KNIGHT AND SISTER《騎士と乙女》

第二十三章 騎士と乙女 5

久しぶりに戻った修道院はまるで別世界のようだった。
なぜそんなふうに感じるのか分からない。もしかしたら、あまりにも長く殺伐とした世界にいすぎたせいで、ここにある優しさと暖かさを異質なものとして感じてしまうのかもしれない。
けれどこれが自分の育った世界だった。
困っていれば誰かが助けてくれる。そのことにろくに感謝すらしなかった。
今はそれが当たり前ではないと知っている。だからこそ優しさが胸に染みるのだ。痛いほどに。
世の中のどれだけ大勢の人が、こんな暖かさと無縁で暮らしているのだろう。
エドアルドも、シグワスも、あのイグナレオナでさえ、みな光の届かない水底のような世界に生きていた。冷たい世界に。もし彼らが人の愛に囲まれて育っていたなら、また違う人生もあったのではないだろうか……。
そんなことを考えながら一日を過ごした。
ヴィクターはときどき呼びかけに反応し、うっすらと瞼を開けるときもあったが、二言三言、何を言っているのか分からないことを呟いて意識を失ってしまうのが常だった。ゲルトルードによると、出血が多すぎて意識が混濁しているのだろうということだ。
それでもなんとか食事はできていた。水を飲むときだけはわずかに意識が戻ったからだ。そのときにゲルトルードの煎じ薬と、アデルハイドとヨランダが作ってくれた特製の滋養食を彼の喉に流し込んだ。ゲルトルードは吐くかもしれないと言っていたが、そんなことはなかった。
ロゼッタは忌々しげに「生命力の強いやつね」と言っていたが、その言葉はフィアには嬉しかった。
──そんな調子で三日が過ぎた。
倒れた院長はとうに意識を取り戻していたが、修道院の建物から一歩も外に出てこなかった。当然、フィアとも顔を合わせていない。
高齢の副院長シスター・ベセルがやって来て、院長の怒りはしばらく解けないだろうと、か細いため息をついて言った。予想していたことだったので今さら落胆のしようもないが、こんなふうに何かあるたびに板ばさみになるベセルが心労を溜めているのが申し訳なく、フィアは「すみません」と頭を下げるばかりだった。ベセルは弱々しい咳をしながら、一通り小言を言って去って行った。そのとき、修道院に戻りなさいとは一言も言わなかった。
──『除籍だ』と院長は言った。
もうここにはいられないのだろうと、漠然とフィアは思う。
ロゼッタやアデルハイド、ゲルトルードと離れるのは寂しかったが、諦めの気持ちはすでに大きなものになっていた。いずれにしろ、ヴィクターが回復したらどこか他の場所に行かなければならないのだ。
──もし彼が城に戻ると言ったら、自分は置いていかれることになる。
そうなったらどうするのだろう? どうすればいいのだろう?
フィアは悩んだが、すぐには答えは出なかった。
──それからも、朝と昼と夜とがゆっくりと、けれど味気なく入れ替わっていった。
フィアはできるかぎるヴィクターのそばにいたが、他の修道女たちが世話をするあいだに手が空くと、何か仕事を見つけてこまめに働いた。修道院で使う水汲みをし、こっそりと建物内の掃除をし、森へ薪となる木の枝を拾いに行った。何をしようかと考え込む暇はなかった。とにかく体を動かしていたかったのだ。
ロゼッタは「顔色が悪いわよ」と心配して言ってくれたが、本当なら寝る時間さえもいらないほどだった。──眠れないのだ。だから夜はヴィクターのそばに張りついて、ずっと彼の手を握っていた。そうしているあいだが一番安心だった。
ある晩、いつものように手を握っていると、ふっと目を覚ます気配がした。
そんな気配に敏感になっていた。フィアが顔を覗き込むと、青黒い瞳がじっとフィアを見つめている。何か言いたげなようにも見えた。なんだろうとめまぐるしく考えていると、ふいに手を握り返された。──強く。驚いて手を見て、再び彼の顔を見たときには、もう遅かった。彼は音も立てずに眠りに落ちていた。
彼は本当によく眠った。意識を保っていることができないのか、それとも回復のために貪欲に眠りをむさぼっているのか分からなかったが、瞼を閉じているその顔はどことなく穏やかなように見えた。そんな顔を見るのは初めてな気がして、フィアはいつまでもその顔を見つめていた。
