KNIGHT AND SISTER2《騎士と乙女2》

第二章 国王の許婚 14

クリステラの部屋のある建物から、デュリが大柄な人を、なかば背負うようにして出てきた。
そこにちょうど行きあったフィアは、彼らの無事な姿を見られたことにほっとした。駆け寄る。
「デュリさん!」
デュリの顔を見ると、彼は疲れたような顔をしていたが、微笑んで頷いた。
フィアはそれに微笑み返し、彼が担いでいる人の顔を確かめる。
気を失って閉じた瞼の下に、月の光が作り出した青い影があった。彫りの深い顔立ちに、薄褐色の滑らかな肌。ぐったりとした頬に乱れてふりかかるのは、巻き毛がかった見事な金髪だ。前に見たときよりも長かったが、後ろで大半が束ねられているため、ほつれているのは一部だ。
「アラリスさん……!」
フィアはその名を呟き、声を詰まらせた。
懐かしさと、やはり彼女だったという驚きとの両方だ。
ずいぶん久しぶりに会ったような気がする。
「アラリスさん、大丈夫?」
フィアはうなだれたアラリスの顔を横からのぞきこんだ。その横顔は、苦しげな表情を浮かべて沈黙を守り続けるばかりだ。そのこめかみから脂汗のようなものが、つっと滴り落ちていく。
「この人、足を痛めたか、折ったかしたみたいだ」
デュリが首を振って言う。
「気を失う前にそう言ってた」
「えっ、足を……?」
フィアはアラリスを見て、それからデュリの顔を見た。
「デュリさんは怪我はないの? 大丈夫!?」
「うん……。僕はただ、この人を救出してきただけだし」
「ほ、ほかに誰かいなかった? ナイフを持った人とか」
「逃げちゃったみたいだよ」
「そ、そう」
フィアは頷いた。取り逃がしたのは残念だが、ふたりとも無事だったのは何よりだ。
「良かった。デュリさん、すごく弱そうなのに、行かせちゃったのを後悔していたの……。アラリスさんの足手まといになるかもしれないし、慌てて走って転んだりしたら大変だし、と思って」
デュリは一瞬むっとしたようだったが、あえて反論はしなかった。──図星だからだろう。
「医者はまだシスター・クリステラに掛かりきり?」
「何人かいらっしゃったから、じきにどなたか手が空くとは思うんだけど」
「どうかなぁ……。エトヴィシュ公爵家のご令嬢だし、朝までつきっきりかもね」
デュリは気難しい顔になって言う。
「医者に診せるより、とりあえずどこかに匿ったほうがいいんじゃないかな。どう見てもこの人、毒殺犯か暗殺犯にしか見えないよ。……まぁ君が『知り合い』というから僕は信じるけど。戦う相手もなしに、こんな無様な姿を晒しているんじゃないだろうし」
「無様……で、悪かった、ね……」
デュリの腕の下、頭をうなだれさせたアラリスが低い声を放った。
「あれ、意識戻ってた?」
デュリは軽く苦笑した。失敗した、というような顔で。
アラリスはゆっくりと顔を上げた。
乱れた髪の下から、鋭い視線をあたりに走らせる。
それがフィアの顔の上まで来て、ぴたりと止まった。
その目を見てフィアは息を呑む。赤く充血した目には、まだ戦いの余韻のような殺気がくすぶっていた。だがそれを怖い、と感じたのは一瞬のことだった。アラリスがふっと、表情を和らげて微笑んでみせたからだ。
「フィア。……無事だったんだね」
「それはこっちが言いたいことよ!」
フィアは彼女の手を握り締めた。
アラリスの唇は鋭く切れて、血が滲んでいた。
「違うよ。心配するのはわたしの役目なんだ。おまえがそれを取らなくていい」
アラリスは小さく笑った。笑って、唇の傷を痛そうにする。
「とにかく、どこかで横になって休んだほうがいいわ。アラリスさん」
「横になれる場所があるなら、ありがたくそうさせてもらうけど」
アラリスの声はかすれかけている。
フィアはその弱々しさに焦った。
「へ、部屋っ。部屋が必要よ! どこかに、空いている部屋がないかしら!?」
「……ないこともないけど」
デュリがぽつりと呟く。
フィアが振り返った。
「えっ、本当!?」
「うん、まあ」
デュリの言葉は何やら歯切れが悪かった。だが、フィアは期待をこめて彼の顔を見つめる。見つめ続けた。やがてデュリは降参したのか「分かったから、そんなキラキラした、天使を見るような目で見ないでよ。シスター・フィア」と、少々げんなりしたように呟いた。
「それで? 何かいい案があるんでしょう? デュリさん」
「見習い棟に連れて行けばいいんじゃないの。あそこは敷地のはじだし、見回りも、今日はみんなバタバタしてるから誰も来ないだろうし。シスター・トニアとシスター・ギゼラくらいなら、適当にごまかせそうだから」
「そうね……。そうしましょう! あそこなら人目につかない」
フィアはデュリと協力し合い、アラリスを両脇から支えて見習い棟へと連れて行った。


シスター・トニアとシスター・ギゼラは、すでに部屋に入っているようだった。
どうやら、彼女たちは同じ部屋で寝ることにしたようだ。この異常な夜に、ひとりだけで眠るのが恐ろしかったのだろう。もともとギゼラは、男のデュリと一緒にいるのは不安だから、トニアと同じ部屋になりたいと言っていた。幸か不幸か、その無茶な願いが叶った形だ。
「静かに入れば、気づかれない」
デュリが声を潜めて言い、片手でそっと木の扉を押し開けた。
その向こうに狭い部屋が見える。
ふたつのベッドが、真ん中に細い空間を挟んで置いてある。三人が一緒になって通り抜けられるほどの広さはないので、フィアのほうが先にアラリスの肩から腕を外して下がった。あとはデュリが、アラリスをベッドに座らせるところまでひとりで引き受ける。
デュリが身を屈めてやると、アラリスはベッドの上に自力で座った。
横になるのかと思ったら、彼女はそのまましばらくじっとしている。
「アラリスさん?」
フィアは怪訝に思い、おずおずと声を掛けた。
その横を「水を持ってくる。傷薬も、見つかれば持ってくるよ」とデュリがすり抜けていく。
「うん」
フィアはその背中を目で追い、扉が閉じるのまで見届けた。
それから、アラリスを振り返った。
彼女は黙っていた。背中を丸め、膝の上に肘をついていた。その横顔はかすかに歪んで、苦しげに見えた。──今にも泣きそうに見えると言ったらおかしいかもしれないが、そんなふうに見えた。
気丈な女戦士が泣くはずなどないのに。
どうしたんだろうとフィアは心配になった。
「あの……どこかひどく痛むの? 足?」
アラリスは何も答えない。無言でいる。
フィアは落ち着かない気分で部屋の中をうろうろした。それから、向かいのベッドに腰掛けた。
「何か欲しいものがあるなら、持ってくるけど。食事とか……お腹すいてない?」
おそるおそる声を掛けるが、アラリスはやはり無言だ。
フィアはまごついた。久しぶりに会ったせいか、どう話せばいいのか分からない。
アラリスはようやくのようにベッドに身を横たえたが、目を閉じて眠ろうとはせず、夜の闇をじっと見つめ続けている。話しかけてはいけないような雰囲気だ。──いけない、ということはないのだろうが、彼女はできればひとりになりたがっているのではないかと思い、フィアはついに腰を浮かせて立ち上がった。