KNIGHT AND SISTER2《騎士と乙女2》

第十章 朝よ来るな 9

「………」
軍議場の上座で黙っている主君に、助け舟を出すつもりだったのだろうか。
近衛騎士団副団長として出席しているメルヴィンが、末席で渋く咳払いをした。
「とりあえず……我らにしたのと同じ話を、もう一度陛下にしていただけまいか。『使者殿』」
メルヴィンが向かいの男に、片目を眇めて視線を送った。
「陛下には、なんのことやらさっぱりお分かりになられないであろう。何しろ突然呼び立てられて、ワシュトリアが『明日にも攻めてくる』などという話をされたばかりでいらっしゃるのだから。それを信じろというほうが無理な話──あ、いや、信じぬ、と言っているわけではありませんぞ? 先ほども申しましたが……」
メルヴィンの言葉に歯切れがなくなる。すかさず、向かいの男がテーブルを叩いた。
「こんなことで嘘をつくとお思いか!? やはりここにおられる御一同は、我らの話を信じてはおられんのだ!」
その勢いに、ヴィクターも意識をその場に引き戻される。
使者と呼ばれた男を見ると、彼は興奮しているようだった。
「しかし事実なのです! ワシュトリア軍はいよいよ戦いをはじめようとしているのです。明日にも攻めてくるかもしれないというのに、どうして我らが平静でいられましょうや!?」
メルヴィンが痛そうに片目をつぶって、口ひげを手でひっぱった。自分の失言が使者を怒らせたのを、まずいと思ったのだろう。しかし何も言わずに黙っている。
「陛下──お聞きいただきたいことがございます!」
使者が立ち上がり、意を決してヴィクターに向く。
「あ、ああ。なんだ」
ヴィクターも少しばかり勢いに押されつつ、頷く。
「わたくしは北部ボリスクの領主、アラダール=クレトヴィチでございます」
使者は早口で名乗った。
色白で中肉中背、四十代ほどかと思われる男である。ウルリクよりは少し若いだろうか。太い首や肩の筋肉など、いかにもがっしりとした印象を与える。短い金髪は少し薄くなってはいるが、髪などどうでもいいというような鬼気迫る顔つきであった。大きな目と、切れ上がった目じりがその印象をさらに強くする。
「ボリスク伯か」
ボリスク、という地名はよく知っている。ウルヴァキアの最北にそれはある。
その領主だと名乗ったアラダールが「はっ」と頭を下げる。
ヴィクターはわずかに眉をひそめた。
「わたしの記憶では、ボリスク領主は違う者だったはずだが……」
「先月亡くなった父に代わり、わたくしが領主となりました。近々ご報告のためにこちらへ参るつもりでしたが……このような形でお目にかかることになりますとは」
悲しみに沈んだように言葉を途切れさせる。
「……そうか。お父上が亡くなられたとは、残念なことだったな」
「は……」
アラダールは恐縮するように目を伏せたが、すぐにそれを見開き、爛々と輝かせる。
「しかし、後を継ぐものがおります。先祖代々の土地を、わたくしの代で失うわけには参りません。それゆえ、わたくしは昼夜を問わず馬車を走らせ、ようやくの思いでこの王都にたどり着いたのです。ひとえに、領地の危難を救わんとしてです。だというのに──」
ボリスク伯アラダールは一同の顔を見下ろし、般若のごとき形相になる。
「ここにおられるご一同は、『陛下は本日ご多忙につき』と、その一点張りで。ならば、と軍議を開くことを要求いたしましたが、話は一向に進まず……! こうしているあいだにも、我が領地は危険に晒されているというのにです!」
その話のあいだに、ヴィクターは左隣に座っている軍務卿に向かって肘ごと体を乗り出し、「なぜもっと早く呼ばなかった」とごそごそ小声で言った。軍務卿のほうもわずかに上体をヴィクターのほうに傾け、「謁見日でして……」と、実に言いにくそうに答える。『謁見日に軍議を開くな』と命じたのはたしかに自分なので、ヴィクターは複雑な顔になった。予定がかちあって、どちらも疎かになってしまうからなのだが……。
「そうは言っても、こんな件は別だろう。そのくらいの区別もつかんのか、いい年をして」
さらに小声になって叱ったヴィクターに、軍務卿が「面目ございません、陛下」と萎れてみせる。誠実さだけがとりえのような善良な老人には、深夜の軍議もこたえるし、王の叱責もこたえるのだった。
「王都の方々は、辺境がどうなっても構わぬとお考えですか。我が領民が殺されるのを、自分たちは直接見ることがないからといって、どうでもよいと仰るのですか! 情けない──そんな保身的な者たちが、仮にも我らが国王陛下の側近であるなどとは」
そのあいだにもボリスク伯アラダールは、一同を非難する言葉を続々と唇にのぼらせていた。相当に腹が立っていたらしい。
