

こんかい拝見したのは日本側が奥田純子と岡本真理子、韓国側が鞠銀美(クク・ウンミ)と池濟c(チ・ヂェウク)の四人です。それぞれ見所勘所があって面白い舞台でしたが、なかでも鞠銀美のダイナミックさと岡本真理子の「ずっこけ」さが印象的でした。岡本真理子のポストモダンのあいまいさをそのまま体現したような舞台は、以前日本にいたときにはダンスに限らず舞踏でも比較的目にする機会が多かった記憶があるのですが、その意味するところをきちんと考えたことはなかったですなあ。新聞放送学科で勉強するようになってからいろいろ目に付くようになってきました。それにしても、今回の舞台のように日韓の違いをくっきりはっきり見ることのできる舞台も珍しいものでした。岡本真理子嬢には敬意を表して「デリダ式反復ずっこけ娘」の名を贈るものであります。

観劇日誌32 劇団美學『勝負の終わり』国立劇場星の間(11・9)

ご存知、ベケットの作品です。この間の評判もいいし、今日は楽日とあって満員御礼。客席も舞台もいい雰囲気でした。途中でちょっと寝たけど…。
EndGame <主役です。タモリに似てません?

春川(チュンチョン)へ! 一泊二日の文化研究キャンプ(11・7-8)

金曜日の午後、江原大学社会学部新聞放送学科の主催で「文化研究キャンプ」という催し物がありました。ソウル大や高麗大、延世大に成均館などの諸大学にまじって、我が西江大新聞放送学科は教授と院生たち8人で駆けつけました。湖畔の街にゆったりと建てられた国立大学で、晩秋のひとときを「文化」と「お酒」と「おしゃべり」で楽しみました。あ、もちろんその前に多様なカンファレンスで見聞を広めましたぞ。

春川まで出たついでに、南春川駅の近所で食堂を営むというピョン・ユヂョン嬢の実家を訪問。折り良くソウルから遊びに来ていた彼女の芝居仲間と合流して、ソヤンダムや植物園、ポンドク寺などを散策。楽しい週末になりました。土曜の朝はユヂョン嬢の店で人気の料理「コムチタン」に舌鼓をうって、昼はソヤンダムの近所で「春川マッククス」、夜は春川の明洞(ミョンドン)に繰り出し、これも名物料理「タッカルビ」を堪能。この間、しこたま食ったのでちょっと太ったみたいです…。

観劇日誌31 劇団トルゴヂ『ウリナラ ウトゥリ』ハクチョンブルー(10・29)

韓国芸術総合学校の付属劇団トルゴヂが金光琳の作品『ウトゥリ』をことし一年かけてツアーを行いましたが、先週の議政府芸術の殿堂に続いて大学路はハクチョンブルーに場所を移し、いよいよこれが年内最後の上演となります。韓国の民謡や祭りの所作を取り入れた演出はかなり濃厚で、韓国の民族楽器による生演奏とあいまって、これでもかとばかりに民族色一色で迫ってくる。たまには息抜きできる場面も欲しいなと思うほどです。(@^^@)

劇団トルゴヂは韓国芸術総合学校の演劇院に付属する劇団で、学生とプロの俳優の混成で上演をおこなっています。作・演出の金光琳は演劇院の院長で、最近ヒットした映画『殺人の追憶』は彼の作品である『会いにきて』を映画化したものです。『ウトゥリ』の初演はたしか一昨年だったと記憶しているのですが、こんかいの再演には友人であるピョン・ユヂョン嬢がムーダン(巫女)役で出演しており、いそいそと大学路へ駆けつけました。

写真サイトの点検(10・22)

久しぶりに写真関係のドキュメントをメンテナンスしました。写真関係のサイトを最初に作成したときはISDNで接続していたので、小さな画像ばかりをアップしていました。しかしさいきんはブロードバンドがかなり普及しており、また小型のノートパソコンでもSVGAやXGA表示が普通になってきたので、画像をひとまわり大きなものに差し替えようというわけです。てもとにはまだ紹介していない舞台写真がかなりあり、年末に帰省したおりにスキャンする予定です。ただ…、舞台写真を何の説明も無く並べただけではつまらないのではないかと思っています。舞台作品の背景や上演の周辺事情なども紹介できればおもしろいのでしょうが、テント芝居に関しては補完説明できるほど資料を持ち合わせていない場合が多く、いきおい写真の羅列になってしまいます。1980年代の舞踏や芝居はそろそろ作品を分析されてもいい時期に入っており、こういった作業も含めてあらたな展開を試みるつもりです。

観劇日誌30 SCOT『シラノ・ド・ベルジュラック』議政府芸術の殿堂(10・18)

ほぼ20年ぶりでSCOTの舞台を拝見。場所は議政府(ウィヂョンブ)市が建設した総合文化施設である議政府芸術の殿堂、そこの大ホールです。いい小屋なんですが、こんかいは一階すべてがR席でA席以下は二階というつれないチケッティングでした。韓国演劇界の入場料のインフレ傾向はまだ続くようです。芝居はけっこうおもしろかったですよ。

東京へ行ってきました(10・9〜13)

弟の新居を拝見に、週末を利用して東京へ行って来ました。東京は三年ぶりでしたが、地下鉄がまた複雑になってましたな。あれはたしか1987年のことでしたな、二度目のソウル語学留学を終えて東京へ戻ってきたときでした。空港からバスで池袋サンシャインビルへ、そして地下鉄東池袋駅で新桜台行きの電車を待っていると、そこへ東武東上線の車両が入ってきたのを見て驚きました。わずか三ヶ月のあいだ東京を留守にしているうちに、地下鉄有楽町線に東武線が乗り入れしたんですなあ。今回は地下鉄新玉川線三軒茶屋駅で電車待ちしていると押上行きというのが入ってきて、たしかこの線は水天宮駅が終点だったはずなのに…てまえに押上という駅があったか迷いましたぞ。水天宮から先が開けたんですなあ。山手線の内側をぐるりと一周する地下鉄大江戸線が開通したと言いますし、便利にはなっているようですが…、しかし電車賃が高おます。今回はじめて成田エクスプレスちゅうのを乗ったんですが、成田から新宿まで乗車券+特急券で3000円を越えたのには驚きました。つまり成田と東京を往復すると6000円を超えるわけですが、飛行機でソウルと大阪を往復して通常24000円でっせ。安ければ20000円で手に入る…。国内の足代が異様に高いんですなあ、日本は。あらためて実感しました。

