「あの、すみません。列に並びたいんですが」
軽く息を弾ませて言うと、衛兵が振り向いた。
彼はフィアを一瞥するなり、素っ気なく言い捨てた。
「もう今日は打ち切りだ。また次のときに来るんだな」
「そこをなんとか、お願いします。どうしても今日会いたいんです」
「誰だってそうだ。しかし陛下のお時間は限られている。そのために規則があるのだ」
衛兵はまるで融通のきかない顔で言う。しかし、言っていることはもっともに思えた。
フィアは黙った。衛兵を説得する言葉を探したが、うまいこと見つからない。
考え込んでしまった若い娘を前に、衛兵は少しだけ眉を上げた。片方だけを。
「どうしてもというのなら、もっと早くに来れば良かったのだ」
「それが、その……。早く来たつもりが、いろいろとあって……」
「言い訳はよい。ともかく今日はだめだ。おとなしく帰るんだな」
「………」
取り付く島もない。しかし、それも仕方がないとフィアは思った。衛兵にも衛兵の仕事がある。
「それなら……あの、伝言をお願いできませんか?」
「誰にだ?」
衛兵は眉を高くはねあげた。気に入らない、というような表情になっている。
それにひるんだが、フィアは勇気を出して自分の願いを口にすることにした。
「王さま……あ、陛下に……」
「陛下に?」
衛兵が唖然として訊き返してくる。フィアは頷いた。
「はい。『フィア=リンネルが来た』と伝えていただけませんか? えっと……」
本当は「なるべく早く」と言いたかったが、衛兵が目つきを険しくしたために、とっさに口をついて出たのは「あ、後でいいです」の言葉だった。まるで消え入りそうな声の。
フィアは顔を赤らめた。いざというときの自分の押しの弱さがつくづく情けない。未だに信じられないことだが、ヴィクターは自分と結婚すると言っているのだから、こういうときにはもう少し強い口調で、断固として言えば良かったかもしれない。などと後悔した。
しかし衛兵は素っ気なく、
「帰れ」
と、ヴィクターに言われるかもしれないと思っていた言葉をフィアに告げた。
「おまえのような庶民の伝言など、陛下に伝えられるはずもなかろう。帰れ!」
「そ、そうなんですけど、伝えてくださったら分かりま……す」
フィアは今度は、さっきよりも強気の姿勢で臨んだ。
しかしその言葉は尻すぼみになる。衛兵のほうもさっきより目つきが悪くなったからだ。
「いいか娘」
衛兵はフィアを正面に見据えて、剣呑な視線を射るように当ててきた。
「誰しも国王陛下に聞いていただきたいことがあるのだ。だからみな謁見の列に並ぶ。長い時間、暑かろうが、雨が降ろうが、腹が減って倒れそうになろうがだ。……それなのにおまえときたら、遅れて来た挙句、列に並びもせず、自分の言いたいことを『伝えろ』という。いったいどんな権利があって、おまえはそんなことを言うのだ?」
衛兵に苦々しげに説教され、フィアはばつが悪くなった。
「はい……。すみません……」
まったくもって衛兵の言うことは正しかった。もっと早く列に並んでいればよかったが、なんだかんだと時間をくってしまい、こうなってしまった。今さら悔やまれるが、どうしようもない。
「分かったなら、さっさと帰れ」
衛兵は顔をしかめ、あごをしゃくって門を示した。
「次の謁見は十日後だ。あいだが短くて良かったな。いつもなら十五日は空くところだが、このところ陛下は精力的に執務をこなしておられる。そのおかげで、おまえも十日後には列に並べるというわけだ。待ち時間もそう長くはならんだろう……」
衛兵はそう言うと、今度こそ、フィアの存在を無視することにしたようだ。背中を向ける。
「十日後……」
フィアは呟いた。
謁見が行われているはずの建物に視線を向けると、これから来る夜を楽しむかのようにあかあかと灯りがともっている。そのずっと下にある入り口は、木の扉を両開きに開け放って、衛兵の管理のもと、人の列を迎え入れていた。
列が短くなると同時に、人が出てくる。
ひとり、あるいは連れ立って歩いていくその顔には、重苦しい表情は張りついていない。長年の憂いや悩みが晴れたような、すがすがしい顔になっている。たまに大きなため息をつく者もいるにはいるが、それさえ、諦めがついてせいせいしたというように見えるのは気のせいだろうか。
松明を掲げ持つ衛兵の姿も目立つようになってきた城内は、来たときよりもずっと閑散としている。昼間はもっと人が多かったし、列も長かった。人のざわめき声が広場に満ちていた。ひっきりなしに人が行きかい、ぶつかりそうなほどだった。それが今は。
ぼんやりと暗くなったあたりを見回し、フィアは顔を曇らせた。おそらく謁見を希望して来た者の中で、自分が一番暗い顔をしているのではないかと思える。振り返れば、さっきは地団駄を踏む勢いで怒っていたおばの姿も見当たらない。──どこへ行ったのだろう?
