KNIGHT AND SISTER2《騎士と乙女2》

第二章 国王の許婚 4

「人に言うおつもりですか?」
緊張した面持ちでデュリは問いかけた。
無論、そうされても文句は言えないのだ。だがギゼラは静かに首を振った。
「いいえ。……正直に申しますと、他人のことなどどうでもいいんです」
投げやりな言葉が意外に思えた。デュリはわずかに目をみはる。
ギゼラは微笑んだ。薄闇に光を灯すように、疲れた顔の上に、淡く。
「ただわたしは、ここで静かに、ひっそりと暮らしたいだけなのです。俗世のわずらわしいことから解放されて、誰からも忘れ去られたように。……それだけが願いでここへ来たんですわ。なのにここでも恋だ愛だと、そんなことに巻き込まれたら疲れ果ててしまいます」
冗談めかした口調ではあったが、デュリには少し引っかかった。
「恋や愛? 誰のことです?」
「それは、あなたとシスター・フィアのことに決まっています」
ギゼラは「他に誰がいるのです」というように目をみはった。
デュリは思わず苦笑する。
「いえ。わたしと彼女は、そのような関係ではありません」
たしかに“恋愛”なら、それは今まで身近なものだった。人肌の温もりをそばに置かなかった夜がどれほどあったか、振り返ってみれば疑わしいほどだ。ただそれは公爵家の息子であるときの話であって、誰が今のように女装した男と恋に落ちるというのか。
「たんに、ただの顔見知りというていどですよ」
「でもさっき、あなたは彼女を見つけて、とても嬉しそうに微笑まれましたわ」
「それは……まあ、わたしは少し非常識な人間ですので。こんな格好をしていても、人に拒絶されるとは思っていなかったのです。でも彼女は当然の反応を示したようですね。びっくりして、わたしの前から逃げ出したんですから」
ギゼラは黙っていた。
それから、彼女は考え込むように呟いた。
「たしかに、そうですね。あんなふうに立ち去るなんて、彼女はあなたを避けたのかも」
血色の悪い唇から放たれた言葉は、デュリの心にぐさりと突き刺さった。
「………」
「でも女性なら誰だって、必死で追いかけてきてくれる人に心が動くものですわ。最後には」
「──だから、誰がシスター・フィアを追いかけてきたと言いましたか?」
見当違いな慰めに苛立つと、ギゼラは不思議そうに、しげしげとデュリを見つめた。
「あら、違うんですの?」
「誤解だと言っています。さっきから」
「では、あなたのその格好はご趣味か何か?」
「……ええ、そうですよ」
デュリは軽く奥歯をかみ締めて認めた。不本意だが、そうするしかない流れだった。
「まあ、そう……。あなたもいろいろとおありになるのねぇ……」
同情するギゼラに、デュリはこわばった笑みを向ける。無言で。
「でも、それはあなたの事情として、わたしには関係のないことですわ」
ギゼラは申し訳なさそうに、けれどきっぱりと言う。
「やはりあなたと一緒のお部屋というのは、気持ちが落ち着きません。シスター・トニアと同じ部屋にしてもらいます。……シスター・フィアと一緒でも良いのですけれど、そうするとあなたが夜中に忍んで来そうで怖いですし」
「………」
もはや何も言う気になれない。
「暗闇の中で間違えられたらと思うと、ドキドキ……いえ、ゾッとして眠れませんわ」
ドキドキ、というのは恐怖のあまりということらしい。
ギゼラは本当に、薄ら寒そうに身を竦めている。墓場から起き上がってきた死人のような顔色をした、ぼさぼさ髪の痩せた修道女が腕を交差させ、必死で貞操を守ろうとしている姿に何か哀れみのようなものを感じ、デュリはついに嘆息した。
「分かりました。院長に言って、なんとか部屋を変えてもらいます。シスター・フィアとシスター・トニアがなんと言うかは分かりませんが、あなたの心を騒がせる元凶はわたしなのですから、わたしが彼女たちに説明して納得してもらいます」
「ええ、そうしてください。本当に、あなたさえいなければ、わたしの修道院生活は安泰だったのですから」
ギゼラは微笑んで言い、ようやくほっとしたように腕を解いた。
「これで安心して、初日の夜を迎えられそうですわ。ああ良かった」