久しぶりの東京でしたが、東京がソウルより寒いことは無かろうとたかをくくっておりました。ところが、わが身はすでにオンドルに慣らされておりましてんなあ…、厚手の寝巻きの携行を省略したのが運の尽き。東京の夜の冷え込みは、この時期でも充分寒いです。あっという間に風邪を引いてしまいました…。それでも気丈に遊びまわっておりましたが、ついに力尽きたのが東京を発つ日。日曜の夜遅くに世田谷に暮らす友人を訪ね徹夜で話をした月曜の早朝、8時頃に友人宅を出発。飛行機は午後5時でしたが、時間つぶしにどこかへ寄る体力も無く、空港に向かって這うように出立。まずは三軒茶屋のホームでうとうと、次に東京シティエアターミナルでうつらうつら、バスでは熟睡し、成田でもこっくりこっくり、機内では何度か意識不明。飛行機の出発が遅れたせいもあって、けっきょく家に着いたのは夜の8時でしたから、スタートしてから12時間かかったことになりますなあ。疲れました。若い頃と同じようにはいきまへんなぁ。

観劇日誌29 銀幕遊學◎レプリカント『Serotonine』タイニイアリス(10・12)

東京は新宿のタイニイアリスで大阪の劇団、銀幕遊學◎レプリカントの舞台を拝見。可愛い舞台だなあと思うのですが、芝居にしてはセリフが弱いし、ダンスにしては体がいまひとつ…。もうちょっと気張ってもらわんとあきまへんで〜。(@^^@)

久しぶりのアリスフェスティバルでした。今回は韓国から劇団風鈴(プンニョン)が若手女流演出家朴貞姫(パク・チョンヒ)の演出で『平心』を上演。朴貞姫は新進演出家として注目されており、ことし上半期に演出した『女中たち』はけっこう話題になりました。ところで、プログラムには朴貞姫を「パク・ジョンヒ」としてますが、朴の後ろの音は濁音にならないので「パク・チョンヒ」が正しい。タイニイアリスと韓国とのつきあいはずいぶん長いのに、いまだに韓国人の名前を正確に表記できないというのはたいへん残念であります。

観劇日誌28 ロックミュージカル 『ハン』クラブSH(10・8)

西江大学新聞放送学科演劇班で活躍した女優、チェ・ユニョン嬢が久しぶりに舞台に登場!しかもロックミュージカルです。ま、ちょっと仕上がりに不満足な部分はありましたが、既存の劇団に依拠しない、新しい集団を作っての活動は演劇の次の世代を作るうえに欠かすことのできないものでしょう。久しぶりにライブを楽しみました。

観劇日誌27 「韓国実験芸術祭」 CURSTACEA『あてんしょんぷり〜ず』シアターゼロ(9・28)

今日は大阪に本拠地を置くCURSTACEAの『あてんしょんぷり〜ず』を拝見しました。題名から判るようにちょっとコミカルな舞台で、この韓国実験芸術祭の雰囲気にぴったりという印象を受けました。しかし、このテの行事は一晩に3つないし4つのグループの作品を展示するので、照明や舞台装置に手をかけることができず、それぞれ自分の持ち味を出し切るのは至難のこと。「できる範囲で」ということになるのでしょうが、少しもったいない気もします。それに終わってから気づいたんですが、パンフレットや小屋の入り口の案内板でも作品名を公示しておらず、出演者の名称と出番は判りますが、どういう作品だか判らない。題名って、けっこう大事だと思うんですけど…。(@^^@) 追伸:2500ウォンで販売していた厚手のプログラムには記載されていたそうです。

観劇日誌26 「韓国実験芸術祭」 石川正虎 シアターゼロ(9・27)

9月13日から始まった「ソウル実験芸術祭」に日本から3つのグループが参加しました。東京からNO senseと石川正虎が、そして大阪からCURSTACEAの3つですが、今日は石川正虎の舞踏を拝見しました。日本から楽隊をひきつれての公演は、彼の所属する大駱駝鑑の雰囲気を持ちながら、しかし独自の舞台を構築しようという試みのようなものに思えます。

私は大駱駝鑑の道具方として80年代前半期を過ごしたので、舞踏にはなみならぬ思い入れがあります。韓国で舞踏がどのように受け入れられていくのか、じっと見守っております。

秋夕(チュソク)です(9・11)

日本のお盆に当たるのがこの秋夕で、うちの近所もさすがに静かです。今年の秋夕は水曜日に始まり金曜日に終わりますが、もし土曜日も休みにすると5日間にわたる、韓国では珍しい大型連休となります。今年は夏休みが明けてすぐに秋夕連休が始まったので、かなりみなさん焦ったようですよ。故郷へ向かう車による渋滞は、連休一日前の火曜日の午後に始まっていました。わたくしはこの間に今学期の受講科目のあらましを押さえておこうとひたすら教科書を読んでおります。「911」の犠牲者に黙祷をささげるとともに、合衆国がもっと謙虚に世界を見るようになることを願っております。

トンボッレ(9・11)

2センチから5センチぐらいの体長で15対の細長い足を持つ昆虫と言えば、もちろん!みなさまご存知「蚰蜒(げじ)」です(うちの里ではたしかゲジゲジと呼んでおりましたが)。韓国での正式名称?は「クリマ」ですが、大家さんは「トンボッレ」と呼んでおります(「トン=金」と「ポッレ=虫」で、いっきに「トンボッレ」と発音します)。雅に邦訳すれば「銭虫」でしょうか。つまりこの虫は金を運んでくるので殺してはいけないとの説明です。それが真なら我が家はトンボッレが「行進」しておりますので、わたくしは必ずやお金持ちになれることでありましょう。週末は例の宝くじ「ロト」に手を染めてみませうぞ。

観劇日誌25 またも『Cellophane Singula』を観劇(9・7)

今日は雨にもかかわらず小屋は客でいっぱいでした。客の受けも良く、演技者も張り切っていたようです。水と油は韓国は始めてで、これから九州での公演をこなして豪州方面へ旅公演に出るそうです。スタートがソウルだったわけですが、幸先の良い出発となって良かったです。

観劇日誌24 また『三人姉妹』を拝見(9・6)

今日は大学の後輩シン・ミンギョンを伴って舞台を拝見。この間舞台の評判も良いですし、週末とあって今日は客も多く、なかには演劇評論家の姿も少なからず見えました。舞台は韓国語によるセリフがあちこちにちりばめられたものになっていましたが、わたくしはむしろ違和感を感じましたなあ。セリフを解体するのがこの舞台の目的のひとつならば、不完全な韓国語によるセリフは解体以前に成立しないのではないかと…。(@^^@)