「おばさん……?」
フィアは自分に背を向けた衛兵から離れ、歩き出した。
「おばさん!」
声を張り上げたが、返事はない。
おかしい、さっきまでここにいたのに。
あれほど自分から離れたがらなかったおばが、また勝手にどこかへ消えるなんて。
本当に怒って、自分を見捨てたのだろうか? そんな不安が一抹、胸に忍び寄ってきた。フィアはその思いを顔に出し、不安そうにあたりを見回す。おばらしき人影はないかと、薄闇に目を凝らしながら足を速めた。
「おばさん、どこ!?」
おばを探す声が震えた。
自分だけが不安なのではない。おばも不安なはず。
なにしろおばにとっては、慣れない王都、慣れない城の中だ。自分と違い、おばは王都に知り合いもいない。もちろん城の中にも。生まれ育った村を追い出され、借金取りに追われ、流れ流れて王都へやって来たおばは、気丈な性格だから口には出さないけれど、きっと心細いはずだ。
自分がそばにいなくてはいけないのに。
おばは自分が面倒をみなければ……。自分が……。
「ハンナおばさん!」
フィアは大声で言った。
返事はどこからもない。
不安がつのる。
(いや……。せっかく会えたのに、また生き別れになんてなりたくない)
恐怖に似た感情が沸き起こり、胸が締めつけられる。たまらず走り出した。
「おばさん、どこ!? ハンナおばさん!!」
フィアは叫びながら、必死でおばを探した。
広場をはじからはじから見てまわって、おばが座り込んでいないか確かめる。もしかしたら疲れて、目立たないところで休んでいるかもしれないと思ったのだ。その途中すれ違う人がいると、おばではないかと、いちいち胸をぎくりとさせながらのぞきこみもした。
そのたびにフィアの顔は落胆に沈んだ。みな知らない人だ。
そうしているあいだにも暗くなり、人影は溶けるように闇に同化しはじめる。
使用人や女官の姿すら、徐々に少なくなっていくのが分かった。
彼らは笑い声も軽やかに、広場よりもずっと明るいように見える奥へと消えていく。
建物と建物の隙間から見えるそこは、まるでひとつの小さな街のようだった。無数にある窓には灯りが煌々とともり、外にはかがり火がたかれ、行き交う人の足元までをはっきり照らし出している。何かを運ぶ使用人、ゆったりと歩いていく騎士、長いドレスの裾を持ち上げて歩く侍女。そういった人々の顔も、フィアははっきりと見ることができた。
おばはここへ迷い込んだのだろうか?
そう悩みながら先へ進もうとしたが、どこからともなく現れた衛兵に呼び止められる。
「謁見希望者か?」
フィアは驚きながら頷いた。すると、
「この奥は立ち入り禁止だ。引き返せ」
いつも繰り返される言葉のように、それは淀みなく言われる。
フィアは何か言おうとしたが、結局諦め、頷いた。さっきと同じことになるのが関の山だ。
引き返す。
前に城に来たときには、こんなに警備が厳しくなかったと思ったが、今日は謁見日だ。謁見に来た人が城の奥に迷い込まないように、入り込まないように、衛兵たちはいたるところから目を光らせているのだろう。
「おばさん……」
広場に戻ったフィアは、誰にいうともなく呟いた。
その声は少しかすれていた。さっきからおばの名を呼びすぎ、さすがに疲れた。
(ひとりで帰っちゃったのかしら? 城下に)
まさか。
フィアは首を振る。あんなに自分と離れたがらなかったおばだ。いくら怒ったって、本当に自分を見捨てて行くわけがない。昔のように、自分はお荷物になるだけの幼子ではないのだから。
むしろおばは自分を頼りにしていたではないか。
娘のように思うと言い、天国の母のかわりに自分が保護者になると申し出てくれた。
そんなおばが、さっきくらいのことで自分を見限るだろうか?
一緒に暮らしたいとまで言ったのに。
あれは本気ではなかったのか?
──『そんなバカな娘とは縁を切るからね!』。
おばの怒鳴り声が耳の中で聞こえた気がした。
「………」
フィアは急にみじめな気持ちになってきた。
みじめで、悲しくて、それに──寒い。体が冷え切り、気分が悪いほどだ。
別に気温が低いわけではない。肌寒いが、我慢できる範囲だった。原因は『縁を切る』という言葉のせいだろう。それはいつだって不吉な響きを持っている。不吉で、残酷な言葉だ。もうおまえなどどうでもいいという、まるで処刑台の刃のような……。
(おばさん、どこ行っちゃったの?)
