なんだか今年もあっという間に終わってしまいました。昨年の11月末から夏ころまで、神経痛だ歯肉炎だと体の調子が思わしくなく…いよいよ歳かと思っておりましたが、秋に入ってちょっと持ち直しました。しかしあいかわらず世界はあちこちで患っていて…さて、還暦を迎える者にいったい何ができますことやら。とりあえず戦後日本演劇に描かれた朝鮮人・韓国人のイメージの変化を追って、日本社会が韓国・朝鮮を、あるいは在日に対してどのように考えてきたのか、そしてそれがどのように変化したのかをあぶりだしてみます。
日本の7月は一番暑い季節ですが韓国の7月は「チャンマ(梅雨)」で、ここ何日か肌寒い日々が続いております。
前にツィッターで『興安櫻』の作者「田中小太郎」に関する情報提供を広範にお願いしたことがありましたが、奈良県立図書情報館の戦争体験文庫に田中の著作『ハルビン慕情』が所蔵されていることを知りました。この本によりますと、田中は1937年に東京外国語大学のロシア語を卒業したが就職難でハルビンに暮らす先輩を頼んで満州に遊び、1944年の5月になって招集されたという履歴が載っていました。田中はロシア文学にそうとう思い入れがあったみたいで、ハルビンでロシア人に出逢うたびに彼・彼女をロシア小説の登場人物になぞらえて説明します。そして敗戦後は東鉄管内の上野駅で職員を務めながら文学活動にいそしんだのでしょう。田中にこのような文学的素養があったことから、敗戦直後の「職場演劇」界隈ではずいぶん毛色の異なる『興安櫻』を書いたのだと納得できました。
明けましておめでとうございます。韓国に暮らして16年めになりますが、こんなに遅い「旧正月」は初めてです。本年はなんとしてでも論文を提出したい…。どうぞみなさま、よろしくお願いいたします。
20年ぶりに歯医者へ通っております。とうとう奥歯が一本使えなくなって抜歯となりました。ほんらいあるべきモノが無くなるということはなかなかに辛いですね…。
岐阜の劇団「はぐるま」を主宰したこばやしひろし(1928〜2011)の作品に『乾いた湿地』(1960)という帰国朝鮮人を主人公にした作品があり、この作品の主人公の名前は「河村」さんです。ふつう芝居の朝鮮人登場人物は、たとえば「金」さんなら「金山」とか「金村」とか似通った漢字を使うケースが多いのに、この『乾いた湿地』の主人公の「チョン(鄭)」さんの日本名「河村」はずいぶん珍しい名前なのでずっと気になっていました。なにしろ「河村」姓は数からいって(普及度?)、日本の姓のなかではかなり順位が低い。つまり作家がとっさに思いつく名前ではないということです。なぜ「河村」なのか…。それがまったくの偶然ですが、1957年の映画『どたんば』(内田吐夢監督/橋本忍作)に登場する朝鮮人炭鉱夫の名前と同じだと判りました。
映画「どたんば」では落盤事故で生き埋めになった日本人鉱夫を助けるために、近隣の炭鉱で働いている朝鮮人鉱夫たちが駆けつけます。彼らのなかで「島野」と「河村」という二人の朝鮮人が印象的な働きをして、日本人鉱夫らが助け出されます。この映画作品は「美しい人間愛、一生の思い出となる強い印象」という宣伝文句とともに、「文部省特選」のお墨付きまでもらった作品ですので、前述のこばやしひろしがこの映画作品を見た可能性はかなり高いと思います。映画の舞台は、こばやしの活動の拠点である岐阜に所在の亜炭鉱山ということですし。
こうなりますと、演劇『乾いた湿地』の主人公が「河村」であり、日本の大学を出た「朝鮮人土木技術者」であることがしっくりきますね。こばやしは帰国朝鮮人が埠頭で万歳をさけぶ姿をテレビでみて感動したことが作品つくりのきっかけになったと言いますが、この映画作品からも何らかの感動を得て、登場人物の設定などに痕跡を残したのでしょう。
ただし「どたんば」という映画にはすこし現実との乖離があります。救援を頼まれた島野は、救出作業そのものが危険なので協力をしぶる周囲の朝鮮人鉱夫たちに、「あの設備の悪い危険な坑内に入っていくときには…万一のときはだれか仲間が救いに来てくれる…そう思うといつでも気が楽になって入って行けた」(映画評論、1957/8、p163)と語るシーンがあるのですが、実際は、事故が起きると朝鮮人鉱夫は見殺しにされていましたから。シナリオを書いた1918年生まれの橋本忍が「半島キリハ」などの言葉や、朴慶植(1965)や林えいだい(1979)が紹介したような朝鮮人鉱夫に対する処遇をまったく知らなかったのか、あるいは知っていながら書かなかったのか、わたくしは興味津々です。
明けましておめでとうございます。先月中ごろから右腕が重くなり、椅子に腰かけた姿勢では痛くてマウスを握ったり入力できなくなりました。ひじの作る角度によってはかなり痛みがあり、右手の指もずっとしびれを感じています。パソコン作業による肩の凝りからくるものではなく、おそらく体を冷やしたことが原因ではないかと考えています。というわけで、「年の瀬」に「歳の瀬」を感じて嘆いております。しかも、今年は昨年にくらべてさらに混乱した年になるような予感がします。各々がた、油断召されるな。戦いはこれからが本番であります。
去年の日誌
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