2005/航海日誌
1981年5月の顔
観劇日誌44 劇団芸友(イェウ) 「」 (12・21)

さて本年の観劇日誌の最後を飾るのは「伝統リアリズム演劇の復活」と銘打たれた劇団芸友の『カンサヂ』。初日の緊張感を味わいに行ったが…慶尚道方言オンパレードで、何を言っているのかじぇんじぇん判らない。日本で言うなら九州か東北の方言を使うようなものだろうか。郷土色もよろしおますけど、なに言うてるのか判らんままに見るのはしんどいでっせぇ。というわけでほとんど寝てました。とほほ。

観劇日誌43 「イ(繭)」 (12・21)

前から見たいと思っていた韓国作品『イ(繭)』をついに拝見。燕山君(ヨンサングン)という李王朝の名高い暴君にかこわれた宮廷道化を中心にした物語で、2000年の初演以来何度か再演を繰り返した作品。今回、映画『王の男』の原作になったせいか、新装成った国立中央博物館の劇場という辺鄙な場所にも拘らず客足はなかなか良かった。しかし「演出に凝って失敗する」見本で、名のある演劇賞をものにした作品とは思えない作りだった。新しい観客層を開拓するにはこのような手法も必要か…というところで納得するしかないか。それにしても、再演に期待するなら文字通り「再」までで、再々演から先になると怪しいな。

観劇日誌42 東京演劇アンサンブル 「銀河鉄道の夜」 (12・16)

日本現代劇3作連続公演の3作め。東京演劇アンサンブルの『銀河鉄道の夜』を文化日報ホールにて観劇。会場内がやけに暖かくて居眠りをし、不覚にも銀河鉄道に乗り込む瞬間を見逃してしまった(同伴した友人の話ではあっけなく乗ったらしいが…)。客席に中州舞台を作ったり、なかなか気合の入った舞台だった。手回しの回転舞台が素朴で良かったですな。

観劇日誌41 劇団旅行者(ヨヘンヂャ) 「ソウルの善女」 (12・15)

前から見たいと思っていた劇団旅行者の舞台を拝見。わが西江大学のメリーホールの真ん中に1メートルを少し越える高さのわりと大きな長方形の舞台をしつらえての公演。わざわざ観客の目線を遮るような高さで舞台をしつらえたのは、ただ座って見ていることの無責任さを観客に判らせようとするためか。ソウルの善女を行き場の無いところへ追い詰めたのは悪党たちではなく傍観する無為の徒だったが、観客もまたその一部始終をただ眺めるだけ…ということか。

観劇日誌40 平石耕一事務所 「ほとぼり」 (12・9)

日本現代演劇3作連続公演の第2作め。作家は前に『センポ・スギハアラ』で韓国に紹介された平石耕一。今回の作品は抗日闘争のユン・ボンギル義士を素材にした話。韓国側からは好評を得ているようだが、作品のどのような部分を評価しているのかもう少し詳しく知りたいところ。この作品を見て気になるところは劇中、日本人を「ウェノム」という蔑称で呼ぶこと。もしこれがなんのこだわりもなしに単なる台詞として発せられるなら、それは「日本人」をさす言葉ではなく「ウェノム」という名称の「仮想敵」を表象していることになる。そうすると、この作品の韓国公演はユン・ボンギルという抗日運動の英雄を日韓で共有し、戦争を起こし韓国を植民地支配した「ウェノム」という日韓共通の敵を作り出すことになる。もちろんこのような意図で作られた作品では無いだろうが、この作品をこのように解釈可能にする社会的文脈を日本は営々と作り続けていることを忘れてはならないだろう。というわけで、韓国の人々はこの作品をどう見たのかじっくり話を聞いてみようと思う。

観劇日誌39 木山事務所 「赤い鳥のいる風景」 (12・2)

木山事務所は今回で3回めの韓国公演。出し物は別役実の『赤い鳥のいる風景』で、あの舞台袖が浅くて使いにくい文化日報ホールでなかなかの舞台を展開。日本とは社会的コンテクストの大きく異なる韓国での作品鑑賞は、ことによると日本で見た場合より印象深かったかもしれない。

観劇日誌38 劇団態変・金満里ソロ 「月下咆哮」 (11・23)

劇団態変の代表である金満里のソロ。幕開きが印象的な作品。上半身への集中は、肉体的な制限を感じさせないほどだった。とくに男装で踊ったパートはその見慣れた衣装と見慣れない動きの対照性が際立って、舞踏の本質をあらためて考えさせられる。惜しむらくは全体の構成が雑なことか。

観劇日誌37 劇団態変 「記憶の森」 (11・23)

大阪に本拠を置く劇団?かな…、態変の舞台を難波にある精華小学校の講堂跡を利用した小屋にて拝見。態変の舞台は東京で、そしてここソウルでも見ているが、この作品はこれらの中でいちばんインパクトが弱かった。舞台は美術から演出まで良くできてはいるけれど、そのいっぽうで演技者のパワーが弱くなったような気がする。音と光に包まれた夢のような世界を構築しても、パラダイスを失ったわれわれにはむしろそらぞらしい。もはや理想郷は幻想の中にすらない。唯一、おおきな作り物の斧をふりまわした女優だけが突出して迫ってくる。その「方向性」は正しいと思う。既にあらゆるところで「壁」は歴然と存在する。見て見ぬふりをするか、あっても無いふりをするか…。いずれにせよツケは自分にまわってくる。

