劇作家の高堂要(1932〜2001)が李盤(イ・バン、〜2018)の作品である『その日、その日に』を日本語化し『銃剣と処容の舞い』として上演した。舞台では韓国人舞踊家が處容舞を踊った。この作品は後に李盤の推挙で『ああ堤岩里よ』という題名で韓国上演(文芸会館、2001/2/26〜3/3)された。
韓国の京畿道水原(スウォン)市で第4回目の水原国際演劇祭が開催され、日本から
「錬肉工房」
が『K-カフカと恋人たち』で参加した。
今回の演劇祭は水原城の城門のひとつである華西門前の特設ステージで行われたが、
各国からの多様な出し物を同一の舞台で公演したために、あまりかわり映えのしない演劇祭になった。しかも韓国古武術の模範演技や民謡歌手による喉自慢など、
おおよそ演劇祭とは関係の無いと思われる出し物も多かった。
韓国戯曲作家協会(会長李康列)と日本劇作家協会の主催で『2000年韓日劇作家セミナー』を、
東京の世田谷パブリックシアターにて開催した。
韓国側は『洪海星の演劇人生』崔昌吉(チェ・チャンギル)と『土月會と劇藝術研究會の演劇』金一英(キム・イリョン)、
日本側は岸田理生(きしだりお)の『21世紀日韓交流の展望−歴史から何を学ぶかに寄せて』と
平田オリザによる『交流展望私感 歴史から何を学ぶか』等の発表があった。
慶尚南道の居昌(コチャン)郡にある名勝地ススンデで開催された第12回居昌国際演劇祭に、
日本から「ク・ナウカ」が『オイディプス王』で参加した(8/9-10)。
韓国演劇2000年9月号にイ・ヂフン(劇団TNT代表)による
劇評が掲載された。
居昌演劇祭は1989年に慶尚南道地域における演劇団体の相互親睦と、地方演劇の発展の模索を目的として発足した。
主催は居昌に本拠地を置く「劇団立体(イプチェ)」で、93年の第5回から海外の劇団参加が始まった。
第8回めまでは立体芸術劇場を中心にしていたが、97年の第9回から居昌郡内に会場を分散して設けて行われるようになった。
全羅北道u山(イクサン)市で第1回目の児童劇祝祭が開かれ、日本から
「劇団ともしび」、
「劇団ひまわり」、
「劇団影法師」
ほかが参加した。「劇団影法師」はu山のほかに釜山とソウルでも公演を行った。
ところで、このu山市は1995年に裡里(イリ)市とu山郡が合併してu山市となったもの。裡里という地名が無くなった。
じつは1977年に裡里駅に停車していた火薬を積んだ貨車が大爆発を起こし、裡里の町が消えかかった事件があった。
この事故で韓国火薬(現ハン=ファ)は賠償などで窮地に陥ったらしい。
その後、政府の復興策でよそに先駆けて鉄筋コンクリート作りの住宅が建てられ、いちやくモダンな町になったと云う。
新宿のタイニイアリスでは第4回アジア小劇場演劇ネットワーク東京公演を開催。
韓国からは釜山の「處容劇団(チョヨンクッタン)」が『ひまわり』(チャン・ヂョンイル作、李東宰演出)で、
同じく韓国の「劇団木花(モックァ)」は『朝、いっとき雪または雨』(呉泰錫作・演出)で参加した。
處容劇団(15-17/AUG)
/
劇団木花(26,27/AUG)
主催&会場:タイニイアリス
神戸の
劇団道化座
が大学路の文芸会館小劇場で『幸福』を上演した。韓国文化芸術振興院による特別招請で、
韓国演劇2000年10月号に演劇評論家金美都(キム・ミド)による
劇評がある。
ソウルで開かれた第24回ソウル演劇祭(2000/08/27-10/15)に、
太田省吾(おおたしょうご)の『更地』を韓国人俳優によるキャスティングで上演(文芸会館小劇場)。
韓国演劇2000年10月号には呉世坤(オ・セゴン)による劇評が掲載された。
「劇団影法師」の招聘によって 「演戯團コリペ」が『ハムレット』で日本巡演。
ソウルで開催された第7回ベセト演劇祭では、韓国伝統のパンソリ『春香伝(チュニャンヂョン)』を、韓国(唱劇)・中国(越劇)・日本(歌舞伎)の3つのパートに分けて国立劇場で上演した(2000/10/19-22)。
世宗文化会館小劇場では「劇団青年座」
が『ブンナよ、木からおりてこい』(水上勉作/鈴木完一郎演出)を上演した(10/13-15)。
成均館大学の公演芸術研究所主催で韓日演劇比較学術シンポジウムを開催。
主題は『韓日両国における西欧近代劇の受容と実践』。
27日のシンポジウム参加者は大笹吉雄・菅井幸雄・梁承國(ヤン・スングク)の各氏。
午後の討論会は成均館大学の金昌華(キム・チャンファ)教授の司会で、
参加者は柳敏榮(ユ・ミニョン)・金義卿(キム・ウィギョン)・高勝吉(コ・スンギル)・閔丙郁(ミン・ビョンイク)・宋の各氏。
28日は午前10時半から午後3時まで昼食をはさんでの討論会となった。
公演芸術研究所の機関紙『公演芸術ジャーナル』創刊準備号
ソウルの大学路にあるヨルリン劇場(Open Theatre)で、第2回目の「Physical Theatre Festival」を開催。日本からはストアハウス・カンパニー『縄』(木村真悟・作演出)と劇団アンド・エンドレス『楽園』(西田大輔・演出)が参加した。
韓国は韓国側主催者である金京媛の率いる劇団CoStage『鉢里姫』(金京媛作・演出)と、ナム・グンホ・マイム劇団『蛙たちのダンスパーティ』(ナム・グンホ構成・演出)が参加した。
1999年に結成された「アジア演劇祭in関西実行委員会」の主催による「第1回アジア演劇祭in関西」が大阪で開催された。韓国からは劇団木花が『春風の妻』をHEP HALLで上演。日本からは「道化座」が『きらめく星座』で参加。付帯事業として演劇シンポジウム『日・中・韓 演劇の今』を開催し、韓国からは当時大韓民国芸術院会長の車凡錫(チャ・ボンソク)と韓国芸術発展協議会会長の李泰柱(イ・テヂュ)、そして劇団「木花」代表の呉泰錫(オ・テソク)がパネラーとして参加した。
主催:アジア演劇祭in関西実行委員会
上記したほかにも多くの演劇交流がなされております。以下は岡本の手許に資料のないものです。
○「ノリペ・ハルラサン」『アボジを踏む』京都・呉竹文化センターと東京・青山スパイラルホールでの公演
○劇団「かげぼうし」の『かぐやひめ』ソウル公演(8/16-20)
○劇団「白首狂夫」による『鯨のいる漁港』(北村想)の上演