KNIGHT AND SISTER2《騎士と乙女2》

第十章 朝よ来るな 12

「あーっと、君たち、その話はいったん置いておくとしてだ……」
フィルデールが、ベリスとウルリクの間に強引に割って入る。
「シスター・フィアの件をどうするかって話ですよ」
「『シスター・フィア』?」
その場の話から自分を切り離そうとしていたデュリが、顔を上げた。
「彼女がどうしたの」
「……知り合いか?」
フィルデールが怪訝な顔になる。
「同じ修道院にいたんだよ。……ねえ、デュリ君?」
いつのまにか長いすに寝そべっていたレヴィンが、背もたれの向こうから言った。
「同じ修道院って……聖ドロテアは女子修道院だけど? ……あれ、女の子なの?」
フィルデールが目を丸くして、デュリの胸に手を当てた。デュリがぎょっとした。
「やっぱり男じゃないか。弟というから、男だろうとは思ったけど」
フィルデールがむっとしたように顔をしかめた。「わざわざ確かめて損した……」
デュリは男であるにもかかわらず、理不尽な乱暴をされたような、非常に嫌な気持ちになった。
「彼女は……ラディウス公爵家の養女になることが決まってるんだよ!」
デュリは汚らわしそうに胸の前を手で払いながら、腹立ちまぎれに言った。
「だから僕にとっては妹同然だ。兄さんもそう思ってる。そういう縁だ!」
「ラディウス公爵家に……養女?」
フィルデールが唖然となった。
「そんな話になってんのか? いつのまに?」
「陛下とノイエが、そういうことにしようと画策している」
レヴィンがフィルデールに答えた。眠そうな声で続ける。
「無駄なあがきだと思うけどね……。肩書きをどう変えたところで、本物の公爵家令嬢に太刀打ちできるはずもない。あのシスター・フィアだよ? クリステラ=エトヴィシュや、他の名だたる名花たちと比べられるはずもないだろうに」
「でも名目上は格好がつくわけか……」
フィルデールが小さくうなった。レヴィンが鼻で笑う。
「つきはしないよ、フィルデール卿! しょせん付け焼刃だ。貴族たちの神経を逆なでするだけの結果に終わるのは目に見えている。現に今だって、そのことを知った彼らはなりふり構わぬ手段に出ているんだからね」
「だからといって、攫っていいわけじゃない」
フィルデールが断固として言った。
「団長、この機会にはっきりさせておいてくださいよ」
ウルリクに向き直り、フィルデールが人差し指を突きつけた。ウルリクが顔をしかめる。
「『シスター・フィアに近づけば、彼女に危害を加える』。そんなことを言いふらす連中は、片っ端からとっつかまえて締め上げてやるとね。この件が片付いたら、わたしも誰が黒幕なのか暴いてやるつもりでいます……でも今は彼女を探すのが先決だ。『あの人』だけに始末をつけさせるなんて、そんなことはできない」
フィルデールはそう言い終えると、早足で執務室を出て行く。黙って壁ぎわに立っていたイーゴリも、黙礼してその後を追った。
「シスター・フィアに何かあったんですか?」
ベリスが唖然となって、残った面々を見回す。
「えっ……ちょっと。誰か説明してくださいよ……。何も知らないんですが、俺……」
「彼女は『還俗』して、城に来、そして賊に拉致されたのだ。見て分からないか?」
レヴィンがため息混じりに言った。
「還俗って……え? そんなこと全然、言ってな……」
ベリスがようやく我に返ったように、執務室の中を見回した。
「これって……ナントカ党の連中がやったんじゃなくて?」
「それはギィ党のことかな、ベリス卿? 先日陛下を襲った連中のことだが」
「ああ、そ、そうそう……。ギィ党ですよ。ギィ党。執務室で騒ぎがあったって聞いて、てっきり、このおぼっちゃんが遊び半分で加入しようとしていたギィ党の連中の仕業だと、思い込んで……。だけど」
ベリスは口元に手をやった。その顔がみるみる青ざめる。
「シスター・フィアが攫われた? ──ギィ党の連中に?」
「ギィ党という名は聞いているが、どういう連中なのかまでは把握していない」
ウルリクが静かに言った。
「今度の賊が、その連中なのかどうか、検討してみるべきかもしれんな。調べてみよう……わたしにはあまり時間がないのだが。近衛騎士団としては、ワシュトリアの件が最優先なのでね」
「……それは、シスター・フィアを見殺しにするということでしょうか?」
サムエルが硬い声でウルリクに訊ねた。
