KNIGHT AND SISTER《騎士と乙女》

第四章 異国からの来訪者 5

執務室を開けると、そこは、──書類の山だった。
「……なんだこれは」
ヴィクターは呟き、足の踏み場もないかのようなそれらをまたぎながら机に向かう。
彼の机の上も、目を覆いたくなるようなひどい惨状を呈していた。椅子が見えないほどの書類の山はつつけば崩れそうだったし、それでも乗り切らなかった分は、絨毯や壁際にうず高く積み上げられていた。
「……レヴィン?」
部屋の中にその姿がないのを分かってはいたが、それでも、呟かずにはいられない。
書類の山──もしくは海──の中で茫然と立ち尽くしていると、半開きのままだった扉が開き、振り返るとそこに、書類の束を抱えて顔すら見えなくなっているジョシュア=ダリュー──十九歳の新任の執務補佐官補佐──の姿があった。
「──あっ! ……え、ええと、すみません! すぐに片付けますから!」
ジョシュアは慌てて叫んだが、ヴィクターは訊かずにはいられなかった。
「……どうやって?」
「そ、それは……」
ヴィクターの質問は何かの核心を突いたと見えて、ジョシュアは言葉に詰まった。
やがて彼はよろめきながらレヴィンの机に辿り着くと、書類の束を置いて涙ぐむ。
「わ、分かりません……。もう、どうしたらいいのか、僕には……」
「捨てるか」
ヴィクターが淡々と呟くと、ジョシュアは音を立てて真っ青になった。
「──そ、そんなことはっ!! どれも大事な書類ばかりで──」
「冗談だよ、ジョシュア。……それより、レヴィンはどこだ?」
「それが、もう三日も登城しておられないんです! ご自宅へ伺っても、使用人さえいなくて……」
ジョシュアは泣きそうな顔で言った。
ヴィクターは眉をひそめる。
「三日も? 道理で、顔を見ないと思ってたが……」
レヴィンが前触れもなく姿を消すことは、わりとよくあることだった。
ふらりと出かけて、ふらりと戻ってくる。どこで何をしているか、いちいちヴィクターに言わないし、ヴィクターも報告を求めない。そういう関係が成り立っているのである。
(そうか。レヴィンがいないから、こんなに書類が……)
三日も留守だと聞いて、ようやく、ヴィクターはこの部屋の惨状が納得できた。
本来なら、これらはレヴィンが事前に目を通し、選別しておくべきものである。そして「どうしてもヴィクターの判断を仰がねばならない」と彼が判断したものだけが、『国王の執務』としてここへ運び込まれるのだ。──通常は。
ヴィクターは書類の山を崩さないように椅子の側に回り込みつつ、口を開いた。
「レヴィンは、邸には使用人を置いていない。城の客室に寝泊りしてるからな」
「はい、そう伺って行ってみましたが、そちらにもいらっしゃいませんでした」
ジョシュアは首を振ってみせる。
「使用人の話では、三日ほど前に出かけたきりだと……」
「……三日前」
椅子に座りながら、呟いて考え込む。
──三日前と言えば、ちょうど、自分がフィアを城から連れ出したころではないか? そして修道院まで送り届け、城に戻ったときには、朝を通り越して昼近くになっていた。レヴィンと顔を合わせたのは夕方で、そして、彼はここで──

──『あの小娘を始末してください。──口封じを!』──。

(──まさか、な……)
いくらなんでも、追いかけて行ってまで、あの『小娘』を始末するなど。
(そこまで暇じゃないだろう、あいつも。……第一、素性も知らないのに)
心の中で否定するが、不安が、頭の片隅にこびりついた。
レヴィンなら、フィアの素性を調べ上げることなど容易いはず。あの男は、この国にまるで蜘蛛の巣のような情報網を張り巡らしている。どんなに隠しても弱みを見つけられ、握られることで、貴族たちは『悪魔の目』と呼んでレヴィンのことを恐れているほどだ。
だが──。

──『そいつの首をへし折るのは勝手だが──』──
──『そうするなら、俺とおまえの関係も終わりだ。
    そいつを殺すからじゃない、おまえが、俺の命令に従わないからだ』──。

