KNIGHT AND SISTER《騎士と乙女》

第二十章 皇都に死す 13

「なんだ──これは!?」
エティエンヌはその惨状を見るなり悲鳴を上げた。
目の前に広がるのは惨憺たる光景だ。折り重なる死体、死体、死体。死体の山。
血の海とはまさにこのことだろう。いったい何があったのか分からない。ただかろうじて理解できたのは、必死の思いでかき集めた十数人の味方はまったくの無駄足になってしまったということだけだ。
「イーヴ兄上」
エティエンヌは震える声で呟いた。
「イーヴォン兄上!! どこですか!?」
声を張り上げ、必死であたりを見回す。けれどどこからも返事はない。エティエンヌは死体の中を縫って歩き、兄を探した。途中、見知った顔の法皇騎士が無残に首を折り曲げて死んでいるのを見つけ、思わず顔を逸らす。
「兄上、返事をしてください!」
エティエンヌは泣きそうになりながら叫ぶ。
「兄上ーっ!!」
後ろについてきていた仲間も、おそるおそる死体の中に足を踏み入れる。
『なんだ、この有様は……』
『ひどいな。こんな街中で。憲兵は何をしてるんだ』
『おい、こいつ、──じゃないか! なんでここに』
『三十人もいた敵をいったい誰が片付けたんだ。誰もいないようだが……』
ひとりで先を歩いていたエティエンヌが、それらしき人物の姿を見つける。ばっと駆け出し、そのそばに膝をついた。引きずるようにして重い体を助け起こすと、それはたしかに兄のイーヴォンだった。
「兄上……兄上っ! しっかりしてください、兄上!!」
「エティエンヌ……か」
イーヴォンがうっすらと目を開け、呟いた。
「敵は……」
「見当たりません。ここにあるのは死体の山だけです、兄上」
エティエンヌは兄が生きていたことに心底ほっとしながら言った。
イーヴォンはゆっくりと瞬きする。
「いない……? ひとりもか……?」
「はい、ひとりも」
エティエンヌは頷いた。
「誰か加勢に来てくれたようです。姿が見当たりませんが……」
「一緒に戦っていた、ウルヴァキア人の騎士は」
「あ──オスカール卿!」
エティエンヌは初めて思い出したように目を見開き、兄を地面に寝かせて立ち上がった。その兄に、仲間の騎士たちがわらわらと駆け寄ってくる。エティエンヌの背後で心配そうな声がいくつも上がった。
『イーヴォンさま! 大丈夫ですか!?』
『出血していますよ。すぐに手当てを──』
「オスカール卿、どこです。オスカール卿!」
エティエンヌは声を張り上げるが、それは探すまでもなく近くに倒れていた。
エティエンヌは転がるような勢いで駆け寄り、意識のないその肩を揺する。
「大丈夫ですか? オスカール卿」
声をかけると、若い騎士は、長く伸びた前髪の下でうっとうしそうに眉をひそめる。
「ん……」
「怪我は──」
「オスカール!」
言いかけたエティエンヌの言葉を遮り、遠くで鋭い声が上がった。
駆け寄ってきたのは若い男だ。着ているものは上等の服だったが、その服にはべったりと返り血がついている。染みの具合からして、本人の出血ではないかと思われるようなものもいたるところにあった。
端正な顔も血で汚れていた。エティエンヌが驚いて若い男を見つめていると、その若い男は目の前に跪き、エティエンヌと額がかち合いそうになるのも気にせず、オスカールの顔をのぞきこんだ。
「大丈夫か。怪我は!?」
「あれ……」
オスカールはようやく意識がはっきりしたらしい。額に腕をやり、その下から目をすがめて若い男の顔を見る。
「ノイエ卿……。どうしてここに」
「質問はあとだ。ともかく、起きられるか?」
ノイエと呼ばれた若い男はきびきびと言い、オスカールを助け起こす。
呻きながらオスカールは身を起こした。
そして大きく息をつき、片手で顔を覆う。
「いつ倒れたんだろう。覚えてない」
「もう心配ない。敵の姿は見当たらないよ」
「あ──陛下は!?」
はっとしたように顔を上げ、オスカールは立ち上がろうとするが、すぐに呻いて膝を落とした。
「つ──ッ」
「無理をしないほうがいい。わたしが見てくる」
ノイエがオスカールの体をエティエンヌに任せ、立ち上がる。
