『フランツ=ゴドセヴィーナ?』
その名を聞いたとき、レヴィンは切れ長の目を細めていた。
『それはまた、随分と変わった方のことを知りたいと仰るな』
『ちょっと気になることがありまして。どういう方なのか、あなたならご存知かと』
『それはまあ、名のある貴族ならたいていは頭の中に情報が入っている。……といっても、たいした情報でもないのだが。それでも良ければ聞かせて差し上げよう。わざわざわたしを訪ねて来て下さったお礼に』
『ぜひ。どんな些細なことでも構いません』
──そうしてレヴィンから得た情報は、こういうものだった。
フランツ=ゴドセヴィーナ。二十六歳。
父は獅子王とも呼ばれて恐れられる辺境領主。
母は幼い頃に他界。実質的には祖母に育てられる。
その祖母も数年前に病死。母と祖母のために小さな礼拝堂を屋敷の敷地内に立て、日夜祈りを欠かさないという。また、父の名代で王都を訪れることも多く、そのときにはよく教会のミサに参列し、静かに祈りを捧げる姿を見ることができる。
よほど熱心な信徒のようで、王都の大教会へは毎年多額の寄付をしている。そのため、王都の人間からは何かと侮られ、軽んじられやすい辺境貴族《田舎者》でありながら、教会関係者を通じてあちこちに知り合いがおり、その人脈は手広い。しかしながら華やかな社交の場は好まず、そこへ姿を現すことは滅多にない。そもそも国王が代替わりしてからは、そういった社交の場自体が減っており、そのことは王都の貴族たちの不満の種ではある──らしい。
そんな中で、フランツのように、辺境貴族でありながら頻繁に王都に来て、手堅い人付き合いで人脈を広げていく青年貴族の存在感は小さくない。さらに、ゴドセヴィーナ伯爵家はヴィクターの祖父のもとに『第二王妃』として一族の娘を嫁がせている。第一王妃の系譜である現国王ヴィクターとは血縁関係はなく、またその娘自身、王の子を産むことなくこの世を去ったのではあったが、そういうことがあって、王家とも浅からぬ縁のある一門といえる……。
ざっと、こんなところだ。
これらの情報は、デュリの推測に確信を与えてくれた。
──やはり、ゴドセヴィーナ家の狙いは王妃の座。
ひとり娘のカタリナを王妃にしようと企むゴドセヴィーナ家当主と、その息子のフランツは、毒の扱いに長けたギゼラを聖ドロテア女子修道院に送り込み、次期王妃との憶測が流れていたクリステラに毒を盛り、格上のエトヴィシュ公爵家を牽制した。
エトヴィシュ公爵家が二の足を踏めば、他の貴族たちも同様に二の足を踏む。なぜならこの毒殺未遂が世間に知られれば、その次に王妃に送り込まれた娘こそが、クリステラに毒を持った家の娘であるというようなものだからだ。
そんな危険を冒してまで、エトヴィシュ公爵家と張り合うことはできない。
第一、クリステラ=エトヴィシュほどの手駒を誰も有していない。現時点で、家柄、容姿、人柄、あらゆる面でクリステラこそがもっとも王妃に相応しい位置にいるのである。毒を盛られ、殺されかけても王家に嫁ぐと覚悟を決めているクリステラを、庶民も貴族の鑑と褒め称えるに違いなかった。
しかしギゼラが毒の扱いに長じており、その点では熟練の暗殺者といってもいい者であるとするならば、王妃となったあとのクリステラに、微量の毒を盛り続けて最後には殺してしまう──などということも不可能ではない。そうなったあと、無理やりにでもカタリナを王妃の座に送り込んでしまえば、それで野望は達成される。
世間の疑いの目が向けられたら、今度はカタリナに少量の毒を盛り、一度倒れさせればいいだけのことだ。乱暴なやり方ではあるが、そうすればカタリナへの疑いは一気に晴れる。熟練の暗殺者であれば、クリステラのときと同じように、殺さない程度に毒を盛る──という芸当は朝飯前だろう。
