KNIGHT AND SISTER2《騎士と乙女2》

第一章 修道女は絶世の美女! 6

その人物は肩と腕についた葉っぱを、落ち着き払った態度で払い落とした。
けれど威厳が足りないことは否めない。なぜなら頭に、大きな葉っぱをくっつけたままだったからだ。彼はそれに気づかないらしく、無邪気きわまりない笑みを浮かべて「やあ」と言った。
「こんにちは、シスター・フィア。……そろそろ、こんばんは、かな?」
現れたのはデュリだった。
フィアは唖然としたままでいる。デュリは今日は服を着ており、しかも上等の礼服だったのだが、そんなことはこの際関係がなかった。大事なのは、なぜこんなところに現れたのかということだ。しかも茂みの中から。
「約束したのに、君はあの場所にいなかった」
デュリは呟いた。
「だって」
フィアは息を呑み、やっと事態を呑み込んだ。我に返る。
「あ、あのときは誰もいなかったもの。これでも一応、待って──」
「──くれたんだ?」
デュリはじっとフィアを見つめる。その瞳の真剣さにひるんだ。
「待ちましたけど、でも、そんなに時間がなかったから……。また明日会えると思って」
言い訳じみた言葉になってしまった。
けれどデュリのほうは、それで十分に嬉しかったようだ。
「そう」
彼は微笑んだ。
「ごめん。本当は行かなかったんだ。行きたかったけど、用事があって」
「そ、そうですか。別に構いませんけど、でも今日はどうしてここに?」
フィアは言って、デュリを見上げる。
「こちらにも修道女がいると聞いたから。……姉らしき人がいないかな、と思ってね」
「また忍び込もうとしてたんですか?」
「そういうわけじゃないけど……」
そんなやり取りをしているうちに、フィアは突然思い出した。
「──あっ、そういえば!」
空になった杯を勢いよく放り投げ、思わずデュリの手を握る。
デュリは投げ捨てられた杯を呆然と見た。
それはだるそうに地面を転がっていった。
「あなたのお姉さんらしき人、見つけたんですよ!」
「……え?」
デュリの目が見開かれる。
フィアは力強く頷いた。
「まだ、そうと決まったわけじゃないけど。でも、すごく綺麗な人なんですって。それに、聞いて驚かないでくださいね──その方はなんと公爵家のご令嬢なんです! もしかしたら、あなたの生き別れのお姉さんって、貴族の方なんじゃありませんか!?」
「貴族?」
フィアは彼の手を掴んだまま、ぶんぶんと上下に振った。
「ええ。だってあなたも今、まるで貴族の方のような服を着ているし」
「これは……」
デュリはそのまま黙り込む。
それ以上彼が否定しなかったので、フィアは勢い込んで続ける。
「良かったですね、デュリさん! きっと、その人が生き別れのお姉さんですよ。なんとなくそんな気がします。だって、あなたのお姉さんなら、絶対に綺麗な人だろうと思──ひっく!」
フィアは急にしゃっくりをした。だが、気にせずに続ける。
「思っていたから……」
「君、酔ってるの?」
デュリが目を見開く。
「えっ? そんなことありませんよ?」
言いながら、フィアはまた小さくしゃっくりをした。
「別に……」
「でも、顔が赤いよ」
「えっ、ほんと?」
「何を飲んだの? さっき、何かの杯を投げ捨てていたけど……」
「投げ捨て? そんなこと──あ、えっと、蜂蜜入りのワインですけど」
「そんなもの飲むの!?」
「ここでは、そうみたいですね」
フィアは頷いた。
修道院では、食事のときにワインを飲むのは普通のことである。ただ山奥の貧しい修道院で育ったフィアには、それはそれほど馴染みのある習慣ではない。食べるものにも困窮していたため、ワインなどは祝いの日にしか振舞われなかった。それもひどく酸っぱくて渋いものだ。
それに比べて、こちらで出るワインは質がいい。蜂蜜など入れると、つるりと飲めてしまう。
「あの、わたし……酔っています?」
フィアは自信のない声で訊ねた。
自分では良く分からなかったが、指摘されるということはそうなのかもしれない。
「たぶん」
デュリは地面に転がっている杯に目をやって頷いた。
「そ、そうですか。それじゃ、冷たい水でも飲んできます」
フィアはふらふらと引き返しかけた。
「あ、その前に」
その腕を、デュリはすっと掴む。
「は……はい? ──っく!」
振り返り、止まらないひゃっくりにさすがに気恥ずかしくなる。
なんとかして抑えようと、フィアは自分の胸に強くこぶしを押しつけた。
「なんでしょうか」
ぎこちなく訊ねると、デュリは葉が絡みついた自分の髪を指先でつまんでみせた。
「さっき、葉が引っかかってしまったみたいだ。悪いけど、取ってくれないかな?」
「あ、はい」
フィアは快く頷き、手を伸ばす。
デュリもわずかに上体を曲げて、フィアのほうへと顔を近づけた。
「──ひっく!」
悲しいことに、なかなか止まってくれない。
我慢しようとして少し苦しくなってきた。
「知ってる?」
デュリの髪に指を触れさせたフィアに、彼が低い声で囁きかける。
「え? 何を、ですか? ──ひっく」
酔いと、苦しさとで赤くなった顔で訊き返す。
絡みついた葉はなかなか取れない。
周囲に、ぐるりと鋭い棘のようなものがついているせいだ。これが細い髪を絡め取っている。無理に引っ張ったら綺麗な髪を傷めてしまいそうに思え、どうしても慎重にならざるをえなかった。
「驚くと治るそうだよ。それ」
彼は至近距離から、真剣な口調で言った。
「何が?」
「その、君の唇から漏れる……」
心なし、甘さを含んだ声が耳朶を打つ。
「ひゃっくり?」
「そうそう。それ」
言うなり、デュリの唇がそっとフィアの頬に寄せられた。
あまりにも自然な動作だったので、身構える隙もなかった。
何が起こったのか分からなかった。──何が起こっているのか。
ようやく分かって、ぎょっと身を離そうとしたときには遅かった。
首の後ろを手のひらで押さえられ、華奢な体つきからは想像もできないほど強い力で抱き寄せられて身動きができなくなる。押しつけられた柔らかい唇は一度として離れることなく、ためらうこともせずにフィアの唇を塞ぎ続けた。


