劇団青羽(チョンウ)が創団10周年記念公演の一環として舞台に上げた『S高原から』(平田オリザ作・金応寿訳/シン・ヨンハン演出)はいわゆる「静かな演劇」である。日常生活からの距離がほとんど感じられないことから、常識的に連想される演劇を想像していた観客たちにはあまりにも非演劇的に映ったかもしれない。ここで常識的に連想される演劇とは主に写実主義系列のものを言うが、必ずしもそれと同じ類型ではなくても、演劇一般は主に日常の経験を濃縮する方式を通じて観客に日常では味わうことのできない絶頂感を提供するところに慣れている。そこで暴力と猥褻が乱舞するハリウッド式の映画の背後には、このような見解を掲げる実用主義的な芸術理論が知らず知らずに作用するという批判があるわけだ。それに比べれば「静かな演劇」ではこれだというほどの事件はない。もちろんそこにもあえて探してみれば事件によく似たものがなくはない。
うわべからは平穏なだけのある病院の休憩室が舞台のすべてであるが、そこにはベンチがいくつかとその上に置かれた雑誌、そして観葉植物の植木鉢が置かれており安定感を加えている。医師と看護要員たちも平穏で、医者は治療よりも植物の手入れにより熱中するほどだ。しかしよく見ていれば、この病院の患者たちはすべて平穏に見える中にも、病名の判らない不治の病でいつ死に至るか判らない状態に置かれていることをそれとなく知らされる。「少しずつ違っているだけで、だれでもいつかは死ぬだろう」と言いたいのではないかと思える。病名が何であるのか知ることはできないが、患者たちの挙動からすると何か精神疾患のように思える愛想の良い看護婦の態度から、この病院の費用は並大抵ではないように見える。患者たちがすべて若年であることを思うと、豊穣な時代を謳歌する日本で特に青年世代が抱えている問題状況を暗示するための装置であるようだ。
事件の無いよう見えるが、それでも人間が集まって暮らすところだから全く何も起こらないことはない。いつも体温計をくわえている青年は3回くしゃみをして、とうとう深刻な症状ではないかと憂慮する。兄妹と想定された2人の男女は、近親相姦ではないかと疑われるほどに親密だ。売れっ子だった画家は色彩感覚を失った状態で4年間、彼と結婚しようとする女性の願いをのばしのばしにしたままでいる。そんななかによく登場する男性患者の一人は平素でも浮気っぽいところがあるが、兄妹の妹に好感を見せ、彼女はこれによって悩む。親切な看護士はあまりにも頻繁なベルの呼び出しに不満さを見せる。
このように何もないかのように展開する事件は、面会人たちによっていま少し複雑になる。特に浮気っぽい患者の恋人と、彼らと親しいもう一組の男女をはじめとして、面会人たちの登場を通じて観客は多少ストーリーテリングの期待を充足させる。ある男性は6カ月ほど待ったが未来を約束できない状況からとうとう同じ会社の職員と結婚することにした恋人の変化を彼女の友人から聞いたかと思えば、別の男は兄妹の兄から妹に過剰な親切を与えないでくれという警告を受ける。
このように死の影の中で進行する日常であるがゆえに、またその死によって離別を味わわなければならないことにこの作品は「日常悲劇」というジャンル名を与えられているようだ。医師をはじめとして医療陣は患者の状態を他人にはもちろん、本人にも正確に教えていない。この状態で退院は自由ということから、このような状況の悲劇的色感を上塗りする。あえて登場人物の名前を書かなくても差し支えの無いこの作品は、多分に実存主義的な匂いを漂わせるが、不条理性を誇張しないという点から依然として「静かな演劇」である。観客は細かく描写される舞台上の日常の中に、もしも何かこれという事件のようなものが繰り広げられるのではないかという、終始一貫緊張して舞台を見守りながら少しでも隙間を見つけては笑う。しかし化粧室に入ったときのある観客の質問が脳裏に残る。「どんなメッセージを与えるというんだろう?」。おそらく作家がその言葉を聞いたなら会心の微笑を浮かべだろう。そしてそれは「あなたの取り分だ」と繰り返しただろう。
このように日常的なようでありながら、それなりに組み立てられた日常を描くために、俳優たちは話術や動作で相当な統制を必要とするようだが、大部分は成功していた。そんななかに多少非日常性をかくさない演技を見せたムン・ギョンヒ(入院患者役)と、いつも親切を飾るがいつ爆発するか判らない緊張感を醸し出している演技を見せたパク・ミソン(看護婦役)、そして若干ネジが緩んだような役割に忠実だったイ・ユリ(看護士役)が自然そうな中にも要求される演出された演技方式を標準的に見せた。
セリフの翻訳は容易ではなかっただろうと思えるが、劇本を見ていない状態で自信はないが、比較的原本に忠実でありながら韓国語の口語体を生かそうとしたところに無理はなかったと思う。とはいえ、日本人にもよくわからない、いわゆる反語法を駆使する不明瞭な日本の文章表現は、韓国語のニュアンスを生かしながら移し替えなければならなかっただろうかという思いがする。いずれにせよこのような日本語の駆使は、同じ作家の『東京ノート』を改作した『ソウルノート』の日韓合同公演で、日本の俳優たちによる日本語のセリフが日本人らしい日常生活の活力を加えるところに寄与しただけの成果を上げるのは難しそうに見えたためだ。
シン・ヨンハンは公演場をチョンボ小劇場に決定したことから、この作品の特性をうまくとらえて事実上の演出デビュー公演を無難に率いた。彼が助演出で参与した『その河を越えて、五月』で平田オリザと共同執筆の経験のある金明和が『カフェ新派』で韓国版「静かな演劇」を見せた状況から、このような作品に慣れた演出家の存在が必要に思えるが、これに対する一般観客の反応はまだ戸惑っていることを思うとき、そして「静かな演劇」が極めて日本的な演劇だという点を考えるとき、彼の経験がこれに対するもう少し根本的な省察まで引き継がれるかは未知数に属する。(作家はフランスでの公演を挙論して、この演劇類型の世界的普遍性を自負するようだ)。