やるべきことがひとつ以上ある、というのは素晴らしいことだ。
それだけ自分に譲れない、大事なものができたという証だから。
だからそれをフィアは嬉しく思う。嬉しく思うのだが──
(し、処理できない……)
惜しむらくは自分の貧弱な頭脳である。
今、フィアはふたつの問題のあいだでおおいに悩んでいた。
(デュリさんを探すのと、子供たちを受け入れてくれる施設を探すのと、どっちを先に……)
しばらくはどうしよう、ああでもない、こうでもないと無駄にぐるぐる回って歩いていたが、はたと「れ、冷静にならなきゃ!」と思いついた。──そうだ。いつだって、周りの“賢げな”人たちはそうしていたではないか。まずは冷静に。それから、じっくりと対策を考える。
とりあえず優先順位をつけよう。そうしよう。
(えー、えー、ええと……)
デュリの捜索は──
(だめ、これは後回しにはできない)
事態は深刻。それだけはたしかだ。
彼が修道院内部にいるのか、それとも外部にいるのかは分からない。
内部は、すでに憲兵たちが隅々まで探したという話だから、外へ連れ出されてしまったのかもしれないと思う。だとすれば、知り合い中に頼んで回っても、すぐに見つけられるかどうか。トニアが言うように、何かあって国外へ連れていかれてしまったとしたら、そんなような経験があるからフィアには分かるのだが──これはもうどうしようもない。
それでも、放っておくことはできない。
デュリは自分の“仲間”だ。
本当は修道女ではないから、そう言って差し支えがあるならば、もっと分かりやすく“友達”といってもいい。少なくともフィアはそう思っている。そのうえデュリは脛に傷──人にいえない女装癖など──があるので、おおっぴらに人に捜索を頼むのも難しい。
他の人では駄目だ。自分が探さなくては。
一方、孤児院の件は、これはこれで知らん顔はできない問題だ。
孤児院の修道女たちはみんな気がいい人たちばかりだ。
穏やかで、優しい。
悪くいえば──少しばかりのん気。
だから火事になり、建物が焼け落ちた──などという非常時には、どうしていいか分からず、ただ右往左往するばかりに違いないと思える。あちらの修道女たちの顔ぶれをざっと思い浮かべてみても、この人ならそういうときに頼りになるとか、てきぱき指示を出して仕切れるとか、そんな人を思いつけない。
実質的な責任者であるマルギットからして、こちらに来て、院長に陳情するくらいしか手がなかった。それを思うと、今は藁にも縋りたいような気持ちでいるのではと思ってしまう。だからこそ、わざわざ手紙を書いてアラリスに託したのだったが……。
(あのアラリスさんが約束を忘れるということは、考えられないけど……。でも、いくらしっかり者に見えるアラリスさんでも、“うっかり”手紙を落としたとか、そんなことがないとはいえないわ)
もしくは手紙を受け取った側が、すっかり忘れてしまっているのかもしれない。……無視しているとか。
ありうることだ。特にあの、聖アルメリア女子修道院の院長シスター・アガタなら。
「ああもうっ。誰も彼も頼りにならないんだから!」
と、フィアはいっぱしに憤慨しながら叫んだ。
そのとき、
「何をわめいてるの。シスター・フィア」
という声とともにふいに姿を現したのは、カタリナだった。
気の強さを感じさせる、まっすぐな金髪がヴェールの下で揺れている。きりっとした眉の下にある瞳は、宝石のようなエメラルド・グリーンだ。カタリナは片手を細い腰にやると、眉をひそめ、「困っているなら、話くらいは聞いてあげなくもないけど……」と、親切な言葉とは裏腹に、いかにも嫌そうな顔をして言った。
「えっ」
思ってもみない申し出に、フィアは目を見開く。
「て、手伝ってくれるの!?」
「そんなことは言ってないわ。相変わらず耳も頭も悪い人ね。『話を聞く』、と言ったのよ」