目を見開く。
そのうちに息苦しくなり、ぎゅっと目を閉じた。
ようやく離してもらえたときには、驚きと憤りでフィアの息は乱れていた。
「なっ──何、を──」
「止まったんじゃない?」
デュリはすっと目を細めた。自分の唇を拭うように薬指を這わせながら。
「え!?」
フィアは愕然となった。
デュリは肩をすくめてみせる。
「ひゃっくりさ」
「ひゃっくり!?」
それがなんだとばかりに鸚鵡返しに聞き返して、それから気づいた。
──たしかに止まっている。
「だっ、だからって──」
デュリは知らん顔で、何か言いたげに空を眺めた。
「もう暗くなってきたなあ。そろそろ帰らないと」
それを聞いてフィアは我に返った。
──そうだ。
もうそろそろ夕食の時間になる。本当なら孤児院を出て、修道院に戻っているはずの時間だ。それを知っているから、ここの修道女たちもフィアを呼びに来たりしない。きっともう、修道院に戻ったと思われている。
今さら挨拶だけをしに戻るのも変だ。まだいたのか、と妙に思われるだけだろう。
「し、修道院に戻ります……」
フィアは力なく呟いた。
「酔いも覚めたみたいだし、いいんじゃないの?」
デュリは屈託なく笑ってみせる。
天使のような笑みだったが、中身は真逆を思わせる。
あるいは、いたずら好きな少年の妖精がそのまま大人になったような。
そんな人に何を言っても無駄ではないか、と思えてフィアは肩を落とした。
「なんだったら送ろうか。そろそろ暗くなってきたし、人けのない道は危ないよ」
「いえ、結構です!」
そこだけはきっぱりと拒絶する。
「とにかく、わたしに──ちっ、近づかないでください!」
震えながら叫んだが、デュリはそれをあっさり無視して肩を抱いてきた。
「キスなんて一回や二回はしたうちに入らないから、なんの問題もないよ」
「なんの問題も……」
「うん」
「本当に?」
「もちろん」
「でも、それなら」
フィアは何か言いかけて、けれど口を閉ざした。
あとは悄然となって、ひたすらデュリに連れて行かれるがまま、帰り道をたどるだけとなる。その頭の中では、そういう理屈なら、とある人とも『キスをしていない、したうちに入らない』ということになるのだろうかと、そんなことを考えていた。
──どうやら、酔いはまだ覚めていないようだ。


「──今の見たか?」
「──ああ。見た」
フィアとデュリがとうに歩き去ってしまった、孤児院にほど近い民家の影で。
ひそひそと交わされる声がふたつある。
質は異なっているが、どちらも若い男の声だ。
「なんというか、やけにその……『親しげ』だったな」
「そういう問題か? キスをしていたぞ。白昼堂々とこんなところで!」
「無理やりされたとか……」
いくぶん消極的な声。
それを、強い否定の響きが追う。
「自分から腕を回していたように見えたが?」
「それはたぶん……肩でも揉もうとしたんだよ」
「──前からか!?」
「………」
「おかしいだろうが! そんなことをするのは商売女くらいだ」
「なんでそんなこと知ってんだ? サムエル」
「……そういう話を聞いたことがあるんだよ」
「体験したんじゃなくて?」
「やかましい。おまえと一緒にするな! ともかくこれは問題だ」
「でも、浮気をするようには見えないんだけどなあ……。彼女。そもそもそんなにモテるとも」
「たしかに、あのシスターは陛下の命の恩人と聞いている。俺も信じたくはないが……しかし事実は事実だ。見たものについて報告はしなければならない。あとは陛下がどうご判断なさるかだ」
「やー、それはやめたほうがいいんじゃないの……」
「なぜ」
若干、 不機嫌そうな声。
肩をすくめる気配が相手から漂う。
「だって、あの人に切れられたら厄介だろう? ただでさえ、あのシスターのことはやたらと気を遣って特別扱いにしてるってのに。彼女を追いかけてわざわざヴァレンヌまで行ったのを忘れたわけじゃないだろう?」
「しかし、報告をしないならなんのための見張りだ?」
「いやまあ、そうだけど。でも、もうちょっと様子を見てもいいんじゃないか」
「陛下はあのシスターの身辺を見張れと仰った。そして、俺たちは今の現場を目撃した。問題なのはシスターが浮気をしたとかしていないとか、そういうことじゃない。陛下が気に掛けておられる娘に、堂々と近づいてくる者がいるということだ。違うか? ベリス」
「……たしかに、さっきの青年貴族は怪しかったな。見たことのない顔だったし」
「なら、やはり報告するべきだ。その義務を怠って、あとで何かあっても責任が取れん」
「たしかにおまえの言うように、万が一のことがあったら困るしなあ」
若い男たちの声はそれきり、ふつりと途切れる。
あたりに静寂が戻る。彼らの姿は、時を同じくしてそこから消えていた。