「失礼。申し訳ないが、しばらくのあいだ彼を頼みます」
「あ──はい」
エティエンヌは反射的に頷いた。
ノイエはそれを見届けて身を翻し、馬車のほうへと駆けて行った。
「今の、誰ですか?」
エティエンヌはオスカールを抱きながら、顔はノイエの背中に向けていた。
「ノイエ卿だよ。陛下のご側近で、わたしの上官でもある」
オスカールは呟いたが、その声は何やら不本意そうだ。
「何か?」
エティエンヌが怪訝そうに訊ねると、オスカールは顔をしかめた。
「この体勢が気に入らない。わたしは子供ではないんだぞ」
言われて、エティエンヌは自分が幼子を抱くようにオスカールを抱きかかえているのに気がついた。ぺたんと両膝を折り曲げて座りつつ、オスカールの背中を胸で支え、両腕を彼の体の前に回すような格好だ。
「そんなこと言われても……。わたしはあなたを腕一本で支えられるほど、腕力が強くはありませんし。気に入らなくても我慢してください」
「寝かしといてくれればいいんだ」
「でも」
「女なんかに手を貸されたら恥ずかしいだろう!」
「そうですか。それは失礼いたしました」
エティエンヌは冷ややかに言い、突然立ち上がった。
支えを失ったオスカールはガツンと後頭部を地面に打ちつけてしまい、茫然自失となる。
「だっ──」
オスカールは後頭部を押さえ、怒りに顔を赤くしてエティエンヌを見上げる。
「誰がいきなり手を離してくれと頼んだっ!?」
「女に助けられたら恥ずかしいんでしょう? お望みどおり、もう手はお貸ししま──」
エティエンヌの言葉が途中で止まる。
息を呑んで彼女は前方を見つめた。
歩いてくるのはヴィクターだ。
「陛下……」
エティエンヌは知らず知らずのうちに身を固くした。
「陛下! ご無事で!」
オスカールも弾かれたように立ち上がった。一瞬よろめいたのは無理をしたせいだ。
「エティエンヌ、聞きたいことがある」
「は──はい。なんでしょうか」
エティエンヌは小さく答える。
晩餐会以来の再会だ。間接的にヴィクターを「はめる」立場になってしまった自分を、おそらく簡単には許さないだろう。どんな叱責を受けるか、それともそんなものではすまないのかと、エティエンヌの頭にはいくつもの不安がよぎった。
晩餐会のときでさえ、ワインを傾ける彼をじっと見ていることができなかった。そのときと同じ気持ちでエティエンヌは彼から視線を逸らす。
「すぐに皇都を抜けたい。だが表門で足止めを食らうだろう」
「は、はい」
エティエンヌは頷く。ヴィクターが表門≠ニ言っているのは、皇都の正面にそびえたつ巨大な門のことだ。やはりそこも警備が厳しく、こんな時間では、そもそも門自体が開かれていない。
「何か方法は。……あるんだろう?」
ヴィクターはまっすぐにエティエンヌを見る。
その目が今まで見たこともないほど厳しい。エティエンヌは息を呑む。
「あの……」
言いよどんだが、すぐに思い出した。
「あっ──兄が法皇猊下の通行許可証を持っているはずです。お持ちします!」
身を翻し、イーヴォンのもとへ駆けつける。
事情を話して通行許可証を受け取り、エティエンヌはヴィクターのもとへ舞い戻った。
「これです。これがあれば門は開きます」
「枢機卿の手の者に先回りされている可能性は?」
「それは……分かりません。でも、正門は都長官の管理下にあります。いくら枢機卿でも、都長官の目の届くところで無茶なことはしないと思います。それに、もし封鎖されていても──わたしたちで突破できます」
そう言うエティエンヌの後ろには、彼女が連れて来た手勢が十数人いる。兄のテオドールに頼んでかき集めてもらった戦力だ。その兄のテオドールは、今は屋敷のほうで父や使用人たちを皇都から逃がす準備をしている。ギィ枢機卿に逆らい、それが露見した以上、同じく枢機卿である父が法皇府に留まるのは危険だとの判断からだ。
「仲間の騎士の治療はどこで?」
通行証を受け取りながらヴィクターが言う。
「皇都を抜けた先に、小さな森があります。その森の中に修道院が。治療にあたる者がそこにいます。すでに事情は伝わっていると思いますので、そこへ行けばすぐに治療が受けられるはずです」