その結果、もしかしたら手伝う気になるかもしれないけど──と、いくぶん小さな声で付け足したカタリナは、いつものように高飛車な『女王様』ではなかった。今日は控えめな、優しいといってもいいような雰囲気がほんのりと漂っている。
(あれ? なんだか、いつもと違う……)
傍若無人で、言いたいことを言いたい放題に言う人に突然そんな態度に出られると、かえって何か落ち込んでいるのではないかという気がしてフィアは気がかりだった。しかし、ともかくも誰かに相談したかったところだったので、この機会を逃す手はない。善は急げとばかりに慌しく口を開く。
「あ、そ、そう? あのね実はいま、いろいろ困ってることがあって──」
「その前に、あなた、いつ出所なさったの?」
「しゅ、出所? ……あ、そ、それはさっき。お昼前、かな……」
気勢をそがれる形になり、フィアは若干拍子抜けする。
「それにしては小奇麗じゃない」
上から下までじろじろと眺め回す、その値踏みするような目はいつものカタリナだった。
「それは、その……。ちょっとくさかったから、お風呂に入って、着替えて……」
そのへんはあまり打ち明けたい話ではなかったのだが、訊かれれば答えるしかない。
「ああ、そう。……まあ、そうでしょうね。汚いところに二晩もいたのだし」
カタリナはそう言うと、しばらく黙った。
フィアもなんとなく口を開きにくくなる。
このまま気まずい沈黙に突入するのかと思ったが、
「シスター・フィア」
「う、うん? なあに?」
「シスター・エミリアとシスター・ジュリアのせいで、あなたには迷惑を掛けてしまったわね。……ごめんなさい」
突然、カタリナがそんなことを言った。
フィアはしばらく何を言われたのか分からず、ぽかんとしてしまった。
それから、じわじわと噛み締めるようにその言葉の意味が分かってきて、ぎょっとなる。
「え? ぅあ、べ、別に、シスター・カタリナのせいじゃ……」
「あのふたり、わたしに掛けられた疑いをそらすためにやったらしいわ」
「それは、そう、らしいけど……」
違うとは言えなかったので、フィアは口ごもった。
カタリナは静かにため息をつく。
「そんなこと、気にしていなかったのに。どうせ、無実なら無実と、そのうち分かることだったのよ。それなのに変なことをしたせいで、あなたが牢に入るようなことになってしまって。正直言って、少しばかり心苦しく思っていたわ」
「そ、そうだったの?」
「でも、早く釈放されて良かったわね」
カタリナは真実味のある口調でしみじみと言った。
「やっぱり、シスター・デュリが行方不明になったから、あなたが釈放、ということになったのかしら? 牢の中にいて、シスター・デュリを攫うことはできないわけだし」
「そうみたい……。だからわたし、今、シスター・デュリを探そうと思って」
「さんざん憲兵たちが探したのに、今さらあなたに見つけられるはずがないでしょ」
トニアと同じことを、淡々とカタリナが言った。
フィアは渋い顔になったが、ここで引き下がるわけにもいかないので、
「でも、他の人が見落としてるところがあるかもしれないわ」
と言った。
カタリナは呆れたような顔になる。
「自分なら見つけられる、というわけ? ずいぶんと自信があるじゃないの」
「そうじゃないけど……。あの人はちょっと、突飛なことをする人だから、普通に探しても見つからないかもしれないと思っただけ」
「突飛?」
「うん。シスター・クリステラに毒を盛った犯人を捜すといって、あちこち歩き回っていたの。そういうことを、きっと憲兵の人なんかは知らなかったと思うわ。だから、あの人がうろついていたところを探してみようと思ってるの。それでも駄目なら、王都中、人に頼んで探してもらうつもり」
「王都中探すなんて、どうやって」
「知り合いの人たちに頼んで……」
「あなたが憲兵と知り合いらしいと、シスター・エミリアが言っていたけど」
カタリナは目を細めた。
「本当にそんな知り合いがいるの? あなたみたいな田舎者に」