しかしそれらのことは、あくまで、『国王自身が、誰が王妃になっても同じだと思っている』場合に限られる。
ところが現国王ヴィクターの場合、フィアに執心しているという事実がある。
その事実を、おそらく、ギゼラもカタリナの兄も知らなかったに違いない。
もっといえば、クリステラも、クリステラの父も知らないはずだ。
知っているのはごく一部の人間、城に出入りする人間に限られる。そして国王の騎士たちなどは『国王のまわりをうろちょろしている、年若い修道女がいる』ということは知っていても、その修道女を、自分たちの主が大真面目に妻にしようと考えている、などとは露ほども思っていないのだろう。──あるいは、薄々分かってはいても、うまくいかないだろうと思っているから黙っているのかもしれない。騎士の忠誠心というのは、案外、そういうものだったりする。
そんなわけで、フィアとヴィクターの恋愛は不思議なほどに人に知られていない。
その準備を着々と進めているはずの兄ノイエは、このところ領地にこもったまま王都には出てこず、表面的にはまったく動きがない。これでは人に知られるわけがない。水面下では、あの偏屈な父と母の説得のために相当苦戦を強いられているだろうと思われるが……。
だからギゼラは最初にクリステラを狙ったのだ。フィアではなく。
しかし、いずれは国王が王妃にしたがっているのはクリステラではなく、フィアだと気づく。そうなれば、ことは一気に深刻になる。政略結婚なら警告を与えて引き下がらせることもできるが、恋愛結婚となるとそうもいかないからだ。
本気で一族の娘を王妃につけようと思うなら、フィアを殺すしかない。
その結論に、おそらく、ギゼラは達したのだ。
どこかからフィアのことを知り──
この修道院を出て行くふりをして、残った。クリステラに対して警告を続けるなら、クリステラとともに出て行けばよかったのに、そうしなかった。やはり標的はフィアなのだ。
「どこにいる。シスター・ギゼラ?」
呟きながら、デュリは物置の立ち並ぶ一角へ足を踏み入れる。
このあたりが一番、隠れるのに向いた場所だ。普段は誰もここへ来ない。
ひとりで出歩くのは危険だと分かってはいる。確実に、ギゼラには共犯者がいるからだ。その共犯者も、この修道院のどこかに潜んでいる。クリステラの住居棟に侵入して、アラリスともみ合った人間。それが共犯者だ。
ギゼラのあの貧弱な体で、大女のアラリスを打ち倒し、怪我を負わせるなど到底不可能。
生きているうちから伝説になるような暗殺者でもないかぎり、毒だけでなく武芸にも長じているなどありえない。だいたいが、肉弾戦では勝てないから毒を扱うのだ。毒を扱う暗殺者は、毒に味を占め、毒にしか興味を持たない。そういうものだろう。
──なぜなら、“自分もそうだったから”。
「出て来い。もうおまえの正体はわかってるんだ。出て来い……」
呟くデュリの目の前に、長い影がすっと現れた。
──来た。
そう思うと、緊張のあまり手のひらがじっとりと汗ばんだ。
恐怖ではない。興奮のためだ。
生半可な刺激では生きていることを実感できなくなった、この体には必要な刺激だ。
「観念したのか? もうおまえが憲兵に突き出されるのも時間の問題だからな。ギゼラ」
闇夜に声を放つと、くっくっ……と笑う声が向こうから返ってくる。
女の声ではない。男の声だった。
「誰のことを言っているんだ? ──『ディウス』?」
久しく耳にしていなかった名で呼ばれ、デュリは愕然と目を見開く。
ぎゅっと、心臓が縮み上がった。
(今、なんと言った──?)