きっとヴィクターの中で、何かがひとつ終わったのだ。だからこんな顔をしているのだろう。満たされている、というのとは違うが、何かを捨て去ったような清々しい顔を。
早く話ができるようになればいい。フィアはそう願う。
彼の状態が落ち着いていくにつれ、願いごとは少しずつ贅沢になっていく。
水を飲んでくれれば。何か食べてくれれば。話ができれば。
けれどその願いにはいつか限度が来る。終わりがあるのだ。
これは彼がようやく手に入れた安息。だから邪魔したくない。
もし話ができるようになっても、自分の抱えている悩みだけは口にすまいと、フィアは胸に誓った。
これ以上何にも煩わされて欲しくない。──自分のことにすら。そう、思ったからだった。


そしてまた時間が流れていった。
ゲルトルードが井戸に向かうフィアを呼び止めたのは、二週間ほど過ぎたある日の午後だった。
着るものがないので修道服を貸してもらっていたフィアは、かごを抱えて洗濯に行くところだった。一瞬、不吉な知らせでは──と、ここ最近馴染みになった不安が頭をよぎったが、ゲルトルードの言葉はそれとは違っていた。
「さっき意識がはっきりしてるみたいだったから、少しだけ話をしたの」
ゲルトルードは考えながら口を開いた。
「彼は自分の置かれた状況を知りたがっていたから、簡単に説明はしたわ。ここが女子修道院だってことくらいだけどね。……ちょっと愕然としてるみたいだった」
それを思い出したのか、ゲルトルードはかすかに苦笑した。
「あと、髭をそりたいって言ってたからかみそりを渡したけど、危なくはないわよね?」
「危ないって?」
フィアは目を丸くする。手を滑らせて顔を切ったりするということなのだろうか。
ゲルトルードはそのフィアの顔を見て「ううん、なんでもない」と首を振った。
それから、やおら真面目な顔になる。
「……わたしの目から見て、容態は安定したと思う。少なくとも、生死の境目は脱したわ」
フィアはじっと聞いていたが、どうやら喜んでもいいらしいと分かり、顔を輝かせた。
「本当!? それって、助かったっていうことよね!?」
「ええ」
「良かった……!」
フィアは心の底から言った。こんなに嬉しい知らせはなかった。
季節はゆるやかに秋を終えようとしているのに、突然春が来たような気分だった。
「本当はもう少し前に言おうと思ったの。でも、万一のことがあるといけないから」
ゲルトルードが言い終わらないうちに、フィアは彼女の手を握り締めて小躍りしていた。
「本当にありがとう! あなたやみんなのおかげだわ!」
「……といっても、まだまだ回復には時間が掛かるわよ。今からそんなに喜ばないで」
ゲルトルードは少々呆れたようだったが、「ま、仕方がないか」と苦笑する。
すでにフィアは走り出していた。容態が安定したと聞いた瞬間、戻りたくて仕方がなくなったのだ。何をしに井戸に行ったのかも忘れて馬車に駆け戻ったフィアは、しかし、そこに院長の姿を見つけて硬直した。
春から突然冬に投げ出されたような心地になった。
凍りついているフィアに、院長が険しい顔で近づいてくる。
「シスター・フィア」
院長の声を久しぶりに聞いた気がした。
「い、院長」
フィアはぎこちなく言った。
それから、謝らなければならないことを思い出した。
「あの……す、すみません。いきなり戻ってきて、いろいろとご迷惑、を……」
「迷惑どころの話ではありませんっ!!」
院長はいきなり叫んだ。フィアは予想通りの事態になったのでうなだれた。
「さきほどシスター・ロゼッタ、シスター・アデルハイドの両名から状況の報告を受けました。あなたがこの修道院に連れてきたその……人物は、順調に回復しているようね。それはそれでは結構なことです。しかし!」
院長は細長い目を吊り上げる。
「あなたの身勝手に振り回される、他の修道女たちの身にもなりなさい!」
その言葉にフィアは顔を曇らせる。
院長の言うとおり、みなよく手伝ってくれるが、慣れない人間に接し、慣れないことをして疲れているのも感じていた。それでいて修道院のいつもの労働もこなしているのだから、自分よりも大変なはずだ。