「知り合いというか……。ちょっとでも面識があれば、無理やりお願いしようと思ってるだけだけど。知らない人でも、手伝ってくれそうなら声を掛けるかもしれないし」
「そう」
カタリナは変な人、というように目を細めてフィアを見る。
「まあ、それはいいわ。……とにかく、シスター・デュリを探したいということなのね」
「あっ、あともうひとつあるの!」
慌ててフィアが言う。
「何?」
「あのね。この前、孤児院で火事があったでしょう」
「孤児院って、どこの?」
「どこって、うちの、聖ドロテア女子修道院の付属の孤児院よ!」
フィアはさすがに呆れたが、カタリナは平然と「ああ」と呟いた。
「たしかに、そんなものがあるわね。行ったことはないから知らないけど」
「知らなくても、あるの!」
フィアはここは理解してもらわなくてはならないので、拳を作って力説した。
「それが火事になって、建物が燃えてしまって、子供たちは野宿をしてると聞いたわ。そこのシスターたちが一生懸命探してると思うけど、まだ受け入れ先は見つかってないんだって。だから──」
「それなら、こちらに引き取ればいいじゃない。しばらくのあいだでしょう?」
カタリナはさもなんでもないことのように言った。フィアは肩を落とす。
「もう、そう院長にお願いしたわ……。でも院長は、こちらはこちらでいろいろあってばたばたしているから、駄目だと仰ったの」
「ああ……。まあ、それはそうね。憲兵たちが見苦しく歩き回っているものね」
カタリナは言ってから、ちょっと首をかしげる。
「ほかの孤児院に移すというのは駄目なの? 孤児院ならほかにもあるじゃない」
「うー……。わたしもそう思うんだけど、でも、それを調べてくれるように人に頼んだつもりが、なんだかうまいこといかなくて……」
「それなら、わたしが調べてあげましょうか?」
カタリナの言葉はあまりに淡々としていたので、フィアは、すぐにはそれが救いの手だとは分からなかった。うっかり聞き流してしまうところを、はた、と気づいて目をみはる。
「調べてくれるの? だったら、すごく助かるけど……」
「ちょうど、兄が王都に出てきているのよ。ふだんは領地にいるのだけれど、たまにこちらにも長いこと滞在なさるの。今回もおそらくそうだわ。兄なら従者をたくさん連れてきているし、顔が広くてこちらにも貴族や聖職者に知り合いが多いから、それくらいのことは簡単に調べてくれると思うわ」
「そ、それならぜひお願いするわ!」
フィアは思わずカタリナの手を取った。
カタリナは顔をしかめてそれを見下ろしたが、何も言わなかった。
「シスター・マルギットにも、そう伝えてくれる? きっとすごく喜ぶと思うから」
「シスター・マルギット……。聞き覚えのない名前ね。誰だったかしら」
そんなものいちいち覚えていられない、説明しなさいというようにカタリナがフィアを見るので、フィアは転びそうになりながらも、
「こ、孤児院の副院長よ。こちらじゃなくて、あちらに住んでらっしゃるから、知らないのも無理はないけど……。ときどき、陳情や報告のために院長に会いに来られるわ。ここの院長が、孤児院の院長も兼ねていらっしゃるみたいなの」
と、知っていることを全部説明した。
「ああ……。なんとなく分かったわ」
カタリナは小さく頷いた。
「年配の、穏やかそうな方ね。ほかの修道院から来られてるのかと思っていたわ」
「し、修道服が同じだったでしょ……?」
「ばかねえ。他にも同じ系列の修道院はあるのよ。ここは後見がエトヴィシュ家というだけで、この王都で一番多い正統派の修道院なのよ。そういうところへ行ってみなさいよ、ここと同じ修道服の修道女たちが歩き回っているから」
「そ、そうなんだ……。前の修道院と、ここしか知らないから」
王都では常識でも、山奥から来たフィアは知らないことだった。
ちょっと恥ずかしく思って赤面したが、すぐに気を取り直し、
「まあ、なんにしても、お兄さんが調べてくださるというのはありがたいわ!」
