出し物はソウル公演芸術際の公式招請作品で、ゴーゴリ生誕200周年記念作品として制作された『ゴーゴリの夢』。SPAF(ソウル国際公演芸術際)のウェブサイトでは「ゴーゴリの短編『ネフスキー大通り』、『イワン・ヒョードロヴィチ・シュポンカと彼の叔母』、『結婚』、『狂人日記』の4篇を一つの作品にアレンジした作品」と紹介されている。「夢の欠片のように繋がったゴーゴリの作品たちは誇張され、奇怪な人物たちを中心に展開する。それらの人物たちが見せる演技と視覚的な装置、そして幻想的な音楽により、グロテスクながらも驚異的なゴーゴリの幻想の世界が浮かび上がる」というほどにはグロテスクでも幻想的でもなかったですが。グロテスクと奇怪な人物なら日本の“テント業界”のほうが一枚上手。この作品は2009年3月に初演され、その年の9月、モスクワ・メイエルホリドセンターとセントペテルブルク・コミサルジェヴスカジャ劇場で上演されたとありますな。ちょっと興味深いのは俳優が「演技する」というよりは「台詞を吐く」というスタイルがなんとなく日本の(私の慣れ親しんだ)テント芝居とすごく近いこと。これは以前に国民大学校で見たポーランドの芝居でも感じたことですが、何が両者を結び付けているのでしょう。演劇に対する集団(劇団)内部から方法論を追求した結果、出てきた様式なんでしょうか?ちょっと興味深い。
芝居仕立てのライブバンド?友人のお誘いで拝見。この芸術劇場「木と水」は大学路の北側、惠化ロータリーからほんの少し西へ歩いたところにあるのだが、近所に小さな小屋が3つもあった。驚いたのは『パップダ、パッポ(忙しい、忙しい!)』という80年代にヒットした作品の常打ち小屋があったこと。かつて大ヒットした作品とはいえ、『ナンタ(乱打)』みたいに観光客目当てというわけにはいかないし、はたしてロングランが成り立つのかなあ。機会があったら見に行ってみましょう。
この作品はソウル国際芸術祭のサイトで案内されているのでこちらを参照してください。2階席のこれまた隅っこから拝見したので、観劇というよりは観察でした。俳優が演技しながら舞台装置を動かして舞台転換するのがおもしろかったです。
劇作は在日の劇作家鄭義信で、演出は劇団美醜のソン・ヂンチェク。小屋は明洞に新しくできた明洞芸術劇場。この小屋は戦前は明治座という映画館で、戦後の一時期はここが国立劇場として使われた。その後、たしか証券会社かなにかが使っていたように聞いていたが、いよいよ建物を壊すというのでテナントビルにでもなるのかと思ったらまた劇場を造ったんですよ。それも中身は新しくしたものの、外観は昔の明治座に似せて造るから、だったら壊すことはなかったのに〜と思ったりしたもんです。で、中がどうなっているのか知りたくて、今回はじめて出かけました。こざっぱり?していい小屋です。
ひさしぶりに女優のピョン・ユヂョン嬢から連絡があり、彼女が出演している『女中たち』を見に行った。この作品はぜひ一度見たいと思っていたので嬉々として行ったところ…原作をかなり大胆に再構成したものだった。ちょっと残念。ユヂョン嬢は数年前からスズキメソッドを学んでおり、今回の舞台も随所でスズキ式演技が見られた。
大学路での評論化協会主催のセミナーのあと、参加者一同で第10回ソウル国際公演芸術際の開幕パーティに参加。そしてフランス国立民衆劇場のモリエール作品を観劇。舞台は当時の舞台構造を再現したとかで、実に簡素です。灯りも前からの灯りが中心でトップからのサスはほとんど使用せず。かと言って、「17世紀の演劇環境をそのまま持ち込」(公演案内)んだにしてはずいぶん緻密な照明でしたぞ。フランス大使館や韓国政府の貴賓客にまぎれての観劇もたまには良いですなあ。