そろそろ劇団員は連続する舞台と外国滞在の疲れが出てくるころかと思います。明日の楽日を無事に終えて、楽しい思い出を日本へ持って帰っていただけたらと思います。

観劇日誌23『Cellophane Singula』水と油(9・5)

引き続きフリンジフェスティバルの話題。一昨日見たデモンストレーションが面白かったので、マイム劇団水と油の創舞ポスト劇場『セロファン・シンギュラ』を見に行きました。幕開きは客席に3人ぐらいしかいなくて寂しい舞台になるかと思ったのですが、10分ほどしてからどどっと客が来ました。やはり客は多いほうが良いです。作品はマイム的な動作を生かしたストーリーを軽快なプロットで構成しておりけっこう楽しめました。ブラックユーモアとマイムって、ほんとうに良く合いますなあ。

観劇日誌22『三人姉妹』地点(青年座気付)(9・3)

今夏のフリンジフェスティバルには日本からいくつかの団体が参加していますが、その中のひとつ、劇団青年座内のユニット「地点」による『三人姉妹』です。弘益洞のシアターゼロでの公演で、初日を拝見しました。水曜日の午後4時ですから客足はいまひとつでしたが、週末に向けて増えることでしょう。舞台の印象はむかし転形劇場の稽古場(T2)で見たSCOTの舞台を思い起こさせものでした。セリフの解体による対話の解体の試みはもしかすると地点の演出者のオリジナルかも知れませんが、舞台全体から受ける雰囲気は「古典的な実験劇」でした。私たちの時代に純粋な実験劇というものが成立するのか疑問ですが、ここではジャンルとしての意味で「実験劇」と言ってみました。

小屋の近くの公園で見たマイムグループ「水と油」のデモンストレーションも面白かったなあ。「水と油」はこのフェスティバルに日本から参加したマイムチームですが、日本のマイムは純粋に客を楽しませようとするからとっても好きです。春川マイムフェスのとき、日本から個人で参加したマイミストの舞台もたいへんおもしろかった。韓国のマイムはどこかしら芸術であろうとするので見ていて気を抜けない…。(@^^@)

開校(9・1)

いよいよ碩士(ソクサ)最後の学期が始まりました。今学期は2科目を申請し、ここでいっきに履修単位を消化します。科目は「ドラマと社会」「芸術と社会」で、いずれも私の得意分野であります。ここはひとつ「A+」を目指して邁進いたしませう。

観劇日誌21『アイラブDMZ』劇団木花(8・26)

久しぶりに劇団木花の舞台を拝見しました。『アイラブDMZ』はたしか昨年の作品で、今回は本拠地アルングヂ劇場ではなくポリメディア・シアターを借りての再演です。激しく雨のふる水曜日のマチネとあって、客席は少し寂しかったです。この作品は南北から非武装地帯(DMZ)に鉄道を施設することになったが、そこに暮らす動物たちが自分たちの平和な暮らしを守るために立ち上がるという話です。日本から遊びに来た知人を連れての観劇でしたが、たとえセリフは聞き取れなくても韓国演劇の持つ躍動感は充分楽しんでいただけたことと思います。(@^^@)

観劇日誌20『オフィリアの影絵劇場』劇団銀世界(8・24)

ここしばらく雨の降る日が続いておりますが、今日は久しぶりにユヂョン嬢から誘いがあったので蓮崗(ヨンガン)ホールへ『オフィリアの影絵劇場』という児童劇を見に行きました。今日は楽日とあってこの雨にもかかわらず子供連れの客でにぎわいました。オフェリアという老プロンプターとトドリクリムヂャ(はぐれ影)たちの交流を描いた作品ですが、さて、この作品の意味するところはいったい何だったのでせう。(@^^@)

観劇日誌19『影の涙』(8・16)

大学路の演友劇場で中堅女流劇作家チャン・ソンヒ氏の書いた児童向けの芝居を拝見。「人間の持つ貪欲さや愚かな憎悪心、科学的発明の間違った濫用など、戦争の社会構造的な背景を寓話的に提示して戦争について考えさせる」という芝居でした。宣伝文句を見るにさまざまな要素が含まれていて、はたして一時間少々の芝居でけりがつくのか心配しましたがやっぱり無理でっせ…。3分の2を過ぎたあたりから物語が見えにくくなってきて客席はざわざわとします。やっぱり子供は正直ですな。夏休みなので子供づれで見に来る人が多かったス。またもや客席で一人浮いた存在になってしまった。(@^^@)

立秋を過ぎて(8・11)

立秋を過ぎて、ソウルは秋の風が吹き始めました。いつもなら陽射しの強い、それでいてカラッとした独特の夏らしさを楽しめるのですが、今年は雨が多くてあまり暑くありませんでした。ソウル暮らしで4年目、そしてここ新亭洞で暮らし始めて2年目の夏です。塩里洞で暮らしたアパートは崖の上にあって、すばらしく見晴らしの良いところでした。そのかわり窓の外、ずっと向こうのゆるやかな下り坂を走る車の音が一日中、遠くの潮騒のように聞こえていました。それに比して、ここ新亭洞は時折おもてをにぎやかな物売りの車が通り過ぎたりしますが、だいたいに静かです。それでいて遅くまで隣近所の生活の音が聞こえ、あるいは真夜中に高歌放吟しながら道を行く者もいて、ここ新亭洞の夏の夜は異国での一人暮らしの寂しさを感じさせません。

観劇日誌18『三つの林の物語』劇団風の子九州&劇団サダリ公演(8・8)

日本の児童劇団風の子九州と韓国の劇団サダリとの2回目の共同作業です。光化門の世宗文化会館内、コンベンションセンターで行われました。夏休みで子供たちのあふれるなか、梨花女子大学の院生チョン・ユヂョン嬢をつれての観劇でした。なかなか楽しかったです。ユヂョン嬢には気の毒ですが、わたくしたちはきっと夫婦だと思われただろうなあ。

帰省日記「大阪ニテ回転寿司ヲ食ベルノ事」(7・26)

