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細切れ記事

2005年11月02日(水)

巳年

~蛇)。ヘビというと、一般にはあまり人気者とはいえないが、水神や子宝の神など、神聖な守り神という意味がある。そんな巳にまつわる話を民俗学者大藤ゆきさんに聞いた。また、十二支を独創による花結び手芸で作品にしている手芸家の松田愛子さん(伝統手工芸・愛香会主宰)の創作三点を紹介する。 (赤岡東)

蛇は神聖な守り神
民俗学者 大藤ゆきさん

いまなお根強い信仰や俗信

 クチナワ、ナガムシ、ナガモノ…。蛇(ヘビ)の異称には、いくつかあるが、大藤さんによると、いずれも、そのものズバリの呼び名を避けたものという。

 「それは蛇を神聖視しているためで、特に漁師に、その傾向が強く、蛇が水神の姿と考えられていたためでしょう」

 巳には、神聖な守り神の意味が濃いようだ。

 また、ヘビには女性に魅入って子を生ませるという民間に伝わる信仰もある。そのもとは、三輪山神社(奈良県桜井市)の神が蛇の姿となって人間界の処女に通い、神の子をはらませたという「三輪山信仰」があり、さらに、それが蛇聟入(ヘビむこいり)という昔話となっているという。

 「忍んでくる男の正体を鉄の針の呪力で見破り、女性が難を逃れるというもので、漁師が海中に鉄製のものを落とすのを忌むのも、ヘビが鉄を嫌うためです」

 一方で、蛇は、七福神の一つ弁財天や山の神が使わされた動物という信仰も根強く残っている。それに、女性の三十三歳の厄年には、ウロコ模様の帯を締めたり、守り袋、財布、ふろ敷き、クシなど身につけると厄を逃れられるといった俗信もあるという。

 方角でいうと、巳は南南東を示す、時間では巳の刻は午前十時、または午前九時から午前十一時の間をさしている。


~い縁起物
手芸家 松田愛子さん

新春彩る結び絵やマスコット

 長い歴史をもつ日本独特の伝統手工芸「結び」は、一本ないし二本の組みひもを指先だけで多彩な形に結び、優雅な飾り結びとして発達してきた。

 松田愛子さんは、この飾り~

~ 玄関や室内に飾って楽しめる「結び絵」。白と金の二本の組みひもで、淡路結びと四つ組みで仕上げた。赤の色紙に巳の形に置き、家運隆盛を招く緑の老松を添えてある。

 新春にふさわしい紅白の組~

~ト大蛇神」は銀の組みひもで上アゴ、下アゴに分けて結び、胴体は緑と銀の組みひもでウロコ模様をあらわし、太く長く結んだ。「自由に蛇の姿勢を変えて楽しめますよ」と松田さん。

テーブルマスコット新春らしい紅白の組みひもを使った「テーブルマスコット」

結び絵飾って楽しめる「結び絵」


タイトル不明(ハワイ料理?)

ハワイ料理?

材料メモ(4人分)
<スパむすび>
ご飯茶わん2杯分、ランチョンミート缶(340グラム)1/2缶、のり1/2枚、サラダ油
<アヒポキ>
マグロ(赤身)100グラム、タマネギ1/4個、練りワサビほか
<ロミロミサーモン>
スモークサーモン4枚、アサツキ2本、昆布茶小さじ1
<ポイステーキ>
サトイモ5個、サラダ油ほか
何かの作り方1
  1. ~小さじ1に30分ほど漬ける。
  2. タマネギは薄切りにする。
  3. (1)の汁気を軽くきって(2)と合わせ、ゴマ油小さじ1/2であ~
何かの作り方2
  1. フライパンにサラダ油大さじ1を熱して(1)を入れ、両面を色よく焼く。

爽快 ドライブ教室

慣れない雪道を安全にドライブ

 毎朝の新聞で、各地のスキー場の積雪情報を見るのが楽しみ。いよいよ本格的スキー&スノボシーズンですね。今世紀の滑り納めと新世紀の滑り初めを、ゲレンデで過ごす若いグループやファミリーも多いのではないでしょうか。最近は、スキー場への往復もクルマを使う人がほとんど。そこで、冬場のセーフティードライブのチェックポイントを上げてみました。

