KNIGHT AND SISTER2《騎士と乙女2》

第五章 消えた麗人 6

太陽がゆっくりと傾いてゆく。
隙を見て修道院の外に出、近くを巡回しているはずのベリスやサムエルに助太刀を頼もうと思うのだが、とてもそんなことはできそうになかった。ぴったりと閉じられた修道院の鉄門は、それよりもずっと話の通じなさそうな強面の憲兵二人によって、両側からかたく守られている。
ここにジョルトがいればとフィアは思ったが、残念ながら彼の姿はない。
捜査に加われず、憲兵隊本部の地下牢で、誰もいないのに牢番をさせられているのだろうか。
(こうなったら、頼れるのはアラリスさんだけなのに……)
そのアラリスも、どこへ行ったものか、影も形も見当たらない。
もしかすると彼女はいま、ガーラントと一緒かもしれないと漠然と思った。ふたりが顔見知りなのはたしかなようだし、おたずね者のガーラントが無事に王都を脱出するためには、どうしたって人の助けが必要だろう。
ヴィクターはガーラントを『死んだことにする』と言っていたが、死んだことになっている人間でも、生きて王都の門をくぐり、国境を越えて遠くへ──行き先は知らないが──逃げなければならないのだから、それは大変な道のりだろう。
ベリスとサムエルには会えない、ジョルトはいない、アラリスも──。
それで、どうやってデュリを探せばいいのだろう。
彼が自分で出て行ったのか、連れ去られたのか、それすら判然としないのに。
(……デュリさんて……)
彼はいったい、自分にとってなんだったのだろう。
鉄門に背を向け、フィアは自分の心に問いかけた。
突然現れて、突然消えてしまった人。
最初から何もかも異質で、人目を引かずにおれない人だったのに、フィアやトニアやギゼラのような、とりたてて非凡なところのない修道女たちと一緒に行動し、その中に存在を埋没させていた。

『本当に必要な人間がね。……戻ってきたんだ。家に。だからもう僕は用済み。──さっきの言葉を訂正するよ。逃げてきたのは僕。居場所がないのは僕なのさ。最初から分かってたのに、どこかで認めるのが……怖かったんだろうな』