帰省のときはかならず寄るところがあります。大阪府下、地下鉄中央線は長田駅にある回転寿司の「くら寿司」。田舎ものの私はすし屋のカウンターに座るのが苦手で、回転寿司は願ったりかなったりの場所。今回も二回、友人を連れて食べに行きました。ソウルにも旨い寿司を食わせる店があるはずなのですが、不幸にしていままで立ち寄った寿司屋はすべて噴飯ものでした。まずシャリがべちゃべちゃして酢の香りがまったく無いうえに、サイズが不当に小さい…。しかも高い!ソウルの回転寿司の一皿あたりの値段は日本のそれと比較しても高くて、そもそも寿司を「回転」にする理由を判っておらんのかと言いたくなります。

日本に数年暮らした経験を持つ韓国人友人が、弘益大学前に旨い回転寿司があると教えてくれたことがあります。さっそく乗り込んで味見しましたが、じぇんじぇんだめ。ソウルにある日本式料理屋はそもそも韓国人客向けの店ですから、そこで出す日本料理の味は日本人の口に合わないのは仕方ないのかも知れません。さいきん流行の日本式うどんにしても、見た目はまったく同じですが味はどこかしら違う…。こういうわけで、帰省時の寿司屋通いは欠かせない行事となっております。

帰省日記「京都ニテ湯豆腐ヲ食ベルノ事」(7・26)

帰省中に京都にて旧知と会うことになり、彼の案内で南禅寺を訪問、湯豆腐に舌鼓を打ちました。いつもは銀閣寺あたりをぶらぶらするのですが、こんかいは東山ぞいに南へ、南禅寺を訪問したわけです。京阪三条で待ち合わせた友人の案内で、南禅寺の門をくぐり、件の店へ向かいます。そこでは豆腐田楽からはじまり湯豆腐を頂点とするコースを攻め、噂に高い南禅寺の湯豆腐を生まれてはじめて堪能しました。むかしわが家で食べた湯豆腐とは、お膳の中央に置かれたアルミの鍋の中、豆腐が原型そのままに、あたかも「そら食え」と開き直って見えたものです。さすがに南禅寺のものは、品の良い土鍋のなか、お昆布のお敷物のうえにほどよい大きさに切られたお豆腐さまが「ささ、お召し上がれ」と言わんばかり。私は母の料理嫌いのせいで日本の美を摂取する機会を少なからず逃したような気がします。

食事の後、南禅寺のまわりを散策。南禅寺から静かな屋敷町を抜けて琵琶湖疎水へ向かう小道は、東に山並みを見ながら、夏の午後の散策にはうってつけのコースです。以前は山科へ向かう路面電車の走った蹴上も、いまは地下鉄になってすっきりとしています。道の脇の水路には小魚が泳ぎ…、歳をとったらこんなところに住みたいと思わせる処でした。

帰省日記「生野デ焼肉之味見スルノ事」(7・25)

つかの間の里帰りを楽しんで、昨日ソウルへ帰着しました。今年の夏は昨年と大違い。さすがに蒸し暑さではソウルの比ではありませんが、この梅雨の明けきらない天候では、風通しの良いわが家の二階で窓を開けたまま眠ることはできませんでした。涼しいと喜ぶよりは、むしろ異常気象を心配するような夏です。

小説新潮8月号の『大阪学うまいもん篇』に載っていた生野区の焼肉屋で焼肉を食べました。大阪に転勤になった友人が焼肉を食べに行こうというので、鶴橋から歩くこと20分、平野川にかかる万才橋のたもとの「万才橋」に来ました。ここの一品「チリトリ鍋」は焼肉と言うよりは煮込みに近いですな。たしかに鉄板の上に肉野菜をのせてあぶるのですが、できた料理はチョンゴルと言ったほうが良いような気がします。甘辛く味付けた肉野菜をたいらげたあと、うどんを入れて腹を満たします。ソウルでまる3年をすごした私の舌には少しく甘く、残念ながら「旨い!」とは思えませんでした。(@^^@)

この店のある一帯は生野区の勝山北で、いわゆるコリアンタウンと呼ばれる処です。この日は鶴橋で待ち合わせた友人と、商店や民家の密集したなかをぶらぶらと歩きながら大阪の下町?の風景を楽しみました。鶴橋の市場を抜け、平野川と並行して通りを南へ下ると御幸森神社が見えてきます。ここで左へ、門前を抜けて平野川方向へ足を向けると、通りの両側に韓国料理店や韓服を扱う店が並び、なるほどコリアンタウンだと納得させます。家に戻って地図でわれわれの足跡をたどったところ、私の生まれた生野病院は、じつは「万才橋」の向かい側、平野川をわたったところにあることが判りました。はからずも自分の生まれた街を訪問したことになったわけですが、折を見てまた尋ねてみようと思います。今度はじっくりと、風景を見ながら歩いてみたいです。

最近の韓国演劇(7・13)

最近、韓国演劇が全体的に「値上がり」の傾向にあります。先月、ハクチョンブルーで上限が25000ウォンだった『お月様は美しくもあれ』は、当月末に場所を文化日報ホールに移して再演しますが、一等席は40000ウォンになりました。ちなみにこの作品の初演は2001年10月に文芸会館小劇場で行われましたが、そのときは15000ウォンでした。映画『殺人の追憶』の原作となった『会いに来て』は、映画の公開にあわせて再演され、東崇アートセンター大ホールで上限は40000ウォンで下限が20000ウォンとなりました。私はこの作品を一昨年に、同じく大学路で15000ウォンで拝見いたしました。若手の作家・演出家として人気のある朴根亨の『代々孫々』は、昨年は大学路で15000ウォンで見ることができましたが、今年は場所を芸術の殿堂土月劇場に移してS席30000ウォンの値札を付けました。ところでこのS席というのは劇場の一階席全面のことで、A席は二階席になります。ピナ・バウシュの『マズルカポーグ』も、LGアートセンターの一階席全部がR席扱いでした。ちなみにお値段はR席で90000ウォンでした。LGアートセンターはロシアの『スノーショウ』を昨年に続いて今年も公演を行いました。昨年は一階席の中でR席とS席の区別がありましたが、今年は一階席全部がR席だったとか。実質値上がりと見ていいでしょう。一階席でも場所によっては見づらいところもあり、こういうのってひっど〜いと思うんですが…。

これらの例のように、再演するとほぼ間違いなく入場料は値上がりしています。また、高名な演出家などの作品はいきなり20000ウォンから30000ウォンの値札を付ける傾向が見られ、韓国演劇は全体に値上がり傾向にあると言えます。その原因が小屋代のせいなのか、あるいは舞台づくりのコストが上がってきているのかはっきりしませんが、貧乏な私費留学生はたいへんつらいです。

暑中見舞いにはちと早い?(7・07)