 雪道や凍結路の走行は、スタッドレスタイヤも普及していますが、何といってもチェーンは必需品。スキー場へのアクセスは高速道路を使うことが多く、その際はチェーン着脱所がありますから、サインを見落とさないようにすぐに入り、安全に着脱しましょう。

 冬場の走行の基本は、急ハンドル、急加速、急ブレーキを避けること。車間距離も普通以上に十分取るように。積雪のある坂道では、ローギアーで走るように気をつけてください。途中で止まったりアクセルを強く踏むと、タイヤが空回りして雪道から出られなくなることがあります。

 雪の積もった山道の路肩は危険ですから、なるべくセンターに寄り、通過したクルマのわだちに沿って走りましょう。降雪時はフォグランプを点灯して側面の距離感をきちんと視界に入れて運転することが大切です。

 スキー場に着いて駐車する際には、凍結防止のためにサイドブレーキは引かないでおくこと。ワイパーもブレードがガラスに凍りつかないよう立てておくといいでしょう。夜間に積雪があることも多いので、ボンネットから前方に板などをかぶせておくと、出発する時にそれを除けば、スムーズに走り出せます。坂道に止めなければならないような場合は、必ずタイヤ止めをしておきましょう。

 日帰りスキーの場合、早朝や深夜に走ることもあるので、高速のPAやSA、一般道の「道の駅」などでマメに休息を取り、無理のない運転を心がけてください。

太田の利根川中州不法投棄報道問題

~やはりあった

県警、本格的に捜査へ

 「週刊現代」が太田市内の利根川流域の中洲二箇所で昨年五月から同十月にかけて、大量の産業廃棄物が不法に埋められたと報じた問題で、県は二十七日、高林南町の現場三箇所の試掘を行い、「産業廃棄物」とみられる異物を確認した。県は「廃棄物は微量と思われる」としつつも報道された「不法投棄」が確認された格好。県警は試掘を踏まえ本格的な捜査に乗り出す。今後の焦点は県警の捜査力といえそうだ。

試掘で確認 県「環境への影響ない」

 県・市職員や警察官、太田市議ら約五十人の立ち会いのもと、午前八時から報道陣らをシャットアウトして試掘は始まった。パワーシャベル二台による試掘の結果、一帯は黒く変色した土が大量に埋まっており、なかから「焼却灰」とみられる木片、コンクリート片、かわらや廃プラスチック、ガラス片、金属棒などが次々と発見された。

 また、ビニールなどが埋まった廃棄物の層が約八十センチに渡って横たわっており、すべての地点ですぐ真下から地下水がわき出した。

 試掘を見守った地域住民は「焼却灰が埋まっていた」という県側の説明に怒りをあらわにしたり「古戸町の方がたくさん埋まっているのに…」とこぼす人も。加藤光治・県生活環境課長は「産業廃棄物」という言葉を避け「微量のゴミが確認されたが、環境への影響はないだろう」と述べたが、「あったかなかったかといえば(廃棄物が)埋まっているのは事実」とした。

 県は今後、試掘した土砂から取った約一キロのサンプルに有害物が含まれているか検査し、一月中旬ごろには結果を出すことにしている。

コンクリート片などがコンクリート片などが
=太田市高林南町


~総連元幹部スパイ事件「工作員教育の実態~

~が二十七日、警視庁公安部の調べで分かった。当時の韓国の朴政権を倒すため、野党の金泳三氏(前大統領)などの政治家を取り込むことや日本での活動中は、職業や住宅地をひんぱんに変えること、金や色仕掛けでの買収も指示していた。

政権打倒も視野

 公安部の調べでは、康被告は韓国の朴正熙政権当時の昭和五十四年(一九七九)七月下旬、平壌を訪問。六日間にわたって〝工作員講習〟を受講していたが、押収資料を分析したところ、講習内容がノート数十ページにわたってハングル文字でびっしりと書き込まれていたという。