心配がなくなり晴れ晴れとしているギゼラを見ながら、デュリは密かに嘆息した。
これではフィアになんと言われるか分からない。きっと彼女は機嫌を悪くするだけだろう。自分と同じ部屋だなんて。ただでさえあまり好かれていないようなのだ。そう考えてギゼラとは反対に気が重くなったデュリだったが、なぜか、この修道院から出て行こうという考えは思い浮かばなかった。
──もしかすると本当に女装が好きなのかもしれない。
恐ろしいことではあるが、そのうち認めるしかないのかもしれなかった。


「もう生きていく気力がないから修道院に駆け込む」と泣きくれていう身重の女を引きとめて説得し、ようやく気持ちを落ち着かせると、あれからずいぶん時間が経ったように思った。
王都に街中に立ち尽くし、ヴィクターはひとり嘆息する。
やることは山ほどあるというのに、いったい何をしているのか……。
しかもよりによって、駆け込もうとした修道院がフィアのいる修道院だとは。
微妙に面倒くさいことになったと思いつつも、身重の女が「死にたい」という理由を作ったのはまぎれもなく自分だと分かっている。ならばその責任は、どうあっても取るしかないのだ。たとえそのせいで、執務やら謁見やらといった、ほかの重要な仕事が手につかなくなるとしても。
「アンセルム=ギィめ……。死んだあとまで厄介ごとを残してくれる」
不愉快な気分で呟き、歩き出す。
護衛もつれておらず、剣もないという状況だが、特にどうとも思わない。王都の街中でいきなり斬りかかってくる人間というのも、そうはいないからだ。いれば顔つきか気配で分かるから、それくらいならかわせるだろう。とはいえ無傷ではすまないだろうが、もう一回や二回刺されたくらいでは死なないような気がヴィクターはしている。──おそらく気のせいに違いないが。
──と、しばらく進むと向こうに憲兵隊が集まっているのが見えた。
四人ほどだ。揃いの制服に身を包み、何やらダラダラと談笑している。平和なことだ、と思いながらヴィクターはそのそばを通り過ぎようとした。ちょうど前を歩いていた老人の後ろを、連れのようになってついていく格好だ。
憲兵のひとりがチラリとこちらを見て、それからまた談笑に戻った。
ヴィクターは老人が歩くのが遅いのに多少イライラしたものの、文句を言うわけにいかないのでそれに合わせて歩みを遅くする。歩道を憲兵がふさいでしまっており、その周囲に馬まで連れているため、道幅はやっと一人通れるかどうかというところだ。老人がそこを通り抜けてしまうまでは、自分も前には進めない。
早く行ってくれ、爺さん。と心の中で呟いたとき、さっきと同じ憲兵がまたこちらをチラリと見た。何か、気になったことを確認するような顔つきである。その視線がぴたりとヴィクターの顔の上に止まって、動かなくなった。今は怪訝そうなだけの顔が、少し後にはどんなふうに劇的に変化するのか分かるような気がしたので、ヴィクターはついにそこを通るのを諦めて踵を返してしまった。
「……今の、国王陛下じゃなかったか!?」
引きつったような声が後ろで聞こえた。
まさか、と、それを笑う声がいくつも上がる。
「こんなところを、おひとりで歩いておられるわけがあるか」
「し、しかし、たしかにあの顔は……。教会のミサで……」
うろたえる声が背後で小さくなってゆく。
柄にもなくミサになど出続けていたせいで、このところすっかり顔を知られてしまっていることにヴィクターは落胆した。これでは前のように気軽に出歩けなくなるではないか。──まあ、そもそもそれが異常だったのかもしれないのだが。
(しかし、こっちの道を戻るとなると……。ベリスたちに見つかりそうだな)
ヴィクターは顎に手をやって考え込む。
ベリスとサムエルは言うまでもなく自分の護衛騎士だ。本来ならば四六時中はりついていなければならないところを、「フィアの護衛をしろ」と命じて自分の身から離した。ふたりとも真に受け、律儀に修道院や孤児院の周りをうろついているのでそれはありがたいのだが、そうすると自分までその周辺に近寄れなくなることに気づいた。
前は教会のミサで頻繁に会えたので、別に良かったのだが……。
