KNIGHT AND SISTER《騎士と乙女》

第四章 異国からの来訪者 1

「──フィア!?」
そう叫んだきり、ロゼッタは、箒を取り落として絶句してしまった。
朝もやと、身を切るような冷たい空気が立ち込める修道院の門の前。
箒を手に、降り積もった朽ち葉を掃き清めようとでもしたのだろう。いつものように淡々と、だが、どことなく心ここにあらずというふうに修道院の建物から出てきたロゼッタが、門の前に立っていたフィアを見つけて──そして、自分の肩に掛けたショールをかなぐり捨てるようにして駆けてきた。
「フィア、あんた──なんなの、その格好!?」
血相を変えながら、ショールを、フィアの肩を包み込むように腕を回してかけてくれる。
ロゼッタの顔をわずかに見上げると──彼女は頭半分、背が高い──彼女は瞠目し、わけがわからないというように口をあんぐり開けたままでいる。それを見ながら、フィアはようやく、自分が帰るべき場所に帰ってきたのだと実感した。
「ただいま、ロゼッタ!」
思わず、ぎゅっと抱きついた。
「お、おかえり──って、」
ロゼッタは反射的に言葉を返した──が、すぐにフィアの肩を掴んで引き離す。
「あんた、ひとり? ──院長はどこ?」
「え?」
フィアはきょとんとなった。
「院長とは、王都で別れたけど……?」
「『別れた』!? それどういうこと!?」
「だから、院長はあの、あれ、『修道院長の集い』に行くって、そのまま」
王都で別れたけど、と、フィアは同じ言葉を繰り返した。戸惑った顔で。
ロゼッタは急に険しい顔つきになり、フィアの肩を掴む指に力を込めた。
「院長はシエラの集会に行ったのね? ──で、あんたは、ひとりで王都に?」
「う、うん、そう……」
「は!? 何しに!!」
ロゼッタは怒ったように言った。
思わず身を縮めながら、「と、届け物……」と小さな声で訴える。
「届け物!?」
ロゼッタはきっと眉を吊り上げる。
なかなかの美人なだけに、そうされると妙な迫力がある。
「う、うん、王都の教会に届け物、しろって……」
「道理で……おかしいと思ったわ! あの院長が、あんたみたいな足手まといを連れて長旅をするわけがないもの!」
そう唸ってから、ロゼッタはじろりとフィアを睨んだ。
「……で、あんた、届け物はちゃんと済ませてきたの?」
「そ、それが、いろいろあって……あの、荷物も、どっかに行っちゃって……」
フィアはしどろもどろに説明しようとしたが、すでに、ロゼッタの顔は鬼のような形相に変わっていた。
まずい、と思って後ずさりしたが、もう遅い。
「『荷物を失くした』ですって!?」
「う、うん、あの……たぶん、教会のどこかで落として、」
「あんたって、ほんと──どうしようもない役立たずね!」
あまり気が長いとはいえないロゼッタが、ついに溜めていた怒りを爆発させた。
「だから、ひとりで王都に行くなって言ったじゃないの、あれほど! あんたみたいなグズは、酔っ払いに絡まれるかスリに財布をすられるか、人攫いに攫われるかのどれかだって言ったでしょ!!」
「は、はい……」
フィアは目をつぶって頷いた。
まったく、ロゼッタの言うとおりだ。返す言葉がない。
「院長も院長よ、あんたみたいなのを王都に置き去りにして行くなんて……何考えてるのかしら! 狼の群れの中に子羊を放すようなもんじゃないのよ。まったく。挙句──何、その、格好!? あんた、荷物失くしたとかいうの嘘で、院長に貰ったお金でそんな服買っちゃったんじゃないでしょうねっ!?」
だったら承知しないわよ、と、ロゼッタは一層眉を吊り上げた。
「えーっと、こ、これは……」
フィアは自分の格好を見下ろし、途方に暮れた。
──ずいぶん煤けてしまったが、乳白色の美しいワンピースだった。白糸で刺繍を施した厚手の生地で、襟首や袖口には柔らかな毛皮が縫いこまれている。冬真っ盛りだというのに、あまり寒さを感じなかったのはそのせいだろう。内側にも、薄い下着を二枚ほど重ねて着ている。
どう見ても、自分のような貧乏人には似合わない贅沢品。
「し、修道服が、その……あの、破れちゃって……」
フィアはうつむいたまま、必死で言い訳を考えた。
「破れた!? ……修道服が!?」
「そ、それで、通りすがりの人が……く、……くれた」
「『くれた』!?」
ロゼッタの声には、驚きを通り越して呆れが滲んでいた。
「ちょっとフィア、ヘタクソな言い訳もたいがいにしなさいよ! 修道服が破れるなんて、いったい、何があったらそんな──」
わめきかけたロゼッタが、急に、はっとした顔で口をつぐんだ。
フィアはきょとんとして小首を傾げる。
「……ロゼッタ?」
「あ、フ、フィア、あああんた部屋に戻りなさい、ねっ、ここはさっ……寒いから!」
ロゼッタはもつれた舌で言い、あたふたとフィアの背中を押した。
「……?」
怪訝に思ったが、そのまま、修道院の建物の中へと押し込まれる。
両側にずらりと僧房が並んだ薄暗い廊下を通り抜け、一番はじにある部屋──フィアの部屋──の扉を開けると、ロゼッタは妙に慌てた様子のまま、 「あんた、今日はなんにもしなくていいから! とにかく寝てなさい、いいわね!」と命じた。
「なんにも……しなくていいの?」
フィアはぽかんとして訊きかえす。
「水汲みとか、食事当番とか……」
「ええそうよ、水汲みも、食事係も配膳係も掃除も洗濯も皿洗いも、なんにもなし! なんっにもしなくていいから、とにかく、ここに寝てるのよ。──あっ、そうだ、蜂蜜入りのあったかいお茶を持ってきてあげるからね! ピンクの花びらが入ってるやつ!」
「えっ、あれは院長の隠してる……」
「いないんだから構やしないわよ!」
いつものロゼッタなら絶対に言わないようなことを言って、彼女はそのまま部屋を飛び出して行った。
残されたフィアは、ぽかんとしたまま、自分の部屋に突っ立っていた。狭い部屋に。
「え、ええと……?」
何をすべきかと、自分の部屋を見回す。
ひび割れの目立つ、寒々しい灰色の壁。机と椅子とベッドしかない粗末な部屋。──見慣れた景色だ。閑散としているけれど、長年暮らしてきた場所だから何よりも愛着が勝る。
フィアはどさっとベッドに腰掛け、ロゼッタが出て行った扉を眺める。
「たくさん働こうと思ったのに……」
後ろの壁にもたれながら毛布を引き寄せ、フィアは小さくため息をついた。


