KNIGHT AND SISTER2《騎士と乙女2》

第四章 獄中の乙女心 14

近づいてくる足音に、フィアは息を呑んで聞き入った。
誰だろう。そんな疑問が頭の中で渦を巻く。
もし先ほど自分を靴で蹴ったあの嫌な憲兵ならば、事態は何も変わらない。ああいう人に何を言っても無駄なことは知っている。けれどもしサクランボと毛布を持ってきてくれた、あの親切なジョルトだったら。彼ならば、ガーラントの処刑を延ばして欲しいと頼んだら、なんとかならないだろうか。
──なるはずがない。
フィアは唇を噛んだ。
クリステラ毒殺未遂の犯人としてここへ入れられたフィアすら、彼はここから釈放することができない。そんな力は持っていないのだ。
だがこのまま、朝まで他に誰もここへ来なかったら。自分は牢に入ったまま何も出来ず、ガーラントが憲兵たちに連れ出されるのを見ているしかない。そうすればもう彼は戻ってこないだろう。それで後悔しないのか。本当に? 救うチャンスは、今しかないのに。
(ああ……神さま!)
フィアは悲痛な顔で両手を組み合わせる。
せめて話の通じそうな憲兵でありますようにと切実に祈った。駄目でもともと、なぜそんなことを言うのかと疑われるのは承知のうえで、フィアはガーラントの処刑をやめるように訴えるつもりだった。
(わ、わたしは修道女なんだから!)
フィアは果敢に自分の立場を思い描いた。
(人が殺されるのを止めたって、変じゃないわ。ぜんぜん、変じゃないわ!)
むしろ、それで良いのだと自分に言い聞かせる。
あの惨劇の場に立ち会ったからではなく、修道女だから。修道女だから、人が殺されるのを黙って見ていられなかった。そう言えばいいではないか。それならガーラントが言うところの『余計なこと』を言ったことにはならないはずだ。──そうだ、そうしよう。
「明日にでも処刑場送りにする予定でおります」
祈るフィアの耳に、憲兵のものらしき声が聞こえる。
それが誰のものか分かった瞬間、フィアは絶望した。
これは、先ほど自分を蹴った男だ。ハヴェルと呼ばれていた、ひょろりと痩せて顔色の悪い副隊長。毛布を持ってきてくれたジョルトが、『人の顔色をうかがうしか能のない男』と呼んでいた男ではないか。
「これで、この世紀の大悪党も一巻の終わりというもの。我らが隊長殿はまたひとつ輝かしい手柄を積み上げられました。まったくもって羨ましいお方──いえ、頼もしい、というべきですな! おかげで我ら憲兵隊は、また一層高い検挙率を……」
「その隊長は何をしてる?」
無数の靴音の中に混じって響く、やや低い声があった。
「ここにいないようだが」
「は、はっ。隊長殿は、もうひとつ気になる事件があるからと仰って、そのまま向こうに留まっておられます。あの方は、なんと申しますか……ご自分が捕まえた獲物にはもはや興味がおありになりませんので。さながら猟犬のごとく、お忙しく次の事件を追っておられるのでしょう」
「猟犬か。言いえて妙だ」
短い言葉には、それなりの感慨が込められていた。
「はは、ま、まったくです」
緊張を含んで乾いた笑い声がこだまする。
「それで護送の折には、隊長殿が凄腕の傭兵を二人も雇われて、それに八人の護衛兵をつけて送ってこられたという次第で。あれはどこの大名行列かと、みな驚いて出迎えたのですが。まさかあの、懸賞首のガーラント=オルベニウスだったとは……。しかし我ら憲兵が捕らえたとなると、やはりその……」
言いよどみ、それきり声が途絶えそうになる。
「……なんだ?」
切り返す声があり、ハヴェルが唾を飲み込むような音をさせた。
「あっ、いえ。その、懸賞金のほうは、どうなるのかと思いまして……」
「出ないな」
ハヴェルの未練を斬り捨てるように、素っ気ない声が響いた。
「そ、そうでございますね。無論……」
ハヴェルの声は、明らかに落胆の色に染まっていた。
「そうでしょうとも。そのために我らは給金を貰って、このような仕事に就いているのですからな! しかしそれを思えば、傭兵などというものは、まこと気楽で儲かる稼業ですな。小汚い格好をして、たいして腕が立つとも思われぬのに、ずいぶんと高い報酬を貰ったようで……」
そのうちにいくつかの声と無数の靴音は、入り乱れて地下牢の通路におりてきた。
ハヴェルを先頭に、二人の憲兵がそれに続き、その後ろにはこんな牢の中にそぐわしくない、明らかに身分が高いと分かる服装の男がいた。総勢で四人。道理で靴音がうるさいはずだ。その集団が、石畳を踏みつけながらフィアを省みることなく前を通り過ぎていく。それをフィアは鉄格子にしがみつきながら、ぽかん、と表現するしかないような顔で見上げていた。
──彼だ。
(な、なんでこんなところに……?)
