韓国演劇協会の発行する雑誌「韓国演劇」1980年5月号に、韓国の劇団「エヂョト」代表の方泰守(パン・テス)が日本を訪問したという記事が掲載された。パン・テスは咸境南道北青(プクチョン)の生まれで、1965年に「ドラマセンター演劇アカデミー」を卒業し、1967年に釜山で劇団「エヂョト」を創団した。パン・テスは今回の日本訪問では曲馬館や黒テント、転形劇場などを訪問した。
「韓国演劇」1980年10月号に呉泰錫(オ・テソク、1940〜2022)が自作の『草墳(チョブン)』を東京・池袋の「文芸座ルピリエ小劇場」で上演することになったという短信が掲載された。呉泰錫は劇団「木花(モックァ)」(1984年創団)を主宰する劇作家であり演出家。
日本語に翻訳された呉泰錫の作品『草墳(チョブン)』を在日韓国演劇上演会と国際青年演劇センター(KSEC)の日本人および在日の俳優との共同作業で上演した。
写真は呉泰錫(KSECの資料から)下図は雑誌「韓国演劇」1981年1月号に掲載された呉泰錫の演出ノート
p83『草墳』公演に関連する新聞記事は、日本側新聞記事に1980年11月22日付朝日新聞「驚くべき表現の豊かさ/注目される韓国現代劇」と、同年11月29日付読売新聞「気迫こもる草墳(11月の新劇)」がある。なお『草墳』日本公演のいきさつに関しては毎日新聞(1980/11/6)の記事「アングル80/日本の若者も協力、韓国現代劇」に詳しい。
『草墳』の日本公演は韓国でも比較的大きく扱われた。東亜日報(1980/9/27)の「日でお目見えする演劇、草墳/日、俳優6名すでに来韓練習中/演出は作家呉泰錫氏が直接任されることに」と、京郷新聞(1980/9/27)の「東京舞台リハーサル『草墳』/日、出演陣6名来韓…韓国的ムードに慣れる」がある。これらの記事はいずれも日本から韓国を訪れた演技者たちによる韓国でのリハーサルのようすを伝えた。
また、日本で発行されている「統一日報」(1980/11/21)は中上健次や豊田有恒などによる長文の劇評『草墳』公演、私はこう観た/抜群のシチュエーション/土俗につき近代超える指向」を掲載した。韓国の「朝鮮日報」(1980/12/3)も「日本で好評の韓国演劇/草墳東京公演の決算」という記事を掲載した。
方泰守(パン・テス)の海外演習の報告が雑誌「韓国演劇」(1980/11)に掲載された。記事にある「来年」とは1981年のことだが、実際にこれらの交流行事が韓国で行われたのかいまだに確認できないでいる。1981年は3月下旬に「第三世界演劇祭」がソウルで開催されたので、パン・テスのこのようなアイデアは霧散したのではないかと考えられる。「第三世界演劇祭」にはインドやフィリピンなどからも劇団が参加しており、パン・テスの掲げたアイデアとかなり重複するからである。