KNIGHT AND SISTER《騎士と乙女》

第四章 異国からの来訪者 4

「──何言ってんのよ、あんた、熱で頭がイカれたんじゃないの!? フィア!?」
言うなり、物凄い剣幕でロゼッタが怒鳴った。
「『王都に行く』ですって? ──あんた、自分がそこでどんな目に遭ったか忘れたの? 服をボロボロにされて泥まみれになって帰ってきたのよ、生きてるだけで奇跡だったっていうのにそれを──あのね、あ・た・し・が、何度あんたに言って聞かせたらわかるの。フィア!」
ロゼッタは凄みながら言葉を切り、まるで鬼のような形相で続ける。
「『王都は恐ろしいところで、都の人間なんて誰も信用できない』って言ったじゃないの!! あんたみたいなのは、スリに財布をすられて、迷子になったあげくに悪いやつに捕まって、身包みはがされて異国に売り飛ばされるのがオチだって、何度言ったら──」
「う……」
ロゼッタの剣幕に身を竦めていると、後ろで、ゲルトルードのため息が聞こえた。
「──そうギャンギャン怒鳴らないで、シスター・ロゼッタ。犬じゃないんだから」
「あなたは黙っててくれない? シスター・ゲルトルード。関係ないでしょ!」
ロゼッタがゲルトルードを睨みつける。その手は、フィアの肩を至近距離で掴んで離さないままだ。カッカして唾を飛ばさんばかりのロゼッタを目の前にしながらも、ゲルトルードは、あくまでクールさを保って肩を竦める。
「……あなたとわたしと、ここでの関係は対等だと思うけど?」
「フィアのことを言ってるの。あたしはこの子の保護者なの!」
ロゼッタが言い返すが、ゲルトルードがすかさず反論する。
「誰が決めたのよ、そんなこと」
「誰って……あっ、あたしがずっと世話をしてきたんじゃないの!」
「それはあなたがそうしたかったからでしょ。フィアは頼んでない」
「何よその言い草? あたしがしたくてしてたと思うの? フィアがあまりにも頼りないから、放っておけなくてしかたなくやってたんじゃない! この子はね、小さいころから修道院で暮らしてたから人一倍世間知らずで、不器用で──」
「そうやってよってたかって甘やかす必要があったの? 本当に?」
「何言ってんのよ? 現にこのあいだだって、夕食の材料を採りに行って迷子になって、おまけに足を滑らせて気を失ったじゃない! こんなマヌケがほかにいると思うの? 王都でも迷子になって荷物を失くしたし、挙句の果てにどこぞの男に乱暴されたりとか──」
「──ち、違うわ、ロゼッタ!」
フィアがたまらず口を挟む。
「乱暴は、されて──すっ、少しはされたけど、でも、こうやって今は平気だし! ……それに、さっきも言ったけど、わたしが王都に行かないとその人がどんな目に遭うか分からないの。わたし、どうしてもその人に会って、伝えないと──」
「っとに、救いがたいバカな子ね! あんたは黙ってなさいな!」
ロゼッタは悪魔のような目線を放ち、フィアの口を封じ込めた。
「その男に情が移ったのかもしれないけど、そんなのは一時的なことよ。あんたは男を知らないから、その男のことしか考えられなくなってるだけよ、今はね! ──だけど、会いに行くなんて言語道断よ。あんたをひどい目に遭わせるような男、あたしは絶対に許さない! 認めないからね!!」
「……シスター・ロゼッタ」
顔を歪めてわめき散らすロゼッタに、ゲルトルードが声を掛けた。
ロゼッタは振り向き、「何よ!?」とばかりに目をむいてみせる。
ゲルトルードはじっとロゼッタを見つめて、静かに口を開いた。
「──フィアの人生を束縛する権利が、あなたにあるの?」
「──だから、何度言ったらわかるの、あなたもフィアも!」
ロゼッタは地団駄を踏まんばかりの勢いだった。
「あたしはフィアを守りたいだけ、束縛なんてしてないわ! この子がもっとしっかりしてて、自分のことが自分でちゃんとできるんならあたしだって何も言わない。だけどそうじゃないでしょう、何をやらせても失敗ばかりで、読み書きはおろかお金の計算だってまともにできないのよ! そんな子を野放しにするって言うんなら、それは見殺しにするのと同じだわ!」
「読み書きは、たしかに、フィアはさぼってばかりいたかもしれないわね」
ゲルトルードが言った。
その言葉に、フィアの心が「うっ……」と痛む。
