ソウル芸術祭芸術監督のソン・ヂンチェク(53)と日本の新国立劇場芸術監督職務代行の栗山民也(47)が先週、大学路で会った。
栗山氏は来る7月の芸術監督正式就任に先立ち、韓国の演劇界を詳しく知ろうと来韓した。
同氏は1998年に開館した日本の現代演劇の中心である新国立劇場の作品選定権を握っている。
ソン氏も国内最高の演劇祭であるソウル演劇祭の舞台部門に責任を持つ。彼らは胸襟をさっと開いた。ソン氏が最初から核心をついた。
「日本は相変わらず近くても遠い国だ。演劇も同じだ。最近は行き来が頻繁になったが、見えない壁が厳存する。不幸だった両国の過去を整理しなければ交流は遙遠だ。
栗山氏は躊躇なく答える。
「共感する。一人の日本演劇人として責任を感じる。日本が過去の過ちをきちんと反省する作品を作らなければならない。これまで両国の交流は名分に偏っていた感じだ」。
ソン氏が受け取った。
「話が通じる。いまや両国は押し入れの中に隠しておいた話の風呂敷を取り出さなければならない」。
栗山氏も敗けていない。
「来年5月に〈時代と記憶〉をテーマに創作劇5編を新国立劇場で公演する。そのうちの一つで〈東京裁判〉をとり上げる。日本の太平洋戦争責任を問う作品だ」。
対話は一瀉千里に続いた。交流という生硬なことばの代わりに、現場で活動する演劇人の自然な行き来を強調した。
「私が代表としている劇団美醜で演出を引き受けてほしい。文化交流はまさに人間交流だ。公演そのものよりも公演に至る過程が大切だ」。
栗山氏がおどけたように答える。
「芸術監督の任期に制限がなく、そんな時間があるだろうか(笑)。しかし近い時間内に共同作業に着手する計画だ。2002年4月頃に韓国戯曲を日本人が演出し、日本戯曲を韓国人が演出し、新国立劇場で公演する。良い成果を期待している」。
話はアジア演劇の未来につながった。マダン劇を大衆化して韓国固有の演劇様式を追求してきたソン氏と同様に、栗山氏も早稻田大で日本の伝統仮面劇である能を勉強するなど、伝統の現代化に関心が深い。
今回は栗山氏が話の糸口を開いた。
「日本の能には鼓という楽器が出てくるが、その楽器の音の中間の静が圧巻だ。静かさも素晴らしい演劇になるのだ。西洋では考えられない部分だ」。
ソン氏がひざを叩く。
「なるほど。東洋画の特徴も余白ではないか。タルチュムでも拍子のあいだの空白がすべてを語る。いまや西欧指向を反省しなければならない。西洋演劇は人物と台詞が、東洋演劇は音楽・場面が中心だ。それだけに東洋演劇は祭儀的性格が強い。西洋が論理を掲げるならば、東洋は論理を超越する。西洋の合理性と東洋の祭儀性を混ぜ合わせて世界的な普遍性を獲得する作品を生み出そう」。
両国の演劇の違いも取り上げた。
「日本演劇は精巧だ。韓国演劇が大陸的気質を土台に発達した反面で、日本は静的で繊細だ。特に制作・演出の分離が活性化した日本の専門システムが羨ましい」(ソン)。
「韓国は俳優たちの集中力がすごい。演劇協会を軸にした、しっかりした組織も日本では見ることが難しい。演劇がテレビドラマのように柔弱になるのが日本の問題だ」(栗山)
二人はお互いを同志として表現する。両国国民の、国民による、国民のための作品を作ろうと誓いあった。本当の兄弟のような雰囲気だった。
韓日はこれほど近づいている。