『農業少女』って!タイトルから突拍子もない。「祖国の野原に木を植える」と合唱したスターリン時代の少年団が思い浮かぶ。あるいは自給自足農業を当面の課題として掲げた朴正煕時代の「セマウル運動」が連想されもする。とは言え、タイトルから漂う硬直した「独裁」の匂いはこの演劇とは無関係だ。去る1日、大学路ゲリラ劇場で幕を上げた『農業少女』。日本人作家の野田秀樹の台本をイ・ビョンフン(53)が翻案して演出したこの作品は、21世紀の大衆社会を止まることなくあてこする「毒舌」の演劇だ。資本とテクノロジーに徹底的に支配されている不思議な人間群像、真実な関係は没落し虚偽意識だけが乱舞する大都市の腐った裏面をひとつひとつひっくり返す。26のエピソードが特別な場面転換なしで息を呑むようにつながる。現在と過去、原因と結果がパズルのように混ざり合い、素早く流れる演劇。がらんとした舞台の上には鉄道セットだけが置かれているだけだ。一見すっきりとして見えるが、観客の視線を俳優たちのセリフと身振りに集中させるにはむしろ効果的だ。その鉄道の南端に「農業」という名前の田舎駅がある。「私は農業がほんとうに嫌い」と呼んでいた女子中学生「ペンミ」はある日、特急列車に身をあずけてソウルに家出する。
都市のキャリアウーマンになることを夢見る田舎の少女。ペンミの頭の中にはテレビを通じて注入された都市女性のイメージがなみなみとあふれている。しかしそれは「偽」であり、幻想に過ぎない。作家の野田秀樹はペンミが足を踏み入れた大都市の裏面を一枚ずつ剥がしながら、徐々にとげとげしい皮肉を浴びせ始める。スポーツ国粋主義、大衆の妄想と気まぐれ、援助交際、市民団体の堕落、ウェルネスブームの軽薄さ…。野田秀樹が心から皮肉る「今日、日本の姿」は、大韓民国の現実とほとんど誤差なしにきっちりと合う。
音響と音楽も効果的だ。あちこちで鳴る携帯電話の着メロ、「大韓民国」を連呼して雷のような拍手が鳴り響くなか、ヒトラーの速射砲のような大衆演説が混ざる。ワーグナーの音楽は大衆の狂的な歓呼をさらに煽り、ドボルザークの『新世界交響曲』は捨ててきた故郷の小川のように美しく静かに流れる。
特にこの演劇の殊勲者は一人18役を消化しつつ、狭い舞台を休みなく振り回す4人の俳優たちだ。演戯団コリペの代表俳優であるチョ・ヨンジンとチョン・ドンスクそして10代の少女ペンミに扮した新鋭パク・ユミル。劇の序盤から汗でぶつかりあう彼らの情熱が舞台を輝かせる。ときどき中年男を誘惑する幼い少女「ロリータ」のイメージと重なるペンミ。短いスカートの間にあらわになる肌がたまにくらっとさせる。やや当惑するこの「窃視症」では、やはり「日本風」を感じさせられる。
挫折と喪失感に陥ったペンミはけっきょく農業に戻る。とはいえ、そこには何らの希望も無い。都市で傷ついて田舎に戻ってきて聴覚を失ったペンミ。作家の野田秀樹の視線はけっきょく虚無主義の崖を眺める。しかし、どうだっただろうか。生半可な啓道よりも、それはむしろ正直だ。元気で生き生きとした10代の少女がこの国の南端で描くことのできる夢はいったい何だったのか。ウリ劇研究所の「21世紀同時代演劇展」の最初の作品。来月8日まで続く。