──王都カルツアネスでは、貴族たちが密かな会合を持っていた。
参加者は、王都に住むケルティス伯爵と、北部領ボリスク伯、北部領セルゲン伯の嫡男フランツ=ゴドセヴィーナ、南部領オーリント伯、それから王都近郊に小さな領地を持つワイデ侯爵家の家人に、司祭が一人と修道院長が一人の、計七名だ。
会合の場所はケルティス伯爵の自宅である。
贅沢な調度品を集めた部屋は、大きな窓からの昼の光を存分に集めており、とても明るい。外には美しい庭も見える。色あせた薔薇が最後とばかりに咲き誇っていた。
「──あの祝宴の日以来、陛下はまったくお姿を見せられなくなった。いったいどうされたのか……」
難しい顔で考え込んで言うのは、この邸の主であるケルティス伯爵である。五十代なかばの、王都では重鎮貴族の一人と見なされている人物だ。理知的な顔立ちで額が広く、その髪はほとんどが白髪である。
「寝室にこもりきりだそうですな」
オーリント伯がそれに応える。こちらも五十代なかばの、健康そうに太った、血色のよい顔をした人物だ。
「重病、という噂ばかりが聞こえてきますが……」
司祭も相槌を打つように言った。陰気な細面の顔をした、三十代後半くらいの男である。
彼らは豪奢な椅子に座って、低い客用テーブルを囲んでいる。
一方、参加者の中で一番若いフランツは、暖炉のそばに立っていた。
その向かいにはワイデ侯爵家家人がいる。歳は四十代のなかばか後半というところだろうが、やけに慎重な性格らしく、ほとんど口を開かない。抜け目のない視線をあたりにくばって、様子をうかがっている。
フランツはあまり愉快な気分ではなかった。もう少し力のある人間をここに集めたかったからだ。
ケルティス伯はたしかに重鎮貴族だが、宮廷の中で絶大な権力を持っているというわけではない。前国王には重用された人物ながら、代替わりしてからは存在感が薄くなったと言われてもいる。現国王ヴィクターは、あまりケルティス伯を重んじてはいない。
ボリスク伯とオーリント伯は辺境貴族で、王都の貴族たちからは田舎者としか思われていない。フランツ自身も同じ立場だ。
ワイデ侯爵家は王都近郊に領地を持っているものの、さほど広いものではない。以前はそうだったが、世渡りがへたな先代と先先代が土地を切り売りしてしまったため、今では息子に分ける土地すらないという話だ。
それでも、ここに集まった貴族のうち、四人が領主である。
ウルヴァキア王国には、現在、領主は十六人いる。そのうちの四人がここにいるのだから、けして無視できる数ではない。
それに加えて、教会と修道会からも、それなりに発言力を持つ人間が参加している。そこの司祭は次期司教と呼び声が高い人物だし、身を縮めて隅にいる老年の修道院長の下には、とてもそうは見えないものの、三百人もの修道士がいるのだ。
「問題は、現国王の病状についてではありませんよ。──誰が次期国王になるべきか、ということです」
フランツは穏やかな声で内心の苛立ちを隠し、一同に議題を思い出させた。
人目を忍んで集まったのだから、雑談で終わるわけにはいかない。
「今の国王陛下には後継ぎがおられません。他国へ嫁がれた方をのぞけば、現王家の最後のお一人……。ならば、その方亡きあと、誰が次に王位を継ぐかをはっきりさせておかなければ。無用の混乱を避けるためには重要なことです」
「フランツ殿の言うとおりだ」
ケルティス伯爵が重々しく頷いた。
「まあ、ラディウス公爵か、エトヴィシュ公爵というところだろう。コシュト公爵は九十過ぎで、とても政務には耐えられぬから」
「それを言うなら、ラディウス公爵は病気という噂ですぞ」
オーリント伯が、つい口をはさむ。彼の領地はラディウス公爵家とは近く、あまり仲は良くない。ラディウス一族が力を増やすのは面白くなかった。
「いや、あそこには息子が二人もいる。ノイエ=ラディウスはすぐにそのあとを継ぐだろう」
「では、ノイエ=ラディウスか、オイゲーン=エトヴィシュ公爵、ということになりますな……」
「その二人なら、当然ながらエトヴィシュ公爵閣下でしょう。何しろ、イヴァーン国王陛下の顧問官をお務めになられた方だ。国政のことなら何から何まで知り尽くしておられるはず。宮廷をまとめる力もおありになる」
貴族たちの話を聞いていたフランツは、暖炉のふちを思わず叩いた。
「皆さまがた。エトヴィシュ公爵には娘しかいないのを思い出していただきたい……」
彼は生真面目な顔で言った。
「公爵亡きあと、クリステラ=エトヴィシュが女王になるとでも?」
「……まあ、それならそれで。良いのでは?」
オーリント伯は、丸々と肉のついた頬を掻きながら言った。
「あの方は頭がよく、修道女上がりで慈悲深いと聞いております。良き女王になられるでしょう」
「………」
フランツは黙った。
──クリステラ=エトヴィシュが女王になる?
