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「演劇/観客の大部分が40・50代/日本語の台詞、食い違う評価」
劇団「昴」韓国公演/東亜日報(1979/10/31)

紆余曲折の末に「昴」が日本劇団で初の来韓公演を持った。大統領逝去による戒厳宣布によってほんらい計画した6回公演を2回に減らし、28日には一時間ほど劇場の前で待った観客らが前売り券を換金して入場する騒動も醸し出した。順調ではないままに日本語公演芸術の韓国上陸が始まったわけだが、観客らの反応で公開的な日本舞台芸術受け入れの明日を占ってみる

テレンス・ラティガンの翻訳劇『海は深く青く』が日本語で公演された29・30日の世宗文化会館小講堂の客席は多少例外的な状況を見せた。たいてい演劇といえば大学生を中心にした若い層が観客の大部分を成すのに比べて、30代後半から50代までの比較的歳をとった観客が多くの客席を埋めたということだ。若い層はたいがい日本語や演劇を勉強する学生らに見えた。

日本語はぜんぜんわからないが勉強のつもりで見に来たという姜善淑さん(ソウル芸術専門大学1学年)は、日本演劇にたいへん好意的な反応を見せた

「まず日本演劇を見るということが興味深く、俳優の動作や舞台装置が緻密に組まれているのが立派」ということだ。

しかし今回の公演に対する評価には、人によって大きく違いを見せた。台詞を聞き取れない観客の中には途中で帰っていく人が多かった。舞台装置や俳優らの演技も旧式に見えて失望したという金榮泰氏(詩人)は、文化交流を行う場合はレパートリーを慎重に選択しなければならないだろうと指摘した。

「言語の障壁が問題とならない動きを主にした演劇、性格が不透明な写実主義演劇よりは実験的な演劇がわが国の演劇発展の助けとなるだろう」ということだ。30代など若い世代は年を取った層よりもはるかに文化的に武装していることから、日本文化の良し悪しを選別できるだろうというのが同氏の見解だ。

しかし日本文化の輸入に反対する層ではそのように考えない。柳敏榮氏(漢陽大学国文科)は「わたしたちは韓日合邦期間中に西欧の近代劇を日本を通じて、彼らの歪曲した形態で受け入れており、新派劇や商業主義などその被害がいまだ残っている」とし、「したがって今まで日本文化の流入を防いできたが、いまやその状況が変わったのか」と反問する。「こんかいの公演場で日本演劇を見て日本語で冗談をやり取りする50代観客を見ながら、まだ時期尚早だという思いを固くした」と同氏は語る。

一方で延世大学校の李相回教授(新聞放送学)は、日本文化の汚染は心配だが閉鎖主義では解決にならないという意見だ。特に演劇と映画部門において、わが国の画一的な文化交流政策は国民全体の文化水準を退歩させていると同氏は考えている。日本文化がとくに私たちに浸透力が強く、彼らの演劇・映画のなかにはわが国に入ってきてむしろ害毒となる部分が多いことも事実だ。しかし日本の書籍と雑誌、一部の地方には彼らの低俗なテレビ番組が無防備状態で流れ込んでいる。

このような現実で「日本文化は受け入れられない」というのはあり得ないし、選別してわが国に助けとなるものを受け入れなければならないというわけだ。「文藝振興院の映画振興公社で芸術的に優れた演劇・映画を受け入れて、それらを理解してわが国の文化発展に活用できる関係者・学生らに見せなければならない」と、同氏は融通性のある文化政策を提案する。

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