――8枚目


 人間、黙々と歩いていると色々なことを考えてしまうものだ。例に漏れず、俺は、暑いなあと思う思考の隅で、渡辺の話したことを思い出していた。


 ――――紹介状?
 眉を顰めた俺に、渡辺は頷いた。それから、あった、と小さく叫んで本の端を弾いた。 さっきからペラペラと捲っていた本。何?と俺が覗き込む前に、渡辺がペンのキャップを口で外して丸で囲む。
「ここ。これに『迷』と『道』が出てくる」
 丸で囲まれた三行。確かに渡辺の言う文字はそこにあった。古い本は顔を近づけると、埃っぽいようなカビたような独特の匂いがする。
「これが、あいつらの名前だって?」
 図書館では、その本はあまりに古くて中身までよく見なかった。思想や哲学の棚にあったのだけれど、ちらりと見た感じでは雑然と散文めいた文章が並んでいて、周りに並ぶ本のような受験の役に立ちそうな類いの哲学書には到底見えなかった。それで、指示を仰ごうと持ち出したのだ。

「迷いは道があるから生じるってのを、象徴的に書いたって風にも取れるけど、こうなると偶然って言っちゃうには、ちょっとな」
 渡辺の言うことにも一理ある。何より、『迷』の態度が変わったのは、この本に気付いてからに思えた。紹介状、ともう一度口にする。

「ここ、三行目。……みっちゃんなんて親しげに呼んでたクセに、あいつは『道』のところへ来たがらなかった。あいつらの間に何があったか知らないけど、これがあいつらのことを示してるんなら」
「他の章も、誰かと誰かの関係について示してるかも知れないってこと、か」
 そういうこと、と渡辺がしたり顔で笑う。
「で、さらにあいつの話を考え合わせると……これは、前にここに来た奴が書いたメモじゃないか、ってこと」
「話が飛躍してないか?」
 驚いて思わず口をはさむ。本当なら、すごいことだ。
「ここでは他人の名前については口にしても、自分の名前は言わない。俺らは、てか『迷』は特例だ。本当なら『迷』に『道』のことを聞いて、それから『道』に聞いて初めて『迷』の名前を知ることになる。言ってたろ?一人なら名前は要らないんだ、ってことは、重要なのは他人との関係だろ」
「お前、分かっててやってたのかよ……」
 ウンザリした調子で言う。勿論、『道』の前で、いきなり『迷』の名前を口にしたことだ。こっちはめちゃめちゃ驚いたのに、あれも何か考えがあってのことなのか?
「あ?……ああ、いや?あん時は、さらっと普通に口が滑っただけ」
「渡辺ー」
 ……こいつは、すげー奴かと思ったら……。

「まあいいや……。で、これがもしそうなら、これを辿れば帰れるってことか?」
「かも知れない。ただ、これ、章と章とは繋がってないから、まずはこの中にある名にぶつかんなきゃ意味がない」
「でも、そいつがいれば、近くに、このセットになってる奴がいるかも知れないってことだろ?それに、『道』は名前は性質を表わしてるって言ってた。名前がわかってる方が断然有利だ」
 『迷』は、誰もが力を貸してくれる訳じゃないと言っていた。それに、何より気をつけなければいけないのは……。
「問題は『キング』だな。力は強いらしいけど、何か難しい奴みたいだし、こん中にいるかはわかんないけど、できれば避けた方がいいんだろうな」
 渡辺も同じことを考えていたらしい。当たり前だ、そいつの機嫌を損ねて年単位で足止めなんて冗談じゃない。
「じゃ、とりあえず……『道』のとこに戻るか。この中の誰か、なんていってもゼロからじゃ無理だ」
 あっさりと渡辺が引き返すことを提言した。俺も、勿論反対しなかった。


 こうして、俺達は『道』のところへ戻ったのだ。そして、今は『美』の処へ向かっている。
 『道』の性格の真っ当さに付け込んだ、といえなくもない。そう考えるとあまり気持ちのいいものではないが、帰る為だ。それに……渡辺は、その辺、恐ろしく正直にねだっていた気がするし。
 嘘はついていない、何となく言い訳がましくそんなことを思った。


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