鉄格子の向こうを通り過ぎていく長身を、いくら松明の明かりしか頼るものがないといっても見間違えるはずがない。そもそも第一声を聞いた瞬間から、フィアには誰が来たのか分かっていた。信じられないという気持ちが、この事態を呑みこむのを少しばかり遅くさせただけで。
「ヴィ……」
思わず名を口走りかけて、フィアは慌てて自分の口を手で押さえた。
そしてまた副隊長ハヴェルが目ざとくもこちらに視線を向けようとする気配を感じたので、慌てて壁に身を寄せる。頭から毛布をかぶり、壁と同化するような気持ちで押し黙っていると、向こうは何か気に入らなさそうな舌打ちをしたものの、そのまま前を通り過ぎた。
ほっとしたが、フィアは動かず、その場でじっとし続ける。
ヴィクターが来たのなら、ガーラントは釈放されるはずだ。
どんな経緯でかは分からないが、ガーラントが投獄されたことが耳に入ったに違いない。(良かった、ヴィクターさんが来てくれて……。これでなんとかなるわ!)
フィアは心底、胸を撫で下ろす思いだった。


「さて。“亡き”国王陛下秘蔵の親衛隊長に、久しぶりの対面をするとしよう」
後ろに憲兵たちを従えたヴィクターの声が、地下牢の通路に皮肉げに響いた。
それに答えるように、牢の中からくっくっと笑い声が染み出してくる。
「ありがたい話だが、『元』って言葉が抜けてるぜ? “現”国王陛下」
「貴様──誰が口を開いて良いと言った! 控えよ、無礼者めが!」
ハヴェルが叫んだが、ヴィクターはそれについては何も言わなかった。
「今までどこにいた? ガーラント」
まるで旧知の友に話しかけるような調子だ。
「それはまあ、あちこち点々と。逃亡生活ってやつさ」
ガーラントの返答も、畏まったところのない気楽なものだった。
「港で飲んで、娼婦宿を梯子して──金がなくなったら荒稼ぎだ。幸い俺には剣があるんでね。異国から来た裕福な商人連中は、言葉の通じないこの国で商売するのにずいぶんと不安があるらしい。一週間ほどの護衛の仕事に、気前よくポンと金貨一袋だ。……前金だぜ?」
「自分が追われる身だということも忘れてか?」
「そんな生活には慣れてるんでな。どうってこたぁない。カンのいいやつに気づかれて追いかけられても、返り討ちにすりゃいいんだからな。路地裏に誘い込んで、飛び込んできたところをガツン! ──だ」
「なかなか楽しい逃亡生活を送ったようじゃないか?」
それに耳をそばだてながらフィアははらはらした。
(ふたりとも、いつもの調子で喋ってるんじゃ……。大丈夫かしら!?)
