劇団「東崇レパートリー」が創団作品として柳美里の『グリーンベンチ』を上演した。演出は李ソンヨル。
東京で開催された「大世紀末演劇展」に韓国から沈哲鍾(シム・チョルヂョン)が一人劇『犬』(キ・グクソ作/演出)で参加した。
金亜羅のひきいる劇団「舞天(ムチョン)」が『オイディプスとの旅』を日本で公演した。これは湘南台文化センターの太田省吾が始めての海外事業として招請したもの。
「21世紀情報化社会での純粋演劇の生存戦略」という主題でソウルにて開催。日本から日本演出者協会の7人が訪韓。
関連記事はハンギョレ新聞「日本青少年演劇、韓国公演/”ベッカンコオニ”、世界の家族劇シリーズ最初の作品に」(7/15)、京郷新聞「おばけと盲目の少女の悲劇的な愛/日、劇団エルムのベッカンコオニ」(7/21)、東亜日報「日演劇、韓国進出本格化/16年間ロングラン話題”ベッカンコ…”/おばけと盲目の少女の愛を描いた青少年もの」(7/22)などがある。
劇団ともしび『金剛山のとらたいじ』→「韓国演劇協会」の発行する演劇雑誌「韓国演劇」に劇評が掲載された。
はぐるま座の藤川夏子による一人劇『あるオモニの生涯』の韓国上演。ソウルでは小劇場「オヌル」で、釜山は「実践小劇場」(8/25〜26)で上演。関連記事に「‘在日同胞差別’批判、日本人の身ぶり/はぐるま座の“あるオモニの…”22日からソウル・釜山で上演」(ハンギョレ新聞、8/19)と「労働者の喜び・憤怒、演劇で昇華/正しいアジア建設のために連帯が必要」(ハンギョレ新聞、8/24)がある。
また、公演後記としては演劇評論家アン・チウンによる「アン・チウンの演劇日記/日、演劇人が描いた最初の‘朝鮮女性の生’/反省で過去を学び未来開く」(ハンギョレ新聞、8/31)がある。
つかこうへいの『熱海殺人事件』(1986)に出演して好評を得た俳優金知淑のひきいる劇団「伝説」がつかこうへいの『鎌田行進曲』を翻案した『ムービームービー』を蓮岡(ヨンガン)ホールで上演。「ソウル演劇祭」参加作。
韓国の芸術企画(代表申英徹)の企画した野外演劇『景福宮で‐殺害のその日‐』に、日本からタケイヨシミチ(パフォーマ)が当時の三浦公使役ならびに刺客役として、また岡本昌己が端役で参加した。この演劇は100年前の「閔妃暗殺事件」に取材したもので、演劇の舞台を事件のあったソウルの景福宮内に設定して催された。話の展開にしたがって景福宮内で場所を移しながら上演し、観客もそれに連れて移動するというもの。週間写真雑誌フォーカスの取材記事(飯田勇氏)がある。
劇団仲間が韓国の劇作家李康白(イ・ガンベク)の作品『プゴテガリ』を東京の俳優座で公演した。
(写真は雑誌"©客席"1995-12 p150 から)
第2回ベセト演劇祭を東京で開催。参加した5作品のうち、日・中・韓による共同制作として太田省吾作・演出の『水の駅 2』を上演した。この作品に韓国人俳優、安○煥と南明烈(ナム・ミョンリョル)の二人が出演。
韓国からの参加作品はソウルアートセンター(芸術の殿堂)制作の『徳恵翁主』(鄭福根作・韓泰淑演出)で、東京の草月ホールで上演(1990/11/12〜14)。作品のあらすじは画像ファイル(121KB/JPG)を参照。
『徳恵翁主(トッケオンヂュ)』
劇団えるむ&NAITE企画が『うそつき女・英子』(ふじたあさや作・演出)をソウルで上演。劇評は「ハンギョレ新聞」1995年12月7日付「アン・チウンの演劇日記/うそつき女、英子」(アン・チウン)と雑誌「客席」96年1月号の「うそつき女、英子」(シン・アヨン)がある。
日本では1997年に東京の「三百人劇場」で再演され、「テアトロ」97年7月号に水落潔による劇評が掲載された。劇評は慰安婦問題を一般に広く知らしめたという点を評価。しかし慰安婦の強制性に関しては答えを出していないとなっている。
「第1回アジア演劇人フェスティバル」釜山&ソウル(12/16〜26)に日本から劇団「はぐるま座」が『その日はいつか―峠三吉と子どもたちの原爆詩』で参加。この「アジア演劇人フェスティバル」は、韓国の「韓国演劇協会」と「民劇協」の意思疎通をはかるためと、アジア圏の演劇接触のための常設機構の模索を目的にして開催されたもの。