「は、はい……。本当に、何から何まで手伝ってもらって申し訳ないと……」
「もう謝罪など聞きたくありません。言ったはずです。あなたは『除籍』だと!」
思わず謝りかけたフィアの言葉を、院長が強引に遮った。
「わたくしも悪魔ではありませんから、今すぐに出て行けとは言いません。でも歩けるようになったら、すぐにでもここを出て行ってもらいたいわ。無論、あなたも一緒にです、フィア=リンネル!!」
院長は激怒していた。
シスターと呼ぶことさえも、もはややめたようだ。
フィアは優柔不断だった自分を恥じた。そして悔やんだ。もっと早く結論を伝えていれば、こんなに怒らせずにすんだ。ロゼッタが言う『聖域』を土足で踏みにじられたような、そんな嫌な思いをさせずにすんだのに──と。
「……はい。もう少ししたらここを出て行きます」
フィアは小さな声で言った。それはずっと考えていたことだった。
「今まで目をつぶっていただいただけでも、あの……ありがたいと思っています。ですからあと少しだけ、ここにいることを許していただけませんか? 歩けるようになったらこの森を出ますから」
「ふん! いいでしょう。あなたがいなくなれば、また平穏な生活に戻れます」
院長は話はついたとばかりに踵を返した。
「まったく。いつもいつも、ろくでもない揉め事ばかり起こして!」
捨て台詞のような一言を残し、院長は地面を踏み鳴らして立ち去っていった。
フィアはその後ろ姿を見つめて、しばらくぼんやりと立ち尽くしていた。
それから、洗濯かごを道の途中に置いてきてしまったことを思い出す。
「……取りに行かなきゃ」
呟いて、駆け出す。
その背中に目を注ぐ者がいたことには、幸か不幸か気づかなかった。


洗濯を終えて戻ったフィアは、修道院の門を囲む塀にそれを掛けていた。
こんなところを洗濯干し場にするのは気が引けたが、他に方法がなかったので仕方がない。
「──フィア」
聞き慣れた声に呼ばれたのはその最中だった。
フィアはぎょっとして、引っ掛けた洗濯物を引っ張ってしまい、手の中でそれが伸びる、という悲しい経験をした。しかしそれが破れようがどうしようが、そんなことはどうでも良かった。たちまち駆けつけて荷台によじのぼると、彼はいつのまにか体を起こしており、けだるげに壁にもたれていた。
「起きて大丈夫なの!?」
なぜか正座をしながら思わず言うと、ヴィクターは小さく頷いた。
「だいぶましな気分だ」
その言葉にフィアはじーんと胸が熱くなった。
「良かった、意識がちゃんとして。ずっと夢を見てるみたいな感じだったから」
「夢を見てる?」
「だって、わたしの顔を見て『レヴィン……』って言ったりしてたもの」
「………」
ヴィクターはしばらく黙っていた。
フィアも黙っていた。
そのとき『わたしよりレヴィンさんのほうが大事な存在なんだろうか』と少なからず愕然としたことや、付き合いの長さも違うのだからそれも当然だと考えて、自分をしばらく慰めていたことなどは口にしなかった。
「……さっき、誰かに叱られてなかったか?」
ヴィクターはさりげなく話を変えることにしたらしい。
言われてフィアは口ごもった。
「……き、聞いてたの?」
ばつの悪い気持ちで問い返す。
理由はなんであれ、叱られているところを見られるのは格好悪い。
せっかく何日も世話をして、少しは頼りになるところを見せたのだから、『頼りになるやつ』と思って欲しかった。それなのに叱られていたのでは、『よく叱られるやつ』という印象にしかならないだろう。──一緒にいられるのは残りわずかとはいえ、少し悲しい。
「聞いてたというか、聞こえた。キンキンした金切り声が」
「院長は怒りっぽいのよ」
フィアは思わず言った。
それから、それではただの悪口になってしまうと思い、急いで言葉をつけ足す。
「で、でも、ここにいさせてくれるし、食事も分けてくれるし、いいところもあるの」
「いさせてくれるって」
ヴィクターは荷馬車の外の景色を怪訝そうに眺める。
「ここ、外だろ」
「そ、そうだけど……」
それに食事の材料も、本当はこの荷馬車にてんこ盛り積んで持ってきたものだ。アデルハイドもゲルトルードも、『豆以外のスープを食べられるなんて』と、毎日嬉しそうに語り合っていた……。