夏休みになりました。ソウルは梅雨のせいで少しじめっとしてますが、日本育ちの私にはちょうど良いお湿りです。皆様、お元気ですか。私は学期が終わって休みに入ると忙しくなりますな。(@^^@)

ソウルの中心、清渓川(チョンゲチョン)の高架道路撤去工事は、おそらく日本でも報道されたかと思いますが、これに先立って、先日、観光名所である秘苑のわきにある苑南十字路の高架道路が撤去されました。増え続ける車を規制することなく道路を撤去しては渋滞の原因となるやもと心配しましたが、実際に高架が無くなるとすっきりして良いもんですなあ〜。見晴らしが悪いということの潜在的影響はかなり大きいと実感しました。清渓川の撤去工事のように、大都市のど真ん中に清流を取り戻そうという試みはおおいに歓迎。韓国はどんどんやっていただきたいと思います。ついでに高層アパートの高さや棟と棟の間隔の規制、あるいは丘の上や見晴らしの良いところに高層アパートを建ててはいけないという条例も検討していただければと思います。

さて、いま韓国演劇に関する本を2巻翻訳しております。ひとつは共訳ですが、昨年刊行なった『韓国の小劇場と演劇運動』という本で、60年代以降の韓国演劇を、劇場史という観点から知ることができます。これは日本語版の出版を前提としており、年内完訳をめざしてがんばっております。いまひとつは個人的の作業ですが、『1930年代韓国演劇戯曲の類型に関する研究』という論文を翻訳中です。著者が高麗大学校国文科大学院に提出した博士論文なので、文中に戯曲の国文学的解説部分が頻繁に出てきますが、これらを抜きにして、1930年代韓国の演劇シーンを知るための概説書にできないか、著者と交渉中です。1930年代韓国のKAPF(朝鮮プロレタリア芸術家同盟)による演劇運動が、日本の「傍系or非主流」テント芝居軍団と似ているところがあって、読んでいてすごく楽しいです。この手の本はまだ日本には無かったと思いますが、どうなのでしょう?もしあったら教えてくださいませ。

ところで先月、水原に本拠地を置く劇団が、日本の劇団と共同作業をやりたい、日本で公演したいと言ってきました。そこで大阪の劇団を紹介し、いま公演台本を翻訳中です。作品は1919年に京畿道華城郡で起こった「堤岩里教会事件」を主題にしたものですから、その内容は推して知るべし…です。そのまま演ったんぢゃ、「やっぱり韓国人はわしら日本人を嫌うてんで」という印象しか与えないのではないかと心配しております。作品の持つ内容をきちんと伝える工夫が必要と感じます。

生活費の足しに、こっそりアルバイトしてます。ノンリニアビデオ編集ソフトのハウツー本の翻訳ですが、友人である韓国人著者が日本語版をどーしても出したいというので、ずーっと付き合っています。しかし、あまりきっちりした編集方針がないので、なかなか先が見えません。おまけにこの著者は韓国外国語大学の日本語科出身ですから、いやぁ…やりにくいのなんのって…。(^^)おそらく日本語を本格的に学んだ外国人の方が、私たちより日本語文法に詳しいでしょうな。私の翻訳の正当性を主張証明説得するために、私自身が日本語文法の本を読む羽目になりました。私がわっか〜い韓国人学友たちの韓国語に難癖をつけるのと同じですな。けどわが友人はきっちりお金をくれるので本当にありがたいです。おっと、バイトの話はくれぐれもご内密に…。留学ビザではお仕事はできないんです。韓国80年代の流行語「モッレバイト(こっそりバイト)」を彷彿とさせますな。

さいきんは学生たちとの交流も多様になりました。うちの大学のわっか〜いご学友(おもにジョシダイセー)たちとは芝居を見たり食事をしたり、あるいは新自由主義に対するそれぞれの見解を開陳したり、はたまた日程ぢゃない日帝の韓国強占期に関する意見交換をしたり…。こういうことは日本にいては決して得られない経験で、ソウルへきた甲斐があったなあと思います。それにしても、80年代後半、私が延世の語学堂に通った頃に出会った韓国人学生と比べると、今の大学生はずいぶん穏やかな顔になりました。

最後におベンキョーの話。卒業予定を来年に延ばしました。年内は履修単位を習得するのに精一杯で、修論を書く余裕が無さそうです。履修単位を修得すれば、それから先は「論文学期」ということで、一学期の学費が格段に安くなります。また、別途料金を支払えば、科目申請を行い単位を取得することも可能だそうです。ま、来年は(こっそり)日本語講師でもして、卒論だけに集中しようと思います。

暑中見舞いには少し早いかと思いますが、この夏、健康に乗り切ってください。それでは、また。

観劇日誌17『トゥロン岩に流れる涙』劇団城巡回公演(6・26)

劇団城の巡回公演は、日ごろ演劇に接する機会のほとんど無い寒村の中学校を対象にしたもので、この作品は日帝時代に水原市の近郊、堤岩里での教会放火・住民虐殺事件に主題した芝居です。今日はソウルから西へバスで一時間、金浦市と江華郡の境に位置するプンヂン中学校を訪問し、学校の前にある空き地を舞台に見立てて行われました。この学校は私立の中学校で、生徒数は全校で140名だということです。緑に囲まれたすばらしい環境なのですが、生徒数は徐々に減りつつあるとか。劇団代表からの誘いで同行しました。

観劇日誌16『レッツ!アルバ』振動劇団(6・24)

水原の劇団城の代表、キム・ソンヨル氏の誘いで城のメンバー3人といっしょに、キム代表の後輩に当たる人物が演出した作品を拝見。舞台はすっぴんでしたが、俳優たちはロックに乗ってなかなかアクティブなステージでした。演出家は中学生から高校生を対象にしていると言っておりましたが、なるほど客席はほとんどそのスジの客ばかり。キム代表と私が客席のどまんなかでたいへん浮いてました。

芝居の後、劇団城のメンバーと振動劇団のメンバーで軽く一杯。以前に大学路で11時半まで飲んで、終電を逃してえらい目にあったことがありました。麻浦のエオゲ駅で電車が終わり、寒空で30分ほどタクシーを待って風邪を引いてしまったのです。しかしソウル地下鉄は昨年の暮れから、平日は終電を1時間延長して運転するようになり、今日は余裕をもって酒席を楽しめました。地下鉄労組は安全を保障するには人員の補充が不可欠であり、何等の対策もなしに「思いつき」の選挙公約で時間延長を行うことに反対していましたが…。しかし、こうやって1時間延長してもらうと経済的に、そして精神的におおいにゆとりができて助かりますなあ。