猫が死んだ (11・14)

光州へ三日ほど旅をして戻ると、うちの周りを徘徊していたのら猫が裏窓のそばで死んでいました。なにか悪いものを食べたのでしょうか。さて、死んだ猫をどうするのかトンサムソ(洞事務所)へ尋ねたら、そのままゴミ袋に入れてゴミの日に出してくれと言いいます。どうせ焼却炉へ行くから差し支えないと言う返事でした。そこでピンクの風呂敷で包んでからちょっとした食べ物といっしょにゴミ袋に入れたのですが、死んだ猫って重いし硬直してるからかさばる…。おまけに前足が伸びきっているから爪が引っかかってなかなか袋に入らない…。 ー_ー; 

じつわ昨日、屍骸をそのままにしておくのはかわいそうだから、上からダンボールをかぶせました。そしたら、その夜夢を見たのです…。

夢の中…。住宅街のなかを歩いていて、ずいぶん前に亡くなった近所の年寄りとすれ違った。年寄りは孫を連れて散歩に出たという風情だったが、とつぜん「挨拶をしておかなくては」と言って僕の手を握る。その顔は確かに見知った年寄りの顔だったけど、眼が青くて大きい猫の目だった。そして年寄りの後ろ姿を見送って振り返るとそこに中年の小柄な男がいて、彼も手を伸ばしてきたので握手した。この男は無口で、その顔も見覚えが無い。

なんだかヘンな夢だったなあ。 ー_ー;

観劇日誌36 青年劇場「銃口」 光州・南道芸術会館 (11・9)

青年劇場の韓国巡回公演もあとこの光州と木浦、そして晋州から濟州で終わる。今日は光州の由緒ある南道芸術会館で舞台を拝見。旅の疲れかソウルに比べて演技の切れ味が鈍ったが、外国でこのスケジュールは過酷と言うほか無いだろう。政策担当者とと話を交わして、気になっていた「日韓友情の年」におけるこの作品の制作意図は理解できたが、それではなおのこと作品の出来が気になるところ。答えは青年劇場の次の来韓公演で出ると思う。
juko南道芸術会館に掲げられた懸垂幕

観劇日誌35 韓国マイム協会「韓国マイム2005」 大学路ブラックボックス劇場 (11・5)

韓国マイム協会の古参・中堅が舞台に上がった。ところがマイムと言うよりは「無言劇」と言った方が判りやすい作品が多く、なぜこれほど「ストーリー」そのものを見せつけて説明しようとするのか謎だ。

観劇日誌34 韓国大学演劇大会「地下鉄の恋人達」 西江大学メリーホール (11・4)

大学演劇の競演大会。うちの大学の西江演劇班の参加作品を拝見したが、ほとんど眠ってしまった。疲れたときに芝居を見るとぐっすり眠れてなかなかいいっス。

観劇日誌33 クク・ウンミ「不安」 西江大メリーホール (10・30)

鞠ウンミのダンス。以前、文芸会館小劇場でソロダンスをこの見てこのダンサーが好きになった。今回は4人の若手?ダンサーを引き連れての舞台。単純な動作の反復による群舞でおもしろさを発揮。

観劇日誌32「綿畑の孤独の中で」 サヌリム小劇場 (10・26)

コルテスの作品が相次いで上演されている。ソウル公演芸術祭では劇団コルモッキルが『西埠頭』を上演し、話題を呼んだ。サヌリムでは林英雄(イム・ヨンウン)の演出で『綿畑の孤独の中で』を3週間上演。凝ったセリフの応酬で、舞台を見るよりは眼を閉じてセリフだけを聞いているほうがよく判りそうだった。

観劇日誌31「銃口」 青年劇場(西江大メリホール) (10・22)

舞台はプチ写実主義で演技は新派、話はメロドラマだった。1930年代から徐々に日本社会が軍国主義に傾く中で、ある若い教師が自分の信念を貫くというのがライトモチーフだが、戯曲では「戦争」とか「軍国主義」や「天皇制」というものがまるで「外部からもたらされたもの」のように描かれていて、「天皇制を維持して軍国主義を推進した主体」である日本人からの視点は感じられない。

たとえば主人公が終戦まぎわに徴兵されて満州へ行き、そこで抗日朝鮮軍につかまって処刑されそうになったところ、むかし日本で主人公の父親から恩義を受けた金何某という朝鮮軍兵士と出会って命を救われるという部分がある。この兵士は強制労働で北海道の炭鉱へ連れてこられ、そして炭鉱を脱走したところを主人公の父親の家にかくまってもらい生き延びたという。つまり金某は主人公の父親から命を救われ、その恩義にむくいるため朝鮮軍とらわれた主人公の命を助けるという設定だ。

しかし劇中では誰がその朝鮮人を日本へ連れてきたのか、どうして炭鉱から逃げ出さなくてはならなかったのか、などの背景は語られておらず、単純な「敵と味方を超えた報恩の美しさ」に変化しており、そしてそれは何人かの登場人物の語る「不幸な時代に出会ったわれわれ(朝鮮人と日本人)」という図式で、日・韓双方ともに「日本帝国主義」の犠牲者として描かれる。

