2、素晴らしい響きの教会   2002年12月17日



 一昨日は大阪府の堺教会に於いて「クリスマス音楽会」が催され、ハープを演奏させていただきました。今年の7月に私は、リサイタルを大阪の帝国ホテルのチャペルで開きましたが、その折に高須礼子さんとおっしゃるソプラノの歌手で、オペラやリサイタルで活躍されている方と堺教会のお世話役をしていらっしゃる方が聴きに来られてコンサートの後、初めてお目にかかりました。高須さんも堺教会の信者さんてすので、そのご縁で今回のクリスマス音楽会に呼んでいただいた訳です。

 プログラムの前半はハープのソロで、後半は声楽の伴奏をハープでしましたので、コンサートの前に3回ほど高須さんには芦屋の私のスタジオに来ていただいて練習をしました。エネルギッシュでとても素晴らしい方という印象でしたが、私と同い年とわかってからはなお一層うちとけて昔からのお友達のように仲良しになってしまいました。最後の練習の日に、彼女は私の経歴に疑問をもたれて、「なぜ、最初絵をしていたのですか?」と聞かれ、私が「父は西洋美術史の学者で、母は絵をよく描いていたので、美術的な環境だったので絵を選んだのです。」とお話した時でしょうか急に「エッ、マスイ先生のお嬢さんだったのですか?」と、驚きの声を上げられました。

 彼女が東京芸大の時師事していらした声楽の先生は、岡部多喜子先生だったそうで、先生のお話の中に、イタリア語のマスイ先生がどんなにハンサムで素敵だったかということが度々出てきたのでマスイという名前を覚えていたそうです。そう言えば、父,摩寿意善郎は25年前に亡くなったのですが、生前、よく岡部さんの名前を口にしていたのを、随分久しぶりに思い出し懐かしくなりました。そして、ハンサムと言えば、父がNHKに放送の収録に行った時、俳優の上原謙(加山雄三 の父上)と間違えられて女性達にサインを求められて廊下を追いかけられて困った事を自慢げに話していた事がありました。父は38才の若さで、芸大のイタリア語の教授になり、その当時からの声楽の学生さん達のほとんどは、父の授業を取った訳です。声楽家として有名になられた方も勿論大勢いらして、亡くなられた東敦子さんもそのお一人でした。(彼女は私のイタリア留学の折、イタリアで活躍されていましたが色々とお手紙でアドバイスをしてくださいました。)

 高須さんが早速恩師の岡部先生にお電話なさったところ、まだ若かった私の父が、ミラノの街で酔いつぶれたこともあったけど帰国してからは美術学部長のポストに就いたので羽目を外すこともなかった。というお話しをされたそうです。父がローマ大学の客員教授としてイタリアに滞在していた時に岡部先生は留学生で滞伊されていたのでしょう。私も直接に岡部先生とお話ししたいと思っています。 

 話が横道にそれてしまいましたが、クリスマスコンサートの開演の10分前に牧師様が私たちの控え室に来てくださり、お祈りを捧げてくださいました。リハーサルの時からなんと素晴らしい響きの礼拝堂なんでしょう!とびっくりしていましたが、本番中は私のハープの音色や呼吸と聴いている方々の気持ちが一致するような素敵な空間を体験しました。そして二部で高須さんが歌われた、カッチーニの「アヴェマリア」の伴奏をしている頃から、私一人の力ではなくて、何か別の大きな力に動かされて奏でさせられている様な不思議な気がしてきました。

 高須さんが全て歌い終わられ、祭壇上で礼をされ、私の方を向いて、とっても嬉しそうなお顔で、目は涙ぐんでいらしたのを見てとても嬉しかったですし、伴奏者としてほっといたしました。

 終わってからも高須さんが「良い礼拝堂でしょう?」と。広くて、天井が高く、そしてモダンな造りなのです。多分客席でも、一つ一つの音ははっきりと聞こえて、それでいて堅くならないで、とても暖かい響きなのです。礼拝堂を建てられた方のお心が伝わって来るようです。良い演奏になるためには、勿論、演奏者、楽器、聴いてくださる人、建物、お世話をして下さる方々、そしてプラス、目には見えないけれど、なにか大きい力の働き、これら全てのこころが一致した時、可能になるのですね。又この教会で演奏させていただける機会に恵まれましたら嬉しいです。