「生前に機会があれば韓国と中国を訪問し、ひざまずいて謝罪したい」。小説『氷点』の作家三浦綾子は癌で世を去る前、自国の日本が太平洋戦争を起こし、その過程で犯した蛮行に対し知識人として罪意識に苦しんだ。
死んだ三浦に代わって日本のある進歩演劇団体が太平洋戦争の問題を扱った作品『銃口』を持って訪韓した。劇団は青年劇場だ。彼らは人類が二度と銃口によって脅かされることがないことを祈り、戦争の傷跡を残した韓国人に許しを求めるために来た。13日から14都市の巡回公演に入る。
堀口始(73、写真)は『銃口』を舞台にあげた演出家だ。「太平洋戦争が終わってから今年で60年めですが、依然として世界のあちこちで戦争と同様の紛争が続いています。戦争に反対し生きている人類に期待をかけようというメッセージで『銃口』を持ってきました。『銃口』の背景は1937年から10年間、日本帝国の軍隊が中国大陸を全面的に侵略した頃から日本帝国の敗亡まで。戦争を経験したある小学校の新任教師の生活を通じて、戦争の痛みと人類愛、そして正しい良心の教育を描いた作品だ。作品の中で主人公北森の父親は朝鮮人のパルチザンの実在する主人公キム・ジュンミョンを救い、キム・ジュンミョンはけっきょく北森を生かす。これは堀口演出が観客らに語りたい主題であるわけだ。彼は「韓国のキム・ジュンミョンと日本の北森のような人が多かったら、韓・日関係はいまのように悪化しなかっただろう」と残念がった。
堀口が演劇を通じて過去史の清算、正しい歴史理解に飛び込むことになったのは偶然ではない。彼もまたやはり太平洋戦争の被害者だ。1931年に平壌で生まれた彼は、中2の時までそこにずっと住んでいた。彼は姉と弟を戦場で失った。日本が退却する避難の群にもぐりこみ、戦争の最後の血の涙までも味わった。
「戦争は再び起きてはならず、その過程で犯した過誤は明らかに清算して許しを求めなければなりません。日本政府がやらないというならば、両親の生きているわれわれ市民が乗り出さないと」とし、彼は「過去史を反省し共存する未来を夢見る日本人が多いことが希望的」だと付け加えた。韓・日関係で2005年は多事多難だった年だ。今年が「韓日友情年」という事実が顔色を失う。「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書歪曲、独島と東海の表記問題で両国は心が傷つくだけ傷ついた。日帝強制徴用者補償と慰安婦や靖国神社問題など、解決すべき課題が山積している。
参会はどころか軍国主義の姿に後退している自国について彼は憂慮した。日本はこれまで以上に危機に瀕しているという言葉から始まった。戦後60年間、日本が掲げることができるのは「平和憲法」だったが、最近はこれに対する改正および改憲論議が起きているということだ。彼は日本の市民と共に反対の声を出している。この一環として、彼は3万人のPTA会員らと一緒に「新しい歴史教科書をつくる会」教科書の不採択運動を行った。
堀口は韓国訪問のために日本市民から財政的な支援も受けた。今からでも韓国を訪ねて謝罪しなければならないという声を出した市民が後援金全体の6分の1を作った。
「病んだ歴史の桎梏からいまだ癒されずに痛みを感じる韓国観客たちに、生涯の癒しとなるようにしたいと思います」。彼はこの演劇が2005年、韓国と日本の友情を新たに固める架橋となりたいという願いを持っている。