栗山民也演出の『夜への長い旅路』を明洞芸術劇場で観劇。今回の上演時間は3時間だったが、ほんらいは5時間とか。血糖値調節用のチョコレートと水をかばんに仕込んで出陣。でも、あっという間に終わってしまったような…。どこがどうなっているのか、きちんと戯曲を読んでおこう。今日はあいにくの雨で寒かったが客席は8割埋まり、観客中に若い演劇学徒らしいのがうじゃうじゃ。
アリエル・ドーフマンの作品だが独自の解釈で演出・舞台化。特にラストシーンが原作とは全く異なり、ポーリナとジェラルドのあいだで起こる葛藤で幕を下ろす。「葛藤を内包しながらどう生きるか」という問題が夫婦間だけの問題として提示されたようですこしく違和感を感じる。
柳美里の初期作品を「第12言語研究スタジオ」のソン・ギウンが演出。5人の女子高生の話で、1987年に銀座でみた柳美里の作品と同じモチーフだった。舞台セットにソン・ギウン独特の工夫の跡が見られたが、途中でうたた寝をしてしまった。
この作品は今年の66月に劇団木花が春川で上演した作品の再演。今回はちょっと演出が変わって、前回の日本によってまさに植民地にされようとする時代背景は薄れ、大農家を舞台にした「明るい農村話」になっていた。
演劇公演ではないが、韓国の「クッ」を見たので記録しておく。言葉が良く判らないので目で進行を追うだけだったが、施主(?)である韓国芸術総合学校の発展を祈るという言葉が何度も聞こえた。客はムーダンから福を授かるたびになにがしかの金を渡すのだが、ムーダンがそれを体に貼り付けてみせびらかすのがたいへん面白く、つい興に乗って何度も札を掴んでクッパン(舞台)に足を運んでしまった。
ロシア作品。ん?これは舞踊か演劇か?「カインの苦悩を演じてみせる」というふれこみだったが、「カインの苦悩をどのように演じてみせる」かで苦悩する姿を見たような気がするなあ。
知り合って10年ほどになる韓国人友人と小屋でばったり顔を合わせた。この友人は芝居とはまったく無縁の人物だと思っていたので、大学路で、しかも日本作品の公演会場で出会ったことに大いに驚いた。昨日のことも含めて、これは韓国演劇の観客の裾野が広がっていることを示す兆候か?執着至極。
で、舞台はなんだか奇妙だった。観客の反応はよても良く、演技者の下手な韓国語台詞も大いに受けた。長寿番組「仮装大賞」みたいなシーンで始まるこの作品は、しかし実はかなり深刻な話に思える。ほんとうはかなり怖くてアブナイ話ではないのか?いるかを演じた韓国人演技者がじつにはまり役で、台詞の絶妙なイントネーションは実は不慣れな日本語だったのだ。とゆーことは、俺の韓国語もああいうふうに聞こえてるわけかあ?ちょっとショックやな…。楽日で客入り好調。
日本の演劇作品ということを知らずに見に来た女性客がいた。彼女はあまり芝居を見慣れていないのか、開場時間をすぎても入場できないことが少し不満だったようだが、それでも座席表を見ながらどこに腰をおろすか友人と打ち合わせをしていた。なかなかほほえましい光景で、このような客が小屋に足を運ぶことはおおいに喜ぶべきだろう。そして今夜の作品がかなり台詞に依存する舞台にもか拘わらず観客は良く笑った。客入りまあまあ。
太田省吾の『水の駅』を独自に解釈して「舞踊劇」形態にアレンジ。客入り良好。
ベセト演劇祭参加作品。大連話劇団が“1935年に一橋講堂で中国人留学生によって上演された”(尾崎宏次「劇場往還」p190)曹禺の『雷雨』を「明洞芸術劇場」の舞台に乗せた。韓国ではこの作品を1950年に「新協劇団」が「国立劇場」で上演したが、当時の国立劇場(植民地時代の明治座)を撤去してその跡地に建ったのがいまの「明洞芸術劇場」。こんかいの『雷雨』初日の客席に1950年の『雷雨』に出演した女優・白星姫の姿が見えた。しかし初日の客入りやや不作。ところで、この種の対話(台詞)で進行する写実的な「話劇」は大好きなのだが演出に疑問を感じる部分が多かったのは、中国と日本という文化的背景による舞台理解方式の違いか?照明の使い方やホリゾントの役割、あるいは作家曹禺の「独白」を聞かせるなど疑問だらけ。演出家と話をしてみたかったな。
松田隆の作品を青年団が「明洞芸術劇場」で上演。二日めに観劇したが客席はほぼ満席。ただ、二階席で見たので演技者の声がよく聞こえず、しばしば韓国語字幕を見て劇の進行を理解するという情けない観劇になった。
ロシアの若手?劇団の作品を大学路・詩月劇場で観劇。小屋が小さいせいもあるが、演技者の声がでかくて小屋が震えた。
日本の劇団「十夢」の『月は今日も僕を見ている』を拝見。物語がきわめてシーケンシャルに展開するので韓国人観客にはとても理解しやすいだろう。
台風15号が近づいてきており、だんだん風が強くなっています。用事があって外出したら、突風で傘があっというまに解体されてしまいました。近所の屋塔房(オクタッパン)から屋根の覆いが壊れる、派手な音が聞こえます。うちはクーラーの室外機がひっくり返らないか、ちょっと心配。