(俺の命令に逆ってまで──?)
それでも、やるだろうか?
自分自身に問いかけてみるが、答えは、ヴィクターの胸のうちにあるはずもなかった。それを持っているのはレヴィンだけだ。そのレヴィンをヴィクターは信用──信頼──しているが、しているからこそ、もしかしたらレヴィンはそれを実行するのかもしれないと思う。
ヴィクターに対するレヴィンの執着は並々ならぬものがある。
単に主君と家臣という関係を超えて、何か、ヴィクターを自分の精神の一部のように思っているふしがある。──互いにそうだ。ヴィクターは頭脳労働をレヴィンに任せきりだし、レヴィンはレヴィンで、ヴィクターの肉体を通して自分の理想を実現しようとしている。
美しい過去を語れる人間ではない──と、そう、言っていた。
己の過去が血塗られているとでもいうのか? 自分のように?
だとしたら、それを捨てたくてここへ来たのではないのか。
「おまえが手を汚す必要などないのに……」
椅子に座りながら呟いた言葉を、聞いてジョシュアが不思議そうな顔をする。
──と、ふいに扉を叩く音がした。
「なんだ?」
問いかけると、「失礼いたします」という声とともに扉が開いた。
隙間から顔をのぞかせた衛兵が、一瞬、部屋の惨状に怯んだような顔をする。だが、すぐに自分の役目を思い出したようだ。慌しく一礼し、口を開く。
「大司教さまが陛下に謁見を願い出ておられますが、いかがなさいますか?」
ヴィクターは書類を繰ろうとしていた手を止め、顔を上げて訝しげな表情をした。
「謁見? 大司教が? ……そんな予定は聞いていないぞ。謁見の日でもないし」
「そうご説明申し上げましたが、お聞き入れいただけず、今は控えの間でお待ちに」
「……待たせているのか」
ヴィクターはため息をついて言った。
「では、いまさら帰れとも言えないな。仕方ない」
机に手をついて立ち上がると、無我夢中で書類を読み漁っているジョシュアを振り返る。
「しばらく席を外すよ、ジョシュア。……君も少し休憩しろ。後で一緒に片付けよう」
「そ、そんなわけには……」
「仕事がしたいなら、掃除だけ頼む。通り道だけでいい」
そう言いおいて、ヴィクターは執務室を後にした。
衛兵の先導を受けながら、謁見の間へと向かう。途中、すれ違う人々から深々と礼を受けるのも、見飽きた光景だった。もはや特別に注意を引くようなものがなければ、視界にすら入らなくなってしまっている。
(慣れは怖いな……。まだ、即位してから日は浅いのに)
そう思いながら歩いていると、ふと、中庭に面した柱の陰に人影を見つけた。
フードつきの黒いローブを着た、長身の男らしき人影。顔は、フードで隠れてよく見えない。
どことなく奇妙な感じがして視線を向けると、その謎の男は、ヴィクターにだけ見えるようにわずかに顔を上げてみせた。──目の下が黒く彩られている。頬には赤い染料が、何かの呪いのように塗りつけてあった。
(……なんだ?)
剃り残しのあごひげ。浅黒い肌の色。
まるで、異国の曲芸師か呪術師のような怪しい風体だ。
思わず誰何しかけたが、すんでのところで言葉を呑み込む。その瞬間、謎の男も、まるで察したかのように身を翻して姿を消した。中庭の木陰の向こうへと。ヴィクターはかすかに青ざめた顔でそれを見送った。
「……陛下?」
歩みを止めたヴィクターを振り返り、衛兵が怪訝な顔をしてみせる。
ヴィクターは息を呑み、衛兵に訊ねた。
「いまの男を……見たか? ……顔を?」
「……は、どの男でございましょう?」
衛兵が慌てて周囲を見回した。
「いや……いい、……気のせいだった」
ヴィクターは首を振ると、再び歩き出した。
「それより、大司教を待たせるとまずい。急ごう」
「はっ」
衛兵が足を速める。
それを追いかけながら、ヴィクターは後ろを振り返った。

──あの男はいなかった。

(気のせい……か……?)
あんな派手な化粧をして、あんな目立つ格好で、この城内をうろついているのか。いったいどこの何者だ。そう疑問に思い、衛兵に問いただしかけたとき、あの男はたしかに──笑ってみせたのだ。自分に向かって。自分だけに向かって。
顔はフードに隠れて見えなかったが、その笑みには見覚えがあった。
(まさか、な……)
ヴィクターは首を振ると、急ぎ足に戻す。
考えるべきこと、やるべきことは山のようにあるというのに、未だに眠りの浅い夜が続いている。ふとした物音で飛び起きてしまういまの自分なら、蓄積した疲労のせいで妙な幻覚を見たとしてもおかしくはない──そう、自分に言い聞かせながら。


