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区長制度研究会中間報告      町内会・地区会と情報回路      区長制度の創造的破壊論

2001.1.11
区長制度について《創造的破壊論!》
―地方自治の本旨に立ち返り行政と住民との新たなる関係を築くために―

市民オンブズマンいばらき
区長制度研究会

従来型行政の弊害はいろいろありますが、今回、研究会の調査で分かったことは、これを是正することが難しいようで実は案外そうではないのではないか、その根元に近づけば、私たち市民の自覚さえあれば道は近きにあるのではないか、そう思えてきたことです。

行政と住民、この相互依存の中から地域ボスが生まれ、集票組織へと形成されていくなど、さまざまな潜在的悪弊について研究会は論じあってきました。
それではこのようなもたれ合いを廃して地域コミュニティを再生させるためにはどうしたらよいか。

 以下にその処方箋を描いてみることとしましょう。
理解を容易にするため、以下、自治会、地区会、町内会等さまざまな呼び方をされている地縁型コミュニ
ティを単純に「会」と、地方自治体を便宜的に「市」と呼称することにします。みなさんは属しているそ
れぞれの呼び方に当てはめて考えて下さい。

さて、このような地域コミュニティの崩壊現象から抜けだして地域を再生するには―。

区長制度が「会」の長を市の非常勤特別職に委嘱するという仕組みによって支えられてきたことはこれまでに見てきたとおりです。そしてそれらが市の条例や規則・規程等により裏打ちされて行政が地域自治組織を行政補助組織として間接コントロールしてきたことも同様です。

ですからこれらの条例*1や規則の実効性を失わせてしまえば良いことになります。
つまり、会の側で会則から上記の条例や規則に対応する「区長推薦規定」を削除してしまえば良いだけのことです。
この際ですからついでに会の名前も,「行政区」を強く意識させる「△△地区会」や,どうも閉鎖的に聞こえる「▽▽地区常会」から,「○○○自治会」など住民の自主性が感じられる名前に変えてしまいましょう。

会は即行政区である必要はなく、あるがままに会であり続ければよいだけです。
この場合、会には区長がいないのですから区長報酬は当然のことながら支払われません。半面行政も配布物
や回覧物などいわゆる「行政浸透」のあり方を行政コストの面を含めて考え直さなくてはならなくなります。

 会を構成する市民もこれまでおおかたは、会T会長(区長)はじめ役員にオマカセだったのを会員一人ひとりが地域自治の問題として強く意識するようになり、自立・自助・互助とはなんなのか、あらためて見つめ直す機会となる(もっともこれが先に立たなければいけませんが―)。

この過程でおのずから、それまでの「区長報酬」なるものの性格,それに区長報酬がゼイキンから支払われている事実をも見直すことになるでしょう。

そこで、
☆ 第1の道→対等の立場で事務委託契約を結ぶ

自治に目覚めた、ほんとうの意味での自治会の誕生
    
市と会との対等な立場での話し合い
   
そして両者の考えがもし、行政事務の一部委託契約ということで一致すれば、
   会(役務提供)  契約成立  市(対価支払い)
となります。

また、両者の考えが一致しない場合は、
会 … 対価支払いを受ける機会を逸する反面、役務負担をしないで済む。
市 … 他の方法(宅配便やシルバー人材センター利用等)に置き換えなければならない。
となります。

市にとって契約の相手方は会なので、従来、一身専属的な考え方のもとに支給されてきた区長報酬の概念は排除される(区長個人への報酬支給はなくなる)こととなります。
一方、会では総会等の場で自律的に契約を承認するかどうかを決める必要が生ずるので透明性が確保される(会長には会の収入から別途,役員手当として支給されるでしょう)という利点があります。

☆ もう一つの道→無契約の場合

市は住民に平等に行政情報の伝達義務がある*2のでそのための新たな工夫が必要。
会はそれまで担ってきた役務提供の煩瑣から解放され、より地域コミュニティ活動に専心できることとなります。

住民の負担がこれまでも軽いなどの理由で、従来方式(非常勤特別職→区長報酬支給)の継続を求める場合はそれも選択肢の一つとして自由です。良い悪いと言っても所詮は住民の自覚に待つしかないわけです。

契約が成立してもしなくても会が行政のくびきから放たれる以上、会長など役員も当然、市と命令⇔従属の関係はないので役員活動に伴うリスク(怪我などの災害)も負うこととなりますが、これにはボランティア保険などの仕組みで対応することが可能で、それよりも特別職の地方公務員とされていることにより、国家公務員などがボランティアとして積極的に地域コミュニティに関わる機会を奪ってしまう*3ことのほうが問題が多いと言えるのではないでしょうか。