観劇日誌15『スレバキィ(車輪)』劇団ワンヂャムニ(6・22)

サヌリム小劇場から大学路へ移動して、オ・テヨン作『スレバキィ(車輪)』を拝見。前からこの作家の作品を見たかったのですが、なかなか機会がつかめませんでした。今回の作品は、喉から手が出るほどに欲しい金が無尽蔵に手に入ったらどうなるかという喜劇でした。劇団ワンヂャムニの今回の公演は、まるで日本のテント芝居を見ているような気分でした。暗転の中で舞台転換を行うには舞台が狭すぎて、転換の際に役者が歌をうたうところなどがとっても懐かしいでした。

観劇日誌14『ゴドーを待ちながら』劇団サヌリム(6・22)

1999年に日本の杉並区で公演を行い大好評を得たという、劇団サヌリムの十八番を本拠地である東橋洞サヌリム小劇場でマチネを拝見。前回は酒を飲んでからの観劇だったため、途中でぐっすりと寝てしまうという不覚をとりました。今回は素面で最後までがんばろうとしたのですが…ちょっと寝ました。この作品はあるひとつの端緒をつかんで、それを手がかりに見つづけることでさまざまに解釈が可能なのでおもしろいです。

大学路散策(6・21)

大学がいっせいに夏休みに入ったこの週末、夕方の大学路を散策してみました。いま大学路で上演中の『羅生門』と『月は美しくもあれ』の2作は、日本の作品を翻訳したものです。『月は…』は井上ひさしの『頭痛肩こり樋口一葉』で、『羅生門』は芥川龍之介を翻訳したものです。2作品とも何度か再演されてきたもので、古くは『羅生門』の1976年にさかのぼります。『月は…』は指定席25000ウォンというちょっと高めの料金設定でしたが、昨日は開場前から観客が小屋の前に集まり、なかなかいい雰囲気です。『羅生門』も、先週の日曜日のソワレは入場を待つ客が列を成していました。これら日本の作品は、韓国の演劇ファンにどのように受け入れられているのでしょう。気になりますね。そうそう、『一杯の掛けそば』を脚色した『うどん一杯』という作品も7月10日から再演が決まったようです。

水原までちょっと遊びに(6・19)

ソウルから電車で一時間ほど行ったところにある水原は、いま国際演劇祭の真っ最中です。水原に本拠地を置く劇団城は『セールスマンの死』で演劇祭に参加しました。じつはこの劇団の代表とは旧知の仲で、今日の水原行きは演劇祭の雰囲気を味わって、ついでに旧友と会おうという魂胆です。水原は久しぶりでしたが、駅舎が新設なって、百貨店を擁した巨大なものになっていました。駅前からバスに乗って長安門へ、劇団城の稽古場で友人と会って話をかわし、楽しいひとときをすごしました。演劇際には日本から流山児★事務所が『狂人教育』を持ってきたそうです。

観劇日誌13『二人劇フェスティバル』(6・15)

大学路の演友舞台では二人劇フェスティバルを開催中であり、その中の一作を友人である奇國叙が演出したというので拝見しました。あいにく雷が鳴るほど空模様が良くなく、マチネはそこそこの客入り。ほとんど学生さんでした。

じつは演友舞台のすぐそばにおいしひカルグクスの店がありまして、今日は芝居の前にここのカルグクスを食べるのが大学路へ出かける目的のひとつでもありました。芝居の後、小屋の筋向いにあるフィリピン・マーケットの店先で、春巻きをいただきながら奇國叙と一杯。雨も上がって街はしっとりとしていました。

観劇日誌12『LOVE』(6・14)

韓国芸術総合学校の演劇院の学生による公演。今回の作品は演出を友人でありここの学生であるイ・ガンソンが担当するというので、学校のある石串洞まで出かけました。ほとんど装置の無いじつにシンプルな舞台を最前列の一等席?から役者の一挙一動を拝見。幕開きの破格の滑稽さに比べるとエンディングがフツーすぎて…。それでもけっこう楽しめました。

韓国芸術総合学校のある石串洞へ行くには地下鉄1号線の新里門駅で降りて10分ほど歩きますが、この新里門駅は地下鉄1号線が議政府へ向かって地上に出たところにあります。ソウルの鉄道路線の大半は地下を走っており、地上を走る電車を見るのはソウルから近郊の都市に向かう国鉄区間や、地下鉄が都心部を離れて郊外に出たあたりなどに限られています。そして、これら国鉄区間の各駅は長い歴史を持っており、とくに清涼里や永登浦や龍山などの駅の周りは独特の、清潔な地下鉄の駅とは異なるやくざで猥雑とした雰囲気があります。清涼里から二つ目の新里門はちょっとひなびた、どうかすると再開発に取り残されてたそがれた雰囲気の街でした。いつかそのうちまたふらりと遊びに出かけてみたくなりました。

カメラ小僧の復活?(6・4)

ほぼ20年のつきあいになるLeica M4-Pがここ数年間は死蔵状態だったので、また写真を撮ってみようと思いつきました。そこで今日、ウェブサイトでコダックのフィルムに関するインフォメーションを見たら、なんとずいぶん前にコダクロームの製造が終わっていたんですね…。すばらしいフィルムだったのに…。とてもショックでした。今回はコダックのカラー処理するモノクロームフィルムを買ってきて、まずはMiniluxで試し撮りです。いつのまにか、純粋のモノクロ写真は自分で現像したり焼いたりしないとカラーより金のかかる時代になっておりました。世の移り変わりを知らず…、浦島さんになったようです。

観劇日誌11『春川国際マイムフェスティバル』(5・31)

春川在住のマイミストで私の友人である柳鎭奎(ユ・ヂンギュ)がはじめたこのフェスティバルはもう15回目を迎えました。今年もオランダ・ドイツ・フランス・インド・日本などからの公式・自由参加者と、韓国国内からの参加者による数多くの作品を集めた催し物になりました。農楽隊によるキルノリや太鼓演奏など、マイムとはさほど関連の無さそうな出し物も多くありましたが、オランダの作品『Islands』はたいへん印象深い作品で、これだけでも春川まででかけた甲斐がありました。

立夏を過ぎて(5・12)

立夏を過ぎて、ソウルは初夏の日差しです。これからしばらくはどこへ行っても冷房の効いた、いや〜な季節になります。体を冷やして良いことは何ひとつありません。皆様、冷房は人類の敵であります。(@^^@)