けれども、続くガーラントの言葉にはあからさまな侮蔑が込められていた。
「あー楽しかったぜ? おまえもそんな格好で畏まってないで、俺と一緒に来りゃ良かったのに。いつ暗殺者に狙われるかとビクビク怯えて暮らすより、いっそ投げ出したほうが気が楽だと思わんか。どうせ、たいして座り心地の良くない椅子だろうが?」
「……あいにくと気に入っている。人に指図されるのは嫌いだからな」
「『替え玉』でも探してきてやろうか。そうすりゃもっと楽できるぜ」
「いや、結構だ。途中で仕事を放棄して、放浪するのが関の山だからな──おまえの場合」
「そりゃ正しい」
ガーラントがしゃがれた声で笑った。
「ここから出たら、またおまえを殺したくなるかもしれん。この前は失敗したしな」
「き、貴様、なんということを言うのだ!」
いつ口を挟めば良いのか分からず、目を白黒させていたハヴェルが突然怒鳴った。
「明日処刑だというのに、その汚らわしい口を一日でも閉じておくことが出来んのか!! 仮にも一時は、稀なる幸運に見舞われたといっても──栄えある親衛隊に籍を置いた者が、どこまで主君を愚弄すれば気が──」
「ここの責任者は?」
興奮しきったハヴェルの声に、ヴィクターの淡々とした声が重なる。
「は、はっ! それは、その──わ、わたくしめが」
ハヴェルが直立不動になって答える。
「名は?」
ヴィクターがそれを振り返った。
「けっ、憲兵隊副隊長、ハヴェル=ハビッチと申します!」
「──おい、そいつは元親衛隊員だぜ」
ガーラントが横から口を出す。
ヴィクターが横目で牢に視線を投げた。
「ほう?」
「俺がジグモンドの首をかっさらって逃げた、あの事件の前に自分で不祥事を起こして親衛隊を辞めさせられた男だ。運がいいだろう? おかげで『無能者』とあとで謗られずにすんだんだからな。俺が知る限り一番役に立たん男だったが」
「黙れというに──!」
ハヴェルが血相を変えて鉄格子に詰め寄る。
それを制止し、ヴィクターが素っ気ない口調で言った。
「この男──ガーラント=オルベニウスを、王城の牢に移送する。すぐに準備しろ」


「──は、はっ!? なんと申されましたか」
ハヴェルがぎょっと目をみはった。
ほかの憲兵も同様だったらしく、思わず口を開いた。
「いけません、陛下! この男は明日、『必ず処刑場に移送するように』と隊長殿が!」
「そうです。凶暴で、かなり痛めつけましたがまだかなりの抵抗力があります。万全の準備を整えて翌朝の移送の手はずを整えているところですのに、それを変更して王城に運べとは──あまりに無茶です!」
次々に異論が沸き起こる中、
「この男は俺の手で斬り捨てる」
とヴィクターがはっきりと言った。
「それがこの男と俺のあいだにある因縁だ。処刑場に送るまでもない」
「そ、そのようなことを申されましても。隊長殿の判断を仰ぎませんと──」
「その隊長に命令するのは俺だ。ならば同じことだろう?」
「そ、そうですが、しかし」
憲兵たちは明らかにうろたえていた。
それもそのはずで、憲兵隊の隊長であるソルヌーンは一筋縄ではいかぬ男だった。狂犬とか猟犬とかあだ名されているが、まさしくがっしりとして強面で、執念深さではほかに並ぶ者のない人物でもある。普段から配下の憲兵たちに厳しく接しており、特に自分の命令に違反する者は容赦しなかった。
「──ま、待て。おまえたちは黙っていろ!」
しかしハヴェルが、何やら意を決したようにほかの憲兵たちを手で制した。
彼はそのまま前に進み出、高揚したような声で高らかに言い放つ。
「ほかでもない、我が国の国王陛下が『そうしろ』と仰っておられるのだ! それに異論を差し挟むなど言語道断である。たとえ隊長がなんといおうと、我ら憲兵隊が忠誠を誓う相手はただおひとり、ここにおわす国王陛下だけではないか!」
ハヴェルはそう言って自らの忠誠心を披露してみせたが、実のところ彼は普段、ソルヌーンにまるで雑用係か何かのように扱われていることに我慢がならないだけだった。実際、副隊長などというのは肩書きだけは立派だが、中身は雑用係といって差し支えないようなものである。ハヴェルにとっては、ソルヌーンのいない今だけが、この憲兵隊本部を牛耳ることのできる輝かしい時間だった。
しかも命令を下しているのは国王ヴィクターだ。さすがのソルヌーンも文句は言えまいと、ハヴェルは心の中でほくそ笑む。