──その名は。
──その名はもう、封印したはずの名なのに。
それと同時に、長い影が、前方のあちらこちらからにょきり、にょきりと伸びてくる。倉庫の建物の角から。その向こうの雑木の中から。あるいは真横に近い、誰もいないとみえた場所から。
「おまえたちは──」
言いかけたデュリの声が、凍りつく。
「こんなところで会うとは奇遇だな」
闇の中に浮かんだ影が、白い歯をむき出しにし、口元に歪んだ笑みを滲ませた。
「その格好──似合うじゃないか? 男だと知っていなければ、この場で押し倒したいほどだ」
その言葉とともに、あちらこちらから下卑た笑い声が漏れた。
デュリは「そういうことか」と呟き、見開いていた目を無理に細めた。
──まさか、こんなところで出会うなんて。
──とうに、縁は切れたと思っていたのに。
「裏にいたのはおまえたちだったのか……。僕としたことが気づかなかった」
低く腕組みし、血走りそうな視線をひと薙ぎさせて周囲を見る。
ギゼラの裏にいるのは、カタリナの兄、フランツ=ゴドセヴィーナ伯爵子息だとばかり思っていた。だが、目の前にいるのは、けしてカタリナの家人ではない。薄闇に紛れてほとんど見えなくとも、気配だけで、どの顔も知った顔だと分かる。
だが、名前を知っているのはひとりだけだ。
デュリを『ディウス』と呼んだ男。
「『枢機卿使徒』──イシュト。糸を引いていたのが、おまえだったとはね……」
デュリは低い声で呟いた。
「ほう……。まだ俺の名を覚えていたとは、光栄だ」
イシュトと呼ばれた男が声から笑いの気配を消す。
「互いに、一度しか会ってないはずだが」
「あんたがリーダーだろうと思ってたからね。忘れやしない」
デュリは言ってから、ふっと皮肉げな笑みを口元に浮かべる。
「……でも、僕の名は忘れてくれたほうがありがたかったなあ」
「今の今まで忘れていたが、顔を見れば思い出さざるをえないな。その美貌……」
イシュトは声を立てずに笑ってみせる。
「ここで、おまえの存在に気づいたときには仰天したよ。てっきり、『あの方』の『別命』で動いているのかと勘ぐったが……。こんな夜中に、修道女の名を呼びながらふらふら浮かれ歩いてるところを見ると、違うようだな」
「『あの方』? 誰のこと?」
デュリは眉をひそめる。
「枢機卿──アンセルム=ギィは死んだ。その『使徒』であった僕たちは、その時点で使徒と呼ばれる資格を失ったはず。……それに、もう何年も前に活動自体が無くなっていたと思うだけど? それとも僕が何も知らされなかっただけなのかな。こうして、懐かしい面々が揃っているところを見るとね……」
言いながら、自分の言葉に嫌気が差した。
──アンセルム=ギィ。
その名は、デュリの中でもう風化しつつある名前だった。
もう関わることはないと思った。その名にも、その名に連なる者たちにも。
けれど、まさかこんなところで再会する羽目になるとは思わなかった。
「たしかに枢機卿はもういない。だが、我々は“その遺志を継ぐ、ある方”によって王都に呼び集められたのだよ、ディウス。そして無念の死をとげた枢機卿の敵討ちのために、国王の命を奪う機会を狙っていた……」
イシュトが言った。
デュリは唇を歪めて笑う。
「へえ。……それができなかったから、狙いを王妃に切り替えたわけかい? ずいぶんと勇敢だな」
「そうではない。最初から、狙いは国王ではなく王妃だった。自分にとって大事な人間を次々に殺されていくことで、国王に怒りと恐怖を味わわせたかった。それこそが“正当な復讐”だからだ」
「正当な復讐……ね」
アンセルム=ギィの敵討ち。復讐。
今さら、そんなことに巻き込まれるとは思ってもみなかった。
(ちっ……。自分のしたこととはいえ、厄介なことになったな)
デュリは舌打ちする。
ヴァレンヌからやって来た高位聖職者──