さすがにこう何日も会えないと、何をしているのかと気にはなる。
毎日温度だの肥料だの、気にして様子を見ていないと枯れる薔薇ではあるまいし、あれは雑草のような娘なのだから多少踏んだり忘れたりしても構わないだろうと思いつつ、そのような傲慢な考えでいるのは良くないかもしれない、などと考えてしまう。
だからといって、いちいち会いに行って、いったい何を弁解するというのか……。
「あれは関係のない女で」などと、見苦しいことこの上ない。そんなことを逐一言わなくてはならない娘なら、最初から付き合おうなどとは思わなかったろう。ほうっておいても平気そうな、あの図太さがフィアの長所なのではないか。──などと思いながらも、知らないうちに足は修道院に向かっていた。
見た目よりもずっとか細い神経の持ち主だということは、なんとなく分かっていたので。
もしかすると今ごろ、自分のわら人形でも作りながらメソメソ泣いているかもしれない。
そう思いながら足を速めると、ほどなく修道院の近くまで来た。相変わらず入り組んだ道に足を踏み入れ、下ったり上ったりしている坂を歩き進む。見慣れない格好をした男が偉そうに歩いているのを訝しく思ってか、地元の住人らしき女が、洗濯かごを持ったまま立ち止まりしげしげと見つめてきた。


──すっかり分からなくなってしまった。
何がというと、道だ。道が分からない。
修道院にいたときは一歩も外に出なかったとはいえ、こうして孤児院に通うようになってからずいぶん経つのに、未だに道が分からないとはどういうことなのだろう。もしかすると自分には、方向おんちの神でもついているのかもしれないとフィアは思う。
──そんな神、全然嬉しくはないが。
「ベリスさんの言うとおり、教会の尖塔を目印にしてるのに」
フィアは呆然と立ち尽くし、呟く。
「前みたいにちゃんと着けないのはどうしてなの……」
わざわざ声に出してみても、誰が答えてくれるわけでもない。
なんとなく寂しくなり、気力も尽きたところだったのでフィアは道端に座り込んだ。後ろには城壁があって、ちょうどいい背もたれになってくれる。デュリと出会った場所なら、ここの近くにあったと思うのだが。

『シスター……』

どこからか、エドアルドの低いかすれ声が聞こえる。フィアは目を閉じた。
──彼は天国へ行ったのだ。そのはずだ。
仲間の修道士たちに見送られ、安らかに逝った。それなのに何が心残りなのか、エドアルドの顔はデュリの顔に重なったままいっこうに消えてくれない。何か言い残したこと、やり残したことがあるのだろうか。だからまるで幽霊のように、この世にさまよい出てきてしまったのだろうか……。
「また迷子か?」
悩んでいたところに、聞き慣れた声が響いた。
驚いて顔を上げると、そこに立っているのはヴィクターだった。まぎれもなく。
フィアはぱちくりと目をしばたく。
「……ヴィクターさん?」
何やら、幻影を見ている気分が抜けない。
さっき見知らぬ女の人と去っていってしまったから、もうここへは来ないと思っていたのに。
「戻ってきたんですか? どうして……」
信じられない気持ちで訊ねると、ヴィクターはため息のような吐息をついて近づいてきた。
「ぐちぐちと悩んでいるやつがいるんじゃないかと思ってな。またくだらんことで」
「えっ。どうして分かったの?」
フィアは驚いて目を見開く。
淡い緑色の瞳に、呆れたようなヴィクターの顔が映った。
「悩んでたのか?」
「くだらないことじゃないけど……悩んではいました」
フィアは正直に告白して立ち上がった。修道服の後ろについた埃を手で払う。
「急にエドアルドさんのことを思い出して……」
「エドアルドだと?」
ヴィクターはおうむ返しにして、それからしばらく絶句していた。
いったい何にそんなに驚いているのか分からないながら、フィアは頷く。
「そう。エドアルドさん。……あの人が亡くなってから、そろそろ一年が経つのに気づいて」
「なるほど」
ヴィクターはそう言ったが、なぜだか踵を返そうとしていた。
フィアは慌ててその袖を掴む。
「ちょっと待って、ヴィクターさん! どうして帰るの? 今来たばっかりなのに!」
