「──わが国の北国境付近に陣営を築き、長期戦の構えを見せているそうで……近接の領地の領民たちがひどく怯えているとのこと。いかがなさいますか? 陛下……」
陰鬱な軍務卿の言葉に、ヴィクターはすぐには答えられなかった。
──ワシュトリア。その名には、禁忌にも似た響きがある。
ウルヴァキア王国は周辺を数カ国に囲まれている。ワシュトリア──北のワシュトリア帝国は、その中でももっとも巨大な国土を有する大国である。救世母教を国教とする西側諸国とは距離を置き、独自の宗教を持つ異教国で、数十万──あるいは百万ともいわれる軍隊を保有しているという。ウルヴァキアには、「そんなものははったりだ、農民の数を言っているのに違いない」と、まともに信じる者はいなかったが──。
ウルヴァキアの騎士団は、主に王と王城を守るために存在する近衛騎士団をのぞいて、本来主力となるべき王国騎士団がある。しかしこの王国騎士団も、最盛期でも二十万を越えたことはなかった。その、実に四分の三が歩兵である。騎兵は、かき集めても数万にしかならない。
この数はいつも変動していて、正確な数を知らせろと言ってもそれは難しいことだった。騎兵も歩兵も各領地から招集されるので、中央の王都では把握しきれないのである。領主たちの態度もまちまちだ。自分たちがどれだけの数の兵力を出せるかについて、王の機嫌をうかがって水増しし誇大に申告する者もいれば、余分な負担を強いられたくないために少なく申告する者もいる。そのくせ私設の騎士団には精鋭を揃えている、などという例も少なくない。
領主たちに兵を出させられるかどうかは、国王の手腕にかかっていると言ってもいい。国王がかけた号令に共感する領主がいれば兵を送ってくるし、そうでなければ静観を決め込んでしまう。以前、国境争いをしたときがまさにそうだった。ジグモンド王の呼びかけに応じた領主はきわめて少なく、そのために非常な苦戦を強いられた。兵力が足りないだけでなく、食料の提供なども近隣領地から受けられなかったためだ。
そのときの相手も──ワシュトリアだった。
そして、その全指揮を任されたのがヴィクターだった。
王の甥であり、王から指揮権を預けられるのはきわめて自然なことではあった。しかし、これにはひとつの裏があった。当時甥とあまり折り合いが良くないと噂されていたジグモンド王が、その噂の払拭のために甥に大任を任せたのである。
その目論見は当たって、『甥と国王の関係は良好らしい』と世間に知らしめることに成功はしたものの、実のところジグモンド王の真の目的は甥の暗殺であった。戦いの中で甥が死ぬようなことがあれば、しめたものだ──。そのように側近たちから朝となく昼となく進言され続け、正気を失い始めていた王はついにその気になったのである。側近たちにしても、若く、発言力のある甥の存在は目障り以外の何ものでもなかった。
そのため、王都からの支援は無いに等しかった。そのような事情をさりげなく察していた各地の領主たちは、この戦いに下手に手を出せば、とばっちりを食らうことになることを十分に理解していた。そのためになんの支援もせず、ただ傍観を決め込んだのである。それでもワシュトリアが国境を越えることなど出来るはずもないと、たかをくくったのだ。
ノイエのように、領主の息子であるにも関わらず戦いに参加した者もいるにはいたが、父親である領主の許しを得てはいなかった。彼はほかの兵士たちと同じように飲み食いし、戦うしかなかった。ヴィクターによって指揮官のひとりに任じられはしたが、それは友人としてであり、領主の息子としてではなかった。
そのため、前線の状況は悪化の一途を辿った。一時はワシュトリア軍に国境を越えられもした。しかし、かつてウルヴァキアが王都を落とされたことはたった一度しかない。それは数年置きに、まるでひとつの行事のように攻め寄せてくるワシュトリア軍によってではなく、たった一度、死に物狂いで突っ込んできた法皇騎士団によってなされたのである。ウルヴァキアが古い神を捨て、救世母教を受け入れた歴史的瞬間がそのときだった。──ヴィクターの祖父、イヴァーン王の治世でのことだ。
そのような歴史を繰り返してはならなかった。ヴァレンヌ法皇国は、ウルヴァキアに改宗を迫っただけで、占領することを望んではいなかった。少なくとも当時は。
しかしワシュトリア帝国は違う。帝国の名にふさわしく、彼らはいつでも版図の拡大に努めなければならないのだった。常に広がり続けること──そうすることでしか、巨大な国土を維持することができない宿命を背負っている。誰よりも強い、だからこそ支配者としてふさわしいのだということを、いっときも休まず世界に証明し続けなければならないのだ。
ワシュトリアの目的はただひとつ、西側諸国──救世母教を信奉する国々のすべてに戦いを挑み、それを破って、併合することである。その第一の関門として立ちふさがるのが、西側諸国の中ではもっとも東側にあり、ワシュトリアと多く国境を接しているウルヴァキアであるのだった。