「そ、そうですが、副隊長殿──隊長殿がなんと仰るか」
「ええい、臆病者どもめが! 隊長には、わたしから説明する。やむを得ぬことだったとご説明申し上げれば、何も言われはせん。そもそも隊長不在の今、判断を下すのはこのわたしだ!」
一生に何度言えるか分からない台詞を、ここぞとばかりに力を込めて言い切る。
「は、はっ……」
「そんなことより、さっさと手はずを整えんか!」
それでも戸惑う憲兵たちをハヴェルは厳しく叱りつけた。
「今晩中にでも、この男を王城の牢に送らねばならん。他ならぬ国王陛下が、叔父君であられた前国王陛下の仇を討つ、と仰っておられるのだ。その妨げになるようなことをしたとなれば、我ら憲兵隊の名誉に関わる」
ハヴェルは自らの言葉に陶然となっているようだった。
「では、あとは任せるぞ」
ヴィクターがハヴェルに言うと、ハヴェルは畏まって深々と頭を下げた。
「はっ!」
「俺はこの男に一言、言ってやることがある。先に行け」
「承知いたしました!」
ハヴェルはまったく疑いもせずに、意気揚々とその場を駆け去った。
それに遅れてはまずいと、ほかの憲兵たちも急いでそのあとを追う。
やがて静けさを取り戻した牢に、ふう──と大きなため息の音が流れた。
「……『仇討ち』だとよ」
ガーラントがしのび笑いを漏らして言った。
ヴィクターはその牢の前で渋い顔つきになる。
「なんだってノコノコ捕まって来た。ガーラント? この忙しいときに!」
その軽口を叩くような口調は普段の彼のものだった。一応は、先ほどまでは少しは畏まっていたらしい。声もいつものトーンに戻っている。
「さっきも言わなかったか? 逃亡生活に疲れたってな」
「聞いてない」
ヴィクターの声は苦々しかった。
「それに第一、疲れたからといってこんなところに逃げ込まれても困る。──まったく、他に行くあてがなかったのか? もしこうして俺がここに来なかったら、あんたは明日の朝打ち首になってたんだぞ。……それとも、これは俺に対する嫌がらせか何かか?」
「俺のずさんな予定では、おまえに知られずにここで死ぬはずだった」
ガーラントが本気なのか冗談なのか分からない口調で呟く。
「逆に訊きたいんだが、なぜ俺がここにいると分かった? 移送の馬車は黒幕張りだし、憲兵どもも、そう声高に俺を捕まえたと叫びながら王都の街に入ったわけじゃなかったんだがな?」
「アラリスだ」
ヴィクターが短く答える。
「たまたまここに来たあいつが、おまえの姿を見つけて仰天し、俺に報告してきた」
「たまたま?」
「隣の隣あたりの牢に入っている、ヘボい見習い修道女の様子を見に行ったんだそうだ」
それは自分のことだろうかとフィアは疑ったが、何も言わずに黙っていることにする。
「ああ、なるほどな。……そりゃ、アラリスも仰天したろうな」
ガーラントが苦笑する。ヴィクターのほうはため息をついていた。
「血相を変えて城に戻ってきたよ。軍議が長引いたんで、自分でフィアの様子を見に行くつもりだったらしいが、相手があんたとなるとさすがにどうにもならんと踏んだらしい。結果的に、その判断があんたの命を救ったわけだな。ガーラント」
「いい女はいい働きをする」
ガーラントは呟いてから、少々芝居がかった言い方をした。
「そうそう、お優しい、どこぞの国王陛下が俺を釈放してくださるそうで……」
「『城の牢に移送する』と言ったんだ。釈放するとは言ってない」
「じゃ、俺は城暮らしか? 明日から」
ガーラントがふむ、と唸る。
「メシは当然、フルコースだろうな? ベッドは天蓋つき……」
「適当に死体を用意しておくから、処刑されたことにして消えろ」
ヴィクターの言い草はひどいものだった。
「そしてしばらく戻ってくるな。……俺もこのところ忙しくて、ほかのことにかまけてる時間がないんだよ。軍を縮小しようとした矢先に、国境付近に戦争の気配があると言われたんだからな。こっちは自前の騎士団すら維持する金がないってのに……」
「まあそう言わずに、様子くらい見てやったらどうだ? 隣の隣の牢のシスターの様子を」
「……言われなくてもそうする。今はあんたの話をしてたんだ!」
ヴィクターはむっとしたように言ってから、コツコツと靴音を響かせてフィアのほうへと歩いてきた。フィアははっと息を呑んでその光景を見つめる。