不幸中の幸いというべきか、今日はウルリクを連れてきている。普段なら随行につけるのは、ベリスやサムエルのような若い騎士たちだ。そのほうが小言を言われなくて気が楽だからである。しかし今日は、口うるさい騎士団長を伴ってきた。それが僥倖だった。
ホランドとミハイと呼ばれた若い騎士たちは、先ごろ近衛騎士団に入隊したばかりで、ヴィクターは彼らの実力を知らなかった。貴族の子弟組で、子供のころから修練を積んで騎士になったという、正統派の者たちであることは見て分かるが。
彼らの剣を持つ手が、わずかに震えているのを見つける。緊張か高揚かは分からないが、あまりいい兆候ではない。
ヴィクターはそれとなく、自分の剣に手をやった。
とはいえ、あまり自信はない。このところ執務室か謁見室にこもりきりで、ペンを持つ仕事しかしていないのだ。毎日の鍛錬を欠かさず続けなければ、剣という道具はすぐに錆びついてしまうもの。特に腕力は驚くほど落ちてしまう。何より──
指先にピリリと、痺れが走る。ただ剣の柄に手を置いているだけで、これだ。舌打ちする。
「我々は“ギィ党”だ。身分などない、全ての人間が平等であれる理想社会の実現のためには、おまえは邪魔だ──国王。──死ね!!」
一人が叫んで、片手を振り上げた。それを合図にして、前後の七人がいっせいに襲いかかってくる。
電光石火の勢いで、ウルリクが一人、二人と弾き飛ばした。カルマインが相手をしている一人をのぞき、残る一人に身を屈めて不意打ちの足払いを食らわせると、体勢を崩したところに剣を叩き込む。薙ぎ払うと、鮮血が飛び散り、相手が絶叫した。そのまま倒れこむ。
すぐさま後ろに向き直ろうとしたが、最初の二人が体勢を立て直し、二人一度にウルリクに飛びかかった。それを一度に弾き返したところで、前から人影と足音が迫ってくることに気づいた。新手だ。──三人。ウルリクは舌打ちする。
「──憲兵!! いないか!?」
怒鳴りながら剣を打ち合わせる。
カルマインがようやく一人片付けて、ウルリクに加勢した。
それに一人任せたが、さすがに年で、息切れしている。長時間の戦いになると不利だ。
「憲兵!!」
もう一度怒鳴る。
狂気に血走った目で剣を振り回す、目の前の敵に致命傷の一太刀を浴びせて絶命させると、ウルリクもぎらついた目で前方を睨みすえた。返り血を拭う暇もない。向かってくる二人は、次々に倒される仲間の姿を見て雄たけびを上げた。極度の興奮状態で突っ込んでくる二人を、カルマインより前に出て受け止めざるを得ない。その結果、ウルリクは国王と財務長官が立っている壁際から少なからず離れる羽目になった。
──一方後ろでは、若い騎士二人が苦戦を強いられていた。
相手は三人だが、実戦の経験のない彼らにとっては、けして楽な戦いではない。ミサの供をして戦いに巻き込まれるとは、想定外だった。
しかし、相手は騎士ではないようだ。目の前の三人は、剣は持ち慣れているようだが、技を極めた者の手つきではない。それがかろうじて、若い騎士二人を救った。無我夢中で剣を振る。その後ろには国王と財務長官がいる。毛一筋の傷も、彼らにつけることは許されない。
だが──
騎士の一人が、目に流れ込んだ汗のせいで一瞬、よろめいた。その隙をついて一度に三人が襲い掛かる。こうしたタイミングを見つけるのは、腐肉にたかる獣のように素早かった。
「──ホランド!」
叫んだが、そのときにはすでに三本の剣が一人の騎士の頭に振り下ろされようとしていた。
今から剣を差し挟んでも、間に合わない。むしろ、勢いで仲間を刺し殺してしまうだけだ。
これから見ることになる仲間の無残な死に、ミハイは思わず目を閉じた。反射的なものだった。
「──何してる!!」
だが、鞭のように響いた声があった。はっと目を開けると、国王が剣を薙ぎ払い、三人の敵を飛びのかせたところだった。その後ろには、いきなり背中を引っ張られて体勢を崩した仲間が、わけもわからず尻餅をつき、茫然と座っていた。
「ぼんやりするな。なんのための剣だ!!」
叱り飛ばされて、ミハイは我に返った。──そうだ。なんのための。
「す、すみません!」
無我夢中で剣を握りなおし、国王に向かってこようとする敵に体当たりした。横から。敵がよろめき、地面に倒れこむ。フードがはずれ、顔が露になった。その胸に剣を振り下ろそうとして──
──できなかった。
──相手は、同じ人間。人を殺したことなど、一度もない。
躊躇った一瞬の隙に、他の敵がミハイに向かって剣を振り下ろした。そのあいだに倒れた敵も跳ね起きて、それに加勢する。二人が、明らかな殺意を顔に浮かべて一度に襲い掛かってくる事態に、頭が真っ白になった。人を殺そうと決めた人間の顔が、こんなにも恐ろしいものだとは知らなかった。
しまった──なぜ、先ほど止めを刺さなかったのだろう?