「……フィア? 起きてる?」
控えめな声がして、遠慮がちに扉が開いた。
隙間から顔を覗かせたのは、シスター・アデルハイドだった。
こげ茶色の髪は、きつく束ねていても裾からふわふわと広がっていた。睫が長く可愛らしい顔立ちで、年は三十を過ぎているが、二十代半ばくらいにしか見えない。本人の挙動がなんとなく幼いせいもあるだろう。
「シスター・ロゼッタが、あなたにスープを持っていくようにって……」
「あ、ありがとう……」
いつのまにか寝入ってしまっていたようだ。目をこすりながら身を起こし、フィアは、盆を手にして近づいてくるアデルハイドの姿を見守った。
「あれ、もうお昼……?」
「とっくに夕方よ。あなた、よく眠ってたわ」
アデルハイドはそう言いながら、ベッドのはじに盆を置いた。
そのまま、古い木の床に膝を屈めてフィアを見上げる。
「王都に行ってたんですって? ひとりで……」
「うん……あっ、豆のスープ!」
フィアはふいに顔を輝かせた。
「そう。ロゼッタが作ったの、あなたのために」
「ロゼッタって、いつもわたしの心がわかるの」
フィアは晴れやかに笑って、スプーンを握った。
アデルハイドは小さくため息をついてみせる。
「いろいろと大変なことがあったでしょう? ……かわいそうに、あなた、ひとりで」
「あったけど……でも、なんだか、ぜんぶ夢だったような気もする」
フィアはスープをすくいながら呟いた。
アデルハイドの顔に同情の色が浮かんだ。
「やっぱり、いろいろあったのね……。シスター・ロゼッタが何も訊くなって……」
そう言いながら、アデルハイドはちらりとフィアの顔色を窺った。
それに気づかず、フィアは無心になってスープをかきこんでいた。
「あー、やっぱり、おいしい! ロゼッタって、豆をたくさん入れてくれるし」
「ねえ、フィア、何があったの? ……誰にも言わないから、話してみない?」
神妙な面持ちでアデルハイドが言った。
フィアは口元から皿を離し、その顔を見た。
「う、うーん……」
頭の中に、さまざまなできごとが蘇る。