韓国では新型肺炎が流行らない理由としてにんにくの効用を上げておりますが、それが本当なら安上がりですよね。週末にはにんにくのたっぷり入ったカレーでも作ろうかと思っております。

観劇日誌10『素晴らしい靴屋の女房』ソウル市劇団(5・2)

ロルカの作品を世宗文化会館小劇場で拝見。なかなかおもしろそうな芝居でしたが、風邪ぎみの体で冷房の効いたホールに座っていることがとてもつらく、インターミッションのときに体を温めようと小屋の外に出て、そのまま帰ってきてしまいました。私はこれからの季節は冷房対策が必要になります。

観劇日誌9『ホ・サムグァン売血記』劇団美醜(4・16)

ひさしぶりに美醜の舞台を大学路は文芸会館大ホールにて拝見。原作は中国のベストセラー小説で、血を売って生活せざるをえない貧しい庶民の話です。原作はベストセラーになったとかですが、芝居もなかなか面白くできてました。舞台は作り物のほとんど無いすっぴんで、テーブルや椅子などの小道具と大ホールの回転舞台をうまく生かした演出でした。

「おかやんの演劇講座」一部のデータを移します(4・13)

ディレクトリ容量の問題で、日本の演劇に関するデータを下ろしました。日本の演劇にかんするページはソウルに暮らしてからというものは更新もままならなかったので、この際メニューからはずすことにしました。いずれどこかべつのところにディレクトリを確保して公開します。なお、「演劇年鑑」の一部項目のリンクをはずしました。完璧に翻訳を終えてからまた公開します。

本の紹介『韓国の小劇場と演劇運動』(4・11)

この本は昨年に刊行なったもので、戦後韓国の小劇場運動を解説しています。著者はハンシン大学の国語国文科から壇国大学大学院国語国文科の修・博士課程を経た人物で、この著作は博士学位論文である「韓国現代小劇場運動」を修正・補完したものです。序文にある「…ところでわれわれの小劇場運動は、研究と実験を通じた新しい演劇創造の場とならねばならない小劇場を持ち得ないままに展開した」という部分に惹かれて読み始めました。著者から承諾を得て、ここで公開することを目指します。例によって散漫で緩慢な作業ですが、そのうち完結するでしょう。(@^^@)

観劇日記8『ルナジャーでダンスを』劇団76(4・5)

『ルナジャーでダンスを(Dancing at Lughnasa)』は1930年代のアイルランドを背景にした物語で、原作はBrian Friel。劇団76が昨年9月に公演した作品で、昨日からパタンコル小劇場で一ヶ月間の再演を行うとのこと。写実主義の典型みたいな舞台で、5人姉妹の暮らす家の、庭とそれに面した居間ですべての話が進行します。この頃は2時間40分という長丁場はあまり流行らないのですが、劇団76は果敢に劇本そのままを再現しています。日常の所作そのままが芝居なので、演技者はかなり正確な演技を要求されるでしょう。じっくり芝居を見る訓練には最適の作品。

観劇日記7『単幕劇祭』文藝會舘小劇場(3・28)

若い演劇人ピョン・ユヂョン嬢からのお誘いで、一幕劇を3作集めた『一幕劇祭』を見物に、大学路は文芸会館小劇場へ行きました。チェーホフの「熊」と柳致眞「柳のある村の風景」、そしてピランデッロの「口に花の咲いた男」の3作でしたが、ちょっと開演時間に遅れたため、「熊」を見損なってしまいました。一幕劇を3作上演すると言うのがどういう趣旨なのか判りませんでしたが、小屋には高校生の制服姿が多く見られ、学校教育の一環としての開催なのかとも思っております。韓国でも学校で演劇をカリキュラムに取り入れているらしいですから。

観劇日記6『センポ・スギハァラ』劇団銅鑼(3・27)

文化日報ホールで「センポ・スギハァラ」を見ました。客席はほぼ満杯でしたが、ふだん私が観にいく芝居の客層とはずいぶん違っていました。(@^^@)

舞台は簡素なものでしたが転換がうまくいかなくて、ゆうに2時間の大作になってました。文化日報ホールというのはあまりできの良くない小屋のようで、そのせいで段取りが変わってしまったようです。ところで、この作品が「人道的見地からビザを発給した人物に対する再評価を試みる」とするならば、導入部は少し説明不足の気がしますし、ラストシーンはそれまでの過程からすると印象が弱かったような気がします。また、こういった内容の芝居を日本の劇団が韓国で上演することに対する日本側の考えや、韓国側がどう受け止めたのかも知りたいところです。いずれ韓国の演劇雑誌に評価記事が出るでしょうからその折には 「おかやんの演劇講座」でご紹介します。
sugihara

ソウルに来て4回目の誕生日(3・24)

2000年2月23日にソウルに移り住んでから、今日で4回目の誕生日を迎えました。早いものです。今日は友人のピョン・ユヂョン嬢がケーキを持参、わたくしもカレーを作ってささやかな誕生パーティを開きました。

ソウルへ移ってこの間、西江大学での勉強は学部から大学院へと進みました。専門分野に関する知識も蓄積され、学校にも慣れてきたのでもう少しらくになるはずなんですが…。相変わらず成績はさほど向上せず、授業へついて行くのもなかなかたいへんです。むしろ年月を重ねるほどに学業はますます難しくなっていくようで、こういうところで「年齢」を感じるのかなあとも思っております。(@^^@)

観劇日誌5『ダンスフェスティバル2000』シアターゼロ(3・14)

シアターゼロの主催するダンスフェスティバル2000に山田せつ子が登場。音楽にカン・ウニル(ヘグム)とカン・テファン(サックス)がライブで参加し、なかなかすてきな1時間でした。

観劇日誌4『アプサナ タンギョラ、オグマ ミロラ』劇団木花(3・7)

久しぶりに木花の作品を拝見。このやや長ったらしい題目の作品は濟州島4・3事態に取材した作品で、劇中に濟州島訛りがふんだんに出てきます。やはり現地語の台詞はまったく判らんでした。(@^^@)この作品は昨年末から延長公演を続けており、この日もアルングヂ劇場の客席はほぼ満席でした。

観劇日誌3『トゥギ』劇団ヨギ(3・7)