 講習では、地下革命活動の心構えを「一に規律、二にも規律、三にも規律」とし、「この事業(革命工作)をよくしようとするならば、秘密を徹底的に固守することだ」などと、秘密保持の重要性を繰り返し説いている。

~倒することも示唆、韓国の実情を知り、「南の政治、経済、文化などすべてのことを理解」するため、すべての関係書物を読むよう求めている。

 また、日本や韓国への潜入時は、工作対象者を取り込むために「金で買収」し、「女と酒で証拠をつかみ、堕落させて謀略活動を打ち立てる」などと買収方法を示している。

 一方で、「日本の警察は~

~泳三氏取り込み目標
~んぱんに転職、転居
~や色仕掛けで買収

康被告、講習後の離脱は偽

 康被告は、平壌で〝工作員講習〟を受けた四年後の昭和五十八(一九八三)年ごろ、朝鮮総連を離脱したが、四十年代のはじめには総連の青年部「朝青」の委員長を務めるなど将来の幹部候補とみられていた。捜査関係者の一人は「(離脱は)表の世界に別れを告げ、スパイに専念するための偽装だったのではないか」と推測する。

 平成三年には、韓国の巨大企業グレー~

~いるのを確認しており、~していたとみられる。

 また、「カン・パウロ~乗り、設立したキリスト~のに、在韓非転向長期囚~々と展開。その裏側で日~教会に出入りし、牧師を~む工作にも成功していた。~康被告は貿易会社や旅行~天然水の輸入事業などを~

タイトル不明(読者投稿?)

第二の航海へ
黒川勇二 57(愛媛県今治市)

 二十世紀末までに経験した印象に残る出来事は、船乗り人生のスタートとゴールです。

 来島海峡を航海する外航船をながめ、小学四年生のころから外国航路の船長を目指しました。船乗りの学校を卒業後、初乗船は昭和三十四年十月で、十六歳でした。母と弟が見送りに来てくれ、今治桟橋で別れを惜しんだ情景が、今も目に浮かびます。

 以来四十二隻乗船し、世界各国を訪れ、多くの人に接しました。国際感覚を身につけることができたのは大きな財産です。二〇〇〇年の節目に無事、船長として定年を迎え、少年の夢を果たし終えたのです。

 常に会社の発展と安全運行を第一に、家族の幸福のために働き、波乱に富んだ~

~入らずの三年間は、終生忘れられない貴重なもので、沖縄は第二の故郷と思っています。

 私の船乗り人生は、三人の子供を育て留守宅を守ってくれた妻の支えがあってこそであり、ただただ感謝です。

 第二の人生は、退職後「高等技術専門校」に入学し、目下技術を習得中ですが、就職できるかどうか、世間の荒波は厳しいようです。 (元外国航路船長)


高齢者家族の引っ越し騒動
司馬道子 74(千葉県印西市)

 大きな出来事がいくつもあった二十世紀だが、私にとって一番印象に残るのは、なんといってもわが高齢者家族の引っ越しである。我が家は九十六歳の母、七十七歳の主人、それに七十四歳の私の三人家族~

~だった。

 ところが東京、千葉、埼玉に住む三人の娘から「何かあったとき、すぐ飛んでいけないので、こちらの家に住んでほしい」といわれ、主人と相談の上、今年の秋、思い切って実行することにした。

 家探しは娘たちがしてくれたが、高齢者の引っ越しは準備段階から大変だった。古い物は捨てるようにいわれ、ミシンや洗濯機やテレビ、ピアノはもちろん、長年使い込んで愛着のあるおひつやまな板まで捨てた。

 主人が運転する車で中山道を走り、山梨県下で泊まるなどして二泊三日で千葉県にたどり着いた。母はさすがに疲れたようで、一時はパニック状態だった。

 三カ月たった今、周囲の環境にも慣れ、静かで満足な日々を過ごしている。ここでゆっくり親孝行をしようと思っている。 (主婦)