細長い長方形の謁見の間はがらんとしており、人けはなかった。
いつもなら、玉座のあたりにレヴィンや衛兵が控え立ち、そこから数段下がった床に、さまざまな身分の人々が跪いて順番を待つ姿を見られる。それは時には長い行列となり、謁見の間から外へとはみ出すこともある。人を待たせるのが嫌いなヴィクターには耐え難い光景ではあったが、レヴィンからは「毎日謁見していては身が持ちません。週のはじめだけで十分です」と釘を刺されていた。──そして、今日は謁見の日ではない。
「……お待たせいたしました。申し訳ない」
玉座に向かいながら、ちょうど、謁見の間へと通されてきた大司教に声を掛ける。
「前触れなくお越しになるとは思わなかったので、少し驚きました。……本日はどのようなご用向きで? 聖母の教えについてなら、このあいだの半日で、一年分ほどご講義いただいたように記憶しておりますが……」
玉座に座り、足を組みながら明瞭な口調で冗談を言う。
「聖母の教えについては、学びすぎるということはございませぬ。ヴィクター陛下」
高齢のため、最近は耳が不自由になった大司教が、必要以上に張った声で答える。
「それについては、また、いつでも続きをお話しいたしますぞ。……なんでしたら、明日のミサにおいでになっていただければ。わたくしもいつまで説教壇に立てるか分かりませぬゆえ」
そう言って、屈託なく笑ってみせる。
今は干からびて小柄になっているが、昔は精神も体も屈強だったのだろうと思わせるような老人だった。ヴィクターは好意的な笑みを返し、「時間があれば、ぜひ」と答えた。──教会はこの世で最も嫌いな空間だ、と言ってもよかったが、わざわざ口にするほど暇でも残酷でもなかった。
「……それで、わたしに何か話が?」
訊ねると、大司教は頷いてみせる。
「ええ、しかし、わたくしではなく伴の者が話します。……エドアルド卿!」
大司教が声を張り上げると、控えの間と繋がる入り口に人影が浮かんだ。
そのまま謁見の間に進み出てきたのは、まだ二十代前半とおぼしき若者だった。肩につかえるほど伸びた髪、ほっそりした体つき。色白で端正な顔立ちは、遠目に見れば、女性かと見まごうほどに美しかった。
「こちら、ヴァレンヌ法皇国から使者として参られた『エドアルド=グアテロ子爵』でございます。イグナ・レオナ法皇猊下じきじきのお言葉を、ぜひとも陛下に伝えられたいとのことで……さ、エドアルド卿、あとは自身でお話を」
大司教に紹介され、エドアルドという名のその若者が一礼する。
「新国王、ウル=ファルス=ヴィクター=シヴェリウス陛下、お初にお目に掛かります」
麗しい声で言いながら顔を上げ、柔和な笑みを浮かべる。
「この度は無事のご即位、まことにおめでとうございます」
その言葉に、黙って頷いてみせる。
何を言えばいいのか思いつかないときはとりあえず頷いておけばいい。──レヴィンの入れ知恵だ。必要とあらばいくらでも社交辞令を述べられるが、そうしている自分をあまり好きになれない、というよりも嫌悪に近い感情を抱いてしまうヴィクターにとっては、それは実に有用な助言だった。
「それでは、わたくしは先に下がらせていただきます」
大司教が軽く咳払いして言った。「少々、用事が……」
ヴィクターはやや意外そうな顔をみせたが、すぐに頷いた。
「どうぞ、ご遠慮なさらず」
この年になると立ちっぱなしはこたえると、戴冠式の前に愚痴っていたのを思い出したのだ。
「また、ミサのときにお話を伺いに参ります」
「喜んで、陛下。それでは、失礼いたします」
大司教が法衣の裾を引きずりながら下がっていく。
それを目で追っていたエドアルドが、ふっと、ヴィクターに向き直った。