韓国演劇評論家協会からセミナー開催の案内メールを受け取ったので、雨の土曜日に大学路まで出かけました。このセミナーはこの秋のソウル国際公演芸術際で上演される各国の作品を、おもに演出の観点から紹介するという企画でした。つまり評論家の学習会です。紹介されたのは“ロバート・ウィルソンとベケットの『クラップ』”、“境界を越えるクロアチアの演出家イビチャ・ブリアン(Ivica Buljan)”、“クリスティアン・シアレッティの『モリエール一幕劇シリーズ』”、“鈴木忠志のディオニソス”などなど、今回のソウル国際公演芸術際でこれから上演される作品のかずかず。協会に属する一線の評論家たちがそれぞれ得意の分野・作品を紹介するのですから、話はなかなか充実したものでした。土曜日の朝10時から夕方まで、楽しい昼食会をはさんでの行事でした。
劇団木花の2011エジンバラ演劇祭招待作品。木花らしい丁寧な作りになっているのだけど、前回の『ロミオとジュリエット』のように“意外な演出”というものが無かったような気がする。けっこう原作に忠実。木花製シェイクスピアも良いですか、呉泰錫の『萬波息笛(マンパシクチョク)』や『百年言約(ペンニョンオニャク)』をもう一度見たいですなあ。
黒谷都の人形劇を見るのは何年ぶりだ?東京の鬼子母神が最後ではなかったか?10年?まさかソウルで見ることになるとは思わなかった。前の舞台は生身と人形のデュエットだったが、今回は人間と人形が一体化している。衣装にかなり工夫が凝らしてあって、人形があたかも自分の体から生えて出た分身のようになっていた。死へと向かう女性の話が基調になったいるから“楽しい”舞台ではないけれど、とにかく衣装が美しいし、人形が不思議な雰囲気をかもし出しているので見惚れる舞台だった。不思議だったのは、原田依幸の演奏するピアノは即興のはずなのにけっこう舞台と合っていたこと。即興だから“合う”場合もあるだろうけどね。
久しぶりに水原国際演劇祭に出かけた。クナウカが『メディア』で水原国際演劇祭に参加した舞台を見たのが最後だから、かれこれ9年ぶりか?こんかいの公演場である水原青少年文化センターは国鉄水原駅からバスに乗って10分ほどのところにある。ソウルからだとちょっと行きにくいかも。たしか8年ほど前だったか、水原を本拠地とする劇団がこの小屋で創団20周年記念公演を行ったことがあったが、あのときはほんまに寂しい思いをしたなあ…。雪の降る寒い日で客席にほとんど人影がない上に舞台からまったく迫ってくるものが無く…創団20周年でこんな舞台を作っちゃあだめだよとぶつぶつ言いながら、ひとりとぼとぼと雪の降る中を泣きながら帰ってきましたぞ。どうもこの小屋は良い印象が無い。
原題は「カヂョンシク ペクパヌル マシッケ モンヌン パンボプ」で、これをエキサイト翻訳で日本語にすると「家庭食白ご飯をおいしく食べる方法」になった。ペクパンはまさしく“白飯”で一般的に「ペクパン ヂョンシク(白飯定食)」、つまり定食屋の“日替わり定食”としての意味に使われている。韓国ご訪問の際にはぜひお試しあれ。
この惠化洞一番(ヘファドンイルボンヂ)は90年代に何人かの中堅演出家が協力して立ち上げた小屋で、サイズは渋谷のジヤンジヤン(←まだあったっけ?)ぐらいか?小屋の名称は惠化洞という地名から取ったものだが、惠化洞はソウルの演劇街「大学路(テハンノ)」がある一帯を言い、地下鉄4号線の惠化駅もこの地名からとられた。小屋は韓国の左派政治家呂運亨(ヨ・ウニョン)の暗殺された惠化洞ロータリーの近くにあって、テハンノ演劇街のほぼ北端にあたる区域。この小屋の隣のうどん屋はけっこう味がよいことで評判。芝居もけっこう評判が良いのか、場所を変えて再公演が予定されている。