このように考えてきたとき、私たちは地方自治の本旨にのっとり、行政と住民とのあたらしい関係を築くために、具体的に以下のことを提唱したいと思います。

1.会は行政から委嘱されることとなっている非常勤特別職たる区長への推薦を取りやめ、いったん市と会との関係を断ち切る。

2.これにより数ヶ月間、行政側・住民側とも若干の混乱が生ずるものと思われるが、その混乱のなかで、会内部での「望ましい住民自治のあり方」に向けて真摯な討議が行われることを期待する。「産みの苦しみ」です。

3.行政側の働きかけを待って、新生自治会と市との間で「地域の将来像」について対等の立場で徹底的な討議を開始する(数ヶ月を予想)。
この間、行政側においても相当な行政停滞が予測されるが、住民側も事前に動揺を抑制する措置を講じておく必要がある。

市民オンブズマンいばらきとしては、
 次に掲げる段階を追って全県的な規模で啓発運動を展開、また,インターネット上、市民オンブズマンのホームページにに掲示板をもうけ、広く一般に討議への参加を呼びかけてこの問題への関心を高めるとともに、各地のオンブズマンにもこの運動を報告し、賛同と協力を求める。

第1段階 各ブロックに1ないし2のモデル自治体となる市町村を選び、シンポジウムなど  開催、マスコミ等を通じて逐次その成果を発表する。
アンケート調査を行い、設問に区長制度を織り込んでその現実を知らせる。
並行して住民や各自治体職員の意識変革をうながす。

第2段階 モデル自治体での成果を検証しながらそれを他の市町村にも波及させて行く。 このあたりから総務省などの圧力がかかりはじめることも考えられるが、市民オンブ ズマンいばらきはその成果を県に認めさせる方向で、理解を求め、協議を進めて行く。

第3段階 地方分権も相当程度その実が上がり始めると予測されるので、「住民参加の地方自治」の新地方自治法の趣旨を徹底させながら茨城全県で「会」長を非常勤特別職に任用する条例・規則の撤廃運動を進める。

ここで考えなくてはならないのは、「会」に入っていない住民です。
ここではかりに、「非組織住民」とでも呼びましょうか。この人たちが会に入らない理由についてはいろいろ考えられます。
いわく,全くの無関心層、行政からの生活情報はインターネットなどから随時取得できるとして必要を認めない層、会の束縛を嫌って入らないという層などが考えられますが、ことによると彼らは会そのものの因習的なところを嫌っている面もあるのかも知れません。それならば会自身が変わっていかなければなりませんね。

2月22日には市に昇格するという守谷町にも約2割の非組織住民がいるそうです。この2900戸あまりという数は、比率からいっても行政上無視できない層のはずです。思いつくまま挙げても、新利根町(約3000戸)旭村(〃)の全世帯数とほぼ同じ、千代川村(約2500戸)五霞町(同2700戸)のそれを上回ります。実は近年都市化が進んでいるところはどこでも同じような傾向が出てきているそうです。

となればここでも、旧来の、行政情報はすべて区長を通じて行っていればよいというやり方は通じなくなっていると言えるのではないでしょうか。

そこで、第三の道を模索する必要が出てきます。

☆ 第3の道→「会」を含め様々な住民団体をNPO(非営利公益法人)化して、行政と協働(Collaboration)していけるシステムを創るという方法です。

なにを突飛な、とお思いでしょうか。そうではありません。
じつは、これはすでに岐阜県でその予兆が見えているのです。
岐阜県では、平成9年度に岐阜県研究報告として「多元型地域社会における多様なセクター間の協働(副題はコミュニティーの再生をめざして―」というレポートをインターネットで公表しているのです。
作成にあたったメンバーは、県の行政マン10人と地方自治大学校助教授2人でいずれも新進気鋭のホープと思われる人たちです。

最近では、昨年12月9日NHKテレビ朝の定時ニュースで横須賀市が「市民協働推進条例(素案)」をつくったことを報じていました。さっそく同市のホームページにアクセスして議事録を含む全文を入手しました。
素案を提言した委員会のメンバーは、学識経験者2人、市民活動団体代表7人、事業者代表2人、公募3人それに行政側から課長クラス3人といった顔ぶれで、これから議会審議にはいるのでしょうが、提言ではことし7月1日から施行を考えているようです。

後者はかなり大部なのでまだざっと読んだ程度ですが、「第三の道」を考える上で参考になると思います。
きょうはそれも持ってきましたので、もし時間があれば目を通していただければありがたいと思います。

第三の道については、本県の現状を考えるとちょっと道のりが遠いかなと思いますが、
行政と住民との新たな関係を築くための、これからの道筋を示唆するものではあると思います。

以上 一見、理想主義・楽観主義のように思われる方があるかも知れませんが、これまでも住民運動はさまざまな抵抗を乗り越えて発展してきました。やりようによっては不可能ではないと信じます。みなさんのお考えをぜひ聴かせていただきたいと思います。

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