彼は寂しがりなのだ、とフィアは思った。
とても寂しがりで、ひとりでいるのが辛いから、この修道院に居座っていたのだ。
女子修道院という空間は、デュリにとってはある意味、“この世ならざる場所”だったろう。何しろ、普通に生きていれば縁のない場所だ。そういうところだから、彼は気楽に休んでいられたのだ。──そういうところでしか、張り詰めた何かを休ませることができなかったのだ。
(あのときは、うまく言えなかったけど)
フィアは足を止めた。
(次に会ったら、わたし、デュリさんに言ってあげなくちゃ……)
辛かったなら、逃げていいのだと。
居場所がないというのなら、ずっとここにいればいい。誰も追い返したりしないと。
だから。
だから、“用済み”などと、そんな簡単に言わないでほしい。
そんな人間はどこにもいない。たとえ神に見放されているような気がするときでも、それはきっと、試練なのだ。院長たちがいつも言うように。聖書にも繰り返し、書かれてあるように。
まだ幼かった日に、初めて連れて行かれた孤児院は、つんとすえたようなにおいの漂う暗いところだった。誰でも出入りすることができる、扉のない低い門柱と、同じ高さの塀。けれど子供心には、それははりめぐらされた鉄柵とかわらないものに思えた。そこを越えることは自分には許されないのだと、誰も言わないのに、それだけはなんとなく理解していた。
狭い部屋。乱雑に置かれたたくさんのもの、見知らぬ誰かの持ち物。子供たちの騒がしい声、大人たちの怒鳴り声。門の向こうを通り過ぎる人の幸せそうに見える姿と、こちらへの無関心。たまらず駆け込んだ大部屋の隅で、膝を抱えて泣いていても、誰も声を掛けてはくれなかった。日の当たる外で、みなが楽しげに遊びに熱中する声を聞きながら、母を失ってからというもの、少しずつひびが入り始めていた脆い世界が毀れる音をフィアは聞いていた。──あの、耐えられない瞬間。
──今、自分は修道女で。
それに手を引かれて、おそろしい山道を歩いた子供は、もうどこにもいない。
自分が、孤児たちの手を引く番になった。
鬼ごっこにかくれんぼ。
昔、自分がされたくなかったことを、できるだけしないようと心に決めていたから、いつも同じ子供ばかりが鬼にされていないか目を配ったつもりだ。かくれんぼのときには、全員ちゃんと見つかったか、たしかに目の前に揃っているか、最後にいつも確認を忘れなかった。それだけは、本当に大事なことだったから。
眠れなくて泣いている子には、絵本を開き、覚えたての字を苦心してたどりながら、お話を読み聞かせた。いたるところが読めずに話の筋が飛びとびになってしまい、自分でも何を言っているのかさっぱり分からないときもあったが、そのころにはさいわい、どの子もすやすやと、天使のような顔で寝息を立てていた。
子供はかわいい。どの子も。
かわいくて、愛おしくて、それから少し──泣きたくなる。
なんて無力なんだろうと、泣きたくなる。
昔の自分もこうだったのだろうか? 今もあまり、変わってないような気もするが……。
だからこそ大切で、だからこそちょっぴり腹も立って、そんな子供たちと泣いたり笑ったりして過ごす時間がとても好きだった。この修道院に来て良かったと切実に思う。聖アルメリア女子修道院の院長は、まったくの偶然ではあったろうが、良いところを紹介してくれたものだ。
そうして、フィアは少しずつ“子供”のことが分かってきた。
その目で見て、思う。
デュリも──あの人も、なんだか子供みたいだと。
子供のまま、大人になってしまったのかもしれない。そういう人も、いるのだろう。自分がまだ大人になりきれていないのと、たいして変わらない理由で。だからフィアは、どうしてもデュリに言わなくてはならない。
『必要のない人間なんていない。少なくとも、あなたには、わたしがここにいて欲しい』と。
かつてロゼッタが自分に言ってくれたように、彼にも、誰かが言わなくてはならないのだ。

『もし僕が何かとんでもない騒ぎを起こしたとしたら、それは、「ずっとここにいていい」と言った君のせいだよね? そのとき僕、みんなにそう言うけど? 「シスター・フィアが、僕にここにいていいと言ったんですが!」って』