広場に立ち尽くし、フィアは自分の腕を手で押さえる。涙ぐんだ。
(またわたしを置いて行ったの?)
そう思うと、子供のように悲しくなってきた。
嘘だと思っても、たまらず涙がこぼれ落ちる。
今日はいったいなんだったのか。還俗するには、あまりに運のない一日だったというしかない。
それ《還俗》だけでもフィアにとっては人生の一大事で、精神的な消耗が大きかった。その余韻を噛み締める暇もなく城へ連れてこられたのはいいとしても、レヴィンにはさんざんに言われ、肝心のヴィクターには会えず、ほんとうにくたくたになってしまった。
そのうえおばがいなくなった。
あんまりな結末だ。
泣きたいような気持ちで立ち尽くすフィアの瞳に、そのとき、見たことのある気がする人影が映りこんだ。それさえ、すぐには気づけずぼんやりしていたが、時間が経ってから何かに打たれたようになった。はっと我に返り、フィアは息を呑む。
「デュリさん……」
呟いた言葉が、自分でも信じられなかった。
けれど、それは事実だった。
薄暗い中、誰かと連れ立って足早に去ってゆくその背中は、たしかにデュリのものだったのだ。
「ま、待って! デュリさん、デュリさんでしょう!?」
フィアは思わず叫んで、歩き出した。
向こうが振り返る。
その瞳が驚きに見開かれた。
それは束の間のことだった。
デュリはすぐに前を向き、足を速める。まるで逃げるように。
フィアはそのことに驚いて足を止めたが、デュリの行く手に分厚い石壁があることに気づいた。城の門をぐるりと取り囲む壁だ。その壁の近くにかがり火が焚かれており、石壁は一部だけ、昼のように明るく照らし出されていた。
そこにちょうど扉が見える。控えめな、普段なら見過ごしてしまうような木の扉だ。
デュリはどうやらそこへ向っているようだ。
隣には連れがいるようで、二人で何か話しながらますます足を速める。
「待って、デュリさん! 行かないで、話を──」
フィアはまた叫んだが、追いつけない。
ついには走ったが、彼らが扉へたどり着くほうが先だった。
連れらしき者が扉を開き、デュリを中に押し込む。まさに『押し込む』という言葉がふさわしい、乱暴な手つきだった。デュリのほうはなぜか文句も言わず、されるがままだ。そのため、フィアはデュリが何者かに手荒な真似を受けているのだと思い込んだ。実際、それは事実だったかもしれない。
「やめて! その人はわたしの知り合いよ。その人を離して!」
走りながら言い、扉のもとへたどりつく。
けれどそれは、ちょうど、連れの手によって閉められるところだった。その瞬間をフィアははっきりと見てしまった。かがり火に照らし出された連れの男の顔は、フィアが知っているものだった。
「ベリスさん──!」
彼が、フィアの顔を見るなり「しまった」というような顔をする。
けれど扉を閉じる手をゆるめることはなかった。フィアの鼻先で完全に閉じられた扉は、思ったよりも分厚く、頑丈そうだ。ちゃんと錠前までついている。今は鍵はかけられていないが、それでも、開けようとしてもびくともしない。
取っ手に両手を添え、渾身の力で掴んで開けようとすると、その手に内側からの抵抗が伝えられる。誰かが扉を押さえているような感覚。だとしたら、そうしているのはベリスでしかありえない。フィアは扉を揺すぶろうと苦心しながら、大声で叫んだ。
「ベリスさん、どうして閉めるの!? その人はわたしの友達なの。ずっと心配してたのよ」
『悪い、シスター』
内側から小声で返事が聞こえてくる。向こうも怒鳴っているのかもしれなかったが。
『事情はまた説明する。今は……』
「駄目よ、今会いたいの。その人と会わせて。……お願い!」
『聞きわけのないことを言わないでくれ。こっちこそ頼むよ』
ベリスの声は苦りきっているように聞こえる。
フィアは唇を噛んだ。
「ねえ、デュリさん、聞こえてるんでしょ? わたしの声が」
扉を叩きながらデュリに呼びかける。
「だったら扉を開けて。わたし、あなたに言いたいことがあるの」
しばらく、なんの返事もなかった。
それでもフィアは扉を叩き続けた。デュリの名を呼びながら。
そのことに降参したのか、ついに扉が開かれた。内側から、押し開けられるようにして。