自分に愕然となり、突っ立つだけのミハイの前に国王の剣が閃いた。
一撃で一人の手から剣を落とさせ、即座に肘を入れて気絶させる。返す一撃でもう一人を沈ませた。間髪おかず飛びかかってきたあと一人を、今度は腹を蹴飛ばして飛びのかせる。ぐう、と呻いて、その一人が唇のはじから血を吹きこぼす。だが、それで倒れはしなかった。地面に片手をつくと、獣のような目で国王を睨みすえる。
があっ、と歯をむき出しにし、執念で再び襲い掛かってきた。だが、すでに国王は剣を構えなおして待ち構えていた。最初の一撃を体をずらしてやりすごすと、勢いのまま前のめりになった相手の背に、容赦なく一撃を叩き込む。
血しぶきが上がり、そのまま、どさりと地面に倒れた。
腰を抜かしていたホランドの目の前に、ちょうど、その敵の頭があった。
「ひっ……い」
怯えたように後ずさると、ドンと背中に何かがぶつかる。ぎくっとして全身を震わせたが、感触からして、壁だと分かった。ほっとした瞬間、全身に鳥肌が立つ。
横には、ルツィエが頭を抱えて座り込んでいた。震えてはいないが、どうも、血まみれの現場を見たくないようだ。
──文官になればよかった、とホランドは束の間、思った。涙目で。
「なんたる醜態だ……!」
一人で七人近い敵を片付けて戻ってきたウルリクが、凄絶な顔でホランドとミハイを見下ろした。へなへなとその場に崩れ落ちたミハイと、最初から尻餅をついていたホランドは、並んで騎士団長を見上げた。──合わせる顔がない。
「も、申し訳ありません……」
「不覚を……取りました……」
「不覚どころではない。陛下をお守りするはずが、守られるとは何ごとだ! 馬鹿めが!!」
ぐわっと大口を開けて怒鳴ったウルリクは、血まみれの顔と体のせいで恐ろしい迫力だった。
「このところ平和だったから、こういう事態を忘れていた」
ヴィクターが額についた血を拭いながら、疲れたように言った。
「刺客か……。久しぶりだな。嬉しくないが」
「いつなんどき、刺客に襲われるとも限りません。このような新入りでなく、腕の立つ者を護衛につけることにいたします。……今回はわたしの失態です、申し訳ありませんでした」
それでホランドとミハイは、自分たちの昇進の道が閉ざされたことを知った。がっくりとうなだれる。しかしヴィクターはそんな二人の肩を叩くと、「あそこに二人、死んでないのが転がってる。縛り上げて、城に連れて戻ってくれ」と命じた。ホランドとミハイは、「はっ!」とそこだけは威勢よく叫んだ──が、立ち上がろうとしても、足が震えていてうまくいかない。思わず前のめりになって、地面に手をついた。
「うう……」
最初の威勢はどこへ行ったのか、半泣きになったホランドを見て、ヴィクターが苦笑いする。
「まあ、無事で良かった……。ルツィエも、怪我はないな?」
「はあ……」
ルツィエはようやく顔を上げたが、血だまりになった路地裏を見て、顔色をなくした。
うぐ、と口元を押さえる。
「き、気分が……」
「貧血だな。しばらく座ってろ」
ヴィクターはため息をついた。
「陛下は、お怪我はございませんか」
カルマインがウルリクの後ろから進み出て、心配そうにヴィクターを見る。
「……そっちこそ。その年で剣を振り回すのは疲れるだろう? カルマイン」
ヴィクターは冗談めかして言ったが、その顔はどことなく冴えがなかった。
おや、とカルマインが目を見開く。いつもの主君らしくないと思ったのだ。
まさかルツィエのように血の気が薄くなり、気が遠くなったわけでもあるまいに。二十そこそこで戦場に出ていたのだから。そう考えて、違和感のもとを探ろうとした。──そのときだった。ヴィクターの手から、ふいに、音を立てて剣が滑り落ちたのは。
ガラン、と乾いた音が石畳の上に響いた。
血のついた剣が、誰の持ち物でもないというように味気なく横たわっている。
「………」
何も言わずに身を屈め、それを拾い上げようとしたヴィクターだったが、先にそうしたのはウルリクだった。さっと剣を取り上げ、自分の服の裾で血を拭うと、無言のまま持ち主に剣を返す。その柄が、右手ではなく、左手で握るべき位置にあるのを見てとって、ヴィクターがわずかに目を見開いた。