原題は『ネサランDMZ』で邦訳は上記の通り。劇団木花の2002年作品で、DMZ(非武装地帯)で寸断された京義線(キョンウィソン)の再施設による環境破壊を防止するために、DMZに生息する動物たちが韓国戦争で死んだ兵士たちをよみがえらせるという筋書き。今回の上演台本はかなりアレンジされており、以前のように敵対する国連軍と北韓軍の兵士が自然を守るために力を合わせる姿を強調するのではなく、よみがえった兵士たちが南にそして北に生きているだろう家族たちを懐かしみながら土に帰るというストーリーになっていた。この日のマチネはかなり激しい雨にもかかわらず、客席はけっこうなにぎわいだった。
●関連報道記事は以下のリンクで(すべて韓国語)
朝鮮日報「60年前の彼らの死を記憶しなければならない」
アジアトゥデイ「舞台で出会う6・25(ユギオ)戦争の記憶」
亜州経済「6.25そして環境汚染を警告する演劇」
ニューシス「6.25そして環境汚染を警告する演劇」
東亜日報「戦争の傷跡そして環境…ネサランDMZの涙」
聯合ニュース「舞台上のDMZで振り返る韓国戦争」
10数年ぶりに水族館劇場の舞台を拝見。駒込観音の境内を借りてしつらえたテント劇場は、1987年の旗揚げの頃に較べて数倍に膨れ上がっており、劇団の舞台構築にかける情熱と観客動員力の増加を物語っている。テント構造を最大限に活用した、大掛かりな仕掛けを凝らした舞台は健在だが、その「仕掛け」に息を吹き込む「熱い思い」が依然と比べて希薄になってはいないか?クライマックスの屋台崩しは仕掛けを見通すためのものではなかったはず。
『俳優たちは準備する』はがスタニフラフスキーの「俳優修行」をモチーフに、演劇俳優たちの生と演技に対する情熱を描こうとしたもの。劇団ヘンギルは2006年創団の若い劇団で、今回が二回めの作品上演。ヘンギルとは道をあらわす韓国語で、むりに漢字で表現するなら「行道」か?
じつは劇団や作品よりも三一路倉庫劇場(サミッロチャンゴグッチャン)という小屋に興味があった。この小屋は1975年にできた小劇場で、小屋というよりは民家を改造したようなもの。韓国演劇史に名の残る小屋で、1983年には発見の会が『十二夜』をこの劇場で上演した。どこまで昔の名残を残しているのか判らなかったけれど、韓国演劇史の痕跡に見えることができて良かったです。
先週に幕を開けた作品を再度拝見。とくに今日は公演後に作家と演出家、そして演技者を交えた交流会があると聞いたので足を運んだ。舞台では日本人の登場人物を韓国人演技者が演じるのだが、どうみても「過度」に日本人である。そこで演出家に日本人を意識してあのように演出したのか尋ねてみたがそうではないと言う。しかし「挨拶の仕方や女性が椅子に座ったときに足を組むしぐさなど、日本人ならあんなものではないか」という演出家の返答を聞いて、やはり韓国人の想像する日本人像が現れていると感じた。作家も同様で、杉原の妻が夫に対してこまかく気を使う演出が気になったのか、現代の日本にはあのような「妻」はいないと交流会でわざわざ付言した。
この作品でちと気になったのは、日本が嫌になってマレーシアに「引きこもり」、死期が迫っても日本へ帰りたくないという日本人たちが、なぜ日本人どうし一緒に暮らしているのか?けっきょく日本を離れられないということか? ^^;
参考までに関連報道記事を(すべて韓国語)。
[ソウル新聞] 演劇レビュー:「眠れない夜なんて無い」
[毎日経済新聞]レビュー:演劇「眠れない夜なんて無い」
