ITI韓国本部(代表:金義卿)の発議に国際交流基金(日本)が協力して実現した企画で、「韓国で今後の活躍が期待される演劇専門家を日本に招聘し、舞台芸術を中心とした日本の文化や社会事情の視察および関係者との意見交換の場を提供する」(プログラムから引用)という趣旨のもの。韓国からは劇団サヌリムの代表林英雄(イム・ヨンウン)を団長にして許榮吉(ホ・ヨンギル)、金孝経(キム・ヒョギュ)、鄭宗和(チョン・ヂョンファ)、金政澤(キム・ヂョンテク)、高今錫(コ・グムソク)、李炳勲(イ・ビョンフン)、劇団76代表奇國叙(キ・グクソ)、朴炳棹(パク・ピョンド)、洪賛植(ホン・チャンシク)が来日。
これまでの「全国地方演劇祭」を今年から「全国演劇祭」に名称変更。
東亜日報が日本を訪問した韓国の演出家グループと日本の演出家グループの初会合を報道。日本側の懇談会出席者は瓜生正美、岡安伸治、小田健也、篠崎光正、関矢幸雄、高瀬精一郎、寺崎裕則、友谷文孝、中村哮夫、ふじたあさやの各氏。
「韓-日演劇 本格交流始動/中堅演出家19名、東京で最初の集まり/演劇界の現況、幅広い意見をわかつ」
呉泰錫の率いる劇団「木花」は呉泰錫作・演出の『胎(テ)』で「第1回三井フェスティバル」に参加した。こんかいの東京行きに先駆けて、去る5月6日から15日までソウルの「文芸会館」小劇場でプレ公演をおこなった。
巫世衆(ム・セヂュン/本名:金世中)の作・演出で『統一のためのマッコリサルプリ(トンマクサル)』を新宿シアター・モリエールで上演。出演はム・セヂュンと金京愛(キム・キョンウォン)。この祭祀は「韓民族が宿怨する南北統一への祈願を日本の舞台でハンマダン形式で綴り構成し、その意義を継ごうとするもの」(チラシから)だという。
88年の「ソウル・オリンピック文化芸術祭典」で歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』を国立劇場大劇場で上演した(1998/9/3-6)。[韓国ITI資料集2 P31]。歌舞伎関連の新聞評を3つ紹介する(未翻訳、画像のみ)。
毎日経済新聞(1988/9/6)「日伝統芸術の花、歌舞伎/連日客席〈満員〉」
東亜日報(1988/9/7)「演劇/絵画美あふれる精巧な造形物/カブキ『仮名手本忠臣蔵』を見て」
京郷新聞(1988/9/7)「88文化コラム/日本的なものにはためらいが…」
ソウル演劇祭の一環として開催されたシンポジウムで、日本からは畠山茂と河竹登志夫が参加した。(「ITI30年誌」P106)
討論会風景(「ITI30年誌」から)
釜山市民会館(1988/09/3-4)、ソウル、現代(ヒョンデ)トアートホール(1988/09/8-11)
第1回目のアジア一人劇祭が韓国のソナンダン(代表/沈雨晟)の主催により、ソウルのパタンゴル小劇場で開催された。日本からは大道芸のギリヤーク尼崎の『じょんがら一代』と百鬼人形芝居どんどろ(代表/岡本芳一)の『清姫曼陀羅』が参加。
劇団「夢一族」はソウルオリンピックの時期(1988/9/27〜30)に韓国公演を企画したが、メンバーのほとんどにビザが発給されず、韓国公演は未遂となった。演目は『日本三文オペラ(海峡を越える蝶)』で、大学路のパタンゴル小劇場での上演を予定していた。韓国側受け入れは「韓国民俗劇研究所・ソナンダン」。
●劇団「南河内万歳一座」の釜山公演(11月)