アンセルム=ギィは、しばらくのあいだラディウス家に滞在していたことがある。珍しい客人を屋敷に留め置くことに生き甲斐のようなものを感じていた母が、やけに気に入って長期の逗留を許したのだ。
もう、何年前なのか分からないほど昔の話。十代のはじめのころだ。
デュリも、その兄ノイエも、枢機卿からヴァレンヌ語を習い覚えた。
けれど、デュリが枢機卿から習ったことは異国語だけではなかった。枢機卿を『どこか得体の知れない人』とみなし距離を置いた賢明な兄と違い、デュリは好奇心旺盛で、無茶で無謀で、いってみれば自暴自棄なところがあった。
代わり映えのしない日常に退屈していた。
──不満だった。不満しかなかったのだ。
それをぶつける場所も見出せないまま、飽いていた。
行く先も分からず、それでも生きていかなければならないことに飽いていた。
そんなデュリの心の隙間を、まるで嗅ぎ当てたように枢機卿が近づいてきた。
『この国に、私は小さな法皇府を作りたいと思っている。法皇には“使徒”といって、手足のように動いてくれる有能な者たちがいるのだが……。良かったら、君が私の“使徒”となってくれないか? 君のように優秀な若者なら、いくらでも頼みたい仕事があるのだが──』
法皇使徒ならぬ、枢機卿使徒。
その謎めいた響きに、純粋に惹かれた。
この国を点々とするあいだに、見所のあると思った若者には、すでに声をかけてあると枢機卿は言った。近々、集まる機会があるともいい、『そのときにはぜひ君を連れて行きたい』と熱心に言われて、どんな物好きな連中が雁首を揃えるのか見てみたいものだと思った。
単なる好奇心。
──それが、命とりとも知らず。
集められたのは、名前も身分も明らかでない、揃いも揃って修道服に身を包んだ者たちばかりだった。目深にかぶるフードに顔は半分以上隠されている。けれど互いに口を開いて言葉を交わせば、皆、上流階級の子弟ばかりだとすぐに分かった。
明らかな貴族訛り。
その仕草、歩き方。
庶民は使わないであろう、古めかしい言葉が当たり前のようにぽんぽんと飛び交っていた。政治、宗教、軍事──。ありとあらゆる話題がそこでは話されていた。暇つぶしの話題ではなく、自分たちこそが、その当事者だと言わんばかりの真剣さで。
その輪の中にひっそりと佇んでいた枢機卿。
だが、その彼が、気がつけばいつも物騒な話題を提供する張本人だった。
『この世にはただひとりの神しかいない』
彼の言葉は、重石をつけたようにその場に沈み、落ちてゆく。
人の心の深いところへ。
その、理由もわからずに魅了される魔術的な声とともに。
『であれば、国も、たったひとつあれば良い。いつか、誰もがそう自然と思うような未来が来る。国境など必要ない。そのための争いも。戦争はなくなり、軍事力さえも必要でなくなる。そういうときがきたら、この世界に必要とされるのは権力を振りかざす“王”ではない。欲を捨て、私心をすて、ただひたすら神と民衆に奉仕する聖職者。それのみなのです……──』
王の必要ない社会。
そんなものが、この地上に出現すると枢機卿は言う。
嘘のような話だ。信じられない。この世ははじめから終わりまで、王の統治するものだ。血とともにありとあらゆる神話や伝承を受け継ぎながら、王の一族だけが支配者として君臨しつづける。
王朝は天変地異や争いによって変わる。
血脈は、不幸にして途切れることもある。
けれど、王という柱そのものはいつだって揺るがない。
そうして王は、変わることなく玉座にあり続けるのだ。
王がいるから国が成り立つ。なのに、枢機卿は王も国も必要ないと言う。
馬鹿らしい話だ、と最初は思った。けれど、不思議と、いつしか(そんな未来も来るのかもしれない)と思うようになっていた。──今思えば、まったく、熱病か何かに浮かされていたとしか思えないのだが。ともかくそのときは、デュリはギィ枢機卿の話を頭から鵜呑みにしたわけではないものの、すげなく一蹴することもできないでいた。