「治療できる者がいるんだな?」
「は、はい。薬の扱いに長けた者が」
「分かった。では、すぐに出発する」
「──はい」
「怪我人がいる。時間が惜しい」
ヴィクターはそう言って歩きだした。
「悪いが先に出発する。後で追ってきてくれ。途中で足止めを食ったら、そのときには加勢を頼む」
「わ、分かりました」
すでに前の馬車が動き始めている。誰が手綱を取っているのかは、闇に紛れて分からない。
「行くぞ。オスカール」
「はっ」
ヴィクターが歩きながら言うと、オスカールは心得たとばかりにあとを追う。
エティエンヌは自分も同行したほうがいいのではないかと迷ったが、兄のことなどを考えるとすぐには動けなかった。そのあいだに彼らの背中は遠ざかってゆく。もう二度と会えないような気がして、エティエンヌは思わず叫んだ。
「陛下。わたしも後で参ります。必ず、参りますから!」
しかし、足を速めるヴィクターからは返事はなかった。
エティエンヌはその場に立ち尽くす。
後ろには、死闘のあとだけが血の海に横たわっていた。


二台の馬車がゆっくりと動き出す。
一台目の馬車の手綱を取っているのはガーラントだ。荷台の中には、まだ意識を取り戻さないウルヴァキアの近衛騎士十数人と、紐で縛り上げられたシグワスが乗っている。少し遅れて続く二台目の馬車は、ノイエが手綱を取っている。荷台には残りの近衛騎士たちと、ヴィクター、フィア、オスカールが同乗した。
意識を取り戻したのは、ヴィクターとオスカールのふたりだけだ。残りはまだ昏々と無意識の海に沈んでいる。
「なぜおまえは先に目が覚めたんだ? オスカール」
ヴィクターがやや怪訝そうに訊ねる。
「ああ……。わたしは、晩餐会には出ませんでしたから」
オスカールは軽く揺れる馬車の中で、左右にバランスを取りながら答える。
「薬が……エティエンヌは『仮死の薬』と言っていましたが、それが混ぜられたのは晩餐会に出された酒だったらしいのです。それでわたしは難を逃れたのですが、部屋に運ばれてきた飲み水にも混ぜられていたらしくて」
「あまり飲まなかったというわけか」
「ええ、軽く喉を潤した程度でした。でもそのあと、体が痺れたようになって倒れてしまって……。目が覚めたらこの馬車の中でした。シスターが、必死に皆を呼んでいたので。その声で」
オスカールの視線が、横たわっているフィアに向かう。
フィアの顔には血の気がない。けれど、呼吸はそれほど乱れていない。小康状態だ。
「陛下は、なぜ?」
「俺は単なる偶然だ」
ヴィクターは言った。
「宴席で、酔っ払ったメルヴィンがふらっと近づいてきてな。空になった自分のグラスと、半分以上残っている俺のグラスを勝手に取り替えていった。ものも言わずに。他のやつと話してる途中だったから、特に咎めもしなかったんだが……」
「そうすると、メルヴィン卿は他の者よりも多く飲んでしまったわけですか?」
「そうなるな」
「大丈夫でしょうか? かなり強い薬のようですが」
「大丈夫じゃないか? メルヴィンだし……」
あまり興味がなさそうに言い、ヴィクターはフィアを見下ろす。
そっと伸ばした手がフィアの背中に触れた。
服の上から布のようなものが押し当ててあるが、じんわりと血が滲んでいる。
「まだ血が止まってないな」
ヴィクターは顔をしかめた。
「こんなところで死んでくれるなよ。……まったく、手間がかかる!」
その顔を、オスカールが横からじっと見つめる。
主君が、この若い修道女を追いかけてヴァレンヌまで来たのは知っている。
もとはといえば、このシスターが攫われ、それをヴィクターが国境まで追いかけていったのがはじまりだった。あのときオスカールはその一部始終を見たつもりだが、ヴィクターは尋常ではないスピードで馬を駆ってシスターに追いつき、自分たちが追いつく前に敵を撃退してしまっていた。
そして国境の陣では、ふたりが同衾しているテントを外から見張った。余計な者が近づかないようにだ。名誉のために強調するが、見張ったのは外であって、中ではない。そこまで勇気はないし、野次馬根性も持ち合わせていない。しかし、このシスターの何がそんなにいいのかと訊きたい気持ちは正直、あった。