そんなデュリの言葉を思い出し、フィアはぐっと両手の拳を握り締める。
(言いたいなら、言えばいいわ。叱られるのは──な、慣れてるもの!)
人に叱られ続けて十数年、年季ならたっぷり入っている。……自慢することでもないが。
デュリがどんな問題を起こして、誰に多大な迷惑を掛けたとしても、自分だけは彼の味方をしよう。そういう心積もりが、やっとできた。彼が目の前から、霞のようにふっと消えてしまった今になって。
子供たちのことを案じるのと同じように、彼のことも案じるべきだったのかもしれない。
だって、子供と変わらないような人なのだ。
無邪気で、好奇心旺盛で、悪気なく残酷で。
(まだ遅くないでしょう? ……そうよね?)
誰に向ける問いなのか、自分でも分からないままに問いかける。
そしてフィアは、ぎゅっと土を踏んで踵を返した。
先ほど背を向け、退散しようとした鉄門がその先にある。憲兵二人が、なかなか立ち去らないフィアから、ずっと視線を外さずにいたことが分かった。顔を上げたら、ばちりと目が合ってしまったので。
──睨まれた。
(こ、怖……)
ちょっとばかり青ざめ、早くも後ずさりかけるが、ごくりと唾を飲み込んで踏みとどまった。
言うべき台詞は、そう難しいものではないのだ。
『あの、ちょっと、外に出たいんですけど……。通していただけませんか?』。
それを心の中で五度ほど繰り返す。
さらに用心深く三度練習してから、フィアは足を前に踏み出した。憲兵のほうへぎくしゃくと体を押し出しながら、なおも、もごもごと口の中で反芻する。憲兵の目の前に来たとき、彼らの視線は相当厳しいものに変わっていたが、そんなことで怯んでいる場合ではない。
城の衛兵も、城下の憲兵も、似たようなものだ!
ヴィクターの寝室を警護していた衛兵たちだって、ろくに口もきいてくれなかった。
「あ、あのう!」
そのまま『お頼み申す!』とでも言わんばかりの勢いでフィアは口を開いた。
「なんだ?」
強面の憲兵が、どすのきいた声で即座に聞き返してきた。それに怯みつつも、
「ち、ちょっと、用事があって外に出たいんですけど! と……通してくだ……」
と、練習通りとはいかないまでも、最初だけはなんとか声を張り上げて言えた。
強面の憲兵は「なんだ」と言わんばかりの顔をしてから、「夜間の外出は禁止だ。院長から何も聞いていないのか?」と機嫌悪そうに眉をひそめた。いつもならそこで「はいすみません、分かりましたすみません」と引き下がって逃げるフィアだが、今日ばかりはデュリの身の安全が掛かっているので、なんとかその場に踏みとどまる。
(ヴィクターさんに叱られるよりは、怖くないわ……)
思わず漏れた心の声は、事実だった。
幸か不幸か、彼にはさんざん雷を落とされたので、自分も耐性ができてきたらしい。
「『夜間の外出は禁止』と仰いますが、今は夜じゃありません。夕方です」
小ざかしく反論しつつ、空を指差す。
「ほら、まだ太陽が見えるでしょう? 空も赤くて、黒くないから、絶対夜じゃありません!」
強面の憲兵は、ふん、と鼻を鳴らして笑った。
「そう言うが、外出して、戻るような時刻には夜になってるだろうよ」
「………」
「だいたい、誰に外出の許可をもらったんだ? 院長か?」
「い、いえ、許可というほどの許可は……」
「許可があるのか、ないのか。どっちだ!」
「許可はないです……けど、何か問題がありますか?」
「………」
強面の憲兵はものすごく顔をしかめて唇を突き出した。明らかに苛立っている様子だ。
「あ、ありますよね? やっぱり。分かりました」
フィアはすごすごと引き下がりかけた。……が。
「あっ! そうだ」
思いついて、強面の憲兵の顔を見上げた。
隣にいる背の高い憲兵も「まだ何か用か?」と呆れている。
「憲兵隊にジョルトさんって方がいらっしゃいますよね?」
「……いるが」
憲兵ふたりがちらりと顔を見合わせる。
「なんだ。あの若造と知り合いか? 牢番の」
「あ、ええと、そうです。知り合いで……」
フィアは、目の前の憲兵たちが自分のことを知らないようなので、曖昧に言った。
「その、彼に会ったら、わたしが会いたがっていたと伝えていただけませんか?」
「『わたし』じゃ分からん。名前を言え」
「あ、ええと、フィア……です」
おずおずと名を名乗ると、背の高い憲兵がじろじろとフィアを見おろした。
「シスター・フィアといえば、このあいだ本部に投獄された修道女が、たしか同じ名前──」
「わーっ、あの、なんでもないです! すみませんお邪魔しました、失礼します!」
脱兎のごとくフィアは逃げ出した。
それから、ずいぶん先から憲兵たちを振り返る。彼らには見えないが、涙目になっていた。
「なんだ、あの娘……。気持ちが悪いな」
強面の憲兵の声は苦々しかった。
「挙動不審ですね。もう一度とっ捕まえますか?」
背の高い憲兵が目つきを鋭くして訊ねるが、強面の憲兵は首を振る。
「いや、こんなに早く釈放されたなら、それなりの事情があるんだろう……」
「証拠が見つからなかったとか?」
「ま、そんなところだろ」
「手柄を焦る連中は、手当たり次第に拘束しますからね。数うちゃ当たるで。困ったもんだ」
「あるいは、あれでもいいところの娘で、そっちから抗議があったとかな」
「修道服も妙にくたびれているし、貧乏人の娘にしか見えませんがね……」
「人は見かけによらん。それにここは名門修道院だ」
「まあ、そうですが」
「……まだこっち見てるぞ」
「追い払いましょうか? ……しっ、しっ!」
背の高い憲兵が手を打ち振る真似をすると、フィアは未練がましそうにしつつも、ぴゅーっとその場から駆け去って行った。とても深窓の令嬢には見えない、全速力の、野生の兎のように見事な逃げ足だった。