この「不幸な時代」というフレーズは劇中、要所要所で使用される。しかしこのフレーズはまさに戦後の日本社会において巨大言説となり、「戦争を引き起こした主体である日本人」として戦争を、その歴史を正面から見つめ、そしてなぜそのような行為を行ったのかに対する反省を曖昧模糊としたものにするために機能したと考えている。このようなことに対する考察が不充分なままでは、韓国観衆の「情にもろい、涙もろい」という生理的反応を「作品が感動を与えた」と勘違いさせることになりはしないだろうか。

観劇日誌30「コンドルス&ホンダンス」 ソウル国際舞踊祝祭 (10・18)

コンドルスは日本でけっこう人気があると聞いたが、なんで国際「舞踊」祝祭で「コント」なの?

観劇日誌29「キューバ現代舞踊団」 ソウル国際舞踊祝祭 (10・15)

キューバの現代舞踊団の舞台。そこそこ。

観劇日誌28「移民のうた」 劇団旅行者&Farm in the Cave(チェコ) (10・12)

国民大学の芸術館ホールで韓国の劇団旅行者とチェコの劇団Farm in the Caveとの合同作品を拝見。合同と言っても、チェコの作品に劇団旅行者の役者がまじるという按配で、ほぼチェコのオリジナルそのままだと思う。なんだか妙に力のこもった演技とセリフで、日本のテント芝居みたいだな…。

観劇日誌27「山彦ものがたり」 劇団山彦の会(10・01)

中央大学で日本の劇団山彦の会による『山彦ものがたり』の上演があった。舞台はほとんどカラで身を軽くしておき、そのぶん俳優の演技に頼って、しかも場に応じてマイム的動作でつないでいく演出。文化庁の学校巡回用といった雰囲気だが、「合目的」という表現がぴったりの、無駄の無い良くできた舞台。なにより俳優を含めたスタッフが「舞台を見せる」という目標をきっちり持っているらしく、変に「日韓交流」に迎合するようなところが無かったのが良い。惜しむらくは韓国語字幕があまりにも簡素。

観劇未遂1「西側埠頭」 劇団コルモッキル(10・01)

売れっ子の中堅演出家朴根亨がベルナール・マリ・コルテスの『西埠頭』を上演。満員になるのは判っていたから早くから予約を入れて開演1時間前に小屋についてチケットを受け取ったら130番だと。つまり150席の小屋で130番目に入れと言うわけで、頭にきて「何のために予約したのか判っているのか」と言っても「状況がこうだから理解してくれ」と言う。予約客のチケットを取りおきするのは制作の基本というより常識だろう。15年前の1990年8月に青山円形でやはり予約しておきながら当日客の後に入場させられた記憶があるが、まったく同じことをここソウルで経験するとは思わなかった。青山のときはさんざん文句を言って、いざ小屋に入ると客席がスカスカだったというけっこう情けない結末になったので、今回はいさぎよく小屋を出た。この劇団のシロート制作に腹を立てたわけだが、どちらかというと15年前の青山の情けない結末の仇をとったような気分だ。

観劇日誌26「船を見る」 パパ・タラフマラ(ソウル国際舞踊祝祭)(9・28)

東京のグローブ座で初めてパパ・タラフマラを拝見したのは90年代半ばだったから、もう10年は前の話。今回の舞台は作家自身の記憶をもとにして構築した舞台ということで、ブツの数も少なく物語性があって見やすかった。しかし、それでも装置や小道具などの舞台エレメントが多くすぎて観客はそれらを追うことに眼を奪われ、ダンサーが見せる踊りの美しさという点がむしろかすんでしまったのではないかと思う。

観劇日誌25「若い舞踊家の夜」 ソウル国際舞踊祝祭(9・27)

今日から第8回ソウル国際舞踊祝祭の幕が開く。まずは芸術の殿堂・自由小劇場で韓国の若い舞踊家の作品を4つ連続で上演。「若手」だからこんなものかなぁという気持ちだけど、ちと疲れた…。 ^^;

観劇日誌24「鯨のすむ港」 (9・18)

北村想の原作を韓国語化したもの。2001年の初演からキャストを代えての再演。演出があまりにも情緒的で脂っこい人情劇になっていたのでちょっと食傷した。原作もこのような演出だったのだろか。

衆議院選挙の結果を計算してみると (9・16)

また自民党の独り勝ちとなりましたが、計算してみるとこのような結果になりました。小選挙区制における有権者数が 1億0130万9680人(2003年度)で、今回の投票率が67.51%。つまり今回の投票者数はだいたい 6839万4164人 になります。次に、自民党候補者への投票数を足し算したところ 2571万3782人 でした。ということは、実投票者の中で自民に投票した人の割合は約37.6%ということです。総有権者数から見ると自民党投票者はわずか25.38%にすぎません。それが衆院480議席のうち296議席(61.67%)を占めることになるわけですから、この選挙制度は民意を正しく反映できるシステムでは無いことはよく判りました。また、在外選挙では比例制にしか投票できないことも、じっさいに経験してフンガイしましたな。 ^へ^

観劇日誌23「おいで、ムトゥや」 (9・8)

