KNIGHT AND SISTER2《騎士と乙女2》

第二章 国王の許婚 6

「──申し訳ありません、お食事中に」
「何かあったのか?」
ヴィクターは食事の手を止め、眉をひそめた。サムエルを警備巡回させているのはフィアのいる修道院周辺なので、さっき顔を見たばかりとはいえ、それなりに心配にはなる。
「その、陛下のお耳に入れたい件がありまして……」
サムエルは言ったが、ちらりと、レヴィンのほうを見る。
気まずそうな顔をしているところを見ると、レヴィンに聞かれたくない話題のようだ。
「食事中は席を外しませんよ、わたしは。話ならそのあとにしたらどうです? サムエル卿」
レヴィンはさらりと言って先手を打った。サムエルは「それが……」と言葉を濁している。
「こいつはものを食ってるときはてこでも動かないから、俺が席を外そう」
言って、ヴィクターが立ち上がりかける。
「ああ、いえ。そちらへ参ります」
サムエルはさすがにそれはまずいと思ったのか、慌ててヴィクターに歩み寄った。
そのそばに身を屈め、座ったままでいるヴィクターに彼は何ごとかを耳打ちした。
「……分かった」
ヴィクターは神妙な様子で答えて、サムエルを立たせる。
「詳しい話はあとで聞こう。……執務室にいてくれ。食事がすんだら戻る」
「御意」
サムエルは短く答えた。
それからレヴィンに向かって非礼を詫びるように黙礼し、退出する。
「倒れた、……と聞こえましたが?」
レヴィンは盗み聞きしたのを隠そうともせずに言った。
そもそもヴィクターとの距離がたいして離れていないうえ、膝をついたサムエルはテーブルを挟んで真向かいに見えていたのだから、耳に入っても仕方のないところではある。それに地獄耳という類まれな素質も、彼は有していた。
「シスター・フィアのことですから、変なものを食べて腹痛でも起こしたのでしょう」
いつものように皮肉を言おうとしつつも、レヴィンの口調にはさすがに冴えがなかった。毒舌の人間は、他人が病気などで弱っているときには反対に優しくなってしまうのだ。そのごたぶんに漏れず、レヴィンも病人にはきついことを言えない。
「どうせ、すぐに回復するに決まっていますよ……。持ち前の、雑草顔負けのしぶとさで」
そのため、その言葉はむしろ心配し、労わっているようにすら聞こえた。
「いや、違う」
だがヴィクターはその言葉を、首を振って退ける。
「違う? 何がです。まさか重篤な病なのですか?」
「かもしれんが」
ヴィクターは呟き、何やら考え込むそぶりをみせた。
「ともかく、意識不明のようだ。細かい状況はよく分からん」
意識不明とは、大変な事態ではないか。しかし、さほど取り乱す様子もない。
レヴィンは(意外に落ち着いているな……)と眉をひそめた。以前もこんな状況で、ヴィクターがひとりだけ落ち着き払っていたことが、あったといえばあったのだが。最近の彼は、フィアの身の回りのことに以前より注意を払っているように見えるし、そうなると『意識不明で倒れた』と知らせを受けて、まだ立ち上がろうとしないのは奇妙に思えた。
「ヴィクターさま」
レヴィンもつられて食事をやめる。
「意識不明なら、落ち着いて座っている場合ではないのでは?」
「ん? ……なぜだ?」
ヴィクターは顔を上げ、訝しげにする。レヴィンは一瞬言葉に詰まった。
「なぜって、……病人がいるなら、医者をやる必要があるのではないかと」
「医者?」
ヴィクターは今ひとつピンと来ていないようだ。
レヴィンも、ピンと来ないまま言葉を続ける。
「修道院には医者はいないのでしょう? ですから……」
「ああ、なるほど。──医者か」
ヴィクターはようやく呑み込んだようだ。
「たしかに、侍医なら暇を持て余してるが。……だが、へたに侍医など派遣したら、教会側が神経質になりそうじゃないか? 余計なことをするなと言われそうだ。まあ……なんにしろ、サムエルから詳細を聞いてからだな。その前に、おまえからの報告も耳に入れておきたいし」
そう言ってまた食事を再開する。
「ざっと大まかに言ってくれていいぞ。食いながら頭に入れるから」
それを見ているうちに、レヴィンは眉をひそめたまま、知らず知らずのうちに首を傾けてしまっていた。
「……ヴィクターさま」
「ああ?」
「シスター・フィアが倒れたのではないのですか?」
「いや、違うが?」
ヴィクターは肉を切りながら言った。あっさりと。
「さっきそう言わなかったか? フィアじゃないと」
「言いましたか? 聞いてないように思いましたが」
「そうか? なら、言わなかったのかもしれないな……。ともかく、倒れたのはフィアじゃない」
「そうなのですか」
レヴィンはその答えに拍子抜けした。
いくら小憎たらしい娘でも、さすがに、知っている人間に倒れられたり、死なれたりするのは寝覚めが悪いと思ったのだが。やはりヴィクターの言う通り、自分が少々呪ったくらいではびくともしないらしい。心配した自分が愚かだった。
「道理で、のんびりしていると思いました」
