KNIGHT AND SISTER2《騎士と乙女2》

第十四章 剣と剣 18

──ラッパが鳴る。
ルーデックは係りの者に合図され、ノイエから借りた立派な葦毛の馬で、ゆっくりと木製のゲートをくぐった。
視界の正面に出てきたのは、まだ少し砂ぼこりの残った広場である。
周囲にはぐるりと客席が作られていて、まるで砦のようになっていた。そこを埋め尽くす人、人、人……。すでに熱気が上がっている。
その砦の中に自分が否応なく追い込まれていく感覚がして、馬上の彼はぶるりと武者身震いする。
この馬は昨晩と今朝の二回、けっこうな時間をかけて一緒に走ったから、もうだいぶ慣れた。さすがに公爵家子息の馬だけあり、物静かだが、内側には何かじっと闘志を秘めたような馬で、馬のことは分からないルーデックにも凡馬ではないと感じられる。
同時に、向こうのゲートから茶色の馬が入場してくる。
頭の先から足のつま先まで金属製の甲冑に身を包んだ馬上の人物は、ファルス=ベリウスという名で参加登録している。それが城で寝込んでいると噂の国王だとは、誰も知るまい。ルーデックは周囲を見渡してそう思った。
国王の馬にしては平凡だ、と彼はできるだけ冷静に観察する。
冷静さ──そう、それこそが今は大切なものだ。すでに心臓はいつもと違う感じに跳ねていて、息も少し上がっているから、落ち着かなくてはならない。落ち着かなくては……。
それにしても、フィアはどこにいるのだ?
ルーデックは手綱を揺らしながら、一般客席のほうにしきりに目をやるが、それらしい姿は見つけられない。観客は五千人近いらしいから、この中から探すのは至難の業だ。
しかし、ここで冷静さが役に立った。
(ノイエ=ラディウスがいたということは……)
貴賓席にぱっと目をやれば、主催席のノイエの隣に、落ち着いた色あいの赤いドレスを着た娘が座っている。あれじゃねえのかとルーデックは目をすがめるが、じっくり観察している時間はない。急かすように二度目のラッパが鳴って、所定の位置につくように合図される。
踏み板のところまで馬を進めた。
貴賓席にいるフィアらしき娘は、自分の対戦相手が誰か知っているのだろうかと気になった。
いや、知っているにしても、知らないにしても、自分が勝たねばならないことには変わりない。彼は自分にそう言い聞かせた。
右手に持った槍はずしりと重い。剣三本分くらいの重さがある。槍の練習はほとんどできず、馬に乗りながら一人きりで槍を振り回したりしてみた程度で、実戦の感覚がないのがつくづく残念だった。ただ、今日は目を皿のようにして試合を観察し続けたから、この槍をどのように操ればいいのかは、彼の頭に入っていた。
イグナーツが『筋がいい』と言ったのは世辞ではなかった。
ルーデックは、子供のころから運動がよくできた。木登り、水泳、かけっこ……。何をやっても近所の子供に負けたことがない。これで子分がいればガキ大将になれたろうが、あいにく群れるのが嫌いだった彼は、外ではいつも一匹狼だった。
近衛騎士団に入ってからも、それほど真面目に訓練しなかった。──いつもさぼっていたと言ったほうがいいかもしれない。入団を許されたことで完全に気が緩んでいたのだ。そのことが、今になってルーデックには悔やまれた。
しかし今、彼の神経は目の前の試合に集中し、研ぎ澄まされていた。
(勝ってやる。絶対に勝つ、勝ってやる。勝つぞ……)
彼は呪文のように胸の内で呟いた。
そして抜けるような青空を仰いだ。ふうっと大きな吐息をつく。
(兄貴二人分の仇だ。絶対に討ってやる!)
万が一、殺してしまってもしょうがないというくらいの勢いで行こう。それを咎めないルールもちゃんと用意されている。いざというとき、相手に情けをかけて槍の一撃が鈍りでもすれば、自分のほうが致命傷の一撃を食らうだろう。
(非情になれ)
ルーデックは自分に言い聞かせた。
(甘ったれたことを考えていると、即座に討ち取られるぞ。非情になれ!)
すでに人ひとり殺してしまった自分ではないか。盗賊だったとはいえ。
それが二人になったところで、たいした違いはないのではないか?
いや──そんなことはない。目の前にいるのは国王だ。もし傷を負わせたら、一生この国にいられなくなるだろう。
では、負けるのか? わざと負けろと?