たしかに、読み書きの時間は『昼寝の時間』だと思っていた。院長にはいつもガミガミ叱られていたけれど、直すつもりはなかったし、──いや、直すつもりはあったけれど直せなかったのだ、要するに努力不足だったにしろ──字を読めないのが自分だけだということも、恥ずかしいと思ったことはなかった。──いままでは。
「でも、仕方ないじゃない。ここでは、そんなの別に必要がなかったんだから」
「わっ、わたし、これからはちゃんと勉強するわ! 読み書きも、計算も──」
「──必要ない!」
必死で言った言葉を、容赦のない強さでロゼッタが切り捨てる。
フィアの顔にショックが浮かんだ。
「でも、今、ロゼッタが……」
「いいのよ、そんなもの!」
言いかける言葉を、ロゼッタが遮る。
「読み書きが出来なくても、計算が出来なくても、ここでなら生きていけるでしょ? だからあんたはここにいればいいの。王都に行けば、またどんな目に遭うか──今度は生きて帰れないかもしれないのよ? ここ以上に安全な場所はないの。分かった!?」
「──フィアはあなたの『妹』じゃないのよ、シスター・ロゼッタ」
ゲルトルードが、黒い瞳に強い光を宿して言った。「身代わりにするのはやめて」
「──ッ」
ロゼッタが反論しようとして、一瞬、言葉に詰まる。怒りのあまり。
「誰が──身代わりになんか──ッ」
「あなた、前に自分で言ったじゃないの。『自分は妹を束縛しすぎた』って」
ゲルトルードが言った。ロゼッタの顔面が蒼白になる。
「な──」
「あなたには、その子がたったひとりの家族だった。だから、朝から晩まで働いて妹を養った。亡くなったご両親の代わりにね。──立派なことだわ。話を聞いたときは尊敬もした」
ゲルトルードは淡々と続ける。ロゼッタの顔色などに構いもせず。
「だけど、妹を大事に思うあまりに、妹を束縛しすぎていたのよ。分かってるわよね? だからわたしに話してくれたのよね? ……それなのに、その過ちをまた繰り返すの? あなたがフィアにしてることは、あなたが妹にしてきたことと同じよ。外出も恋愛も、あなたの許可なしには出来なくさせた。だから妹は出て行った。あなたを恨む言葉を残して」
「あ……」
ロゼッタは、いまや唇まで真っ青だった。
それを近くで見守るフィアも、まるで、自分が息が出来なくなるような気がした。
気丈なロゼッタ。大好きなロゼッタ──。
その彼女が、ゲルトルードの言葉に追い詰められている。いままで見たことがないほど震えて、今にも倒れそうな顔色で。──ふたりが話していることの内容は、フィアは、おぼろげにしか理解することができない。ロゼッタの過去は、切れ切れに、断片的にしか聞いたことがなかったから。
けれど、ロゼッタは、ゲルトルードには全て話していたのだ。
年が近いせいか、それとも、何か共鳴するものがあったのか。
──わからない。
けれど、そのふたりが、今や敵同士のように睨み合っている。
「本当にフィアを大事に思うのなら──」
ゲルトルードがロゼッタに詰め寄る。
ロゼッタは震えながらあとずさった。
「ときには手放しなさい! ロゼッタ!」
ゲルトルードが、押し殺した声で言い放つ。
「かわいいからって自分のそばに縛りつけて、どこにも行けなくすることが『愛』じゃない。それはあなたの『身勝手』よ。──世間に出れば傷つくこともあるわ。危険もあるわ。──だから何だっていうの? そうした結果、あなたの妹がどんな結論を出したのかよく思い出すことね」
それでも──。ゲルトルードは続ける。
「それでも、あなた、フィアをどこにも行かせないつもり?」
「あ──あなたに説教される筋合いなんかないわ! ゲルトルード!」
ロゼッタは泣きそうに見えたが、それを押し隠すようにわめき散らした。
「たったひとりの自分の家族を失う気持ち、あなたにわかるっていうの? いつも人と距離を置いて、人と関わらないあなたには──分からない。孤独が平気なあなたには分からないわよ! フィアにあたしが必要なんじゃない、あたしにフィアが必要なの! フィアがいなかったら、あたし──」
「──ちょっと、あなたたち、何を言い争いなどしているのです!?」
騒ぎを聞きつけたのか、ほかのシスターが駆け寄ってくる。
「院長がご不在だからといって、羽目を外しすぎですよ!」
青ざめて叫んだのは、副院長のシスター・ベセルだった。