──なぜ分かったのだろう。右手に、ほとんど力が入らないということが。
シグワスとの死闘で負った傷が妙な具合に癒着していたところへ、いきなり剣を振り回したものだから、肩の腱のどこかが断裂してしまったらしい。今はそこが燃えるような熱を持っている。これでは城に戻っても、剣どころか、ペンもろくに持てないだろう。半年前に逆戻りだ。
ウルリクが無言なものだから、ヴィクターも神妙な顔をしつつ、無言で剣を受け取った。
カルマインは心配そうな顔をしていたが、そのやり取りを見て、これについては何も言わないことにしたようだ。
「……ギィ党、と言っておりましたな」
話を変えて、気絶している敵のほうを振り返る。
「どうも、不吉な名前です。かの、ヴァレンヌの枢機卿を思い出させる」
「残党だろうな。生きている二人を締め上げれば、何か分かるだろう」
「……縛り上げました!」
若い騎士ふたりが、気絶している敵を引きずってきて、息も切れ切れに報告する。重かったらしい。
見れば、彼らの袖口はぼろぼろになっていた。紐がないので、袖を切り裂いてその代わりにしたようだ。
「よしよし、よくやった」
左手で肩を叩いて、一応褒めておく。若い騎士ふたりが感激したように目を潤ませた。
「城から荷車を出して、積んで運べばいい。あの坂を人間担いで登るのは、ちょっと骨だからな」
「な、なるほど……。では、わたしが急ぎ城に戻って、荷車を用意して参ります!」
ミハイが先に敬礼して、身を翻す。
残されたホランドは、足元で意識を失っているフードの男たちを見下ろし、気味が悪そうな顔をした。
「それにしても、何者でしょう……。ギィ党、などと言っているように聞こえましたが、なんのことだか」
「そのことは、しばらく他言無用だ。分かったな」
ウルリクが低い声で釘を刺す。
「もし口を滑らせたら、おまえたちが今日、どれほど無能だったかをわたしが全団員の前で話してきかせる。覚悟しろ」
ウルリクの目つきがあまりにも冷たいので、ホランドがものも言えずに震え上がる。
(それにしても、この手……)
ヴィクターはそのやり取りを意識の外側に置いて、物思いに沈んだ。
以前の自分なら、今程度の刺客なら、ウルリクと二人で余裕で片付けられたに違いなかった。だが今は、老齢のカルマインや、ろくに人を殺したこともない若い騎士たちを前に立たせて、危険に晒すしかできないのだ。
これからしばらくは、また、ペンさえも満足に持てなくなるだろう。
剣は人を殺める道具。──それは分かっている。だが、この世界で剣を手放すということは、自分の身はもちろんのこと、守りたい者も守れなくなるということと同じだった。かといって左手に剣を持ってみたところで、今日のホランドやミハイ以上の戦いなど出来ないだろう。左手にできる仕事といえば、せいぜい、頼りない線で汚い字を書くくらいなことだ。
剣を持つことは、あのとき諦めたはずだったが──。
実際に戦えなくなってみると、実に不便だと気づく。
──もし、これがフィアと二人きりの時だったなら。そう考えると薄ら寒い心地がする。
(利き腕が駄目なら)
無傷の左手を見下ろし、ゆっくりと握り締めてみる。
それからふと顔を上げた。待っていたかのようなカルマインと目があう。
このところめっきり白髪の増えた老騎士は、人の良い笑みを浮かべてみせた。
「たとえ何年かかっても、努力したぶんは報われるでしょう。やってごらんなさい」
(……お見通しか)
苦笑いして、ヴィクターは左手をおろした。
──たしかに、カルマインの言うとおりだ。たとえ一年や二年で成果は出なくとも、試してみることに価値はある。フィアを守れるだけでなく、いつか、イグナレオナに“対価”を支払えと要求されたときには、剣を持てなければ──死ぬだろう。
フィアと約束した以上は、そう簡単に死ねないのだ。
ずっと一緒にいると、あの娘に、そう誓った。
何も欲しがらず、望まず、自分のこととなると頼みごとすら遠慮するあの娘が、唯一、切実に願ったことがそれなのだから。そのただ一つの“約束”ごとを、嘘にはしたくない。それすら守れないなら、そんな人間に、フィアのそばにいる権利は──ないのだ。