冗談じゃない。なんだって俺が身を引かなきゃいけないんだ。ルーデックは心の中で叫ぶ。同じ人間──同じ人間じゃないか! 何が国王だ。ただ、他の連中より多くを殺し、多くを望んだだけの一族だろう。つまりは、ただの強欲なのだ。強欲な一族。
心臓がどくどくと波打つ。
彼は小刻みに息をした。
右手にあらんかぎりの力をこめ、槍を握り、まっすぐに目の前を見つめて。
次のラッパが鳴れば、試合開始だ。観客も息をのみ、今か今かと待っている。
額から流れ落ちる汗が目に入る。ルーデックは片目をすがめた。汗をこすりはしなかった。そんなことをしているあいだにラッパが鳴れば、出遅れてしまうだろう。わずかな遅れが、圧倒的な不利になるのだ。今まで試合を観察してきて、それがルーデックの学んだことだった。
(出遅れるな。……飛び出せ! ここよりずっと遠くに行くつもりで)
その途中に、あの騎士が立ちはだかっているだけだ。
それを槍で突き通し、落馬させ、そのあとを馬で蹴散らして駆けるのだ……。
──ラッパが鳴った。空を割るような音がした。
ルーデックは腰を浮かせ、馬に思いきり拍車を当てた。いつもは穏やかな葦毛の馬も、今までにないほどの痛みを与えられて驚き、甲高くいななきながら走り出した。
向こうからも茶色の馬が突進してくる。乗り手は右手に低く槍を構えている。
真ん中には仕切りの板が長く設置されている。その板の側面ぎりぎりを走るのだ。
すれ違いざま、ルーデックは長い槍を勢いよく突き出した。
相手の胸元に向かって。
相手がその槍を、自分の槍で弾く。けれど、どことなく鈍いような動作だ。
いける、とルーデックは確信した。今まで見てきた騎士たちに比べて、目の前の騎士が格段に力量があるというわけではないと分かったからだ。
(右肩の怪我のせいか? ……俺に有利だ)
二本の長い槍が絡み合い、馬がその場に釘づけされたようになる。たくみに手綱を操り、馬を前のめりにしたり、後ろに引かせたりしながら、何度も槍を繰り出しあう。
一瞬の隙を見逃さず、ルーデックの一撃が相手の胴を突く。
渾身の一撃だった。相手が馬上でよろめいたように見えた。
しかし、次の攻撃は失敗だった。ルーデックが甘い角度で突き出してしまった槍に、すぐさま相手の一撃がかぶされたのだ。その一撃はルーデックの槍を真っ二つに叩き折った。木製の槍だから、力がかかれば簡単に折れてしまう──。


貴賓席で息を呑んでいたフィアは、「あっ!」と叫んだ。
「ルーデックの槍が折れたわ!」
フィアは蒼白になって叫んだ。
今や、彼の前に立ちふさがっている騎士は──どこの誰だか知らないが──自分たちの結婚を邪魔する邪魔者にしか見えない。フィアは動揺のあまり、「ひどい! ルーデックは槍が得意じゃないのに!」と叫んで立ち上がってしまい、ノイエに手を引っ張られた。
「お静かに、フィアさま! ……槍が得意でないのに槍試合に出る人は、普通はいません」
ノイエはフィアを座らせようと努力した。こんな貴賓席で、素っ頓狂なことを叫んで立ち上がったりするのはとても目立つからだ。実際、前のほうの貴婦人たちが眉をひそめて振り返るのが見える。
「とにかく、落ち着いて……」
「だって、このままじゃ負けちゃう」
フィアは涙目になってノイエに訴えた。
「この勝負には、わたしたちの結婚がかかってるのよ!」
見下ろす先で、ルーデックは剣を抜いたところだった。彼は折れた槍を捨てたのだ。
フィアはひどい不安に襲われた。彼が負けるどころか、怪我をするかもしれないと考えた。
ルーデックは必死で戦っている。
彼の剣さばきは、そう悪いものではない。それどころか、有利にさえ見えるときもあった。見ているノイエも、「意外とやりますね」と思わず呟いたほどだ。
フィアもそう信じたかった。彼は勝ってくれると。
「ま……負けるわけないわ」
フィアはどきどきと鼓動を打つ胸を押さえた。息が苦しいくらい緊張する。
「お願い、勝って……。勝って!」
フィアは口に両手を当て、立ったまま叫んだ。
ノイエはもはや、フィアを座らせることを諦めた。まるっきり庶民の娘のような応援の仕方ではあるが、これがフィアの性格なのだろうから、無理に直すのはどうかと思ったのだ。当然ながら周囲の貴婦人たちの評判は「まあまあ、行儀の悪いこと!」などといって良くないだろうが、自分も一緒になって悪口を言われるくらい、別にどうということもない。
それにしても、フィアは対戦相手が誰かを知ったら卒倒するに違いない……。
「ルーデック! 勝って! ……そこよ右! ……あーっ、惜しい! あと一発!」
彼女は我を忘れ、金切り声で叫んでいる。──珍しい光景ではあった。
しかしそれも、周囲の観客の歓声にかき消されてしまう。
なかなか勝負がつかず長期戦となったので、観客も身を乗り出して叫んでいる。
「赤! 赤いけ! ……そこだ! やっちまえ!」
「青、青勝て! 青! ……あーっ、何してる! 落馬するぞ!──」
「赤、赤! フラフラすんな!」
「青、青、今だ! いけ!」

──戦っているルーデックはといえば、周囲の声など耳に入らなかった。
周囲の光景も目に入らない。
頭部の甲冑の中は息苦しく、熱かった。
こめかみから、汗が滝のように流れる。
それが首筋を伝っていくのが不快に感じられるが、拭くことは出来ない。どこもかしこも鎧に覆われていて、手を入れられるような隙間などないからだ。
戦いが長引くにつれ、体にはっきりと疲労が感じられる。全身鎧の重さはだてではない。ずっしりとして、何か重いものを背負っているような感覚だ。剣を振り回す右腕も動かなくなってきている。
(くそっ……。負けるわけにはいかねえのに!)