そんなことになるのなら、聖ドロテアにいるうちに始末しておくのだったと内心思う。
そうする機会はいくらでもあったのに。
だったら、ノイエ=ラディウスを推したほうがましだと彼は考えた。
彼が国王になるのであれば、妹のカタリナを王妃に輿入れさせることは不可能ではない。それどころか、今までよりもずっと楽だろう。現国王ヴィクターのほうが、どう見ても扱いづらい人物だ……。
フランツには野心があった。ゴドセヴィーナ家の血を王家に入れるという野心が。
だが、自分は国王には立てない。ただの辺境領主の息子にすぎないのだから。
しかし女たちを王家に送り込むことなら簡単だ。
妹のカタリナがだめなら、その娘のユリアナでもよい。まだ小さいが、三年もすればなんとかなる。
とにかく、国王は男でなくてはならない。そうであるかぎり、いくらでも血を混ぜるチャンスはある。
こちらには二つも手駒があるのだ。
なんだったら、カタリナとユリアナの二人とも嫁がせてしまってもよい。表向きは異母姉妹ということになっているから、それほど非難されることもないはずだ。他の貴族たちだって、そのような手を使って今まで力を増やしてきたのだから……。自分だけが非難されるいわれはない。
「ノイエ=ラディウスという人物は、血筋もよく、人柄も穏やかと聞いていますね。それにお若い」
フランツは言った。
「そうですな」
次期司教と目されている司祭がそれに頷く。
ラディウス公爵家からは多額の寄付を受けているから、自然、評価も甘くなる。
フランツは続けた。
「それに、今の国王陛下の次にエトヴィシュ公爵がつかれるというのは……たしかに宮廷は落ち着くでしょうが、民にとっては、少なからず違和感のあることではないかと思うのですが? 何十年も前、先先代のイヴァーン国王陛下の御世でご活躍された方が、今さら戻って来られるというのは……」
「フランツ殿の仰ることはもっともだ」
修道院長が頷いた。
エトヴィシュ公爵は顧問官を務めていた若いころ、救世母教の布教にあまりいい顔をしなかった。国王のイヴァーンは乗り気だったのに、エトヴィシュ公爵を筆頭とする顧問官たちの反対によって、それがずいぶんと遅れてしまったのだ。そのことは未だに聖職者たちのあいだで語り草になっている。
「エトヴィシュ公爵は、お建てになった修道院の運営権すら手放された。そのような方が、王位につかれるというのは……その、なんと申しますか、いろいろと心配なことではありますよ」
「ワイデ侯爵は……どうです? 次期国王として?」
オーリント伯が一同を見回して訊ねた。
「少し強引な方ではあるが、はっきりとご自分の意見を言われる、芯のある方ですよ。それに、決断力もおありだ。若い息子さんも何人もいらっしゃるし、次の世代も安泰でしょう」
「ふむ……。ワイデ侯爵家か……」
ケルティス伯爵が、意外そうに言って考え込む。
「たしかに、エトヴィシュ、ラディウス、コシュトの三公爵家は、現王家の引き立てによって今の地位を得たわけだからな。古い時代を引きずっていると言われれば、その通りであろう。しかしワイデ侯爵なら、剛毅なお人柄から言っても王位にふさわしいし、しがらみも少ない。新しい王家の象徴ともなれる方であろう……」
「新しい王家、という考え方は大変すばらしい」
フランツはにこやかな笑みを浮かべて言った。
「この国の新たな歴史を作るのに、それほどふさわしいことはない。そう思われませんか? ご一同?」
「そうですな。今の公爵家をそのまま王位に持ち上げるというのは、その……いかにも芸がない。今までとは何も変わらぬと感じて、民も深く落胆することでしょう」
修道院長が深々と頷く。
彼にしてみれば、誰が王になろうが、本当はどうでも良かった。ただ、その決定の場にいることが大事なのだ。そうすればのちに便宜をはかってもらいやすくなる。目当てといえば、それだけだった。
