天幕(テント)劇場はわれわれにも見慣れないものではない。夏の海辺や公園に立てられた天幕劇場は、しかしいまや演劇ではほとんど忘れられた舞台であり、場末のサーカス団の哀調を帯びた公演の舞台として残っているのみだ。
しかし、いままた天幕劇場がよみがえる可能性がある。在日たちによる劇団「新宿梁山泊」が漢江の川辺で繰り広げた騒がしい一場の祝祭は、むしろ演劇を自然環境の中に還元させて、テント劇場が必ずしもみすぼらしい舞台のみではないという事実を立証した。それも固定された堅苦しい建築空間に慣れたわれわれに、水のイメージとその水の神話・伝説的起源と環境を調和させることで、演劇芸術の自由な活路を展開して見せた。一週間にも満たない公演期間であったが、汝矣島の河川敷に繰り出したこの在日同胞劇団は、川の水と関係した『人魚伝説』という題名とはまったく異なり、日本の地に定着しようとした流浪の家族と〈金魚〉という象徴的女性を媒介に兄弟間の葛藤を描いている。
『人魚伝説』という叙情的題名とはそぐわない、現実は酷薄とした生の戦いの場である。テントの中の狭い空間に、立錐の余地も無く詰め込んだ観客たちに舞台を奪われながら、テント劇場のみすぼらしい舞台を青と赤を主とした絢爛な照明で魔術のように変えていく。機動性のある舞台装置とともにダイナミックな演技術が合わさって、演劇は始終活気にあふれた祝祭の雰囲気であり、悲劇的な主題を演劇的祝祭として作り上げていく演出は高く評価されるだろう。
特に主役がいるわけでもなく、演出の金守珍と作家である鄭義信そして金久美子など30余名がチームワークで祝祭的躍動性を創造していくこのアマチュアのような在日同胞の劇団は、演技力で国内の年輪を重ねた専門劇団の水準を凌駕してわれわれを恥ずかしくさせる。その繊細な演出の計算と計算された演技力、歌と踊りなどすべての才能を見せつけた新宿梁山泊のアンサンブルは、圧縮され緻密なその力でわれわれの劇団を刺激することに間違いない。
生命の根源である水を重要なモチーフとして、舞台後面のテントをめくると漢江の上のいかだに連携するように編まれた戯曲の視覚化は、舞台前面に設置されたプールと舞台が左右に分かれて水を吹き出す最後の場面と噛み合わさって、『人魚伝説』の水のモチーフを現代的に感銘深く再解析した。