≪Theatre Reviews
「しっかりした構成…言語の障壁をこえて熱い人間愛で交感」
地人会『釈迦内鎮魂歌』劇評/ユン・ホンミ記者/朝鮮日報(1989/12/20)

先週末の昼と夜(3時と7時)と月曜日の夜など、5回にわたって日本の高名な劇団「地人会」の現代劇『釈迦内柩唄』(訳注:記事では『釈迦内鎮魂歌』)がソウル東崇洞(とんすんどん)の文芸会館大劇場の舞台に上がった。

意外に観客が少なかったが(5回公演で総千名あまり)、こんかいの特別公演は年末のわが国演劇界にいくつかの意味を刻んだし、相当数の観客から「良い見ものだった」という話題も残した。

この公演が好奇心を引いたのは、まず演劇内容や演技力で先を行く日本の職業劇団が現代劇を持ってソウルへ進出したという事実それじたいであろう。オリンピックや特別行事ではなく、また歌舞伎や能のような固有伝統的な性格でもない、言うなれば日本の「ふつう」の演劇がソウルの舞台に来たという意味。これは韓国でいま「日本映画は国民感情のために入って来れないが」(文公部芸術1課の話)、「日本演劇はほかの外国劇団と同じように手続きさえ経れば(公演倫理輸入審議→文公部輸入推薦)いくらでも公演できる」(芸術2課の話)という、はっきりした線を確認させる役割を果たした。文公部(訳注:文化公報部)の関係官の説明では、演劇は限定された空間と観客そして一回性の公演であることから映画や音盤のような大衆文化とは性格を異にするということであり、したがって日本の映画上映と音盤販売は「不許」だが演劇公演は可能だというものだ。いずれにせよ、「日本演劇が入って来ても良いのか」という反射的な疑問を提起した人々は少なくなかっただろうが、今回の公演は公倫(公演倫理委員会)の審議を経て文公部の許可を得て行われた。

演劇関係の専門家らは、日本の5大劇団のうちのひとつだという地人会のソウル公演が「日本の伝統的リアリズム演劇では初めて来たもの」だという点に意味を置いている。隣国の演劇水準を測ってみて、ひきいてはわが国の演劇界に強い刺激を与えたと肯定的評価を行う者は少なくなかった。

日本の花岡近くの釈迦内村の火葬場の主人一家の疎外された生を、この家に最後まで残った末娘の回想で描いたこの劇は、言語疎通のために舞台の上に字幕スクリーンを設置した。外国人観客としては主人公の独り言で始まるこの演劇は不慣れなもので、たいくつで「やはり演劇は言語が絶対的」という考えを思い浮かばせたが、1時間30分内外の時間を過ごして出てきた観客の中には「いつのまにか言語の問題を忘れ、劇のなかに引き込まれた」と感激する人々が多かった。それだけ劇の展開や俳優たちの演技がすっきりと「よく練れていた」という話だった。

どうかするとわが国の60年代のイ・スンヂェ、キム・ドンフン、ヨ・ウンゲらの時期の大学劇を、とくにテネシー・ウィリアムズの翻訳劇のような「定石」を見るようだったし、新しさを期待していた人々は陳腐な「演劇的」演劇の印象を受け取ったと言いもするが、それにもかかわらず劇場で会った多くの者が「涙があふれだけあふれた」と言うほど感動を与えたのはまさにこの劇団の実力であり、作家の力のようだ。

ある若者は「この程度のメッセージをもってこれほど時間をとるのかと思うとあきれる」と酷評した。火葬場の者という特異な社会、かれらだけが差別される生活、何よりも劇的に飛び込んだ「朝鮮人」独立運動家の登場などなど、人間差別と戦争の告発という「社会性」メッセージは今日の韓国の若者にはあまりに馴染んだ平凡な典型に見えたかもしれない。

しかし「日本の良心」という評のある作家の真正な声は「まったく考えられなかった疎外を実感した」「日本人の情愛に満ちた姿を感動的に見た」「韓国のオンヘヤ歌が障壁を崩す声として聞こえた」など、多くの観客に熱い愛で伝わったのははっきりしている

70代の作家水上勉氏は去る「天安門事件」を北京で見て、その衝撃でいままで京都の病院に入院していたという。

ひとつだけ、「植民地時代に対する妙な感情を洗い流せないでいる」という解放世代のある女性はこの演劇を見てロビーに出てきたとき、歳とった観客らが「どうやったら方言でこれだけうまく書ける?」「演技力がたいしたものだ」など感嘆する声を聴いて「ふと不快感がこみあげた」と告白した。