「わたしも、その案は良いと思いますね」
司祭も頷いた。修道院長と同じく、周囲の空気を読んでのことだ。
「このあたりで宮廷の空気ががらりと変われば、面白かろうな……」
ケルティス伯爵も納得したように頷く。
ワイデ侯爵家なら、言っては悪いが今は落ち目だ。国王になったとしても、財産も土地もないから、すぐには権力を振るえないだろう。しかしラディウス公爵家やエトヴィシュ公爵家は、すでに莫大な富を蓄えてしまっている。広大な領地があり、領民の忠誠心も高い。私兵もいれば自前の船団も持っている、そのような人々が王位につけば、今まで以上に自分の肩身が狭くなってしまう。
「……あなたは?」
フランツは、まだ何も意見を表明していない、ボリスク伯アラダールを見た。
「わ、わたしも……それでよいと、思います……」
アラダールは冷や汗をかきながら言った。
彼はこの王都に来てからというもの、フランツを頼りっぱなしになっている。それというのも、妻に内緒で女遊びをしているのをフランツに見つかってしまったからだ。
フランツはそれを咎めず、『我々のような田舎貴族には、このような楽しみも必要です』とおおらかに言い、愛人用の邸まで用意してくれた。そのせいで弱みを握られた形になってしまい、すっかりフランツに頭が上がらない。
「──次期国王にワイデ侯爵を推すということで、意見の一致を見たようですね」
フランツは、向かいに立っている、侯爵家の家人を見た。侯爵の代理でここにいる人物を。
「我らの願いを、どうか侯爵によろしくお伝え願いたい。そして、次の会合にはぜひお顔を」
「ええ、そのように伝えましょう。我が主も、このように皆さまに信任していただけたことを、さぞやお喜びになられることと思います」
侯爵家家人は重々しく頷いた。
一族の娘をどうしても王家に入れたいフランツにとっても、この結論は都合がよかった。
ワイデ侯爵は五十代後半だ。そしてカタリナは二十代の美しい盛りだ。喜んで引き取るに決まっている。
まさか国王ヴィクターが死ぬとは思わなかったから、考えてもみなかったが……。これは良縁だ。
会合が終わったあと、フランツは急いで帰宅した。
狙いが定まったからには、一刻も早く輿入れの準備をする必要がある。カタリナは簡単に言うことを聞く妹というわけではない。彼女の説得にも時間がかかるだろう。
しかし、どんな手段を使ってでも、それをやり遂げねばならない。
フランツの頭の中はゴドセヴィーナ家の再興しかなかった。
ゴドセヴィーナ家は、常に運をつかみ損ねてきた家だった。何度も王妃を送り込んだのに、結局一度も後継ぎを産んだことがないのだ。まるで神に嫌われでもしているかのように、ことごとく失敗してきた。
先祖が燃やした執念は、今は若いフランツの中で燃えている。まるで怨念が乗り移ったかのようだ。
国王ヴィクターは、もうこの世にいないか、じきにそうなるだろう、と彼は考えた。
しかし、奇跡的に回復されては困る。
あと一工作が必要だ……。
彼はとある民家に立ち寄った。王都の中にある、何も目立つところのない普通の民家だ。
そこから出てきたのは、少し痩せた感じの若い女である。
女は、儚げな笑みを浮かべて彼の頼みを快諾した。
「──ええ、フランツさま。あなたがそうお望みなら、そういたしましょう」
女が断らないのは分かっていた。その命を偶然救ってやったときから、なんでも自分の言うなりだ。
「やるべきことは分かっているだろうな?」
「侍医の薬と毒を入れ替えます。それで国王は死に、あなたの望みは叶うでしょう」
女は静かに言った。フランツは頷いた。──それでいい。まさしく、それこそが望みなのだ。
「頼んだぞ、アエラ」
「お任せを、フランツさま」
アエラと呼ばれた女は、人形のようにゆっくりと腰を折った。
そして再び顔を上げ、彼に向かって、どこか謎めいたような淡い微笑みを浮かべてみせた。