私の友人である女優ピョン・ユヂョン嬢がサーカスの団長に扮して大活躍する芝居です。韓国芸術総合学校の学内にあるクヌア劇場で、この学校の生徒を中心に、実習として行われた公演。韓国芸術総合学校演劇院の院長を務める作家キム・グァンニムの作ですが、彼の最近の作品は昔の作品ほどしっくりきませんなあ…。「韓国的なもの」を全面に打ち出そうとすることから、演劇本来の機能を損なっているような気がしてなりません。

残暑の奈良から初秋のソウルへ (9・7)

8月の23日から二週間ばかり里帰りで奈良へ行っておりました。今年も日本は暑いと聞いておりましたが、奈良盆地の残暑はなかなかのものでした。今回の里帰りでの主な作業は、1979年から集め始めた舞踏関連のチラシやパンフレットの整理と舞台写真の虫干しです。東京へ暮らした20年間に集めた舞踏とダンス関連のチラシは340種もあり、ある時代における舞踏とダンスシーンの輪郭を描くところに助けとなりそうです。この次の里帰りにはチラシと舞台写真のデジタイズを行う予定で、日本の誇る舞踏に関するちょっとしたコレクションを提供できるかもしれません。お楽しみに。

観劇日誌22「家族の神話」劇団余白(ヨベク) (8・21)

大学路セシル劇場で劇団余白(ヨベク)による日本作品の上演。ところが作家に無断で上演したらしいです。(^^)

作家の弁によると、3年ほど前に釜山で韓国の役者と共同でこの作品を上演したことがあり、こんかいはその時の韓国語台本を使用したのではないかと…。作家にはまったく連絡が無かったそうです。ところが劇団側は上演権の交渉は終わっていると思っていたらしいですから、これはあいだに入った制作会社のミスでしょうか。

で、お芝居ですが、残念ながら疲れました。副題に「モデルルーム殺人事件」とありましたが、これはたぶん原作には無いでしょう。家族の崩壊という問題を扱いかねたのか、あるいはこういう副題をつけると客寄せになると考えたのか…。いずれにせよ、作品に対して演出による明確な方向付けがなされていないので、中途半端な「幽霊譚」になってしまいました。

演劇年譜をちょっと更新(8・09)

「韓国演劇」8月号が届いたので、その中から『その河を越えて、五月』劇評を追加しました。評者は演劇評論家で韓国芸術総合学校演劇院の教授を勤める演劇学専攻の李ミウォン氏。ついでに演劇関連のドキュメントを整理しました。ここに掲載したほかにも韓国演劇史や韓国の小劇場史などの文献も準備しているのですが、翻訳がまだ完全ではないことと、ウェブでの公開に関する許諾を得なければならないのでもうちょっと時間がかかりそうです。

暑い夏をよりホットに!(7・22)

夏はどこへ行っても何に乗っても「冷蔵庫」で…、冷房嫌いの私はからだがヘンになるので困っております。汗を流すことで人体は不純物を排出します。みなさま、健康のために冷房の使いすぎに注意しましょう。それにしても、今夏の韓国は湿気がおおいでんな…。 ー_ー;

観劇日誌21「日韓舞踏・ダンスフェスティバル」(7・14)

日韓舞踏・ダンスフェスティバルの九番手を国立劇場「星の間」で拝見。日本方はほうほう堂と黒澤美香。韓国側はチェ・ヂヨンとイ・ヨンイル。今日のプログラムで今回のフェスティバルはすべて修了。さすがに長かったなあ。

われわれコミュニケーション学の分野では、「テレビなどのニュースは直前にどんな記事が放送されたかで次の記事の印象が左右される」という研究報告があるが、舞台も交互に上演する場合は順列組み合わせに影響を受けるのかもしれない。もし黒澤美香の舞台が最初であったなら、おそらくまったく違った印象になっていただろう。昨日の舞台で一番見ごたえがあったのは黒澤美香だが、彼女の方法論に接近するには見る側も相当の注意力を必要とする。また彼女の舞台を見たい。

ほうほう堂もおもしろいが、韓国のダンスからいやというほどでテクニックを見せ付けられては、彼女達の綾取りのようなしぐさが何か物足りなく感じる。日本はさまざまなジャンルからダンスへのアプローチがあり、それが多彩なアイデアのコンテンポラリーを生み出しているということは理解できる。しかし、今回のように韓国のダンスとの並列で見ると、ある瞬間に「もっと足が上がったら」とか、「もっと大きな動きだったら」という期待をしてしまう…。以前は韓国のダンスをみながら「なんて大味で単純なんだろう」と思っていたが、いつの間にか韓国式のダイナミックな舞踊に影響を受けていたようだ。

ただ舞踏にせよダンスにせよ(あるいは演劇でもアニメでも)、くれぐれも「世界化」などという幻想にまどわされず、きちんと自己の表現をつきつめて欲しいという気がする。われわれ日本人が心から見たいと思っているものをつきつめて表現に生かさないことには「世界」を相手にしたときに、単にオリエンタリズムや「日本的なもの」としての評価で終わることになるだろう。われわれの肉体を生み出した日本という風土、そこに生きる者の苦痛や幸福や諧謔や歴史と乖離してしまっては世界で認められても何の意味があろう。この意味で韓国が「伝統」にこだわることは正しい。ただし、われわれは「伝統」をひとつひとつ吟味していかねばならない。

