≪Theatre Reviews
「生涯わすれることのできないこと/劇団自由の初舞台」
朴雄(パク・ウン、演技者)/韓国日報(2001/1/26)

私が所属していた劇団自由は1965年、韓日国交正常化以後に演劇団体では初めて79年に日本公演を行った。日本の現代劇会の招請で朴牛春作、金正ト演出、李秉福美術の『何になるというのか』という作品を舞台にあげた。

朴正子(パク・チョンヂャ)、金錦枝(キム・クムヂ)、オ・ヨンス、クォン・ビョンギル、そして作故したチャン・ゴンイル、米国に暮らすヤン・ヂウン、いまはむしろ人気歌手として活躍しているハン・ヨンエなどが出演俳優だ。

いまは日本だけではなく世界のさまざまな国と文化交流が頻繁に行われているが、当時としては劇団の海外公演は非常にたいへんな時節だったので劇団の仲間みんなが興奮していたし、だめだという声を聞かないために渾身の力をつくして準備した。

演劇人らは私たちに海外公演だとわけもなく気後れすることなく、自信感ある演技をしなさいと注文した。

あのころはまだ南北韓の葛藤が強く、出国に先立って反共教育をいっぱい受けた。特に総連係の人々に会わないようにという堅い注意があったし、私たちもあんまり怖がって公演以外の観光は想像もできなかった。

公演は日本の心臓部である東京で三日間続いた。現地の観客と評論家たちがどんな反応を見せるか心配だったが結果は大成功だった。

劇場をいっぱいに満たした観客たちは韓国語演劇であったにもかかわらず、パンフレットをあらかじめ読んでストーリーを理解していたし、特に村の可愛らしい娘をさらっていこうとするチョンチァムボンと彼女を愛する下人が繰り広げる対決を面白がった。

毎回公演が終わる度に熱い拍手を浴びた。評論家たちは舞台と客席に境界を置かない、マダン劇的な要素が多い実験的形式に高い点数を与えた。

いったん日本公演に成功すると自信感が生じたし、その後は海外公演を活発に推進した。1983年には日本の劇場運営者であり同時に文化企画家人であるタカシマさんが私たちの劇団の『風吹く日にも花は咲く』という作品を招請し、沖繩から北海道まで7ヶ都市を巡演した。

ヨーロッパとアフリカや米洲などでも公演した。あのときいっしょに公演した俳優たちは今は生の後半を送っているが、いまも公演に対する情熱だけはみんな変わりない。

海外公演がこれからどれほどあるのか分からないが、初の海外舞台で感じたときめきと興奮そして達成感はそうそう無いだろう。演劇人朴雄

【補足説明】パク・ウンの所属する劇団「自由劇場」は福田恆存の主宰する現代演劇協会の招請で1979年11月に日本公演を行った。これはその時の回想。筆者が入手した記録によると、韓国現代劇の日本公演は劇団「架橋(カギョ)」が1976年5月に『平和の王子』を恵泉女学園などで上演したことが最初である。また記事に「現代劇会」とあるのは「現代演劇協会」のことかと思われる。