「でも、あの……院長は、男嫌いで」
小声で説明すると、ヴィクターは「ああ……」と呟いた。
「いるな、そういう人」
「う、うん」
「じゃあ、早いとこ出て行かないとな」
「……うん」
フィアは少し笑って言った。
ヴィクターはそれをじっと眺めて、「なぜ笑うんだ?」と眉をひそめて訊ねた。
「え?」
フィアは何を言われたのか分からなかった。自分が笑っていたことにも気づかなかったのだ。
「嬉しいのか? ここを出るのが」
「そ、そうじゃないけど」
「修道院の暮らしにも飽きたか。何もなさそうだしな、ここ」
「違うったら。──とにかく、わたしのことはいいの!」
フィアは無理やりヴィクターの言葉を遮る。
「あなたがここを出て行くってことは、元気になるっていうことでしょ? それは嬉しいもの」
「おまえも追い出されるんだろう。ここから」
「わたしは……あなたと違って、行くところがたくさんあるもの!」
フィアは強気で言った。けれどヴィクターはけだるげに頭を壁にもたれさせ、笑った。
「嘘つけ。どこの誰がおまえみたいな『お荷物』を引き取ってくれるっていうんだ」
「ひ、ひどいこと言わないで。わたしだっていろいろ……あ、当てはあります!」
それは口からでまかせではない。
実のところ少し考えているのだ。ここを出たらどこへ行くかは。
「おまえの兄貴なら、とっくに姿を消したぞ」
けれどその仄かな希望を、ヴィクターの一言があっさりと打ち砕いた。
「姿を消したって? ……どこにいるか分からないの? カレフ兄さん」
フィアは思わず身を乗り出し、目をみはった。
なぜ考えていることが筒抜けたのか分からないが、真相を知りたかった。
「知らん。王都にはもういないんじゃないか。異端者だし、追われる身だ」
ヴィクターは言って、わずかに肩をすくめて見せる。そして「いて」と顔をしかめた。
「『おまえの幸せを遠くから願っている』と、そんなことを言っていた気がする」
「う……」
フィアは泣きそうな気分になった。
本当に泣いてしまう。
ウルヴァキアに戻ってきたら、兄と一緒に暮らしたいと漠然と考えていた。──なのに。
「……泣くなよ」
ヴィクターがいつになく真面目に言った。
そして手を伸ばし、フィアの頬をふにゃりと親指で押さえる。
「おまえひとりくらい、食わしてやる」
「……食わしてやるって?」
フィアは潤みかけていた目を見開いた。
何やら、予想もしなかったことを言われている。涙も引っ込んでしまった。
「豆さえ食ってりゃ満足なんだろ? 安上がりにすむから引き取ってやるよ」
「……引き取ってやるって?」
「物分りの悪いやつだな」
ヴィクターは嫌そうに顔をしかめた。
「これ以上説明しないと分からないなら、もうやめる」
「わ、分かります。理解します!」
フィアは慌てて言った。
けれどひとつだけ気がかりなことがある。
「でも、お城に戻るんじゃないの……? ヴィクターさん」
「戻って何するんだ。どうせあの鬼畜野郎≠ノ掌握されてる」
ヴィクターはシグワスのことを思い出し、傷が痛みでもしたのか肩を押さえた。
「戻っても内乱になるだけだ。──それに決着はもうついてる。俺は負けたんだ」
「そ、そうよね。あなたは負けたのよね。シグワスさんに」
フィアは急いで繰り返した。
ヴィクターに今の気持ちを変えて欲しくなかったからだが、露骨に嫌な顔をされる。
「分かってても、人に言われると何か腹が立つ」
「ご、ごめんなさい。でも」
フィアは言葉を切り、正座のままヴィクターににじりより、ぐっと彼の手を握り締めた。
「い、いいことだと思う! 戦いなんて、その……わたしから見ると、すごく愚かしい、くだらないことだわ。そんなことより大事なことが世の中にはたくさんあると思う。畑を耕したり、釣りをしたり……」
「誰がそんな面倒くさいことをするか」
ヴィクターの言葉にフィアは目を点にする。
畑も耕さず、魚も釣らないで、どうやって生活していくというのだろう。
商人にでもなって、異国に絨毯を仕入れに行ったりするつもりだろうか……。
「……じゃ、どうやってお金稼ぐの?」
「傭兵か雇われ騎士」
ヴィクターの答えに、フィアはぎょっとした。