原風景という意味での自己の風土(われわれの場合は日本)にこだわりながら「世界化」を果たすことは可能だと思う。この作業は自己の存在を自己の置かれた状況の中でつきつめることで、同時に人間の存在をつきつめようということだから。われわれ人間は「一度きりの生を生きている」ということでみな同じ地平に立っていることを、世界の片隅に生きる個々人の持つ方法論でつきつめていこうという考えかただ。

今回のフェスティバルを通じて日本の舞踏とダンスの現在の状況や韓国のダンスの状況を知ることができ、貴重な経験とだった。また今回のフェスを通じて20年ぶりに出会った旧知や旧友などもいて、主催者におおいに感謝する。^^

このあとは関連記事を拾い集めてレポートする作業が残っている。日本のダンサーや関係者は韓国で日本の舞踏やダンスがどのように理解されたのか知りたいだろうし、私は韓国社会が日本の文化である舞踏やダンスを「どのように理解しようとした」のかに興味がある。日本と韓国のあいだには想像するよりもはるかに大きなギャップが存在する。これを埋めるにはまずお互いの、お互いに対する理解のしかたを知る必要があると考えている。この目的のために文化交流は良い機会なのだが、交流の成果に比べてフィードバックの重要性はあまり認識されていないようだ。「落とし物を拾って届ける」のが私の人生なので、以後は本来業務に戻ろう。それでは皆さん、またどこかでお会いしましょう。

観劇日誌20「日韓舞踏・ダンスフェスティバル」室伏鴻『美貌の青い空』(7・12)

室伏さんお久しぶりでした。1980年に駱駝の客演を見て以来ですから25年ぶりに舞台を拝見しました。さすがに若手の動きに比べてやはり室伏さんの体は舞踏態としての魅力を持っています。しかしソロではなく舞台上に他者の肉体を置くならば、彼らの踊りの細部にまで室伏さんが責任を持たなくてはなりません。個々のダンサーにどれほどの能力があるのかということはさほど問題ではありません。むしろ彼らの踊りに責任を持つのかどうかということが重要で、今日の室伏さんは彼らの中に埋没して安住するように見えました。若い者に混じって、彼らと同じように飛んだりはねたりできるというのはたしかにすばらしい。しかし若い肉体と老いた肉体を同列で対比することが「踊る」ということではないと思います。なにしろ舞踏は「踊らない」ということにも価値を見出したはずですから。若手はどんどん踊らせましょう。そして室伏さんの踊りで彼らの踊りを決裁する覚悟が必要ではないでしょうか。

舞台上でモノに絡んで得られる効果は「両刃の剣」です。舞台上のモノは観客の主観によって相対的なサイズで認識されますが、肉体との接触によって直接対比され、そのサイズは具体化されます。サイズが具体化されるということは大きさのみならず、我々の実体験から参照されて現実のモノとなり、ともすれば舞台上に存在することで帯びていた神秘性を失うことになるということです。今日の舞台のようにダンサーが絡めば絡むほど真鍮という素材があからさまになって、見る方はどんどん現実に引き戻される。ほんらいは天を支えるアトラスになぞらえて重荷を背負うその苦悩を表現し、そこから解放された姿を描いたものだったのでしょう。われわれにとってこの世界は果たして支える価値のあるものなのか、守る価値のあるものなのかを問いかける舞台だったと思います。舞台上、真鍮版(ホルクハイマーの言うところの虚偽の明晰さ)を捨てて青い空を見上げて歓喜の声を上げたのは、おそらく価値の問い直しを行った結果、解放されたと感じたからでしょう。

天を支えることを義務付けられたアトラスは、石になってようやくその重責から解放されました。ところで、われわれが真鍮版を捨てて、青い空を見上げて歓喜の声を上げるのは果たして可能でしょうか。捨てるべきものを捨てることはやぶさかではありませんが、そこで「本当に必要なものは何か」を問い直す作業が行われなければ、われわれはまたつごうのよい神話を再構築することになる…。舞踏の足運びは記憶をたどって暮れなずむ道を行く足です。舞踏の背中は背負わされた歴史を厭うことなく背負い続ける背中です。それは今度こそ何が必要なのかを見極めようとする者の、背負わされた歴史に対する責任を全うしようとする姿に他なりません。今回のフェスティバルを通じて、いま舞踏は難しい時期にあると感じました。室伏さん、舞踏の最盛期を体験しみずからその時代を体現した舞踏家として、いま一度「舞踏」を背負ってください。遠くからですが、応援しております。

観劇日誌19「日韓舞踏・ダンスフェスティバル」(7・1)

日韓舞踏・ダンスフェスティバルの六番手を国立劇場「月の間」で拝見。日本方は山崎広太の按舞(アンム:韓国語で振り付けのこと)で韓国人ダンサーが踊り、韓国方は韓国創作舞踊のキム・ヨンヒが日本の舞踏ダンサー(パンフレットの文句)に振り付けを行った。企画としてはなかなか良いので、今度はそれぞれ単独で一時間半くらいの舞台にするともっと面白いものになると思う。

観劇日誌18「日韓舞踏・ダンスフェスティバル」(7・4)