だからワシュトリアとウルヴァキアは、宿命的に戦いを繰り返してきた。しかしワシュトリアの掲げる高い野望──西側諸国の征服という夢は、一度もかなうことはなかった。ウルヴァキアはワシュトリアに対して、どのような神のもとであろうとも、変わらず西側諸国を守る盾であり続けたのである。
だが、ジグモンド王の治世になり、その盾がはじめて折れようとしていた。
王都からの支援も、周辺領主の支援も期待できない状況で、それでも勝利するということは、指揮官であるヴィクターの目から見て到底不可能のように思えた。何しろ、兵に満足に食事をさせることもできないほどだ。戦い以前の問題である。
飢えた兵士は周辺の村々を襲って、村人を傷つけた。断固としてそれを禁じて、しばらくは沈静化させることに成功したものの、兵士の忍耐も無限ではない。王都に向かって「糧食を送れ」と矢の催促をしていたが、たまに送られてくる乏しい食料は、あっというまに尽きてしまう。挙句の果てには、「送る途中で盗賊に襲われ、引き返した」などと、信じられないような言い訳を並べる始末だ。
何が起こっているのか、ヴィクターは理解していた。少なくとも、他の誰より正確に理解していた。指揮官だからではなく、ジグモンドの甥として。
叔父だけを責めることはできない。叔父の判断力は著しく低下していた。その側近はクズ揃いで、芯まで腐りきっていた。彼らが公費を懐に入れ、私腹を肥やしていることは知っていた。自分の暗殺を心から望んだのは、情緒不安定の叔父ではなく、その側近たちだということも分かっていた。
しかし、それを明らかにすることがヴィクターにはできなかった。せめて側近たちを叔父から遠ざけていれば──。そのことを前線で激しく悔いたが、たとえ叔父に進言したとしても無駄だったろう。そうした忠義の家臣たちは、みな首を斬られて殺されている。叔父にとって、側近たちは心のよりどころであり、彼らを失うことなど考えられなかったらしい。
そのときは、自分に関係ないとヴィクターは思っていた。だから側近たちを嫌ってはいたが、彼らを叔父から遠ざけようと努力はしなかった。だが指揮官に任じられ、前線に送り込まれたとなると別だ。叔父の側近たちが城の中でほくそ笑むのが見えるようで、何度、剣を手に王都に帰還し、全員を始末してやろうと思ったことか──。しかしそれもできなかった。自分が前線から離れれば、綱渡りの危険な状況が一気に崩れて、ワシュトリア軍の侵入を許すと分かっていたからだ。
進むことも、退くこともできない戦い。その戦いの場に釘付けにされ、できることといえば兵士を励まし続けることだけだった。ときどき、おこぼれのようにもたらされる僅かな食料を分け合い、命を繋ぎ、近隣の村には自ら出向いて謝罪をし、少しだが食料の提供を受けることを許してもらった。そのあいだにノイエや、何人かの信頼できる者を使者に立たせて周辺の領地を回らせ、領主の説得に当たらせた。そうしたことが実り、少しずつ状況が安定していき、最終的にはワシュトリアを撃退することに成功したのだった。
──だが、どれほどの犠牲を払ったことか。
死んでいった者たちが夢に現れるたび、今でも寝覚めが悪くなる。その夢の中で、声の限りに、彼らに向かって何かを叫んでいるときがある。眠っているから声は出ていないはずだが、叫んでいる自分を夢の外側で知覚する瞬間があった。──そして目覚める。夢が途切れると、死者の顔も遠くへ行ってしまう。夢か、と安堵する一方で、耐え難い喪失感に襲われる。夢でなければ、もう二度と彼らには会えない──。
あの戦いが、ウルヴァキアが経験した最後の戦いである。以後、戦争はない。
一度、異端者騒ぎの折に法皇騎士団の侵入を許したことはあるが、話し合いによって解決し、武力を使わずにすんだ。例の、オルカンヌの聖女のときだ。
たしかに──ワシュトリアは今現在、軍備増強に転じているとの報告を受けているが、あの国はいつも動きが鈍い。それだけでなく、ヴィクターが即位したのとほぼ同時期に、帝都でも政変が起こった。そのため、しばらく“内輪揉め”の始末に忙しく、ウルヴァキアに攻め込んでくることはないと踏んでいた。
ワシュトリアは伝統的に、国内に政変があるとき、政治的な目論見の一環としてウルヴァキアの国境近くまで南下してくることがある。今回もそうではないのか、という雰囲気がなんとはなしに醸成されていた。
とはいっても、縮小しようとしていた国境警備軍は、そのままの規模で存続させることを決めた。ただの威嚇かもしれないし、国内向けの示威的な行為かもしれないが、万が一のことがあってはならない。
だが、今すぐ、何かが起こるはずではなかった。
それなのに、今?
戦争の準備も整っておらず、内輪の問題も片付いていないはずが──。