「悪いけど、復讐なんかに興味はないな」
デュリは、自分を『ディウス』と呼ぶ男に向かって言い放った。
「枢機卿は、たしかに少しばかり変わった人だった。興味も持った。それは認めるよ。でも、それだけだ。あれは単なる社交の延長、僕たち貴族の“大好きな”秘密結社ってやつさ。僕にとって大事だったのはその遊び場であって、遊び場の名義人なんかじゃあない。君たちには違うようだけど」
「では、おまえはここで何をしているんだ? そんな格好までして」
イシュトが薄笑いして言う。デュリは肩をすくめた。
「これは僕の趣味。秘密結社を卒業して、今は女装にはまってるんだよ。ほっといてくれ」
「まともに領地を継げない次男坊は大変だな。おまえの父親はそれを見て嘆くだろうよ」
「おあいにくさま、領地には、僕とちがって常識のある兄貴が戻ってきたからね。心配される筋合いはないよ。……そっちこそ、財務省の上級役人の身で、こんな馬鹿げたことをやってていいの? 『王妃の暗殺』なんて、憲兵にとっ捕まったらただじゃすまない大罪だけど」
「……素性を知っていても、口に出さないのが暗黙の了解《ルール》ではなかったか?」
「あんたが先に言ったんだろう? イシュト。それは僕の言いたい台詞だね」
憮然としてデュリは腰に手をやった。
「ふむ」と呟き、イシュトは乾いた笑い声を上げた。
「たしかに、今のはこちらの失言だった。忘れてくれ」
「ああ、忘れてあげるよ。僕は寛大だから。……そのついでに、通してもらえると嬉しいんだけど。僕が用があるのはあんたたちじゃなくて、違う人間なんだ」
「こんな時間に修道女と逢引きとは、なかなか優雅ではないか」
「羨ましいだろう? こんな格好してるから、修道女とはやりたい放題だよ」
もはやデュリはヤケクソだった。もともと、自暴自棄になるのは得意なのだ。
「それじゃ、行かせてもらうよ。あんまり待たせて、逃げられたら残念だから」
「……そうはいかん」
イシュトが片手を上げると、それを合図に、人の輪が狭まった。
「ここまで話した以上、逃がしてやることはできない。悪いが──消えてもらう」
邪魔者は死ね。
イシュトの唇から、吐息のような言葉が漏れた。
同時に、ばっと人影が動いた。
相手は──イシュトを含めて四人。少ないようにも見えるが、太刀打ちできる数かといえば、残念ながら絶望的だ。ギゼラに共犯者がいても、せいぜい一人だろうと思っていたから、正直なところ短剣のひとつも持っていない。
(共犯じゃなくて、やっぱり、単独犯が複数いたのか……。その可能性は考えたのに!)
──この展開はさすがに予想してなかった。
自分のうかつさを呪うよりも、運の悪さをデュリは呪った。
武器はないわけではないのだが、至近距離でなくては役に立たないうえに、相手が複数となると難しい。おそらく一方的にやられることになるだろうと覚悟しつつ、デュリは襲い掛かってくる相手をかろうじて避ける。
けれど、その先にも敵がいた。
アラリスと揉みあい、怪我を負わせたのは、どうやらその男のようだった。あっというまに後ろに回りこまれ、首の後ろに手刀を入れられる。何が起こったのか理解する間もなく、デュリは意識を失った。
ふわりと崩れ落ちる体を、その男が膝をついて下で受け止める。
「……どうしますか?」
問いかける声は意外に若々しい。
「『下』に連れて行こう」
イシュトは重々しく答えた。
「あそこなら人に見つからん。我々も一緒に姿を隠したほうがいいだろう」
「ええ、そうですね……。このあいだから憲兵が多くて、見つかったら厄介なことに」
デュリのそばに集まった人影が、ごそごそとデュリを担ぎ上げて闇夜に消えてゆく。
それはまるで意思を持った闇が、そのまま人型となってデュリを運び去ったように見えた。