「たしかにワシュトリアは何度も国境を越えはしたが、ただの一片も我が領地を切り取ることはできなかった。しかし、今までがそうだったからといって、これからもそうだとは限りませんぞ。そうでしょう! もし今この瞬間にもワシュトリアが我が領地を蹂躙しているとしたら、どうなさいます。誰が責任を取ってくださるのか! 我が領民の命が刻一刻と失われているかもしれないというのに、いったい誰が!?」
アラダールの激怒に、誰も何も言わない。黙って、あらぬ方向を見つめたり、意味もなくタペストリを眺めたり、うつむいてため息をついたりするばかりだ。上級貴族たちはさすがに落ち着いて座っているように見えるものの、軍務卿と同じく疲労の色が濃い。
「なんのための王城です。領民を救ってくださる最後の砦、それがこの城ではないのですか! 民を見殺しにするならば、いったい誰のための国王です。懇願しても拝謁の叶わぬ国王に、誰が救えるというのですか!」
アラダールが興奮のまま叫ぶ。
その言葉に、さすがに何人かが眉を上げた。メルヴィンもそのうちの一人だった。
「お言葉が過ぎられよう、使者殿。国王陛下に対し、そのような無礼な発言は許されぬ」
メルヴィンが苦りきった声で諌める。
アラダールはそちらに顔を向け、興奮さめやらぬまま、それでもいくらか自分を抑えようと努力はして口を開く。
「わたくしめは陛下を非難しているのではありませぬ。無論、そうでございます。陛下は何もご存知なかった……ですから、すぐに騎士団を率いていただくことが出来ぬのも承知しております。確かにご多忙の身であられるのでしょう、致し方のないことです。しかし!」
アラダールの非難は、口を開いたメルヴィンに鋭く向けられた。
「そのことを陛下のお耳に入れることに反対なさった、あなたがたに関しては別です。それは許されぬ専横というもの!」
メルヴィンはうつむいて小さく吐息をつく。他にどうしようもないといった風だ。どうもこのアラダールという男には、面と向かって反論のしにくい雰囲気がある。何も間違ったことを言っていないためだ。
しかし、アラダールの攻撃的な態度は、明らかに諸卿の態度を硬化させていた。議論が膠着したのも、そのあたりに原因があるのかもしれない。アラダールは立て続けに諸卿を面罵し、諸卿は反論するほどの気力もなく黙り込むばかり。それでは議論が進むはずがない……。
ヴィクターは椅子にもたれると、高めの位置にある肘掛に肘をついた。
こめかみを押さえるように頭を支える。
どうやらこの場をおさめられるのは、そのために呼びつけられた自分だけらしい。
「まったくもって危機感がない! これではジグモンド王の頃と何も変わらないではないか! あなたがたはどういうお考えで陛下をお支えして──」
「ボリスク伯」
「いるのか──あ、は、はっ……」
若い国王の発言に気づき、さすがにアラダールが口を閉ざした。
「事態が切迫しているのなら、責任の所在を追及している場合ではなかろう。ワシュトリアが『明日攻めてくる』という話の真偽をたしかめている時間はない」
ヴィクターは片手で頭を支えながら続けた。
「そなたの言うとおり、どこの領地の民であれ、我が王国の民であることに変わりはない。ならば行動を起こすのみだ。それに……ワシュトリアと最後に戦ったのはこのわたしだ。だからこそ、かの国が何をしでかすか分からないということは知っている」
ヴィクターは一度目を伏せ、それから、鋭い目つきでアラダールを見据えた。
「そういえば、あのときそなたの領地からは、たしかただの一人の兵も、片手で握れるほどの麦も提供されはしなかった、と記憶してはいるが……」
その言葉に、アラダールがみるみる顔色をなくした。先ほどまで興奮で顔を真っ赤にし、怒りのあまり額に熱い汗を滲ませていた男が、いまやそれを冷や汗に変えて青ざめてしまっている。
それを眺めながら、ヴィクターは淡々と言葉を締めくくった。
「それはそなたのお父上の判断であって、そなたの落ち度ではないからな」
「それは……た、たしかに、そうでございますが……」
アラダールは青ざめて呟いた。しかし、すぐに目の色を取り戻してヴィクターを見返す。
「し、しかし! それを理由に、今度は我が領地を見捨てると、そのようなことを仰る国王陛下ではないと」
「無論だ」
「で、では……」
「明朝、近衛騎士団をボリスクに出立させよう。そのあいだに王国騎士団の召集をかける。何日かかかるだろうが、それは辛抱してもらいたい。出来るだけ早くボリスクに送り込めるよう、召集場所は王都ではなく北のシエラとする」
ヴィクターは言って、一同の顔を見回した。
だが、彼らの意思や意見を確認する必要はなかった。すでに長いあいだ議論を尽くした一同は、ようやくはっきりと出た明確な結論に、一様にほっとした顔になっている。
「本当でございますか!」