その後シスターはヴァレンヌへ行ってしまい、ヴィクターは王都に戻った。
オスカールにとっては何やら腑に落ちない解決ではあったが、ともあれ、解決したのだ。王都では執務補佐官であるレヴィン=アーミスが、ここぞとばかりにあちらこちらから縁談の話を持ってきたらしい。その中には他国の王女との縁談も数多くあったというもっぱらの噂だ。
しかし結局、ヴィクターは誰とも婚約も結婚もしなかった。
王家のことを考えれば、これといった後見人を持たないヴィクターは一刻も早く身を固め、有力な後ろ盾を手に入れるべきだった。そのうえで王子でも誕生すれば言うことはない。家臣一同、そうなる日を待ち望んでいた。しかし何もないまま、ヴィクターはヴァレンヌへ行くと言い出した。あれにはオスカールも唖然とした。
表向きは、法皇に、即位の報告を兼ねて謁見するという名目だった。けれどオスカールには分かっていた。ヴィクターはシスターを、フィアを探すつもりなのだと。そして実際、ヴァレンヌでフィア探しに付き合わされた。
ヴィクターは即位してからのいろいろな重圧で、すっかり頭がおかしくなってしまったのではないかと、実のところ少し疑っていた。つらい現実から逃げるために、フィアという娘に入れあげることでそれを忘れようとしたのだと。
それくらい、ヴィクターとフィアはつりあっていない。
そう思っていた。
けれど今は、少し違う思いがある。
「シスターのこの傷、あなたを庇ってのものだと」
オスカールは控えめに口を開く。
ヴィクターがオスカールを見た。
「……ん?」
「さきほど、ノイエ卿と話しておられましたが、本当ですか」
「ああ」
ヴィクターは言葉少なに肯定する。
「なぜ、そんな……。怖ろしくはなかったのでしょうか」
オスカールには少し信じられない。
自分の命を顧みず、殺意を帯びた刃の前に飛び出すなど、普通できることではない。それは本能的に感じる恐怖を、訓練に訓練を重ね、理性と反射神経でねじふせることのできた者だけに許される行動だ。しかしヴィクターはため息をつく。
「こいつはしょっちゅう、人を庇っては自分が傷つく。人助けが『好き』なんだろう」
迷惑なやつだ、と付け加えて顔をしかめた。
けれど、その視線の先にはフィアがいる。それを見つめる目に厳しさはない。
「勇敢なのですね。このシスターは」
「勇敢じゃない。後先考えないだけだ」
オスカールの言葉を、ヴィクターは首を振って否定する。
「つまり、単に『馬鹿』なんだ」
「………」
そうこうしているうちに門に辿り着く。
さすがに、馬車の中には沈黙が満ちた。
けれどさほどのトラブルもなく、馬車は走り出す。
ヴィクターは不審がるような顔をしていたが、オスカールはほっとした。
「ついに皇都を抜けましたね」
言うと、ヴィクターは「ああ」と頷く。その顔はしかめっ面だった。
「こっちにも枢機卿の手が回っていると思っていた。……おかしいな」
「エティエンヌ殿が言ったように、こちらは都長官の管理下にあって、さすがの枢機卿にも手が出せなかったのではないでしょうか」
「……そうだな」
ヴィクターは頷いた。
「だが、これからまた国境を越えなくてはならない。先が思いやられる」
「国境で揉め事などあれば、すぐに王都から援軍が駆けつけてきますよ」
オスカールは励ますように言った。ヴィクターは苦笑し、「だといいが」と呟く。
──そうしてついに皇都の外に出られたのは、夜が明けきったころのことだった。
空が水色に染まり、星がその姿を消す。月はまだ名残惜しげに空にかかっているが、それももうじき見えなくなるだろう。代わりにあたりはどんどん明るくなっていく。馬車が進むごとに、それが感じられるほどだった。
フィアはまだ眠り続けている。
ヴィクターはフィアを見下ろし、その髪を少し撫でた。
何か声をかけたいが、今はかける言葉が見つからない。ほかに誰もいなければ、『手間が掛かる』『馬鹿』以外に、もう少し素直な言葉を口に出せたのかもしれなかったが。