「『我が法皇猊下におかれましては』──」

しばらくの沈黙のあと、エドアルドはお決まりの文句で切り出した。
「──神聖なる戴冠の儀式に参列できなかったことを大変、残念に思っておいででした。しかしながら、猊下の代理人たる『オルカンヌの聖女』の手により、無事、その威光を示せましたこと、また、その後も両国のあいだの友情と親愛にいささかの揺るぎもないことを改めて確認され──」
心から安堵しておいででございます。
その長く、退屈な口上を聞きながら、ヴィクターはわずかに顔を伏せた。
(レヴィンの留守中でよかった)
そう思い、思わず苦笑が浮かんだのを隠すためだ。
もしいたら、いまごろ、右の肩越しに殺気を感じていたことだろう。法皇のことを『女狐』と呼んで憚らぬレヴィンにとっては、エドアルドの口上は聞き捨てならぬものに聞こえるに違いない。
「よく分かった」
ヴィクターは、肘掛けに肘をつきながら言った。
「わたしも、戴冠式に法皇猊下のご臨席を賜れなかったことを、『大変』、『残念に思っている』。だが、卿の言う通り、両国の関係に『いささかの揺るぎもない』。その点は安心していただきたい」
レヴィンならこんな風に嫌味を言うだろうか、と思いながらにっこり笑ってみせると、先ほどまで柔和に微笑んでいたエドアルドの顔が一瞬にして暗く翳った。──まるで、蝋燭の灯りがふっとかき消されてしまったかのように。
(……冗談が通じないやつだったか?)
内心で危惧しかけたが、エドアルドはすっと頭を下げた。
「国王陛下のお言葉、法皇猊下に、しかと伝えておきます」
そう言って、再び顔を上げたとき、──別人かと思った。
花のような美しい外見に変わりはないが、そこに浮かんでいるのは、毒々しいにおいを放つ歪んだ微笑みだった。ヴィクターは思わず息を呑んだが、エドアルド本人に自覚はないのか、露骨に唇を歪めたまま次の言葉を吐く。
「では、本題に入りましょう。その『オルカンヌの聖女』の件です」
その言葉に、ヴィクターの指がぴくりと動く。