「あいつが修道院で倒れでもしたら、さっさと引き取ってくるんだがなあ……。──ああ、倒れたのはクリステラという名の修道女だ。エトヴィシュ公爵家の娘で、去年あたりから修道院に入っている──」
「──なんですって!!」
レヴィンは突然叫び、見るものが怯むような形相になって立ち上がった。
ヴィクターはあっけにとられてそれを見上げる。
「……どうした?」
その肘の下で、かすかにテーブルが揺れていた。レヴィンが急に立ち上がったせいだ。
レヴィンは何か言おうとして口を開きかけた。
──が、彼は結局、何も言わないまま座りこんだ。
何やら脱力しているように見える側近を、ヴィクターは不審げな目で眺める。
「クリステラ=エトヴィシュという名前に何か心当たりでもあるのか?」
「いえ、別に……。ただ聞いたことのある名前だったので」
レヴィンはなんとか気を取り直し、食事を再開しようとする。──ふりだけでも。
「聞いたって、いつだ」
ヴィクターの追求は短いが、いやに鋭い。
「まさか、ご存知ないんですか? 王都で一・二を争う権門の公爵家令嬢ですよ」
「無論、知ってるが。おまえが飛び上がって驚くほどのことがあるのかと思ったんだよ」
「それは……まあ、あなたには申し上げにくいことながら、わたしが勝手に『王妃候補に』と考えていた方のひとりだったからですよ。期待していたのに、倒れた、などと聞けば驚くに決まっています」
「王妃候補?」
「ええ。だってエトヴィシュ公爵家といえば、王妃を輩出するに十分な資格を持つ家柄でしょう? 先代王妃が辺境のラディウス公爵家から出たのですから、次は王都の公爵家から……と誰もが期待しますし。……この、王都の中での話ではありますが」
「そのクリステラ=エトヴィシュはもう修道院に入ったんだぞ」
ヴィクターは眉をひそめた。
「叔父上が何度も求婚をして、断られた腹いせに、娘も父親も宮廷にいられなくした結果だというのはおまえも知ってる話のはずだ。父親は重職を退き、娘は身の置き所をなくして修道女になった。そのうえ甥の俺にもまた求婚されるというのは、向こうにとっては単なる悪夢だろうが?」
「悪夢かどうかは先方が決めることであって」
「まさか、何か工作していたというんじゃないだろうな? 王妃に迎えるような」
ヴィクターが鋭い視線をレヴィンに突き刺した。レヴィンは「まさか」とかろうじて笑う。
「わたしにそんな力がないのはご存知でしょう? わたしがあちこちから苦労して手に入れてきた肖像画だって、ろくに見もせずに倉庫に突っ込むのは、他ならぬあなたではありませんか」
──たしかにそのような裏工作は、極秘裏に進めてはいた。
だがそれをいちいちヴィクターに言う必要があるとは思えなかった。ヴィクター自身、こちらに内緒で、ノイエと手を組んであれこれしているようなのだから。こちらだけが責められる筋合いはない、とレヴィンは考えた。
隠していてばれるとも思えぬ。
そもそもその裏工作自体、それほど進んでいたわけでもないのだ。
エトヴィシュ公爵家の当主はほとんど隠棲状態で、なかなか連絡が取れなかった。仕方なく、先日、目立たぬ手紙を一通送っただけだ。露骨な内容ではなく当たり障りのない挨拶状であるし、そんなことは他の家にもしてきたから、特別なこととも思っていない。
「とはいえ、数ある候補の中では一番期待していた人ではありますから少なからずショックです。──やはり、侍医を派遣するのは難しいのですか? 王都一の佳人を、みすみす修道院などで死なせるのは惜しい気がいたしますが……」
「……まあ、そうだ」
ヴィクターは納得がいかないなりにも納得したのだろう。頷いた。
「たしかにおまえの言う通り、みすみす死なせては申し訳がない。そもそも彼女が修道院に入ることになったのは、王家に原因があるんだからな」
「ではわたしが手配して宜しいでしょうか? 教会に『越権だ』と言われないよう、大げさなことにはしませんので」
「……いいぞ」
ヴィクターはしぶしぶといった体で頷いた。
「おまえのほうが手配が早いだろうし、それに、何やら事情もあるようだしな」
「あなたの妃に相応しい人だと思っていただけですよ」
レヴィンは答え、口元を拭いて食事を中断した。彼にしては珍しい行為だ。
「何しろクリステラ=エトヴィシュといえば、美しく、気立ての良いことで有名ですからね」
すばやく立ち上がる。
「そのふたつを兼ね備えるだけでも一苦労だというのに、後ろ盾となる家名にも文句のつけようがないのですから。それでいて世間ずれしておらず、結婚を拒んで修道院入りしたことで、かえって一点の瑕もない娘となれば、これ以上の人は見つからないと言ってもいい」
「……だとしても、俺はその娘とは結婚しないぞ」
「それはあなたの自由ですし、彼女を救うのはわたしの自由です。侍医をお借りしますよ、陛下」
レヴィンは足早に食堂から出て行った。
取り残されたヴィクターは、二人分の料理を前にして憮然となる。
「せめて──食ってから行けというんだ。まったく、レヴィンのやつ!」