冑の隙間から相手を見据えるルーデックの目は、血走っていた。
(しっかりしろ! これは殺し合いだぞ!)
彼はもう一度自分に言ってきかせた。
もはや今となっては、フィアのことも、兄たちのことも、何もかもが頭の中から飛び去っていた。
目の前には倒すべき敵がいるだけだ。
彼は無我夢中で剣を振り続けた。
唯一の救いは、相変わらず相手の剣さばきが鈍いことだ。いまや、左手の籠手で右肩を押さえるようにしているのも、限界に近いのだろうと思わせる。そうして支えていないと剣を振れないのだろう。
(あっちもつらいらしい。……もうちょっとだ! 手を緩めるな!)
ルーデックは歯を食いしばり、剣の乱打を浴びせる。
それを受け止めようとするが、受け止めきれず、相手は馬上で姿勢を崩す。落馬しそうだ。落馬すればこちらの勝利だから、ルーデックは限界の自分の体に鞭打ち、いっそう激しく攻撃を浴びせた。


一方のヴィクターは、
(だから嫌いなんだ、この手の試合は……)
と、落胆まじりに考えているところだった。
三十近い歳は、十九の若者に比べれば若いとは言えない。
それに加えて、右手で槍を振り回したことで無理がたたり、右肩にひきつれるような激しい痛みがある。また筋が断裂したのかもしれない。大怪我をしてから、少しの無理でそうなりやすくなってしまった。
──実を言えば彼は、右手で槍を持つのが得意ではなかった。
子供のころ、彼に剣と槍を教えたのはウルリクだった。剣の指導があまりにも無茶だったせいで、右手にはいつも血豆があり、槍のほうは『仕方がありませんから、左手で持ちましょう』と言ったのだ。
実戦において、左手で槍を持つことはそれほど不利なことではない。戦場の一騎打ちなら、むしろ有利でさえある。左手で槍を持つ騎士は少ないため、戦い方が分からないからだ。
だが、馬上槍試合だけは違う。
この試合では、『右手で槍を持つこと』とはっきり規定されているのだ。
真ん中に板を置き、馬の左側ですれ違うというのが伝統的な決まりである。そのとき左手で槍を持っていたら互いに非常にやりにくいので、そのように決められているのだ。
本来、ヴィクターが最も得意な武器は槍だった。その次が剣で、苦手なのが弓だ。
あのガーラントでさえ、槍で戦ったときには『おまえに勝てるやつはいないだろう』と呆れて言ったほどである。槍なら、一人で数十人を蹴散らせるくらいの働きは出来るのだ。それもこれも、几帳面なウルリクが基礎の基礎からみっちりと叩き込んでくれたせいだ。──今となってはありがたい話だが。
だが、左手で槍を持つことが禁じられているこの試合で、しかも怪我をした肩で槍を振り回すというのは、どうも面白くない状況である。だからというべきか、彼は今まで“馬上槍試合”というものに一度も出たことがなかったのだ。どうしても国の財政が金欠になったおりには、身代金目当てに荒稼ぎして、足りない税金を補てんしたかもしれないが……。
一番面白くないのは、試合前のルーデックの言葉だった。
あのギィ枢機卿が城を乗っ取ったときのどさくさで、衛兵に多くの犠牲が出た。その中に、ルーデックの身内が二人もいたというのだ。その話を聞いてしまっては、戦意も鈍るというものだ。
そんなわけでヴィクターは、どこか気乗りしない態度でちんたらと戦っていた。
勝てば、目の前の若者はさらに怨恨を抱くだろう。
かといって、負ければこれ幸いとフィアが逃げる。──それも癪だ。
(どうすりゃいいんだ……。とりあえず、もうちょっとやって考えるか)
というわけで、剣での戦いは長期戦となっていた。
観客は実力伯仲の試合と見て、熱狂の声援を送る。


「──あんた、本当にあいつが好きなのか!?」
剣を打ち合わせている最中に、ルーデックが歯ぎしりするような声で怒鳴ってきた。
ヴィクターは少し考えた。