日韓舞踏・ダンスフェスティバルの四番手を国立劇場「星の間」で拝見。日本勢は鹿島聖子&杉本亮子のコンビと森下真樹。韓国勢は朴ナフンと李ギョンウン。日韓の舞台を交互に拝見すると、それぞれ単独公演では見えなかったものが見えてきてなかなか良いもんです。韓国勢のはっきりとした筋のある構成に比べ、日本勢はどこかはぐらかそうとするきらいがありますな。

観劇日誌17『その河を越えて、五月』(7・3)

平田オリザと韓国人作家キム・ミョンファ、そして韓国人演出家イ・ビョンフンとの合同作業による作品の再演。ソウルの韓国語学院の学生らと、彼らに韓国語を教える先生と彼の親・兄弟が花見に出る。その席でつたない韓国語のために起こるさまざまなエピソードが笑いを誘いながら日韓の問題の核心に迫るという展開。日本語と韓国語の二ヶ国語の台詞をうまくあしらっているのだが、両方の言葉が判るとその効果は限定されますな。むしろ完全に日・韓語パラレルで進行する『ソウルノート』の方が私は好きです。

今回は芸術の殿堂トウォル小劇場での上演でしたが、平田戯曲は舞台に肉薄してみることを要求するようです。もっと小さい小屋の方がだんぜん良いでしょうなあ。そうると興行的に無理が…。

観劇日誌16「日韓舞踏・ダンスフェスティバル」(7・1)

日韓舞踏・ダンスフェスティバルの三番手を国立劇場「星の間」で拝見。上村なおか&笠井瑞丈の『僕ト君ト距離』と、千日前青空ダンス倶楽部の『夏の器』の2作。千日前青空ダンス倶楽部は「舞踏に対する先入観を打ち破る新鮮で楽しい舞台!」(国際交流基金の案内文)とあったが、単なる「錯覚舞踏」にしか見えなかったけど?笠井君はちょっと音や明かりに頼りすぎだな。

観劇日誌15『花粉革命』(6・28)

日韓舞踏・ダンスフェスティバルの二番手である笠井叡の『花粉革命』を国立劇場「月の間」で拝見。笠井の著書「天使論」を持って1979年の4月に彼の稽古場を訪問した際、彼から舞踏を見に行けと勧められた。それ以来、舞踏と演劇を見続ける生活を続けて今年は26年目だ。舞踏を見ろと勧めた笠井叡は79年の夏にはドイツへ旅立ち、実際に彼の舞台を見たのはたしか80年代にドイツから一時帰国した時だった。今回の舞台もそのときと同じく「跳躍舞踏」だったが、御歳62歳の肉体が舞台で飛び跳ね続けるのはちょっとした驚きだ。

観劇日誌14『海印の馬』(6・25)

日韓舞踏・ダンスフェスティバル一番手の大駱駝鑑を国立劇場「太陽の間」で拝見。大駱駝鑑初の韓国公演になる。出し物は1980年初演の『海印の馬』で、昨年3月の東京公演に比べると格段に良くなっていた。個々の舞踊手がうまくなったのか、作品としてさらに練られてまとまりのあるものになったのか。初演に立ち会った者としてはまだいくつか不満もあるが、それはもはや当時を懐かしむといった範疇の話でしか無い。21世紀の『海印の馬』を韓国の客はどう見たのかぜひとも感想を聞きたいものだ。

観劇日誌13『ええじゃないか』(6・19)

劇団1980の舞台をまた拝見。旅の疲れか、初日の元気が無かったように思う。初日の違和感は多少なくなっていたけれど、それでも交流を云々する前に作品の完成度を上げるほうが大事ではないかという気持ちが消えない。

観劇日誌12『千年の囚人』(6・12)

劇団木花の名作再演シリーズ。初演は『諸国を遍歴する二人の騎士の物語』で競演した老練な二人の役者によるもので、今回の舞台から推してみるになかなかの見ものではなかったかと思う。木花はやはり小舞台が良く似合うと思うのだが…。

観劇日誌11『ええじゃないか』(6・11)

横浜放送映画専門学校(現日本映画学校)を母体として1980年に結成された劇団1980の韓国公演。『ええじゃないか』は今村昌平の同名映画作品をアレンジしたもの。日韓合同作品として音楽を韓国人音楽家ウォン・イルが担当し、舞台上でライブ演奏を行うなど話題性は高いが、初日と楽日とも舞台の完成度はいまひとつだった。日韓合作ということを謳い文句にするまえに、本来の作品の持つ意味に即して完成度を上げるほうが重要かと思う。とくに韓国人が民族のアイデンティティを強く主張するための「テーハンミングク」という掛け声を安易に芝居の中に取り入れるのは、1986年のアジア大会で日本選手団が韓国の国旗である「大極旗」を振りながら入場行進した「勘違い友好」と同じレベルの錯覚だと思う。韓国との交流や日韓の歴史的問題を真剣に考えていながらもこうした「錯覚」を起こす原因として、「実在する韓国」と「実在した過去」への真剣なアプローチが行われていないからではないかと思う。われわれは「実在した過去」の真摯な考察を通じた「実在する韓国」へのアプローチから、まずは「免罪符としての韓国」を克服しなくてはならない