寒いのか、肩にきっちりとショールを巻きつけている。がりがりに痩せていて、顔色も土気色、今にも死にそうに見えるが意外に頑丈な体力を持っている。ただ、プレッシャーがあるといつも寝込んでしまうことで有名だった。今現在も、院長の代わりを務めなければならないという重圧からか、風邪を患ってしまっていた。
「院長がご不在の今、皆で協力し合わなければいけないというのに……」
シスター・ベセルが咳き込みながら嘆く。
「……すみません。副院長」
ゲルトルードは素直に謝ったが、そのあいだに、ロゼッタはきびすを返していた。
「──どこへ行くのです、シスター・ロゼッタ! まだ話が──」
「話したくありません」
ロゼッタの言葉は、声こそ大きかったものの、呟きのように平坦な口調だった。
「ロゼッ──」
「ひとりにしてあげて、フィア」
追いかけようとしたフィアの腕を、ゲルトルードが掴む。
「で、でも──!」
「彼女を慰めたところで、あなたが王都へ行くのは変わらないんでしょう?」
ゲルトルードがロゼッタの背中に横目を流す。「……それとも、やめる?」
「わたし……」
フィアもロゼッタの背中を見つめ、声を詰まらせる。「わたしは……」
王都へ行くか行かないか。
そんな選択よりも、今は、傷ついたロゼッタをひとりにしておくことに耐えられない。
「……迷ってるなら、やめておくことね」
ゲルトルードはそう言って、フィアの肩にぽんと手を置いた。
「ロゼッタのことは気にしないで。……一度は言っておかなくちゃならなかったの」
考え込むように呟いて、ゲルトルードはゆっくりとその場から立ち去っていった。


「ロゼッタ」
──修道院が寝静まったころ。
就寝時間を過ぎているのは分かっていたが、それでも、ロゼッタの独房の扉を叩いた。
周囲に聞こえないように、ほんの小さな声と音とで。
「入っていい? ……入るね?」
言いながら、そっと扉を押し開ける。
フィアの独房とまったく同じ作りだ。書き物机とベッドがあるだけの狭く、寒々とした部屋。そのベッドの上に、毛布をひっかぶって丸まっている姿がある。急に息を押し殺したところをみると、どうやらまだ起きていたようだ。
「……ごめん」
フィアは、扉を閉めながら呟いた。
振り向くのがためらわれて、扉に額と両手を押し当てたまま、背中越しに話しかける。
「急に王都に行くなんて言って、驚かせて、ごめんね……。ロゼッタがあんなに反対するなんて、思ってなかったの……」
ロゼッタは黙っている。
フィアは涙が出そうになったが、扉が顔を隠してくれている。まだ大丈夫だ。
「でも、当然だよね。わたし、自分でも情けないくらい、頼りないから。足を滑らせて転んで気絶しちゃうし、大事な荷物もどっかに失くしちゃうし、こんなんで王都に行ったって、何もできずに終わっちゃうかもしれないって、自分でも思うし……」
ロゼッタは沈黙を保っている。
──眠っているのだろうか?
だとしても、伝えずにはいられなかった。
たとえ、ひと言も耳に届かないとしても。
「あれから、ずっと考えてたの」
フィアは呟き続ける。
「ロゼッタの反対を押し切ってまで、王都に行く必要があるのかなって……。……あのね、わたし、ロゼッタに束縛されてたなんて、思ってないよ。寂しいときいつも一緒にいてくれて、困ったときは助けてくれて、本当に、すごく嬉しかった……」
ベッドで、ロゼッタが身じろぐ気配がする。──寝返りか。
返事がないことに半ば諦めを抱きつつ、そっと瞼を伏せる。
「だから、……だから、わたし、ここにいるね……。王都のことは心配だけど、わたしが行ってもどうにもならないかもしれないし、ほかにたくさん頼りになる人もいるし、それに、わたしが寂しいときに一緒にいてくれたのはロゼッタだから。ロゼッタが辛いんだったら、わたし、ここを離れるなんてできないから……」
──ふいに、ベッドが音を立てて軋んだ。
驚いて振り向くと、ロゼッタが身をよじり、顔を伏せて体を震わせていた。
「──ロ、ロゼッタ! どうしたの? どこか具合が悪いの!?」
駆け寄ると、ロゼッタがそれを振り払うような仕草をした。
「なんでもないわ、フィア。……なんでもない」
そう言いながらも、ロゼッタは明らかに泣いていた。泣きじゃくっていた。
宙に浮いているその手を取り、フィアはそれを両手で固く握り締めた。