他人に訊かれるたびに思うことは、なぜいちいちそれを人に言わなければならないのか、ということだ。しかし何も言わなければ、まるで誠意のない態度だと決めつけられる可能性もある。今までがそうだった。
なので、ヴィクターは真面目に答えた。
「ほどほどに」
「ほどほど!?」
ルーデックは怒り狂って剣を打ちつけてきた。
「ほどほどなら、さっさと諦めたらどうなんだ!」
言葉の選択が悪かったらしい……。
「あんたは選り取りみどりの立場だろ。なんだってあいつを……あんなぱっとしないやつを妃にしたいだなんて思ったんだ。……あんたまさか、他に隠してる愛人とかが山ほどいるんじゃないだろうな! それで、あいつが妃だったらごまかせるとか考えてるんじゃないだろうな!」
奇抜な発想だとヴィクターは感心した。
「そんなことは考えてないが……」
「──あ!? なんだと!? 聞こえねえよ!」
ルーデックは怒声を投げつけてくる。
「………」
こんな息苦しい冑をかぶり、重たい鎧を身に着けて剣を振り回しているというのに、そのうえにさらに怒鳴れというのか。ただでさえ、働きづめで少なからず疲れているというのに。
残暑の太陽はじりじりと全身に熱を注ぐ。──暑い。
それでもルーデックは攻撃の手を緩めない。
「うおおおお!」などと叫んでいるし、元気がありあまっているやつらしい。自分の十代のころもあんなふうだったのだろうか?
なんにしても、これは悪気のない若者だとヴィクターは考えた。今は少し我を忘れすぎてはいるが……。
何かと面倒をおこすフィアをここまで守ってきた忍耐心といい、さっそく結婚を考え、新居を整えたりして着々と準備している計画性といい、もしかすると自分よりも適任な保護者ではないだろうかと思ったりもする。
第一──好きなのだろう。だからここまで必死なのだ。
それは好ましい必死さに思えた。
この若者なら、フィアは幸せになれるかもしれない。──いや、なれるだろう。
自分と一緒にいるより、ずっと安定した、幸福な家庭を築けるだろう。
そんなことを考えてしまうと、自分でも知らぬうちに戦意は鈍る一方だった。
照りつける太陽の暑さといい、馬上のヴィクターは一瞬気が遠くなりかけた。そこへルーデックの本気の一撃を叩きこまれ、衝撃でうっかり落馬しかけたときだった。
「ルーデック! ルーデック……負けないで! お願い、頑張って!」
聞き覚えのある声が聞こえてきた。
ふっと見れば、やけに着飾った格好をしながらも、おそらく上のほうの貴賓席から下まで駆け下りてきたのだろう。真珠の頭飾りがずれて、髪も少々ほつれているフィアが、柵にしがみついて必死で声援を送っていた。
そこまで近くにやって来たせいで、顔もよく見える。
妙にやつれているように見える。──痩せたらしい。
その疲れたような顔を見たとき、鈍りに鈍っていた戦意が急にパッと戻ってきた。
なぜなのかは自分でもよく分からない。そのあいだにも剣を打ち合わせているので、何か本能的な感情の動きだったのかもしれない。
ヴィクターは息をはいた。
ぎりぎりと手綱を引き絞り、馬を無理やり後ろに下がらせた。
ルーデックがはっとしたように馬上で身を固くする。狩人に見つかった瞬間の獲物に、それは似ていた。
ヴィクターは右手に握っていた剣を左手に放り投げた。──剣は、左手で持ってはいけないという規定はない。それを握りしめ、馬を突撃させると同時に、ルーデックの胴に向かって真横に叩きつける。
渾身の力を込めた一撃で、ルーデックの体が大きく揺らいだ。
彼はそのままゆっくりと、後ろ向きに落馬した。
その落ち方を、ヴィクターは後ろを振り向いて確認した。──そう危険な落ち方ではなかった。あれなら頭を打たなかったろう。いくらかほっとして、剣を鞘に戻す。
「──勝者! 青陣営! ファルス!」
審判員の大きな声が上がり、青い小さな旗がぱっと空に掲げられた。