『あのとき気まぐれに生かしてやった子鼠が、まさか、こんなところで喉元に噛みついてくるとは思わなかった』──『俺はおまえを殺さないと言っただけだ、自由にするとは言ってない』──『そうしていただけるなら、わたくし、あなたさまが修道院に戻れるように陛下にお願いしてまいりますわ!』──『君は悪くない。ただ、運が悪すぎただけだ。──呪うなら、わたしではなく神を』──。

──ずいぶん、いろいろなことがあった。本当に。
しかし、それを話すことは出来ない。
話さないと約束したわけではないけれど、話さないことが暗黙の了解であるのは承知していた。鈍いフィアでも。スティーナが、レヴィンが、必死で自分を止めたことの意味はわかっている、つもりだ。あんなことが世間に知れたら、彼の──ヴィクターの──立場が危うくなると。
だから、話すわけにはいかない。
いくら身内のシスターであっても。
「……あのね」
フィアはアデルハイドの顔を見た。
彼女は神妙に頷いて見せたが、明らかに興味津々という顔つきをしていた。
「いつか話すかもしれないけど、今は、……あんまり、聞かないで欲しいの」
「……ああ、そうでしょうね、フィア」
アデルハイドは落胆して言った。
「訊いたわたしが愚かだったわ。ごめんなさいね」
彼女は脱力して立ち上がると、椅子を引いて、それに座り直した。
「スープを飲み終えたら、お皿をさげるわね」
「う、うん」
フィアは頷くと、皿の底に残った豆を慌ててかき集めた。
「……でも、本当に心配だったのよ」
暇なのか、アデルハイドはフィアに向かって話し始めた。
「わたし、あなたがひとりで王都に行くって聞いたような気がするのだけど、なかなか戻ってこないから、もしかして院長と一緒にシエラまで行ったのかしら……って思い始めていたところだったの。シスター・ロゼッタもシスター・ゲルトルードもそう決めつけていたから、なんだか、言い出しにくくて……」
「そうだったんだ」
フィアはもさもさした豆の味を噛み締めながら、呟いた。
「そのうえ、あなたのことを聞きに、変な男の人が修道院に来るし……」
アデルハイドは小さくため息をついてみせた。
「……えっ、誰が?」
フィアは驚いて訊き返した。
「修道士みたいな人だったわ。フードを目深にかぶってて……」
アデルハイドは、頬に手を当てた優雅な仕草で答えた。
「つい昨日のことよ。院長は留守だし、副院長のシスター・ベセルは風邪気味だしで、シスター・ロゼッタが応対に出たの。最後は、なんだか喧嘩みたいな剣幕になって追い返してたみたい。……『あなたのことを聞かれた』って、気味悪がってたわ」
「……わたし!?」
フィアは驚いて叫び、思わず、スプーンを皿の中に取り落とした。
「な、なんで、わたしのことなんか……」
うろたえながら言うと、アデルハイドは「不思議よねぇ……」と頷いて見せた。
フィアは落ち着かない気分になり、どこへやるともなく視線を空に彷徨わせた。

(……わたし? ……どうして?)

──もう、終わったはずなのに。
──これきり、何もかも忘れるつもりだったのに。
頭の中に一瞬、長い金髪の青年の顔がよぎる。

『……私は納得していません』

(もしかして、あの人、ここを探し当てて……?)
胸の中に不安な気持ちが湧き上がってくる。
それに引きずられるように、立ち上がった。
「わたし、ちょっと、……ロゼッタに訊いてくる!」
フィアは顔を曇らせて言った。
手を伸ばせば容易に届くところに扉の取っ手がある。それを握って扉を押し開き、しんと静まり返った廊下に走り出た。後ろでアデルハイドが「まあ、フィア、おやめなさいよ!」と制止したが、今はとても、ゆっくりとベッドに寝転んでいられる気持ちではなかった。