修道院の外に出ることは、どうしても無理だった。
クリステラはいないのに、デュリが失踪したせいか、格段に警備が厳しくなっている。
正門も裏門も通れないだけでなく、あちこちに憲兵がいて、通りすがる修道女を無理やり捕まえては何か聞き込んでいる。それに捕まらないようにとびくびくしながら──する必要はなかったのだが反射的に──歩いていては、デュリどころか、院長室にもたどり着けそうにない。
院長室の近くに、どうやら憲兵たちが会議室のようなものを設置しているらしい。そこに出入りする憲兵の姿が、少なくとも四・五人は見えた。ほかに門に立っている憲兵などがいるから、合わせれば十人ほどいるのだろうか。
修道院の敷地はそう狭いものではないが、さすがにそれだけの憲兵が歩き回っていると威圧感がある。他の修道女たちも、憲兵の姿を見ると露骨に引き返したり、居心地悪そうに顔をうつむかせたりしていた。
静かだった修道院も、すっかり様変わりしてしまった……。
そんなことを思いながら院長室のある建物の様子を窺っていると、「失踪した修道女の捜索についてだが……」と、少しだけ開いている窓の隙間から、普段は耳にしない野太い声が聞こえてきた。
(デュリさんのことだわ)
すぐに分かった。
フィアは緊張しながら壁にはりつき、耳をすませる。
「紹介状の件はどうなった?」
「──はい。紹介状に書かれていたガラミ伯爵家に、現状を伏せて問い合わせたところ、そのような紹介状は書いていない、知らない、という返答でした。デュリ=アシュボーという女性は、ガラミ伯爵家とはまったく関係のない人物であるようです」
「紹介状は偽造だったのか」
「そのようです」
「では、今度の行方不明事件は拉致ではなく、自発的な失踪の可能性があるな」
「いえ、紹介状は、偽造にしてはよくできていました。公爵家の令嬢の毒殺未遂事件が起こったのちに、修道女がひとり行方不明となると、むしろ犯人であったということが考えられます。この際、指名手配に切り替えられたほうが宜しいかと」
「指名手配か……。たしかに、先日もガーラント=オルベニウスが検挙されたばかりだからな。効果はあるかもしれん。……よし、似顔絵を描かせて王都に張り出せ。本件の犯人として……」
フィアは驚いて、窓から身を離した。
(デュリさんが犯人に──されるの?)
カタリナ、自分と続いて、今度はデュリが。
いったいどうなっているのだろうと、愕然となる。
「……シスター・フィア?」
と、後ろから訝しげな声が掛けられた。
弾かれるように振り向くと、立っていたのはカタリナだった。
「何をしているの? そんなところに張りついて」
「えっ? あ、あの……。ちょっと休んでただけ」
フィアは苦しい言い訳をして、その場から離れる。
カタリナはまだ訝しげだったが、「夕食の時間よ。食堂へ行きましょう」と言った。
「う、うん……」
フィアは憲兵たちの会議の行方が気になったが、それ以上そこにいるわけにはいかないので、カタリナと連れ立って歩き出した。ちらりと後ろを振り返ったとき、先ほどはわずかに開いていた窓が、内側から突き出した誰かの手でパタンと閉じられるところだった。