この作品は昨日が初日でしたが準備が間に合わず、初日の幕を開けることができなかったとかいう話でした。けっきょく私たちの見た7日の金曜日のマチネが初回公演となったようです。パタンコルのレンガ造りの空間に、1970年代中盤のタルトンネ(貧民街という意味)を作り上げ、そこに暮らす庶民の生活をトゥギと呼ばれる少女を中心に描いております。80年代前半のソウルの雰囲気を知っている方には、そこはかとなく懐かしさのこみ上げる作品でした。段取りの悪さがここかしこに現れ、ひさしぶりに初日のドタバタを堪能しましたぞ。

来週から新学期(3・1)

いよいよ碩士(修士)3学期です。このひと月のあいだ、同期の連中は総合試験の準備に余念が無く、私は英語の試験に向けての勉強に精を出しておりました。大学院生ともなりますと論文が命と思うのですが、しかし論文を提出しても総合試験と英語試験に受からないと碩士課程を終了させてくれません。必修3科目に選択を1科目、そして英語というメニュウはなかなかきついです。よって、春は英語と選択科目のみを受けることとし、残る必修3科目の試験は秋にまわすことにしました。そして論文の準備にとりかかります。

20世紀の「美人会話」?…(2・13)

1986年、最初の語学留学のときでした。鍾路や新村でよく「美人会話(ミインフェファ)」という看板を見かけましたが、さて美人との会話とはいったい何であろうかとたいへん訝しく思ったものです。ハングルや漢字で大書きされた看板は、後ろめたさのかけらもなく、堂々たる威容をあちらこちらに見せておりました。そのうちに美人(ミイン)は米人(ミイン)であり、ミインフェファとは美人会話ではなく米人会話、すなわち米語を教える語学院であることを知って、安心するとともに少なからず落胆したものであります。

さて、話は変わって21世紀の「美人会話」。路上駐車のワイパーに差し込まれた名刺大の案内は、日本でも見慣れた規格品。そしてその知らしめようとするところはまぎれもなく美人?との会話を期待させるもののようであります。「マンナム フォンティング」と書かれた紙片には、「成人専用、24時間、一対一会話」とか「あなたの想像を超える特別な経験〜」や「世の全ての男性が驚いた…」などと書かれております。鼻の下を伸ばして電話をしてみたところが、じつは語学院の新手の生徒集めだった…とか言うのではなさそうです。どうです?好奇心旺盛な方、21世紀韓国の新しい文化に接してみてはいかがですか。(@^^@)
文化その1 文化その2
良い子はクリックしないでね!

LOTTO645 (2・08)

日本でも報道されたのでご存知の方も多いはず。福券(ポックォン:宝くじ)の一種で、1から45までの数字を任意に6個選んで6桁の数字を作り、抽選券を購入するという方式です。特徴は当選者が出ない限り当選金が積み立てられることで、今回は累積した一等当選金が800億ウォンにもなり、それはそれは大騒ぎになりました。いざふたを開けるとなんと一等が13人も出て、一人あたまの配当金は64億だかになりました。つまり今回の抽選に応募した人がかなりの数だったというわけですが、考えようによってはこれは好ましい結果でしょう。800億をひとりの個人が射止めることは当人親戚周辺近隣、ひいては地域社会から政府国家にいたるまで甚大なる影響を与えたはず。あまりの過熱様相に、この次からは累積2回までに限定したようです。この手の宝くじにはとんと関心のない私ですが、いちおう時代の証左として、一枚だけ現金と引き換えに押収してまいりました。もちろん、みごとはずれました。

謹賀新年(2・1)

三日ほど前に風邪を引き、表に出ることも友人を部屋に招くこともできず…。しかたがないのでウェブサイトの翻訳の見直しなどを行いつつ、憂鬱な正月を送っております。最近は新正(シンヂョン:新正月)もそれなりに喜ばれておりますが、やはり韓国では旧正(クヂョン:旧正月)の方が雰囲気やありがたみの点で一段上ですね。正月を「ソル」と言いますが、この音に当たる漢字は無いようです。さて、いっぱい服を着込んで元旦(ソルラル)の街をちょっと散策してみることにします。

観劇日記2 『マッチ売りの少女』劇団ウムトゥム(1・25)

ご存知別役実の、60年代の代表作です。韓国語でありながらたいへん判りやすい台詞でした。やはり日本人によって翻訳された場合はわかりやすいのかなとも思いましたが、しかし舞台そのものは難解でした。作品の持つ時代性などの背景を知らないと「こりゃなんやろか?」という感想しか得られないかも知れませんねえ…。それにしても、ポスターやチラシの絵柄は改善の余地ありと見ました。このチラシでは腰の引いた客もいるんぢゃないかしら。(@^^@)
MachiUri030116

観劇日記1 『人類最初のキス』劇団チョンウ(1・24)

一昨年、評判になった作品ですが見逃してしまい…、再演を待って拝見してきました。教導所(日本なら刑務所?)に収監された4人の囚人の生活と、彼らの刑期満了にともなって釈放するかどうかを審議する場面を交錯させた作りです。囚人はもちろんそれぞれ罪を犯して教導所に居るもののどこか憎めない人物であったり、彼らを尋問する審議官の一見まともそうでじつは非人間的な思考…。何が正しくて何が間違っているのか、おもしろくてこわーい作品でした。主演のオ・ダルスは怪優とよばれる演技者で、彼はむかし演戯団コリペの『パボガクシ』でパーボ役をみごとにこなしてました。
Kiss

演劇交流に関する雑誌記事の収集(1・17)

『おかやんの演劇講座』の「演劇交流年譜」に掲載してある各行事に関する雑誌記事を収集しています。おもに作品の評価記事や演出家・作家に対するインタビュー記事で、これらの記事はスキャンして掲載時のすがたそのままにPDF形式で登録することにしました。もちろん当該記事からのリンクで閲覧できます。日本語への翻訳は折を見て行う予定で、当面は韓国語記事をそのまま載せます。

ソウルから、明けましておめでとうございます(1・04)

年末に帰国しましたが、イージス艦のインド洋派遣という日本民主主義における戦後最大の危機で迎えた正月は、しかしあまりにもくだらないテレビ番組の洪水に嫌気がさし、早々にソウルへ戻ってまいりました。私たちの「戦場」はきわめて平坦で、一見すれば血なまぐさいそれとは別の世界のようです。飢えることも凍えることも無いこの戦場で、戦いを意識することは容易ではなさそうです。嬉しいことに父と母はともに元気で、おかげで安心してここソウルで勉学に励むことができます。今年は修士課程の仕上げの一年。一分一秒が貴重な一年となりそうです。本年もどうぞよろしく。(@^^@)
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© 岡本昌己/OKAMOTO masami