「そうは言っていないが。それよりも、我々にはするべきことがある、と言っているだけだ」
ウルリクは冷ややかに答えた。
「陛下も、あの娘のことだけに時間を使いすぎる。明日、ボリスクへ発たなければならないのはあの方も同じなのだがな。一睡もせずに出陣されるつもりだとしたら、まあ、それはそれでわたしは構わないが。途中でお倒れになりさえしなければ」
「くれぐれも、無茶をさせないでくださいよ、ウルリク卿」
レヴィンが不意に身を起こし、背もたれごしにウルリクを見据えた。
「どういうことかな? よく分からないが……」
ウルリクも目を細める。
「戦争とは無茶な状況の連続だ。ペンしか持てない貴方はご存知ないかもしれんが」
「そのボリスクへ行って、状況が膠着するようなら陛下はこちらに送り返していただきたい、と言っているんですよ、わたしは。戦いの指揮ならあなたにもできるはずですが、この部屋で書類にサインすることができるのは、あの方だけなんですからね」
「他国との戦争に“旗印”がないとなれば、兵士の士気に関わる。承諾はできかねる。第一、陛下がそれに了承なさると思われるのか? 執務補佐官殿?」
「まあね……しないでしょうが」
レヴィンは吐息まじりにまた身を横たえ、ウルリクの視界から姿を消した。
「一応、念頭に置いて頂きたい。つまらない戦いであの方に命を落とされたら、ことですから」
冷ややかなやり取りの後ろで、ベリスが顔をしかめる。
ウルリクは武官代表のような騎士団長で、レヴィンは文官代表のような執務の補佐官だ。どちらの言い分も間違っているとは思わない。しかし、何かが起きざりになっているような気がした。ぐしゃぐしゃと髪をかきまわしたあと、ベリスは何も言わずに執務室を出て行った。
残されたのは、レヴィンとウルリク、それからサムエルとデュリの四人だった。
掃除のために女官たちが入室したそうに、扉の前をうろうろとしていた。
「……入ってくれ」
気づいて、サムエルが紳士的に声を掛けた。女官たちはほっとしたように頷く。
「失礼いたします……」
「後ほど、絨毯をお取替えいたしますので」
「何か食べるものはないかな、女官殿?」
レヴィンが寝そべったまま声を掛けた。
「あ、はい……ご所望でしたら、何か作ってお持ちいたしますが」
女官のひとりがためらいがちに言って、わずかに首を傾げたが。
「何が宜しいですか? レヴィンさま」
「やめておいたほうがいいですよ」
デュリがそれに口を挟んだ。
「こんな騒ぎのときに、毒なんか入れるのはひどく容易いことですからね」
女官の誰かに言ったわけではないが、女官たちが身を固くするのが分かった。
「別に、君たちのことじゃないけどね」
デュリがばつの悪い顔で説明した。
「あ、はい……」
女官たちが恐縮したように頭を下げた。
そして、執務室のあちこちに散らばり、四人ほどでいっせいに掃除を始める。
「……そろそろ失礼する。朝までにすることが山積みなので」
ウルリクが断り、足早に退出していった。
サムエルは扉の外に出て、護衛に立つことにしたらしい。
黙礼のあと、姿が見えなくなった。


「二人だけになってしまいましたね」
デュリが呟き、レヴィンの向かいに腰を下ろした。一人用の椅子だ。
「あのベリスって騎士、僕を置き去りにしていったけど。どういうつもりだろうか」
「逃げたければ逃げろということじゃないのかな?」
レヴィンは公爵家の息子を目の前にして、まるで王族のように長いすに寝そべってくつろいだままだ。この部屋ではたしかにレヴィンは主人のようなものである。ヴィクターをのぞいては。
「どちらにしても、きみを捕まえておけないのは分かっているだろう。ラディウス公爵家の名前を出されてはね……きみのお父上は滅多に領地から出てこないが、それでも名は通った方だ。国家の重鎮のひとりとして」
「国王陛下には災難ばかりが続きますね」
デュリは物珍しそうに、執務室の中を見回した。
「しかしあの方の場合は、大半がご自分で招かれる災難だ。わたしも同情はしない。この件に関しては。……シスター・フィアは疫病神以外の何ものでもないからね」
レヴィンが目を閉じたまま、苦笑をする。そんな顔を見ながら、デュリは眉を曇らせた。
「シスター・フィアは無事だと思いますか? あなたは」
「さあ、どうかな……。みな必死で捜しているだろうが」
「僕はもう殺されたんじゃないかと……」