「ま、また剣を取るの!? 傭兵って……兵隊でしょ!?」
「どこか違う国で適当に戦争やって、人を斬って日銭を稼ぐんだ。楽しそうだろ?」
本気で楽しいと思っているのか、ヴィクターはいつになく穏やかに笑ってみせる。
けれど、そんな物騒な未来を穏やかに語って欲しくなかった。
「ど、どこが!? 結局人を斬るんじゃない!!」
フィアは顔を真っ赤にして怒鳴った。相手が怪我人だということも忘れて。
「生まれつき、人を斬るのが性に合ってるんだよ」
「そんな人はいません!!」
「うるさいやつだな……」
ヴィクターは顔をしかめた。
「ごちゃごちゃぬかすなら捨ててくぞ。ここに」
「わ──うぐ」
言いかけた言葉をフィアはごくりと呑み込んだ。そしてむせかえる。
水でも飲まなければやっていられない。
フィアはげんなりしながら外に出た。
そして、そこに発見する。仁王立ちになっている──ロゼッタを。


「ぎゃ……」
「ちょっとおどき。フィア」
ロゼッタは額に青筋を浮かべて言った。
てっきり自分が叱られると思っていたフィアは、その言葉に目をみはる。
「ど、どく?」
「そこの──ろくでなしと話があるっつってんのよ! さっさとどきなさいッ!!」
ロゼッタは雷鳴のような一喝を落とし、フィアを押しのけて荷台に乗り込んだ。
フィアは赤かった顔を一気に真っ青にした。
「ま、待って。ロゼッタ」
まずい。ロゼッタは手が早いから、ヴィクターでも殴り飛ばしかねない。
「殴っちゃ駄目よ! この人は怪我人なんだから──」
「自業自得でしょうが!! ふざけんのもいい加減にしろっていうのよ」
ロゼッタはフィアを振り向いて目をむくと、ヴィクターに向き直って指をつきつけた。
「傭兵? 騎士? ──ふん、上等だわ! あんたたち人殺しどもは、そうやって剣をぶんぶん振り回してりゃ生きていけるんでしょうけどね。そのせいで迷惑こうむるこっちの身にもなれってんだ! 第一、ろくな収入の当てもないのにフィアを連れて行こうなんて百万年早いっつーのよ!!」
ロゼッタは、修道院に来たばかりのときのような下町訛り≠ワるだしで怒鳴った。
ヴィクターはそれを無言で眺めていたが、「ああ」と思い出したように呟いた。
「シスター・ロゼッタか。仲良し修道女の」
ポンと手を打たんばかりの勢いだった。
「なんであんたがあたしの名前知ってんのよ……」
ロゼッタはぶち切れかけたが、その原因≠ノ思いいたってフィアを振り返る。
悪魔のような形相で睨みつけられ、フィアは震え上がった。
けれどなんとか笑ってみせる。つつかれれば崩れそうな笑みだったが。
「その、ちょっとだけ話したことが……あ、あったかな? えへへ……。覚えてないけど……」
「………」
「いつもそこの娘が世話になってるな。すまない」
その背中に向かって、ヴィクターが大真面目に言う。
ロゼッタはヴィクターを振り返り、真っ白になるほど拳を握った。
「フィアの世話に──なってるのはあんたよ、この、馬鹿男がーッ!!」
「ああ、そうか」
言われて初めて気づいたというようにヴィクターは眉をひそめた。
「本当だ」
「なんであたしが、あんたにフィアのこと謝られなきゃなんないのよ……」
ロゼッタはぶるぶると震えていたが、やがて急に「貧血になった」と言って荷台から下りて行った。どことなくふらふらした足取りで去っていくのを、フィアはどうしようかと迷いながら見送っていた。
後ろでヴィクターが横になる気配がした。
「疲れた……。ちょっと寝る」
その顔は本当に青ざめていた。長いあいだ起きていたので気分が悪くなったのだろう。
「起きたら何か食うから、適当にみつくろって持ってきてくれ」
「わ、分かった」
「それと、井戸はどこだ?」
「え? あ、あっちのほう……」
「喉が渇いた。水くれ」
こういうところは相変わらず王さま気分が抜けないのだと思いつつ、フィアは頷いた。
これから少しずつ、こういうところも直っていくに違いない。
せめて今だけは王さま気分を味わわせておいてあげようと思いながらフィアは井戸に走った。戻ってみれば、待ちきれずに眠ってしまったヴィクターに対面し、汲みたての水を持って途方に暮れることになってしまうのだが。