アラダールは信じられないというような顔で叫んだ。それも仕方がないことだった。何しろ彼は昼からずっと、この軍議場で、ああでもないこうでもないと、いっこうに前に進まない議論に苛立っていたからだ。
ヴィクターは浅く頷いた。
「メルヴィン」
「……はっ」
「ウルリクが不在ゆえおまえに申しつけるが……準備を任せていいな?」
「それは……無論。しかし陛下」
メルヴィンが上目遣いにヴィクターを見た。
ヴィクターは「なんだ」とばかりに、眉をひそめてそれに応える。
「ボリスクを守るあいだ、王都の守りはどうなさいます? 近衛騎士団は王都を離れてはならない、ということになっておりますが……」
王都を離れるのが面倒くさいとでも思っているのか、もっともらしく通例を述べる。
「ワシュトリアが王都に到達したためしはない。今回も国境で防ぎきれるだろうし、そうすべきだ」
「たしかにそうではございますが、しかし万が一、他国の侵略を受けました場合には……」
「『他国』とは?」
「それはまあ、いろいろございますが。我が国は周辺をさまざまな国々に囲まれております」
「ヴァレンヌ法皇国との関係が回復した今、我が国に侵略しようという国があると思うか? 周囲はすべて救世母教国家だ──ワシュトリア以外はな。西側共通の敵であるワシュトリアと連携して、戦争を仕掛けてくる国があるとも思えん。それは重大な裏切りだ」
「しかし陛下、先日のウルリク=ユハース卿の報告によれば……」
軍務卿が疲労のためしょぼついている小さな目をしばたき、重い口を開く。
「西側諸国の中に、ワシュトリア帝国と通じている国があるかもしれないと……。特に我が国の真北、ローティリア騎士団領国は怪しいと、そのような報告があったではございませんか。ワシュトリアとローティリアが連携した場合、先ほどの指摘は非現実的とは言えなくなるかと」
ヴィクターはすぐには返答しなかった。
たしかにその報告は受けている。
そのローティリア騎士団領国は、最近までずっと政情が安定していなかった。──いや、今もだ。そのため、いつどうなるか分からないような危うさがある。かの国には伝統的に国王がおらず、“騎士団長”を名乗る人間が小さな国土の一部だけを統治しているだけであり、それが他国と足並みが揃わない一因でもある。
ローティリアに怪しい動きが見られると言ってきたのは、北部の視察に行ったウルリクだった。それを、今回の視察ではローティリア国内に入り込み、はっきりさせる予定だったのだ。それがこの軍議でご破算になってしまったのは皮肉な話である。
「ワシュトリアとローティリアが手を組むことは、ないとは言えん」
ヴィクターは、国王がいないという特殊な形態で国家を運営している、ローティリアという名の小さな国に思いをはせながら言った。──たしかにあれは変わった国ではあるが、だからといって個人的に嫌や感情を持っているわけではない。むしろ、いつも感心しているほどだ。あの大帝国の隣に位置する、豆粒のような国でありながら、よくも今まで併合されずにきているものだと。それでいてウルヴァキアに助けを求めてきたことなど一度もないのだから──。
(あるいは表に知られていないだけで、裏ではワシュトリアと同盟を組んでいるのかもしれん。ありそうな話だ……そうでなければとうに踏み潰されていて、おかしくない)
「だが、ぐずぐずしていては肝心のボリスクが占領されてしまう。そのような事態は避けねばならない。王国騎士団の召集を待っていては遅すぎる。国境警備軍の指揮をとるためにも、すぐに動かせる近衛騎士団を出すしかなかろう?」
それとも他に策があるのか、と問いかけると、メルヴィンも軍務卿も口を閉ざしている。要するに念のため確認したかっただけで、意に逆らうつもりはないと、そういうことなのだろう。
「他に異論がなければ、これで終わりにするが」
一同の顔を見渡す。誰も、異論はないというように静かに首を振ってみせる。
特に年寄り連中はほっとしたように吐息をつき、疲れた目元を指で押さえていた。
アラダールも、早速のように願いが聞き届けられ、いささか拍子抜けしているようだった。そのときに一言苦言を呈しておいたのも効いているに違いない。過去を蒸し返す趣味はないとは言っても、ヴィクターは一度たりとも、あの戦いで領主たちが保身に走り、なんの援助もしてこなかったことを忘れたことはなかった。──死んだ者たちの顔を忘れることがないように。
「では、軍議はここまでだ」
ヴィクターが立ち上がる。一同も、それにならって同じように立ち上がった。
(それにしても、フィアが還俗したばかりだというのに……一緒にいられるのは朝までか)
妙な感慨にふけりながら軍議場をあとにしようとして、ふと、呼び止める声が耳に入る。
「おそれながら……陛下」
目を向ければ、下げた頭をゆっくりと上げたのは、最初に気になった男だった。