観劇日誌10『暴力と百合』(5・25)

学校暴力のせいで引きこもりになった高校教師というくら〜い話。日常の中に潜む「悪意無き悪意」あるいは「善意の悪意」だとか「利己主義の狂気」などを扱いながら、これらを充分に描き出せなかったという感じが残る。事件の背景をすべて役者の台詞で説明したからかなあ。西江大学メリーホール勤務のパク・チョンヨン女史といっしょに観劇。

慶州行き(5・19)

新羅の古都慶州で韓国言論学会が開催されたので、院生たちといっしょにKTXに乗って慶州へ行きました。シートが良くないとか全体に狭いというウワサのKTXは、しかし私には本家TGVより豪華という印象でした。時速300キロ近くで疾走するときもあまり振動を感じなかった。ただ、思いのほか騒音が大きかったような気がします。東大邱でKTXからかつての一等列車セマウルに乗り換えました。この列車のシートはKTXより座りごこちが良いと言う人が多いと聞きましたが、そんなことないっス。オリジナルポジションの背もたれがやたら寝ていて腰に負担がかかりました。いまのところアビニョン行きTGVの2等車のシートにまさるシートにまだお目にかかっておりませんなあ。

観劇日誌9『Wunschkonzert』(5・14)

トーマス・オスターマイヤー演出によるシャウビーネ劇団の舞台。議政府芸術の殿堂小劇場での上演。(おそらく)仕事を終えて帰宅してから食事を済まし、そして就寝時に突発的に睡眠薬で自殺するまでの主人公の日常生活をこれでもかとばかりに淡々と描いた舞台。ありふれた日常の所作でありながら、そこに記号的意味が含まれているようで眼を離せない舞台。それにしても主人公がテレビを見るシーンだけは違和感なく見ている自分を発見して驚いた。テレビを見るという行為はそれほどまでに「自然」なのだろうか。この作品の主題と「希望演奏会」というナチスの戦意高揚策からとった題名にどういう意味があるのか興味津々。西江大学メリーホール勤務のパク・チョンヨン女史といっしょに観劇。

観劇日誌8『ゴドーを待ちながら』(5・5)

また見ました。たまたまアルバイト先で知り合ったハン・アヂン嬢がこの芝居を見たがったので、祝日の午後に小屋まで足を伸ばしました。そして今回もまた新しい発見がありました。見るたびに新しい発見があるのは、
 @私がまだ韓国語に未熟なせい
 Aそれはもちろん戯曲の持つ力である
 Bいつも途中で居眠りするからだ
のどれでしょうか。ー_ー;

観劇日誌7『農業少女』(4・20)

韓国にようやく野田作品がお目見えしました。大学路のゲリラ劇場と言う、さいきんできた小屋での公演。このゲリラ劇場は釜山のカマゴル小劇場や慶尚南道密陽(ミリャン)にある密陽芸術村などと同様、演戯団コリペを率いていた演出家李潤澤(イ・ユンテク)のソウルにおける本拠地です。

観劇日誌6『サンブル(山火事)』仁川市立劇団(4・10)

仁川市の総合芸術会館小公演場まで足を運び、うちの科の金キユン嬢といっしょに韓国現代劇の一品「サンブル」を拝見しました。車範石先生の代表作なので、前から一度見たいと思っておりました。回転舞台をうまく生かした、なかなかていねいなつくりの舞台でした。でも仁川市民は日曜の午後は芝居を見る気分にはなれないのでしょうか、客入りは少し淋しかったです。

観劇日誌5『ゴドーを待ちながら』劇団サヌリム(4・7)

3度目のサヌリム『ゴドー』です。毎回どこかで居眠りをするので、いまだかつて一度も完璧に見通したことが無い…。でも今回は休憩から後の二部がいままで一番おもしろかった。それにしても、今回のメンバーになってもう2年くらい経つと思いますが、これだけのロングラン公演で役者自身は飽きないんでしょうかね〜。

ちと論文作業で忙しく、演劇交流年譜をはじめウェブサイトを更新する余裕がありません。資料はかなり集まっており、いずれ折を見ていっきにアップデートします。

観劇日誌4『世界を遍歴する二人の騎士の話』劇団カルティズン(4・6)

別役作品を韓国語で拝見。大学路の文芸会館小劇場は連日満員で、人気の高さをうかがうことができます。演出家がみずから翻訳もこなすので、そのせいか役者の動きと台詞に無駄がないような気がします。これだけ人気があるならロングランも可能かと思ったのですが、韓国随一の役者陣なのでそれぞれスケジュールがたてこんでいて再演は難しいとの話でした。

観劇日誌3『アザーサイド』劇団美醜(4・3)

じつに二ヶ月ぶりの演劇鑑賞でした。『ザ・アザーサイド』は昨年の暮れに東京の第二国立で世界初演した作品で、演出は韓国の劇団美醜の代表であるソン・ヂンチェク氏。ここソウルでは金星女(キム・ソンニョ)ら美醜の役者が出演し、文芸会館大劇場で上演されました。あちこちに象徴的要素をちりばめた、なかなかの作品でありました。

同じく文芸会館の小劇場では別役実の『世界を遍歴する二人の騎士』をやってますが、なかなか好評です。

論文提出をこの秋に(3・31)