[ニューシス]レビュー:演劇「眠れない夜なんて無い」よその国の話ではない
[ファイナンシャルニュース]演劇「眠れない夜なんて無い」来月6日まで
映像による舞台紹介はこちらタウムTVネット
●6月12日追加
京郷新聞演劇「眠れない夜なんて無い」
メトロ「夢を失った老年の群像」
オーマイニュース「“そとこもりの国”日本、人事ではない」
東亜日報「日本、高度成長の後遺症… 人事ではないような老夫婦の生」
韓国芸術総合学校の作品発表公演。5チームが登場し、わっか〜い連中が舞台所狭しと跳ね回る様は壮観です。内容は盛りだくさんでしたが、どれもさほど印象に残っていない…。客席には芸術学校に学ぶ学生の父母らしき姿がちらほらと見えて、ほんわかとした雰囲気でした。ところで、この芸総舞踊院の学生は梨花女子大と違って学生たちは背の高いのや低いのや、体型もばらばらですな。
韓国舞踊界は舞踊家も舞踊批評家も、この梨花女子大出身者が圧倒的な力を持っていると云う(ほぼ寡占状態らしい)。また、学生を選ぶ際にも基準?らしきものがあるのか、とくに韓国舞踊を専門にする学生たちは顔立ちや容姿がみごとに揃っているので有名。しかしこのような「規格」は特に舞踊に限った話しではなく、ほぼすべての大学ごとに「スタイル」というものがあるという。梨花女子大音楽科で学んだ某女性は、演奏者の演奏スタイル見ただけでどこの大学出身か判ると言っていた。
ところで、梨花女子大は既婚女性の就学を認めないことで有名だったとか。1958年に入学したとある女生徒が在学中に結婚し、大学を中途で離れることになったという事件があった。しかし、さいきんこの原則が緩和されたために、くだんの女性が復学してめでたく卒業したとかいう話です。
平田オリザ作「眠れない夜なんてない」の韓国語翻訳劇。演出はいまや韓国劇界の中堅演出家として名高い、劇団コルモッキルを主宰する朴根亨(パク・クニョン)。翻訳は演出も手がけるソン・ギウン(平田オリザの「バルカン動物園」を演出)。今日が初日だが前評判が良くて満席だった。平田オリザと朴根亨という組み合わせでどのような劇評が出るか楽しみ。
わが西江(ソガン)大学開校50周年記念事業として、西江大学演劇班を中心としたキャストで中世教訓劇を上演。背景を現代に置き換えて、“クラブ・エブリマン”に招待状を持って現れた男が死への旅立ちに道連れを探すという筋立て。うちの大学がイエズス会によって創立された学校なのでこのような主題を選択したのだろう。今週末には野外演劇「ミラクル」が上演されるが、こちらはおそらく中世奇跡劇をアレンジしたものではないかと想像。
大学路の「ブラックボックスシアター」で 国際演劇研究所という若い?劇団の作品を拝見。『ケバプ』の“ケ”は犬で、“バプ”は飯。つまり「犬飯」という意味になるか?原作はチュ・ヨソプの小説で、1926年に「東光」誌で発表されたもの。暗鬱な時代の「金持ちの飼い犬に生まれたほうがはるかに良い暮らしができる」という笑えない話に笑いを加味して現代に置き換えたもの。客席は演劇科の学生とおぼしき若い男女であふれておりましたな。ひとり浮いてしまった。
ひさしぶりに東京へ降りて、大駱駝艦の若手舞踏手による舞台を拝見。せまい空間は客で一杯。前後の客と背中と膝を突き合わせて舞台を見るのは本当にひさしぶり。今やこういう雰囲気はなかなか無くなりました。ただ、この歳になりますとちとつらいですなあ…(情けないっス)。吉祥寺の街も久しぶりだった。
若手から中堅になりつつある演出家金洸甫(キム・グァンボ)ひきいる劇団青羽(チョンウ)の『Lucid Dream』(チャ・グノ作)をサヌリム小劇場で観覧。この日は木曜日でしたが客席はほぼ満席。けっこう評判をとっているようです。参考までに韓国メディアの案内記事をどうぞ。