日本映画『告白』の舞台化。客は映画を既に見ていて、内容を良く知っているようだった。冷房が効きすぎで、第一部を観て退散。
文化座『てけれっつのぱ』のソウル公演。大学路の同徳(トンドク)女子大公演芸術センター大ホールは「大」がついていても浦項芸術文化センター大劇場の半分ほどしかない。しかし、むしろセットを大きく際立たせて良かった。客席との距離もそれほど離れておらず、演技の細かいところまで見えて良かった。ただ、2部ではしばしば暗転が奇妙な「鬆」を作り、芝居の流れを妨げるのが残念。
文化座が浦項で『てけれっつのぱ』(蜂谷涼原作、瀬戸口郁脚色、西川信廣演出)を上演。「浦項海公演芸術祭」の一環。ソウルの同徳女子大ホールは狭くてセットを完全な形で飾れないと聞いたので浦項まで観劇に出向いた。なるほど、浦項芸術文化センター大劇場ならこのセットを横に2つ組めるな。オーケストラピットに水を張って運河を再現すると良かったかも。
約10年ぶりに居昌(コチャン)を訪問。ちょうど「居昌国際演劇祭」の時期だったが、そちらへは足を向けずアジア一人劇祭を観覧。夜は出演者全員で居昌市街から車で20分ほど北に向かい、宿所にもなっている廃校で宴会。
夜明けともなれば涼しい風が吹きますが、日中は確かに暑い…。細い路地はクーラーの熱気でむうむうとし、表通りは車の熱気でむうむう。ようするに自分らで地表の温度を上げているわけなんですが。写真は玄関先から観た町内の明け方の風景。ちとピンが甘いですが、パンフォーカスで撮った場合にはこれがiPod タッチの限界でしょうか?
劇団木花が春川の文学者キム・ユヂョンの作品『春、春』を「祝祭劇場モムヂッ」で上演。
「演劇シリーズ」はミュージカル劇団「神市」がミュージカル以外の演劇作品をプロデュース方式で上演するシリーズ。今回は日本現代劇ドラマリーディングで紹介された畑澤聖吾の『親の顔が見たい』を世宗文化会館Mシアターで上演。孫淑など老練な演技者に加えテレビなどでも有名なタレントを揃えての舞台は好評で客足良好。
夕方、スーパーで値引きしているにんにくを見つけた。賞味期間を確認しようと日付を見て…今日が6月25日(ユギオ)だったことを知った。
鄭義信の最新作『春の歌は海に流れ』をコ・スヒら常連役者に劇団「美醜」の役者を加えて南山芸術センターで上演。好評でほぼ満席。
全体的なインターネット環境がこのサイトを運営し始めた1996年とは大きく異なりました。そこで日・韓演劇公演のチラシやプログラムなどを「読めるサイズ」で「交流年表」にアップロードすることにしました。参考になりましたなら幸いです。
劇団「野戦の月」と劇団「独火星」による混成旅団と光州の劇団「神明」の合同公演。旅団系の演技とマダン系の演技がみごとな不調和を醸し出して、なんだか奇妙な舞台だった。
小林恭二の作品を金守珍が演出。ソウルのほか束草で上演。ほんらいならば3時間に喃喃とする大作らしいが、ソウルでは上演時間の関係?で約2時間に短縮して上演。故に話の筋がまったく判らなかった。それと、この話は宇田川という土地が「タイムトンネル」の役割を果たしているはずなのに、「現代」シーンになぜ明洞を出すのか理解不明。「ご当地ソング」じゃあるまいし、このような観客サービスは作品理解を阻害するのではないだろうか。
水を張って沼を再現したり、舞台は凝った作りだったな。
今日は麻浦から漢江遊歩道に入り、合井の「切頭山聖地」まで散歩。途中で汝矣島に向かって写真を一枚。ここ何日かの寒波で漢江がうっすらと凍っています。
今年はソウルの明洞に所在する「明洞芸術劇場」での開催となりました。27日(金曜日)から日曜日まで三日間のスケジュールで、戯曲の朗読公演を3本とシンポジウムを行いました。初日の朗読公演『罪 〜ある温泉旅行の一夜〜』はほぼ満席。見物客も笑いを惜しまず、なかなか良い雰囲気でした。今回のドラマリーディングはこの公演しか見ることができませんでしたが、全体の雰囲気はなかなか良かったのではないでしょうか。東京で開催中の「第2回日韓演劇フェスティバル」も盛況と聞いております。
窓の外からシャカシャカと歯切れの良い音が聞こえてくると思ったら、ご近所さんが路地の雪かきをする音でした。私もおもてに出て雪かきに参加。ここ韓国では自分の家の前に降り積もった雪は、その家の者が雪かきすることになっているのです。
ご存知のように、韓国では旧正月をメインに祝います。今年は1月23日の月曜日が正月にあたり、その前後が休日になります。正月を控えて街もそろそろ静かになりつつあります。私も静かに日・韓演劇交流の資料を整理しています。本年もどうぞよろしく。
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