この5月には論文を提出するつもりでしたが、実際に分析作業を行ってみるといろいろ判らないことが多く…けっきょくこの秋に論文を提出することにしました。この間、かなり頑張ったんですけどね。やっぱり難しいです。8月には留学ビザが切れるので、いよいよどこか就職先を探すようです。

ビザの延長申請(2・22)

まいとしこの季節になるとビザ申請手続きで一日や二日はつぶれます。一年に一回しか行わないので何が必要だったか忘れてしまい、出直しを余儀なくされます。ところで今回は論文指導教授の推薦状をもらってこいという話になりました。なんでも修士課程の留学ビザは2年6ヶ月が最長らしくて、それ以降は半年ごとの延長、つまり学費を支払った各学期ごとの延長になるようです。しかも私は履修科目を全部履修してなお1年を論文準備ですごしましたから、窓口の担当者があきれてしまい、「いつになったら論文を提出するねん」とか言われてしまった。(^^) 推薦状と研究計画書を提出し、6ヶ月の延長を認めてもらえてほっと一息。滞留期間に年限があるというのは知りませんでしたな。次に入管へ行くときは博士課程への入学申請で…。(@^^@)

まだまだ続くか?ソウル学生生活。

謹賀新年(2・9)

韓国に暮らしますと旧正月が本式の年明けという気になってまいります。今年は前後に適当な空きがあって、うまく休暇をとると10日ぐらい休めるそうです。正月に部屋を出ることは無いので、世の中がどんなぐわいか判りませんが…きっと晴れやかなのでしょう。(@^^@) 論文完成を目指してこれから突貫工事でっせ。

論文プロポーザルが終わりました(2・5)

昨日、論文プロポーザルが終わって一段落。教授や先輩・後輩の前で自分の論文の主旨を発表するのはなかなか緊張しましたが、いろいろとアドバイスをいただいたおかげで論文の方向性がようやく決まりそうです。さて、来週はお正月。明日の日曜日は部屋の大掃除でもいたしませう。

観劇日誌2『オフェリアの影絵劇場』(2・3)

オフェリアという身寄りの無い年老いたプロンプタが主人のいない影たちとともに暮らすという児童劇。この作品は2月半ばから始まる「日韓児童演劇際」に韓国側作品として参加。主人公オフェリア役のピョン・ユヂョン嬢がその若さを隠しきれず元気な老婆を熱演。健闘を祈っております。

観劇日誌『萬波息笛』(2・1)

改装なった文藝會舘(今は文芸振興院芸術会館と云う)大劇場で劇団木花の新作『マンパシクチョク』を拝見。説話の世界と現実が交錯する呉泰錫の得意技。惜しむらくは広大な大劇場に装置俳優とも少してこずったか。程よく小さい空間を緻密な演出で埋める方が劇団木花の持ち味を生かせるのではないかと思ふ。

芝居のあと、作家・演出家の呉泰錫氏と歓談。代表作の『自転車』や2月下旬から再演予定の『千年の囚人』など、いくつか作品の背景を説明してもらい、その作品世界に大いに堪能。なかなか実り多い一日でありました。それにしても今日は寒かったで〜。

論文準備でウッキ〜…です(1・15)

今年は必ずや論文を提出しますぞ。締め切りは5月14日ですが、まずは目前にせまったプロポーザルに向けて準備中です。『「歴史教科書問題」関連報道に現れたメディアフレームの分析 −朝日新聞と讀賣新聞の1986年と2001年の記事を比較しつつ−』という長ったらしい題で鋭意進行中であります。乞うご期待?(@^^@)

謹賀新年(1・7) ソウルにて

明けましておめでとうございます。昨年は最後の最後まで災いが絶えませんでした。本年こそは良い年にしたいものです。

年末年始を奈良で過ごして、いまはソウルです。雑煮はわが家のそれが一番うまいと思うので、正月の里帰りは雑煮を食べるのが目的と言っても過言ではありません。名所旧跡には事欠かない奈良ですが、初詣等はいっさいやらない。韓国の友人らは里帰りだと言うとたいへんに羨ましがりますが、しかし私の故郷の姿はまったく様変わりしてしまいました。いまはすっかり住宅地となった中に、幼いころに遊んだ林や小川や田んぼの痕跡がわずかに残っているだけです。故郷はもはや記憶の中にしか存在せず、里帰りしても昔の風景を思い浮かべては嘆息する。てなわけで、いま暮らしているソウルに戻ってきますとほっとしますな。(@^^@)

正月の4日に大阪へ出て梅田界隈を歩きました。百貨店のにぎやかな人ごみの中で、あるいは活気にあふれる地下の食料品売り場で、私はふと不安に駆られました。疲弊した日本経済は「うそ」をつきとすことができなくなる。早くて2年、遅くても5年以内に破綻するのではないか…と。正月早々縁起でもないと言われるかもしれませんし、あるいはまったくの勘違いかもしれません。が、もし本当に破綻したら、その時は「厄落とし」だと思ってまたがんばりましょう。今度は「本当に必要なものは何か、本当に大切なものは何か」を考えながらがんばりましょう。みなさま、抜かりなく破綻に、そして再起に備えましょう。私はここ韓国で基盤を整えることにします。
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© 岡本昌己/OKAMOTO masami