デュリはそこまで言って、口を閉ざした。
さすがに自分の言葉に、自分で身震いしそうになる。
「あの娘は……」
レヴィンはゆっくりと目を開けて、天井を見た。今は暗いので黒く見える。蝋燭の明かりも、天井までは届きにくい。数は多いが、あたりを照らし出すだけだ。
「『助けて』と言わないんだよ。滅多に」
「そうなんですか?」
「そう。だからさっきも、この部屋で……自分が賊に襲われているというのに、わたしに『逃げて』と叫んだ。普通の娘なら『助けて』と叫ぶところなんだがね。きっと、人に助けを求めるなんていうことを思いつかないんだろう。頭が悪すぎて」
「………」
デュリは黙っていた。それから、唇を噛む。
「彼女に会ったんですが、知らん顔をしてしまいました」
「それは実に賢明なことだよ、デュリ君」
「関わらないでくれと、言ってしまって」
「君は本当に人を見る目があるな」
「でも今は後悔しています。こんなことになるんだったら……言わなければ良かった」
「そうか?」
レヴィンは静かに問いかける。
「わたしはそうは思わないな。わたしが君の立場なら、だよ。なぜならあの娘に関わっても、ろくなことがないからだ。自分で自分のトラブルを解決することのできない娘に、何ができる? こうして災難に巻き込まれて、命を落とすのが関の山だ。いずれそうなると分かっているのに、友達になろうなどとは思えないだろう」
「僕には……ありましたよ。いいことは」
デュリは小さく笑った。自嘲に似ている。
「彼女に会っていなければ、死んでいたかもしれない。……目的を失ってしまいましたからね。人から見たらつまらないことかもしれないけど、いろんなことに少しずつ絶望して、投げやりになっていた。そんなときに彼女に出会って、人を……」
少し躊躇ったあと、デュリは結局言葉を続けた。
「好きになったら、彼女のような人を本気で好きになったら、人生ももう少し楽しくなるんだろうなと、そう思えましたよ」
その言葉にレヴィンは微笑んだ。目を伏せて。
恋だの愛だの、そんな甘い言葉は彼の辞書からとうに消されてしまった言葉だった。しかし、デュリのような若者からそんな言葉を聞くというのには、また別の感慨がある。
「そうか。それなら、ぜひとも『本気で』彼女を好きになってもらいたいね、デュリ君。わたしの主君はあまり楽な競争相手ではないが、可能性は無いではない。それに主君は、明日から辺境へ行かなければならないんだよ。戦争のために」
「ワシュトリア……。本当に戦争になるなんて、なんだか信じられないな」
デュリの呟きに暗い色がにじむ。レヴィンは浅く頷いた。
「わたしもだ」
「夢の中の話みたいに現実味がない」
「どうも胡散臭いんだがね……。今さら止めても無駄だからね。せいぜい静観させてもらうとするよ」
「剣を持って、ついていけるわけじゃありませんからね」
「そう。……だからまあ、半年くらいは戻って来られないんじゃないか? そのあいだに君が、シスター・フィアを奪ってしまえばいいんだよ。わたしは全力でそれを応援するがね、考えてみないか?」
その気になって少し身を起こしたレヴィンに、デュリが目を伏せて笑う。
「……どう口説いたところで無駄ですよ」
「そうかな? 試してみることをお勧めするよ、デュリ君。押し倒しでもすれば、案外、あっさりきみに靡くかもしれないだろう。若い女の気持ちは変わりやすいから……なんなら私がほれ薬でも盛ってこようじゃないか」
デュリはしばらく考えいたが、やはり笑った。今度は少し苦く。
「やめておきますよ。そんなことをしたって、やっぱり彼女は僕には靡かないでしょう」
「やってもみないのに、諦めるわけか。若いくせに度胸がないな」
レヴィンが軽く挑発しても、デュリは冷静なままだった。
「だって、明日戦争のために辺境に発たなくてはならないというのに、国王陛下は彼女を探しに行ったんでしょう? 一睡もしない覚悟で」
「そのようだな」
レヴィンが気乗りしない相槌を打った。目を閉じ、片手をまた枕代わりにする。
デュリは長い睫をしばたき、視線をゆっくりと床に落とした。
「でも僕はここから動かない。もし彼女が死んでいたら、それを見るのが……嫌だからです。もし無事だったとして、彼女がどちらを好きになるかは自明ですよ、そうでしょ?」
「……なるほど」
レヴィンはふと目を開けて、呟いた。
彼にしては珍しく、心から納得したようだった。