「死んだ人間の思い出に浸るなら、静かな環境がいいだろうと思って」
ヴィクターはもっともらしく言ったものの、やはり機嫌が悪そうだ。
その顔をまじまじと見上げ、フィアはしばらく言葉に詰まった。
「……えっと。なんで機嫌が悪いんですか?」
自分が何かしただろうかと、不安に思った。
いろいろと考えてはみたが、分からなかったので率直に訊いてみる。
「何も」
ヴィクターは短く答えて、それから視線を逸らした。
しばらく黙っていたが、やがて「それで、何を悩むことがあるんだ。死んだ人間相手に」とぼそりと言う。とりあえず話が繋がったことにほっとして、フィアは緊張をゆるめた。それと同時に、少し体の力も抜ける。
「聞いてくれるの?」
「……おまえが、俺に話して構わないと思うなら」
慎重な口ぶりがおかしくて、フィアはつい笑ってしまう。
「変なの! 気にするのはわたしのほうでしょ。あなたは忙しいから……」
「忙しかったはずだが、いろいろとややこしいことがあって、今日は投げることにしたんだ」
「ややこしいこと?」
「……気にするな、たいしたことじゃない」
ヴィクターはどことなく渋い顔で言った。
「で、悩みというのはなんなんだ?」
促され、フィアは立ったまま話しはじめる。
「あの、近くでエドアルドさんに似た人を見かけたんです。それですごく気になってしまったの。だって、別に顔が似てるわけじゃないのに、なんで似てるって思うんだろうって……」
「似てるわけじゃないと思うなら、実際、似てないんだろう」
淡々と言われて、フィアは考え込む。
──まあ、それはそうなのだが。
「たしかに、似てはいませんけど……。でも、雰囲気とか……」
「雰囲気なんていうものは、その時々で違うものだ」
迷いなく断言されると、そうなのかなと思えてくる。
「な、なるほど……」
「では、そいつはエドアルドには似ていない。そういう認識でいいな?」
畳み掛けるように言われ、わけがわからなくなりながらもフィアは頷いた。
「そ、そうですね……。『そういうニンシキ』でいいです」
難しい単語が出てきたものの、ヴィクターが言うことなら間違っていないのだろう、と思う。
「ならそれが結論だ。『エドアルドには似ていない。悩む必要はない』」
「似ていない。悩む必要はない……」
フィアは繰り返して呟き、すっきりしたように思った。
「なんだ、そっかぁ……」
軽く言いかけて、それから妙なことに気づく。
「でも、なんだか何も解決してないような……」
「……気づいたのか。おまえも少しは賢くなったんだな」
気づかなければ良かったのにとでも言いたげなその顔に、フィアはさすがに憮然となった。
「当たり前でしょう? わたしだってそんなにバカじゃありません! ……もう、あなたに相談したのが間違いだったわ。忙しいんでしょうし、さっさとお城に帰ってくださって結構です。なんだか、知らない女の人と仲よくしてるみたいだったし!」
さすがに、それを思い出して腹が立ってきた。フィアの怒りは、いつもかなり遅れて湧いてくるのだ。
「だからそれを説明しようと、わざわざ戻ってきたのに。今さら切れるなよ」
「説明なんていりません。あなたがあのお腹の大きな女の人と親しげな理由なんて、どっ……どうでもいいわ! ……どうでもいいっていうのはちょっと言いすぎかもしれないけど。とにかくもう行かなきゃ。わたし、こう見えてもたくさん仕事があるんですから。頼りにされてて」
「『頼りにされてる』? 道も分からんくせに、偉そうに」
「ちょっと休憩してただけよ! 道なんて分かってます」
「そうか? じゃあさっさと行けばいい。また遅刻して叱られるぞ」
「わ、分かってるわ! そんなの、あなたに言われなくたって……」
勢いだけはつけて言い、フィアは適当な方向に向かって歩き出した。
ともかく、迷子だと思われるのだけは我慢ならない。こうして歩いていれば、ちゃんと道が分かっているように見えるだろうと思った。それに、そのうちに本当にたどり着かないとも限らない。
「……フィア」
背中に声が掛かった。
「なっ、なんですか!」
「たぶん反対だぞ、その道」
「………」