──『オルカンヌの聖女』。

「……何かな?」
「戴冠式の壇上で、聖女は気を失って倒れられた。それを、陛下自らが抱きかかえて控え室に運んでくださいましたね。儀式に参列した者はみな、その光景を見ております。──その後、陛下は市街へパレードへ。そのあいだ、我々ヴァレンヌの者が教会の控え室に入ろうといたしましたが、衛兵に固く拒まれて入れませんでした」
「……卿は聖女の『お供』のかたであったのか?」
ヴィクターは眉をひそめて訊ねた。
「聖女は、おひとりで王都にいらっしゃった──と、報告を受けていたのでね。大事があってはいけないと思い、『お目覚めになるまで誰も近づけぬように』と、念のため護衛させていただけだ。……そのような行き違いになったのであれば、申し訳なかった」
「パレードから戻られたあと、陛下は教会にお立ち寄りに」
「……なったかな。忙しかったので覚えていないが……」
「そして、控え室から聖女を連れ出した。そうですね?」
エドアルドが、ヴィクターを睨み据える。
ヴィクターも、エドアルドを見つめ返した。
ふたりのあいだに沈黙が流れる。──やがて、口を開いたのはヴィクターだった。
「……ああ、そう言われれば、そうだったかもしれないな」
彼は少し笑った。
「わたしの記憶より、卿の記憶のほうがたしかなようだ」
「では、思い出させてさしあげましょう」
エドアルドが不気味な笑みを浮かべる。
「あなたは教会に立ち寄り、それから、近衛騎士に命じて聖女を連れ出させた。その騎士と、ほかの大勢の騎士たちを伴い、祝典のために城に戻った。──あなたは正門から、その騎士は裏門から。……何か後ろめたいことでもあるかのように、別々にね……」
もはや、エドアルドには自分を偽るつもりが微塵もないらしかった。
最初の、礼儀正しく美しかった仮面を脱ぎ捨てて、いまや剥き出しとなった敵意を隠そうともしない。これほどまでに強い敵意を向けられる理由が、ヴィクターには分からなかった。いまの立場になってから、敵意を抱かれることは数多くとも、あからさまに見せつけられることはなかったからだ。──そのような命知らずはいなかった。少なくとも、この城の中には。
(もう少し長く隠しておけばよかったものを……)
残念に思った。──相手の、ために。
「──……思い出したよ。ありがとう」
ヴィクターは顔を上げると、静かに言った。
それから、ゆっくりと肘掛けに肘をつく。片側にもたれこむように。
「貴殿は頭の後ろに目でもついているのか? エドアルド卿。だとしたら羨ましい話だ」
「人を顎で使えるのは、何も、国王だけの特権ではありません」
エドアルドは唇を歪めて言った。
「それに、あなたは目立つ立場のおかたですからね……」
「聖女を城にお連れしたのは事実だ。長旅と、慣れぬ緊張で疲れ果てておられたのでね。それからのことは配下の騎士に一任した。わたしは祝典に出なければならなかったし、次の日も、朝からなんだかんだと行事ばかりだった。……なんなら、そのときの騎士をここに呼ぼうか? わたしはいつ聖女がお帰りになられたのか存じ上げないが、その騎士なら事情を知っているだろう──」
「──そのような必要はございません」
謁見の間に、別の声が響き渡った。
「………」
ヴィクターは声のするほうに視線を向けた。──確認するまでもなかったが。
「本日は謁見の日ではございません。陛下。──執務室に、国の大事を左右する書類が山のように積み上げられているのをご存知でいらっしゃいますね? ただちにお戻りになっていただき、執務を再開していただかなくては。このような場所で、わけの分からない『戯言』に付き合っている暇などないのです」
「……レヴィン」
ヴィクターは脱力して訊ねた。「いつ戻った?」
「さきほど。その足でここへ」
レヴィンはさらりと答えると、いつも通り一寸の隙もない礼服姿でエドアルドを見返る。
「エドアルドとやら。謁見なら日を改めて願い出ていただきたい。本日はこれで」
「……何者か知らないが、こちらの用件はまだ終わっていない。邪魔立てするな」
エドアルドが目を細め、怒りの表情でレヴィンを睨む。
「『邪魔』?」
レヴィンの眉が急角度に吊り上がった。
「おまえの無礼な言葉の数々、不敬罪として今すぐ首を刎ね飛ばしてやってもいいくらいだ! それを容赦してやろうと言っているのだ。分かったら今すぐここを出て行くがいい!」
「おい、レヴィン、相手はヴァレンヌの使者だぞ。もう少し丁重な言葉──」
そばに立っているレヴィンに向かって囁きかけたが、逆効果だったようだ。
「──ヴァレンヌ!」
レヴィンは、まるで眩暈でも感じたかのように顔を押さえる。
「ヴァレンヌの使者ごときに……言いたい放題言わせておくとは情けない! それでも国王ですか!? 戴冠式にも姿を見せなかったような不義理な『女』に、こちらから義理立てする必要などございません。同盟の縁を切られなかっただけでも感謝して欲しいくらいです」
瞬間、破裂するような勢いでエドアルドが叫んだ。
「貴様──神聖なる法皇猊下を『女』呼ばわりするか、下郎ッ!!」
「……おまえのような下賎に『下郎』呼ばわりされる筋合いはない」
レヴィンはエドアルドに視線を向けると、冷ややかに言い放った。
「退がれ。目障りだ!」
その言葉に、エドアルドが目をみはる。
隣にいたヴィクターも、目をみはった。
「何をグズグズしてる。牢にぶちこまれたくなければさっさと失せろ!」
レヴィンが吐き捨てると、エドアルドは歯軋りして身を翻した。
男にしては細い背中がみるみる遠ざかり、謁見の間から消える。
ヴィクターはあっけに取られてその光景を見守っていた。
「チッ……わたしがいれば、あのような者をここに通しはしなかったものを!」
レヴィンの言葉に、思わず、呆れたような顔になる。
「……やりすぎじゃないか?」
「いえ、あれでいいのです!」
レヴィンは忌々しげな顔のまま言った。
「あの小綺麗な顔、見たでしょう。……法皇は法皇府の中にハーレムを作ってるんですよ。あれはそのひとりです。法皇の足の指を舐めるしか能のない男娼まがいの者が、なんの権利があって国王を──あなたを──弾劾などしなければならないのです! 気分が悪い!」
「………」
レヴィンの怒気にあてられて、ヴィクターは何も言うことができなかった。
「おまけに、また、あの──」
存分に怒りを放出したのかと思いきや、まだ、腹に据えかねるものがあるらしい。レヴィンは拳を握り締めると、ぶるぶると震わせながら肩越しにヴィクターを睨みつけた。
「あの……シスター・フィア……とかいうチンケな小娘のせいで、また頭を悩ませなければならないと思うと──あんな、どうでもよさそうな小娘ひとりに振り回されて──!」
「レ、レヴィン、そのことだが……」
両手の手のひらをあげて制しようとしたが、レヴィンはくるりと振り向くと、「だから……しろと言ったじゃありませんか! 何がどうなったら、あの小娘のことでヴァレンヌの使者に文句を言われるような複雑怪奇な状況に陥るのか、じっくり、たっぷり、聞かせていただきましょうか! ヴィクター様!!」とわめき散らした。
ヴィクターは片手で顔を押さえ、ため息を押し殺した。
「わ、分かった。分かったから、とにかく場所を……」
変えよう、と、力のない声で言う。
さっきのやつと話してるほうがマシだった、と思ったが、口に出せるはずもなかった。