――5枚目


 これは『みっちゃん』と別れてからの話になるが、話の脈絡を無視して突然自己紹介したことについて、渡辺は小さく声に出さず唸ってそれから、だって、とぽつんと言った。

「こっちでどうかなんて関係ないだろ。俺らには俺らのジョーシキも……名前もあるし」
 渡辺的には脈絡がないどころか大アリな上に、もしかすると多少の反抗だったのかも知れない。俺は少しいや、結構ショックを受けた。朱に交われば……もとい、郷に入っては郷に従え、という精神は渡辺にはないらしい。自分は前者だと、ふと思った。

「俺は、ひとりだったとしても『ワタナベユウタ』だし」
 大体勝手に変な名前付けられたらどーすんだよ、とかなり本気で嫌そうに言う。……ほとんど確信して言うけれど、多分こいつには本人が納得するような名前は付かないと思う。
 ――俺が、付けるとしたら、何て付けるんだろう?
   あいつは、俺に名前をつけられるだろうか?


「それよりさあ」
 渡辺が適当なところに座り込んで、こっちを見上げて言った。ちょっと疲れたのかも知れない、休憩してもいい頃だろう……もっとも、ゴールがいつになるかさえ分からないのだけれど。
「俺、あいつの名前わかったぜ?」
「え?」
 一緒になって腰を下ろしかけた俺に、渡辺はどこか悪戯っぽく言う。座れよ、と渡辺が目で合図した。
「『道』だよ。ほら、悪い奴じゃなかったけど、どっか堅苦しい感じしたろ。それに『迷』がみっちゃんて呼んでた」
「『道』――そうか、人の道とかの道、か」
「そ、言ってたろ?『迷』は道を知ってるって。それでピンと来たんだ」
 みっちゃんみちみち……なんて、そんな歌歌ったら怒られそうだよなあ、とどーでもいいことを付け加えた。口に出すのが半分なら、こいつはすごく頭がよく見えるんじゃないだろうか?見直しかけたところを、いつだってすぐに自分でぶち壊す。

「で、これ見て」
 渡辺が指差したのは、古びた本だった。俺が運んでいた図書館の本のうちの一冊。その辺に置いて来る訳にもいかずに、俺達はここへ来る時に一緒にこちらへ持ち込んでしまったそれぞれの荷物を、邪魔ではあったがずっと持ち歩いていたのだ。
 荷物といっても、帰る途中だったんだろう渡辺が持っていたのは潰れた学生鞄とジャージかなんかを一緒に突っ込んだらしい袋だけだったし、俺に至っては両手を塞いでいたダンボール箱は階段を落ちる時にぶちまけてしまったので、入りきらなかった本を何冊か入れた紙袋があるだけ。
 渡辺が差し出したのは、俺がばらまいた拍子に渡辺の荷物に紛れこんだことが判明したものだった。――何か役に立つ物でもないかと一応荷物を確認した際に「お前、本だけだな」と渡辺が嫌な顔をして、ぺらぺらとめくってつまらなさそうに俺に返した本である。確かに本なんて重いしかさばるし、なのに何かに使える訳でもないから、渡辺が嫌な顔をしたのも道理だ。

 そんなことを思い出したから、俺は今更なんだよ、と渡辺と本とを見比べた。俺のそんな軽い不機嫌なんかまったく気にしない様子で渡辺はページをめくっている。何か探しているらしい。
「『迷』が言ってたこと、覚えてるか?」
 手を止めずに、何かのついでか間をもたす為のような感じで渡辺が口にした。
「言ったことって……元の場所への帰り方か?」
 それなら忘れる筈がない。そこじゃなくて、と俺の言葉に渡辺がまだ本から目を離さないままで言った。……そこじゃなくて?俺は初めから順にあいつが何を言ったか思い出してみる。

「“招かれざる客”?」
「そう。最初は招待状も持たないでって言ってたんだ。でも、突然“紹介状はあるのね”って、そしたらそれで特別にって、自分の呼び名も、それから『道』の居場所も教えてくれた」
「紹介状……」
 あの時、そういえば確かにあいつは何かに目を止めたようだった。何かに気付いて、それで急に気を変えた、という感じで……。  渡辺は、その答えを既に持っているようだった。


NEXT
<<BACK