と、意気込んで言った。
「くれぐれも、お力添えくださるようにお願いしておいてね。シスター・カタリナ。妹のあなたが熱心に頼んでくださったら、関係ない人の頼みでもきいてやろうという気になられるかもしれないものね。お兄さんも」
カタリナの手を握ったまま、ほっとしたのと、嬉しいのとでそれをぶんぶんと上下に振ると、
「あなたって、こういう人だったかしらね」
カタリナがいぶかしむように、それを見下ろして呟いた。
フィアも首を傾げる。
「『こういう人』って?」
「もっと内気で、自分が言いたいこともしどろもどろになって、半分も言えないような、そんな人だと思っていたけど。短いあいだに、ずいぶんはっきりと自己主張なさるようになったじゃないの」
「え? だってここ、人が多いから……」
フィアはカタリナが何を言いたいのか分からなかったので、さすがに少しばかり口ごもった。
「慣れた、というわけ?」
「……うん。やっとここにいる人たちの顔と名前が合うようになったし、あなたとも、こうやって普通に話せるようになったし」
「そうね。前はずいぶんと、新入りのあなたをいじめて楽しんだものだけど」
「あ、あれってやっぱりいじめていたの?」
そう言われれば、何かにつけて呼び出され、ねちねちと文句をつけられていた気がするが。
この修道院のルールを知らず、それを守れない自分のほうが悪いのだろうと思っていた。
「そうよ」
カタリナはあっさりと頷いた。
「いつも、新入りはああやっていびってたの。目障りだから」
「あ、あいにくだけど、もう新入りじゃないわ。わたし」
フィアは怯みながらも、カタリナを見て言った。
「それは……そうね」
カタリナはそう言うと、それまでの無表情を崩し、苦笑する。
陶器の人形のようだった顔にほんのりと朱がさす。
「あなたって図太いわ。いかにも弱々しそうで、叩いたら簡単に折れると思ったけど、違っていたみたい。正直言って、何人も新入りを追い出してきたけど、あなたには無駄だったようね。あなたのあとに入ってきた人たちも、あなたと一緒にいるからいじめようがなかったわ」
「そうしなくて良かったと思うわ。シスター・デュリは、いじめられたら三倍くらい仕返ししそうな人だもの」
「たしかにね。あの人、ちょっと得体が知れない……」
カタリナは頬に手をやって、考え込むように視線を地面に落とした。
「姿が消えたというので大騒ぎになっているけど、本当は何か理由があってこっそり出て行ったんじゃないかと思っているくらいよ。そうだったとしても、わたしは別に驚かないわ」
「そうだったらいいけど」
フィアは少しばかり眉をひそめる。
けれど、もし本当に出て行くなら、デュリは一言何か言ってくれたはずだと思う。伝言なり、書置きなり、トニアにでもしてくれただろうと。それくらいの信頼関係は、自分と彼のあいだにはあったはずだ。
それが何も言わずに姿を消すなんて、ちょっと考えられない。
そう思いつつも、デュリは本当に何か用事があって、それでふらっと出て行ったのかもしれない、と思わなくもなかった。
(そういうことをしそうな人だものね。そんなときにいちいち、わたしに何か言い置いていくなんて、そんなふうに思うのは思い上がりなのかもしれないわ。友達だと思っていたのは、わたしだけで……。シスター・ギゼラだって、何も言わずにいなくなっちゃったくらいだもの)
──人には人の事情がある。
別れを言えないまま別れてしまうことだって、あるだろう。
そう考えると、デュリは自分の意志でここから出て行ったようにも思えてきた。
(だったら、いいけど……。悪い人に捕まって、痛い思いをしているんじゃなかったら)
でも、理由などなんでもいいから、デュリに会いたいのだ。彼が懐かしい。
ほんの少し会えなかっただけなのに、そんなふうに思うのは奇妙だけれど。
(このままもう二度と会えないなんて、思いたくない)
その一心で、フィアはデュリを探そうと改めて決意を固めたのだった。