●韓国日報 “チャン・ビョンウクの境界の楽しさ:劇団青羽の『ルシッドドリーム』”
●中央日報 “レビュー/演劇 『ルシッドドリーム』誰にもいる悪魔性、淡々とした腕前で解き放つ”
●連合テレビニュース “ステージ2010:金洸甫演出の『ルシッドドリーム』”
劇団木花の『プンヂャンシル』を今回は日韓演劇交流の関係者と一緒に観劇。呉泰錫(オ・テソク)の演出は日本の場合と異なりスピード感があって良かったという声がありました。でも、私は鬼神になってまで楽屋にとりつく女優たちの怨念というものがあまり感じられなくてちとものたりないです。ところで、舞台がはねたあとにコーヒーを飲んでいて終電が無くなり、大学路からタクシーに乗って家に帰ったんですが…タクシーの運転手が漢江べりの自由路(チャユロ)で雨の夜に女の幽霊に遭遇したという話をするではありませんか。けっこうリアルで怖かったです。
日韓演劇交流行事の一環として講演会を開催し、寺山修二の作品世界を紹介。講師は西堂行人。今日の客席は昨日までとうって変わって平均年齢がぐぐ〜っと上がってました。昨日まで3回続いた朗読会の客席は、わっか〜い役者のタマゴ(だと思う)でいっぱいだったんですが。
韓国の韓日演劇交流協会の主催による日本の戯曲の朗読会。今日は岡田利規の作品を若手演出家のソン・ギウンが演出したもの。物語に登場する人物や渋谷近辺の場所をスライドを利用してホリゾントへ投影するなど、作品を理解しやすくするためのサービスに演出側の苦労の跡が見られました。そんなに気を使わなくても良いのではないかと思いますが。本舞台ではなく朗読会なんだから演出も演技者も観客も、みんなでいっしょに悩もうよ〜という気分になりました。
韓国の韓日演劇交流協会の主催による日本の戯曲の朗読会。韓国での開催は今回が4回めで、今日の出し物はマキノノゾミの作品を韓国人演出家イ・ソンヨルが演出したもの。平和館という下宿屋に暮らすさまざまな下宿人の青春群像を、理化学研究所の物理学者たちによる大戦中の原爆開発をからめつつ描いたもの。下宿人の一人であるピアニストが満州から戻ってきてからはピアノを弾かなくなったというところに作家の戦争に対する意識が表れていると拝察いたします。日本側にはこのような作品を韓国に持ち込むことに対する一抹の不安はあったようですが、加害者意識の欠落した戦争物語の韓国上演はいまにはじまったことではないので、韓国側はべつだんなんとも思わないでしょう。
劇団木花(モックァ)は2001年に上演した清水邦夫の『楽屋』を再演。演出は前回と同様、木花の代表呉泰錫(オ・テソク)。ピザ屋の奥座敷にしつらえた、小ぢんまりとした劇場での上演。観劇中にピザのにおいがあまりにも胃を刺戟するので舞台がはねた後にマルガリータとトマトソースのスパゲティを食べました。味は良かったけど、ピザとスパゲティをひとつづつで邦貨3500円はちと高いっス…。
明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしく!年末年始を奈良で過ごし、昨日ソウルへ戻ってきました。奈良は暑くて(10度でした)、うだっておりました…。んで、戻ってみればソウルはドカ雪(零下10度ね)。大学院の後輩が「生まれて始めてみる雪の量」だと言ってましたな。今年はいよいよ正念場。運勢はかなり上向きらしいですが、その上昇気流にうまく乗るようにがんばりますぞ。
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