ベッドの横に跪き、祈るような格好でロゼッタを見上げる。
「ごめんね。……悲しくさせて、ごめんね。ロゼッタ……!」
震える肩から、ロゼッタの悲しみが伝わってくる。フィアは思わず涙ぐんだ。
「……違うの」
ロゼッタは頬に流れる涙を乱暴に手のひらで拭うと、鼻をすすり、振り向いた。
泣き濡れた顔は、月の光の届かない部屋ではよく見えない。
「こんなふうに、あの子とも、話せたらよかった──……って」
ロゼッタが、言いながらフィアを抱きしめた。強く。
フィアの柔らかな体が、折れそうなほどに反り返る。
痛くも、苦しくもなかった。むしろ心地よいくらいだった。
「何も言わずに出て行ったわ。──前の日に、泣きながらこう言ってた。『幸せでなくてもいいから、自分の選んだ人と一緒になりたい』って。あたしはそのときも反対したわ。『あんな男、弄ばれて捨てられるのが目に見えてるわ! やめなさい!』って。──だって、妻子持ちのくせに、二十も年下の妹をたぶらかすようなロクデナシだったのよ。賛成できるわけがないじゃない。……だけど、それでも、あの子は出て行った。『幸せ』よりも『自由』を選んで」
泣きながら、ロゼッタがフィアを抱きしめて言う。
「──どうせ何をしても止められないのだったら、それが分かってる今だったら、もう少し違う風にあの子を送り出せたかもしれない。……だけど、あのときのあたしにはできなかった。それを悔やんでたはずなのに、また、同じ失敗をするところだった……」
「わたし、もう、王都へは──」
「好きな人がいるんでしょう?」
ロゼッタの言葉に、フィアは仰天して身を離した。
「すっ、好きな人!? ──違うわ、わたしは──」
「隠さなくていいわよ。あんたのことは、見てればだいたいわかるわ」
ロゼッタは鼻水をすすると、ちょっと笑ってみせた。無理やりに。
「……仕方ないわよね。あんただって、いちおう、女の子なんだし」
「わ、わたし、修道女だし──恋なんて、見たことも聞いたことも」
うろたえて否定するフィアを、ロゼッタがもう一度抱きしめた。
「もう、なんだっていいわ。……とにかく、ちゃんと、ここへ帰ってきて。一度きりでもいいから、それでも、戻ってきて」

──「約束して」。

耳のそばで震えて聞こえるロゼッタの言葉に、フィアは戸惑いながらも頷いた。
「うん、約束、する、……けど、わたし、用事が済んだらすぐに戻ってくるから」
「……そうなるかもね」
ロゼッタは少し笑った。「その男が、とんでもないロクデナシだったら」
そう言われて、フィアは、ぼんやりとヴィクターの顔を思い浮かべた。
(ロクデナシ……)
「……まあ、何も知らないあんたを誘い込んで手篭めにした挙句、ふらふらと修道院に送り返すような男だから、どう考えたってロクデナシに決まってるけどね。泣いて帰ってくるのが関の山よ、フン!」
「……『テゴメ』って何?」
フィアは訝しげな顔で訊ねた。
ロゼッタは幾分、脱力しながら「……鳥の仲間」と答えた。いい加減な口調で。
「鳥の仲間……」
だとしたら、自分は、彼によって鳥にされてしまったということなのだろうか。
そういえば、ヴィクターが、自分のことを「鳥目だ」と言っていなかったっけ。
フィアはショックを受けた。「わたし、人間なのに……!」
「じゃ、あたし、そろそろ寝るから……」
ロゼッタはそう言うと、頭から毛布をかぶってバタリと倒れこんだ。疲れたように。
「え、もう寝るの? お話ししない?」
「……あんた、明日朝早いんでしょ?」
ロゼッタが毛布の下から言った。
「え? わたし、明日は水汲み当番じゃ……」
「王都に行くんでしょ。……伝えたいことがあるって、言ってたじゃない」
「……行ってもいいの?」
フィアは茫然として訊ねた。
「あたしには止められないわ。あんたの人生は」
ロゼッタはどこか諦めたように言うと、「おやすみ」と続けて言った。
その言いかたに突き放すところはひとつもなかった。──優しかった。
フィアは感極まり、毛布の上からがばっとロゼッタを抱きしめる。
「痛いってば、フィア」
「……ロゼッタ、ありがとう!」
「……いいから、早く寝なさい」
「うん。……おやすみ、おやすみなさい……」
毛布ごしに、ロゼッタの肩に頬を押し当てる。
ロゼッタは手を伸ばしてフィアの頭を撫でた。──けして、顔は見せずに。